ウィーン国立歌劇場「アンナ・ボレーナ」 [オペラ]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は通常通りの診療ですが、
明日は奈良にちょっと出掛けるので、
更新はお休みにさせて下さい。
今日は休みの日ではありませんが、
趣味の話題です。
今日はこちら。
ウィーン国立歌劇場の来日公演から、
ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」を聴いて来ました。
これは非常に素晴らしく、
血湧き肉踊るという感じの、
肉食系のベルカントオペラの世界に、
久しぶりに浸れた思いがしました。
ドニゼッティは1800年代の前半に活躍した、
オペラ作曲家で、
少し先輩のロッシーニや、
少し後輩のベッリーニと共に、
イタリアの所謂「ベルカントオペラ」の代表です。
多くの傑作を後世に残していますが、
実際に上演される作品は、
「ランメルモールのルチア」や「愛の妙薬」など、
それほど多くはありません。
ソプラノのヒロインが、
不幸のどん底に叩き込まれて狂乱し、
その断末魔に長大で技巧的なアリアを歌うのが、
十八番の聴き所で、
技巧的かつカリスマ的な魅力のあるソプラノの、
存在は不可欠ですし、
重唱の華やかさも特徴で、
バリトンとテノール、メゾソプラノにも、
安定した技量と個性の持ち主が、
揃っていないと上演が難しく、
そのため実際に上演される作品は少なく、
それも多くのカットが成された、
不完全なものであることが通常です。
この「アンナ・ボレーナ」は、
その中でも主役のソプラノの負担が大きく、
重唱も矢鱈に多いので、
全ての音域で名手が揃わないと上演は不可能で、
その上ドラマは、
何の救いもない暗いだけのものなので、
歌自体の愉楽が、
ドラマを突き抜けるようでないと、
観客の生理がもたない、
という性質の作品です。
長らく忘れられていたこの作品を、
1950年代に甦らせたのが、
マリア・カラスで、
その後もこの作品のヒロインを、
歌える歌手は数えるほどです。
最近では2007年に、
テオドゥシオというギリシャのソプラノが、
日本で歌っていますが、
それが殆ど唯一の日本での上演でした。
今回の上演では、
タイトルロールを、
コロラトゥーラの女王として、
長くソプラノの世界に君臨して来た、
超ベテランのグルヴェローヴァが、
日本で最後のオペラの舞台として、
出演するのが最大の話題です。
彼女は昨年同じドニゼッティの、
「ロベルト・デヴェリュー」を歌い、
その歌唱は多くの観客に感銘を与えました。
彼女は何度も「アンナ・ボレーナ」を歌ってはいますが、
日本で全幕を上演するのは、
今回が最初で最後です。
ただ、
正直もうかつての超絶的な技巧はなく、
年齢も65歳を超えた彼女が、
全幕を歌うことが出来るのか、
という点については、
危惧する思いがありました。
2007年のテオデゥシオも、
幕のラストの辺りは、
息切れの目立つ歌唱であったからです。
結論から言うと、
きちんと歌えていた、
とは言えない出来です。
特にラストのカヴァレッタは、
もう息も絶え絶えの感じで、
フレージングもかなり適当でした。
ただ、
それでは駄目だったのかと言うと、
そんなことはなく、
彼女の絢爛たるキャリアの締め括りに相応しい、
入魂の歌と演技であったことは間違いがなく、
特にラス前の「私の生まれたお城に連れてって」は、
ピアニシモの歌唱が戦慄的に美しく、
胸がかきむしられるような、
感銘を受けました。
この作品のヒロインのアンナは、
女王の座を射止めるために、
自分の恋人と真実の愛情とを犠牲にするのですが、
移り気な王は、
今度は自分の女官に思いを寄せて、
アンナを陥れ、
罠に掛かったアンナは処刑されます。
死の間際の狂乱の中で、
アンナは自分を偽る前の少女に戻り、
幻想の世界で真実の生を、
束の間生きるのですが、
その処刑前の瞬間の煌めきが、
グルヴェローヴァのピアニシモには、
見事に結晶化されていました。
今回の舞台の成功は、
他のキャスト及びオケの充実にあります。
ウィーン国立歌劇場のオケは、
ドニゼッティの激情とは、
やや相容れない部分があるのですが、
細かいニュアンスの精緻な再現と、
独特の浮き立つようなリズム感は、
随所で音楽の愉楽を感じさせてくれましたし、
グルヴェローヴァ以外のキャストは、
過不足なくその役割を果たしていました。
テノールの古風な感じも悪くありませんでしたし、
バス・バリトンの国王も、
やや荒さはありますが、
迫力のある歌と演技で盛り立てます。
特筆すべきは、
メゾのソニア・ガナッシで、
彼女の熱演がこの舞台の一番の功労者だと思います。
グルヴェローヴァとの相性も良く、
極め付きの熱演でありながら、
2重唱では、
決してグルヴェローヴァより目立つことはしないなど、
その配慮が舞台を支えていました。
11月4日にもう1回公演がありますので、
迷われている方がいれば是非。
これだけの舞台はざらにはありませんし、
稀有のソプラノの日本最後の舞台を、
目撃し彼女の声に聴き入ることは、
他に代え難い体験ではあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は通常通りの診療ですが、
明日は奈良にちょっと出掛けるので、
更新はお休みにさせて下さい。
今日は休みの日ではありませんが、
趣味の話題です。
今日はこちら。
ウィーン国立歌劇場の来日公演から、
ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」を聴いて来ました。
これは非常に素晴らしく、
血湧き肉踊るという感じの、
肉食系のベルカントオペラの世界に、
久しぶりに浸れた思いがしました。
ドニゼッティは1800年代の前半に活躍した、
オペラ作曲家で、
少し先輩のロッシーニや、
少し後輩のベッリーニと共に、
イタリアの所謂「ベルカントオペラ」の代表です。
多くの傑作を後世に残していますが、
実際に上演される作品は、
「ランメルモールのルチア」や「愛の妙薬」など、
それほど多くはありません。
ソプラノのヒロインが、
不幸のどん底に叩き込まれて狂乱し、
その断末魔に長大で技巧的なアリアを歌うのが、
十八番の聴き所で、
技巧的かつカリスマ的な魅力のあるソプラノの、
存在は不可欠ですし、
重唱の華やかさも特徴で、
バリトンとテノール、メゾソプラノにも、
安定した技量と個性の持ち主が、
揃っていないと上演が難しく、
そのため実際に上演される作品は少なく、
それも多くのカットが成された、
不完全なものであることが通常です。
この「アンナ・ボレーナ」は、
その中でも主役のソプラノの負担が大きく、
重唱も矢鱈に多いので、
全ての音域で名手が揃わないと上演は不可能で、
その上ドラマは、
何の救いもない暗いだけのものなので、
歌自体の愉楽が、
ドラマを突き抜けるようでないと、
観客の生理がもたない、
という性質の作品です。
長らく忘れられていたこの作品を、
1950年代に甦らせたのが、
マリア・カラスで、
その後もこの作品のヒロインを、
歌える歌手は数えるほどです。
最近では2007年に、
テオドゥシオというギリシャのソプラノが、
日本で歌っていますが、
それが殆ど唯一の日本での上演でした。
今回の上演では、
タイトルロールを、
コロラトゥーラの女王として、
長くソプラノの世界に君臨して来た、
超ベテランのグルヴェローヴァが、
日本で最後のオペラの舞台として、
出演するのが最大の話題です。
彼女は昨年同じドニゼッティの、
「ロベルト・デヴェリュー」を歌い、
その歌唱は多くの観客に感銘を与えました。
彼女は何度も「アンナ・ボレーナ」を歌ってはいますが、
日本で全幕を上演するのは、
今回が最初で最後です。
ただ、
正直もうかつての超絶的な技巧はなく、
年齢も65歳を超えた彼女が、
全幕を歌うことが出来るのか、
という点については、
危惧する思いがありました。
2007年のテオデゥシオも、
幕のラストの辺りは、
息切れの目立つ歌唱であったからです。
結論から言うと、
きちんと歌えていた、
とは言えない出来です。
特にラストのカヴァレッタは、
もう息も絶え絶えの感じで、
フレージングもかなり適当でした。
ただ、
それでは駄目だったのかと言うと、
そんなことはなく、
彼女の絢爛たるキャリアの締め括りに相応しい、
入魂の歌と演技であったことは間違いがなく、
特にラス前の「私の生まれたお城に連れてって」は、
ピアニシモの歌唱が戦慄的に美しく、
胸がかきむしられるような、
感銘を受けました。
この作品のヒロインのアンナは、
女王の座を射止めるために、
自分の恋人と真実の愛情とを犠牲にするのですが、
移り気な王は、
今度は自分の女官に思いを寄せて、
アンナを陥れ、
罠に掛かったアンナは処刑されます。
死の間際の狂乱の中で、
アンナは自分を偽る前の少女に戻り、
幻想の世界で真実の生を、
束の間生きるのですが、
その処刑前の瞬間の煌めきが、
グルヴェローヴァのピアニシモには、
見事に結晶化されていました。
今回の舞台の成功は、
他のキャスト及びオケの充実にあります。
ウィーン国立歌劇場のオケは、
ドニゼッティの激情とは、
やや相容れない部分があるのですが、
細かいニュアンスの精緻な再現と、
独特の浮き立つようなリズム感は、
随所で音楽の愉楽を感じさせてくれましたし、
グルヴェローヴァ以外のキャストは、
過不足なくその役割を果たしていました。
テノールの古風な感じも悪くありませんでしたし、
バス・バリトンの国王も、
やや荒さはありますが、
迫力のある歌と演技で盛り立てます。
特筆すべきは、
メゾのソニア・ガナッシで、
彼女の熱演がこの舞台の一番の功労者だと思います。
グルヴェローヴァとの相性も良く、
極め付きの熱演でありながら、
2重唱では、
決してグルヴェローヴァより目立つことはしないなど、
その配慮が舞台を支えていました。
11月4日にもう1回公演がありますので、
迷われている方がいれば是非。
これだけの舞台はざらにはありませんし、
稀有のソプラノの日本最後の舞台を、
目撃し彼女の声に聴き入ることは、
他に代え難い体験ではあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2012-11-02 08:17
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先生こんにちは。
グルベローヴァの日本最後の舞台を鑑賞されたのですね。
私はグルベローヴァが大好きでCDでたくさん聴きましたが、
生の歌声は聴いたことがありません。
全盛期の彼女の声と技巧は神のようで、完璧な美しさですね。
今現在、彼女に匹敵するような魅力と才能を持ったソプラノ歌手はいるのでしょうか?
最近のソプラノ界事情についてはあまりわかりません(笑)
by 恵子 (2012-11-03 21:58)
先生、はじめまして。
お近くに、同じ公演を観賞されている方がいらっしゃると知り、はじめてコメントします。
ずっと、ずっと大好きだったグルベローヴァ、年齢を重ねることにより既に失ったものは多いものの、まさに他に無いグルベローヴァの美しいアリア、かつての空気が震える感もひとときでしたがあったように思え、ただただ、感謝の想いでした。
27日、31日の2回の公演で、最後のグルベローヴァの観賞に、心から満足しました。
幡ヶ谷在住の、たまに患者です。
by ぴい (2012-11-14 22:25)
恵子さんへ
コメントありがとうございます。
僕はナタリー・デセイ様が絶対1位なのですが、
今でも素晴らしいものの、
ピークは過ぎています。
コロラトゥーラということで考えると、
今はドイツ勢が良く、
去年来たダムラウは素晴らしかったですし、
これから頂点を迎える歌手だと思います。
日本には来ませんが、
マリス・ペーターゼンも素敵です。
シェーファーも好きです。
ただ、ドイツ系の歌手のコロラトゥーラは、
イタリア系とは別物で、
グルヴェローヴァともまた肌合いは違います。
先日来日したイタリアの若手ノマリア・アグレスタは、
まだ曲の盛り上げは今一つですが、
非常な美声でテクニックもあり、
これから大化けするかも知れません。
ベルカントのレパートリーを、
今主に歌っているのはネトレプコですが、
押し出しは良く華は抜群にありますが、
歌は微妙なレベルで、
これからの伸びしろもあまり感じられず、
ゲオルギューのようになりそうな予感がします。
by fujiki (2012-11-15 08:19)
ぴいさんへ
コメントありがとうございます。
トータルには最後にふさわしい舞台だったと思います。
部分的には血沸き肉躍る感じがありましたね。
by fujiki (2012-11-15 08:21)