NODA・MAP「エッグ」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
野田秀樹の作・演出による、
NODA・MAPの新作公演が、
東京の池袋、東京芸術劇場で、
上演中です。
野田秀樹さんは天才だと思いますし、
自分の企画をイギリスで実現し、
イギリス人の俳優と英語で共演するなど、
前例のないような試みを成功させる、
そのバイタリティと才能には、
敬服するより外ありません。
ただ、
最近のNODA・MAPとしての本公演は、
端的に言えば、
反米と反天皇制という、
2つの思想のみを、
執拗にアジテーションするような内容になっているのが、
非常に残念に思えてなりません。
今回の作品もその例に洩れないもので、
オープニングは昔の遊眠社を彷彿とさせて楽しいのですが、
中段からは最後の辻褄合わせのためだけに、
人物が駒のように動くだけで、
何のドラマもなく、
人間の感情の高まりや情緒的な部分もなく、
明らかにされる真実が、
結局はいつものアジテーションなので、
非常に空虚な思いで劇場を後にしました。
アジテーションのための芝居があっても、
それはそれで構わないのです。
ただ、
それならもっとシンプルに、
主張を最初から表に出すような、
芝居作りをするべきだと思いますし、
更に言えば芝居ではなく、
映像のドキュメンタリーのような形式の方が、
より合っているのではないでしょうか。
野田秀樹さんは演劇の天才だと思いますが、
野田さんの演劇を遊眠社時代から、
観続けている一観客の立場としては、
もっと演劇に見合ったテーマが、
ある筈だと思いますし、
パンフレットの文章などを読む限りは、
それほどの決意や政治的な信念があって、
こうしたテーマを選んでいるのでは、
ないように思われるので、
それであれば、
もっと身近なテーマや、
人間の本質的な部分に迫るようなテーマを、
芝居には選んで頂き、
野田さんの政治的な主張は主張として、
別個の形で述べて頂いた方が、
より良いのではないかと思います。
以下、ネタバレがあります。
巻頭野田秀樹が野田秀樹自身の愛人として、
女装で現われ、
女学生を引率して、
改装がまだ間に合っていない、
劇場の裏側を紹介するツアーのコンダクターに扮します。
東京芸術劇場自体が、
改装しての杮落しなので、
これは現実を取り込んだ設定になっているのです。
女学生を連れて劇場や博物館を案内する、
というのは、
野田戯曲の初期によくあった設定で、
とても懐かしい感じがして、
これはワクワクしました。
誘導の最中に劇場の屋根裏から、
寺山修司が書き残した未完で未発見の戯曲の草稿が、
ハラリと舞台に落ちて来ます。
その原稿を野田秀樹の愛人が手に入れ、
それを野田秀樹本人が読んでいると、
そこに橋爪功扮する、
謎の人物が過去から現われ、
未完の原稿を完成させる作業が始まります。
「エッグ」というのは、
その寺山修司の遺稿の題名で、
それは日本独自のスポーツである、
と説明されます。
そして、
物語はそのスポーツの試合の会場に、
舞台は移ってゆくのです。
なかなか懐かしく、
かつまた魅力的なオープニングです。
ただ、東京芸術劇場が建設された時には、
既に寺山修司はこの世の人ではなかったのですから、
設定にはやや無理があります。
これがたとえば、
新宿の紀伊国屋ホールの上演であれば、
寺山修司もそこで何度も公演を行ない、
遊眠社も行なっていたのですから、
この設定はより大きな意味を持ったように思います。
エッグというスポーツは、
卵を取り合い、
それが割れないようにしながら、
そこに穴を開ける、
という競技のようで、
その仲村トオル扮する花形選手には、
深津絵里扮するアイドル歌手の恋人がいて、
しかし農家の三男坊の若手選手の妻夫木聡が、
忽然と現われ、
仲村トオルのポジションを奪うと、
仲村トオルは遺書を残して自殺します。
ただ、こうしたドラマが、
説得力を持って展開される訳ではなく、
「エッグ」という競技は、
何か別の物を表現している、
というニュアンスがチラチラと現われ、
観客は結局その裏の意味が何なのか、
ということのみを興味の対象にして、
舞台を見ざるを得なくなります。
物語は寺山修司の遺稿という設定ですが、
中途で再び野田秀樹本人が現われると、
文章を読み間違えていてた、
という話になり、
男性が実は女性であったとか、
時代が現代だと思っていたら、
もっと昔の話だった、
というようなことになり、
誤読により、
登場人物は変わらないのに、
舞台の設定はどんどん過去にシフトしてゆきます。
これも、
昔のアングラにも良くあったような仕掛けですが、
非常に面白いと思いました。
ただ、
要するにそうして遡る時間は、
結局60数年前で止まってしまい、
「エッグ」とは731部隊の話だったことが分かります。
そこで、
日本人は過去の事実を隠蔽し、
それと向き合おうとしていない、
という野田さんのお説教があり、
物語は終わります。
文字通りラストは、
野田さん自身が舞台に現われ、
観客に向けてお説教をし、
最後には、
「寺山修司には『エッグ』という作品はありません」
と言って暗転して終わります。
こんなラストは、
野田作品でかつてなく、
斬新と言えなくもありませんが、
僕は正直脱力しました。
構成は面白いのです。
原点回帰のような感じもあります。
しかし、
若き日の野田秀樹さんでしたら、
時間は60数年前で止まることはなく、
人間の誕生からその前へと遡り、
神様まで登場したと思います。
そのどちらが良いとは、
一概には言えないのです。
ただ、
野田さんは若き日には、
絶対に社会的なテーマや、
政治的なテーマを持った作品を書かなかったのです。
当時はアジテーションみたいな芝居の方が主力で、
舞台上で新左翼がどうたら、
のような議論をしたり、
童話のお話だと思ったら、
実は226事件の話だったとか、
そのような芝居が多かったのです。
野田さんは当時はそうしなかったのです。
少年が少年であり続ける苦悩とか、
人間が自分の肉親の肉を食べる時の心情とか、
テーマも風変わりでしたし、
ただ単純に振られた辛さを表現するのに、
簡単に世界を反転させて、
滅ぼしてしまうような話もありました。
そこには、
一見なんのテーマもないようで、
人間の心情の奥底にある不可解さを、
絢爛豪華なパノラマにして、
俯瞰するような面白さがあったのです。
野田さんの演出は、
そうした巨視的な展開を見せる時にこそ、
有効な武器になるので、
今回のようなテーマでは、
せっかくの前半の複雑な構成が、
昔のアングラに良くあったアジテーションに、
縮小されてしまうような詰まらなさがあるのです。
勿論、
政治的なテーマの作品があっても良いと思います。
ただ、
こうした微妙で不安定な時代ですし、
取り上げるのであれば、
もっと実証的で真正面からの取り組みでないと、
矢張りまずいのではないかと思うのです。
野田さんの芝居には、
戦前の満州のような、
ある意味歴史に閉じ込められた卑小な空間ではなく、
もっと広大無辺な世界こそが、
似つかわしいのではないでしょうか。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
野田秀樹の作・演出による、
NODA・MAPの新作公演が、
東京の池袋、東京芸術劇場で、
上演中です。
野田秀樹さんは天才だと思いますし、
自分の企画をイギリスで実現し、
イギリス人の俳優と英語で共演するなど、
前例のないような試みを成功させる、
そのバイタリティと才能には、
敬服するより外ありません。
ただ、
最近のNODA・MAPとしての本公演は、
端的に言えば、
反米と反天皇制という、
2つの思想のみを、
執拗にアジテーションするような内容になっているのが、
非常に残念に思えてなりません。
今回の作品もその例に洩れないもので、
オープニングは昔の遊眠社を彷彿とさせて楽しいのですが、
中段からは最後の辻褄合わせのためだけに、
人物が駒のように動くだけで、
何のドラマもなく、
人間の感情の高まりや情緒的な部分もなく、
明らかにされる真実が、
結局はいつものアジテーションなので、
非常に空虚な思いで劇場を後にしました。
アジテーションのための芝居があっても、
それはそれで構わないのです。
ただ、
それならもっとシンプルに、
主張を最初から表に出すような、
芝居作りをするべきだと思いますし、
更に言えば芝居ではなく、
映像のドキュメンタリーのような形式の方が、
より合っているのではないでしょうか。
野田秀樹さんは演劇の天才だと思いますが、
野田さんの演劇を遊眠社時代から、
観続けている一観客の立場としては、
もっと演劇に見合ったテーマが、
ある筈だと思いますし、
パンフレットの文章などを読む限りは、
それほどの決意や政治的な信念があって、
こうしたテーマを選んでいるのでは、
ないように思われるので、
それであれば、
もっと身近なテーマや、
人間の本質的な部分に迫るようなテーマを、
芝居には選んで頂き、
野田さんの政治的な主張は主張として、
別個の形で述べて頂いた方が、
より良いのではないかと思います。
以下、ネタバレがあります。
巻頭野田秀樹が野田秀樹自身の愛人として、
女装で現われ、
女学生を引率して、
改装がまだ間に合っていない、
劇場の裏側を紹介するツアーのコンダクターに扮します。
東京芸術劇場自体が、
改装しての杮落しなので、
これは現実を取り込んだ設定になっているのです。
女学生を連れて劇場や博物館を案内する、
というのは、
野田戯曲の初期によくあった設定で、
とても懐かしい感じがして、
これはワクワクしました。
誘導の最中に劇場の屋根裏から、
寺山修司が書き残した未完で未発見の戯曲の草稿が、
ハラリと舞台に落ちて来ます。
その原稿を野田秀樹の愛人が手に入れ、
それを野田秀樹本人が読んでいると、
そこに橋爪功扮する、
謎の人物が過去から現われ、
未完の原稿を完成させる作業が始まります。
「エッグ」というのは、
その寺山修司の遺稿の題名で、
それは日本独自のスポーツである、
と説明されます。
そして、
物語はそのスポーツの試合の会場に、
舞台は移ってゆくのです。
なかなか懐かしく、
かつまた魅力的なオープニングです。
ただ、東京芸術劇場が建設された時には、
既に寺山修司はこの世の人ではなかったのですから、
設定にはやや無理があります。
これがたとえば、
新宿の紀伊国屋ホールの上演であれば、
寺山修司もそこで何度も公演を行ない、
遊眠社も行なっていたのですから、
この設定はより大きな意味を持ったように思います。
エッグというスポーツは、
卵を取り合い、
それが割れないようにしながら、
そこに穴を開ける、
という競技のようで、
その仲村トオル扮する花形選手には、
深津絵里扮するアイドル歌手の恋人がいて、
しかし農家の三男坊の若手選手の妻夫木聡が、
忽然と現われ、
仲村トオルのポジションを奪うと、
仲村トオルは遺書を残して自殺します。
ただ、こうしたドラマが、
説得力を持って展開される訳ではなく、
「エッグ」という競技は、
何か別の物を表現している、
というニュアンスがチラチラと現われ、
観客は結局その裏の意味が何なのか、
ということのみを興味の対象にして、
舞台を見ざるを得なくなります。
物語は寺山修司の遺稿という設定ですが、
中途で再び野田秀樹本人が現われると、
文章を読み間違えていてた、
という話になり、
男性が実は女性であったとか、
時代が現代だと思っていたら、
もっと昔の話だった、
というようなことになり、
誤読により、
登場人物は変わらないのに、
舞台の設定はどんどん過去にシフトしてゆきます。
これも、
昔のアングラにも良くあったような仕掛けですが、
非常に面白いと思いました。
ただ、
要するにそうして遡る時間は、
結局60数年前で止まってしまい、
「エッグ」とは731部隊の話だったことが分かります。
そこで、
日本人は過去の事実を隠蔽し、
それと向き合おうとしていない、
という野田さんのお説教があり、
物語は終わります。
文字通りラストは、
野田さん自身が舞台に現われ、
観客に向けてお説教をし、
最後には、
「寺山修司には『エッグ』という作品はありません」
と言って暗転して終わります。
こんなラストは、
野田作品でかつてなく、
斬新と言えなくもありませんが、
僕は正直脱力しました。
構成は面白いのです。
原点回帰のような感じもあります。
しかし、
若き日の野田秀樹さんでしたら、
時間は60数年前で止まることはなく、
人間の誕生からその前へと遡り、
神様まで登場したと思います。
そのどちらが良いとは、
一概には言えないのです。
ただ、
野田さんは若き日には、
絶対に社会的なテーマや、
政治的なテーマを持った作品を書かなかったのです。
当時はアジテーションみたいな芝居の方が主力で、
舞台上で新左翼がどうたら、
のような議論をしたり、
童話のお話だと思ったら、
実は226事件の話だったとか、
そのような芝居が多かったのです。
野田さんは当時はそうしなかったのです。
少年が少年であり続ける苦悩とか、
人間が自分の肉親の肉を食べる時の心情とか、
テーマも風変わりでしたし、
ただ単純に振られた辛さを表現するのに、
簡単に世界を反転させて、
滅ぼしてしまうような話もありました。
そこには、
一見なんのテーマもないようで、
人間の心情の奥底にある不可解さを、
絢爛豪華なパノラマにして、
俯瞰するような面白さがあったのです。
野田さんの演出は、
そうした巨視的な展開を見せる時にこそ、
有効な武器になるので、
今回のようなテーマでは、
せっかくの前半の複雑な構成が、
昔のアングラに良くあったアジテーションに、
縮小されてしまうような詰まらなさがあるのです。
勿論、
政治的なテーマの作品があっても良いと思います。
ただ、
こうした微妙で不安定な時代ですし、
取り上げるのであれば、
もっと実証的で真正面からの取り組みでないと、
矢張りまずいのではないかと思うのです。
野田さんの芝居には、
戦前の満州のような、
ある意味歴史に閉じ込められた卑小な空間ではなく、
もっと広大無辺な世界こそが、
似つかわしいのではないでしょうか。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-09-16 09:50
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