法華寺「十一面観音立像」 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で、
診療所は休診です。
今奈良から戻ったところです。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
奈良にある法華寺のご本尊、
十一面観音菩薩様のお姿です。
春と秋の一定期間のみ拝観可能な秘仏で、
秘仏の中では比較的開扉の期間が長いのですが、
これまで拝する機会がありませんでした。
今回初めて拝観することが出来ました。
法隆寺が救世観音をお守りするために存在している、
という一面があるように、
法華寺はこの十一面観音様を、
お祀りするために存在している、
という側面のある寺院です。
法華寺は仏教の女神として、
半ば神格化されている、
光明皇后の宮寺として建立された寺院で、
光明皇后のお姿を刻んだとされる、
観音像を本尊として祀っています。
現在の本尊は平安初期に造立されたものと考えられていますが、
伝説としては、
光明皇后が生きていらっしゃった時に、
そのお姿を刻んだものとされています。
つまり、
この観音様の前に、
当初のご本尊のあった可能性もあり、
またそうではない可能性もあります。
いずれにしても、
この仏像が1000年以上に渡り、
光明皇后の移し身の姿として、
守られて来たことは間違いがありません。
仏像は実際に目にすると、
ガッカリすることも多いのですが、
この観音様は本当に素晴らしく、
さすが1000年以上の思いが積み重なっただけのことはあります。
実際の色調は、
もう少しくすんだ感じにはなりますが、
唇の朱色などは、
鮮やかに残っています。
平安初期の仏像には、
密教の入って来た時代の、
一種の「魔的」なものがあり、
この観音様にもそうした心的な深さが感じられるのですが、
同時に写実的な技術としての精緻さも併せ持っています。
像高は1メートルほどなので、
小ぶりなのですが、
実際に拝むと小さいという印象はありません。
包み込まれるような感じがありますし、
この像の精緻さは、
この大きさだからこそ発揮されるように思います。
天衣の端を掴んだ右手と、
踏み出した右足の動的なポーズが、
他の仏像には殆ど見られない特徴で、
流れる天衣の襞の1つ1つの美しさは、
見飽きることがありませんし、
その動的な流れの中に、
深淵な思想が、
秘められているようにも感じます。
お顔は写真ではきつく見えますが、
実際に少し離れた位置から、
見上げるようにして拝むと、
気品を持ってやわらかな印象があり、
これは写真では表現が出来ない部分のようです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごしく下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で、
診療所は休診です。
今奈良から戻ったところです。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
奈良にある法華寺のご本尊、
十一面観音菩薩様のお姿です。
春と秋の一定期間のみ拝観可能な秘仏で、
秘仏の中では比較的開扉の期間が長いのですが、
これまで拝する機会がありませんでした。
今回初めて拝観することが出来ました。
法隆寺が救世観音をお守りするために存在している、
という一面があるように、
法華寺はこの十一面観音様を、
お祀りするために存在している、
という側面のある寺院です。
法華寺は仏教の女神として、
半ば神格化されている、
光明皇后の宮寺として建立された寺院で、
光明皇后のお姿を刻んだとされる、
観音像を本尊として祀っています。
現在の本尊は平安初期に造立されたものと考えられていますが、
伝説としては、
光明皇后が生きていらっしゃった時に、
そのお姿を刻んだものとされています。
つまり、
この観音様の前に、
当初のご本尊のあった可能性もあり、
またそうではない可能性もあります。
いずれにしても、
この仏像が1000年以上に渡り、
光明皇后の移し身の姿として、
守られて来たことは間違いがありません。
仏像は実際に目にすると、
ガッカリすることも多いのですが、
この観音様は本当に素晴らしく、
さすが1000年以上の思いが積み重なっただけのことはあります。
実際の色調は、
もう少しくすんだ感じにはなりますが、
唇の朱色などは、
鮮やかに残っています。
平安初期の仏像には、
密教の入って来た時代の、
一種の「魔的」なものがあり、
この観音様にもそうした心的な深さが感じられるのですが、
同時に写実的な技術としての精緻さも併せ持っています。
像高は1メートルほどなので、
小ぶりなのですが、
実際に拝むと小さいという印象はありません。
包み込まれるような感じがありますし、
この像の精緻さは、
この大きさだからこそ発揮されるように思います。
天衣の端を掴んだ右手と、
踏み出した右足の動的なポーズが、
他の仏像には殆ど見られない特徴で、
流れる天衣の襞の1つ1つの美しさは、
見飽きることがありませんし、
その動的な流れの中に、
深淵な思想が、
秘められているようにも感じます。
お顔は写真ではきつく見えますが、
実際に少し離れた位置から、
見上げるようにして拝むと、
気品を持ってやわらかな印象があり、
これは写真では表現が出来ない部分のようです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごしく下さい。
石原がお送りしました。
2012-11-04 18:17
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コメント(1)
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石原先生、こんにちは。
11/1に奈良は突風が吹き荒れましたので紅葉もきゅっと進み、法華寺周辺もよい景色になっておりましたでしょうか?
法華寺の十一面観音様もそうですが、仏像は祈りの気持ちの受け皿なのでお堂のいらっしゃってこそ、価値があるものだと思うのですがどうでしょう・・・。長い年月、そこにいらした分(お堂替えなどもあられた事でしょうが…)祈る人の想いが像にしみこみ、何とも言い難い空気に包まれるように感じます。
by さくら (2012-11-05 15:09)