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井上ひさし「藪原検校」復活 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は土曜日なので、
僕自身は仕事ですが、
趣味の話題にします。

今日はこちら。
薮原検校再演.jpg
井上ひさしの「藪原検校」は、
彼の初期の傑作の1つで、
僕は個人的に非常に思い入れのある作品です。
過去にも一度記事にしています。

初演は1973年で、
僕は1979年のの再演時に、
紀伊国屋ホールで観ました。
高校生の時です。
高校時代に観た芝居の中では、
つかこうへい事務所の「いつも心に太陽を」と「熱海殺人事件」と共に、
最も印象に残っている作品です。
唐先生や寺山修司との出会いは、
高校を卒業してからのことでした。

キャストは狂言回しに金内喜久夫、
主人公の杉の市に高橋長英、
塙保己一に財津一郎、
という布陣でした。

初演のお市は太地喜和子が出ましたが、
僕の観た再演では出演はしませんでした。

これは圧倒的に素晴らしかったのですが、
この作品はその後も再演を重ね、
15年以上経ってから、
同じ紀伊国屋ホールで、
もう一度観ることが出来ました。
1995年のことです。

演出は初演と同じ木村光一でしたが、
物凄く詰まらなくて、
「ええっ、こんな程度の作品に、
昔感動していたのか!」
と愕然とするような思いを抱きました。

狂言回しの金内喜久夫は同じでしたが、
かつてのような生き生きとした感じはなく、
主役の原康義という役者さんは、
まるで華がなく、
グロテスクな存在感もありませんでした。

中でもショックだったのは、
1979年時の劇中歌が、
作曲し直されてしまったことで、
最初の「流れ山」の歌を聴いただけで、
ああ、これは違う、
と思い、
主題歌の「薮原検校の歌」で、
更に失望が大きくなりました。

1979年までの劇中歌は、
井上ひさしの実兄の井上滋さんが、
全て作曲し、
自ら舞台で生ギターを弾いていました。
それが宇野誠一郎に変わってしまったのです。

井上滋さんの歌は、
所謂名曲や良く出来た曲とは違うのですが、
この芝居には実に良く合っていました。
劇場を後にする時には、
自然と鼻歌で口ずさんでしまうのです。

勿論井上ひさしも許可したから、
変更になったのでしょうが、
これは僕には許せませんでした。

あと、クライマックスの演出で、
大きな人形が出て来るのですが、
最初に観た時には、
それが非常に衝撃的だったのです。

それが、
1995年版では物凄く陳腐で、
客席には笑いが起こるほどでした。

これでは絶対にいけない。
あの場面には背筋が凍りつくような、
衝撃がなければ意味がないのだ、
と思ったのです。

その後、
シアターコクーンで、
蜷川幸雄がこの作品を上演しました。

主役は古田新太で、
彼は好きな役者でしたし、
少し期待をして舞台を見詰めたのですが、
正直これも何かが空回りしているような舞台でした。

この作品では、
主人公の杉の市が、
浄瑠璃のパロディを語るのですが、
古典の素養などサラサラなく、
口跡の悪い古田新太では、
とても聴くに耐えないものになってしまいました。

台詞が半分も聴き取れないような俳優陣では、
この作品はとても上演は出来ないのです。

「薮原検校」はもう終わったか、
と正直僕は思いました。

ところが…

驚いたことに、
かつての「薮原検校」に近いものが、
いや、部分的にはそれを凌ぐものが、
実際に上演される日が来たのですから、
世の中というものは、
どうなるものか分かりません。

それが今回の奇跡的な再演の舞台です。

まず、キャストを見て下さい。

凄いでしょ。

主役の杉の市には野村萬斎。
これはそうだよね。
今この芝居をやるとしたら、
この人しかいないのです。
グロテスクな碕型の悲しみを表現出来て、
古典のプロで口跡も抜群なのですから、
これはもう間違いがありません。

初演で太地喜和子が演じたお市は、
秋山菜津子で、
これも今太地喜和子の代役として考えたら、
これ以上はないキャストです。

金内喜久夫の当たり役の盲太夫には、
浅野和之です。
これも他にはちょっと考えられないでしょ。
そして、塙保己一に小日向文世というのも、
非常に豪華ですし、
脇に山内圭哉が控えているのですから、
もう言うことはありません。

これは何より、
原作への深い愛情から生まれたキャストです。

萬斎の周りを、
現在の演劇界でも、
最も脂の乗った個性派が固めているのですから、
これで失敗したら、
間違いなく演出が悪いのです。

演出の栗山民也は、
僕は正直好みではありません。
変に頭でっかちで、
中途半端にバランス感覚があり、
どんな派手な作品でも、
地味で陰性の作品に仕上がってしまうからです。

しかし、
今回は違いました。

僕は思うのですが、
栗山民也自身、僕と同じように、
かつての「薮原検校」のファンで、
その名作が次第に劣化して、
その衝撃性を失っていることに、
強い不満を持っていたのではないかと思うのです。

今回の作品は間違いなく、
かつての木村光一演出を、
リスペクトするところから始まっています。

クライマックスにも同じように、
戯曲には記載のない、
木村演出の巨大な人形が出て来ます。
しかし、それは現代風にグロテスクなオブジェとして作られていて、
観客の笑いを誘うことのないように、
計算されています。

そして、
何より素晴らしいのは、
井上滋さんの音楽を、
甦らせたことです。

オープニングに流れ山の歌を聴いて、
まさか、と思いました。
所謂デジャブを感じたからです。

そして「藪原検校のテーマ」を聴いて、
これだ、間違いない、
と確信しました。

初演の劇中歌が甦ったのです。

これには本当に胸が熱くなりました。

役者も皆期待に応える熱演です。

萬斎はナルシスティックなところが、
僕はあまり好みではないのですが、
今回は非常に良かったと思います。
登場の一瞬からグロテスクで、
江戸の闇の底から、
怪物が復活した、
というワクワクする肌触りがあります。
(勿論盲人だから怪物、という訳ではありません。
誤解のないようにお読み下さい。
この作品の「盲目」というのは、
江戸の闇と被差別者の悲しみを描くための、
1つの象徴に過ぎません)

パロディの浄瑠璃は、
彼ならこの程度は出来て当然ですが、
それでも見応えがありますし、
母殺しの後の悲しみの表現や、
次第に偉くなってゆく当たりの、
風格の表現も見事です。

秋山菜津子も小日向文世も、
見事にかつ鮮やかに、
井上ひさしのやや点描的なキャラクターに、
命を吹き込みましたし、
盲太夫は金内喜久夫の当たり芸なので、
どうしても点は辛くはなりますが、
浅野和之も良くやっていたと思います。

何よりも、
井上滋さんの妖しい旋律と共に、
江戸の闇が立ち上がって来たことに、
素直に感動しましたし、
「昔僕が感動した芝居がこれなんだよ。
ね、いいでしょ」
とお客さん皆に、
話し掛けたいような思いに駆られたのです。

多分初見の方は、
僕ほどは感動しないと思いますが、
色々な次元でのこの作品への愛が、
結集した再演になっていることは確かで、
ご興味のある方には、
是非にお勧めしたいと思います。
同じキャストでの再演は、
おそらく実現しないと思うからです。
少なくとも、
僕にとっての理想的な芝居というものの1つが、
ここにあることは確かです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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清野

とても納得のいく劇評を嬉しく拝見しました。こんな素晴らし舞台が上演されてるのに何故世間は騒然とならないのか理不尽な気がしていた時にソウソウと膝を打ちたくなる内容でした。私は井上作品さは初めて見ましたが、何かの舞台で、ここまで、心が揺さぶられたのは初めてです。実は13日と16日の2回観たのですが、飽きません。野村萬斎ファンとして観に行ったのですが、ファンの贔屓目を差し引いても、萬斎さんの芸は出色だったと思います。
by 清野 (2012-06-17 08:41) 

fujiki

清野さんへ
コメントありがとうございます。
本当に良かったですよね。
あの日数で終わってしまうのは、
非常に惜しいと思います。
萬斉さんのファンの方には、
ちょっと失礼な表現があったかも知れません。
ご容赦下さい。

by fujiki (2012-06-17 22:49) 

冬香

大変貴重な劇評をありがとうございました。
私は20年ほど前に学生演劇に関わっていましたが、「薮原検校」は
観る機会を得ることができず、「朝倉摂のステージワーク」に掲載されている写真を通じて、1974年の五月舎公演のおどろおどろしさを想像するだけでした。

評を拝読して、今回の舞台のギター演奏が元の演出を再現したものと知り、感激を新たにしています。

ただ、野村萬斎はじめ、役者さんの演技、演出は、全体的に井上作品にしかけられた何気ない笑いやポップさをクローズアップすることにやや偏りすぎのように思いました。「きれいすぎる」といいますか。

死んだはずのお市が現れるシーンも、最後の人形もややキッシュで私はもう少しで笑ってしまいそうでした。借金の督促ももっと怖かったはずなのですが....。

なので「登り切れるところまで登ってみてえんだよ」の台詞がもうひとつ響かなかったのが私的には残念です。

ただ、小日向演じる塙保己一が「祭りとしての杉の市」を讃えている、一種の「同志愛(?)」には感じ入ってしまいました。悪党で外道だけれども「祭り」に欠かせないもの。それは芝居も同じ、と原作者が呻きながら語っているように聞こえたからです。

やはりもう一度観るしかありませんね。ありがとうございます。
by 冬香 (2012-06-21 23:14) 

fujiki

冬香さんへ
コメントありがとうございます。
初日は緊張感のある出来でしたが、
日を追って緩んで来ているのかも知れません。
そうだとすれば残念ですが、
芝居とはそうしたものかも知れません。

「朝倉摂のステージワーク」は僕も大好きで、
高いので買えませんでしたが、
本屋で何度も長時間立ち読みをしました。
ただ、あの本の写真はうまく撮れ過ぎの感じもあります。

僕が観に行った日も、
年配の方が、
「昔はもっとドギツイ感じで凄かったんだけどね」
と言っていましたが、
僕は必ずしもそうは思わなくて、
記憶が美化している部分も大きいのではないか、
と思いました。
初演の当時はアングラ全盛ですから、
新劇の畑も影響されることが多く、
この芝居もそうした「アングラへの憧れ」が、
感じられる演出だったのだと思います。
ただ、本家ほどの暴力的な感じや危ない感じは、
元々なかったように思います。

昔の芝居との大きな違いをもう1つ言えば、
マイクの使用で、
これは確実に違います。
僕が観た1979年の芝居は、
歌も含めて全て肉声でした。
by fujiki (2012-06-22 08:18) 

さいらむ

はじめまして。
昨日と本日(大千秋楽)観劇しました。
私は、この戯曲の舞台は初見だったのですが、「井上ひさしここにあり!」という演出がされていて、泣けました。

井上さんの戯曲は、とても深い。私などは、戯曲を読んだくらいでは、全く読み解けない事だらけです。
それが、今回の舞台で、明らかに立ち上るように作家の存在を感じました。素晴らしかったです。

初演の様子が目に浮かぶようでした。UPありがとうございます。

PS.このページのリンクを貼らせていただいてもよろしいでしょうか。
by さいらむ (2012-07-15 23:39) 

fujiki

さいらむさんへ
コメントありがとうございます。
あの芝居が気に入って頂けると、
非常に嬉しいです。
リンクして頂いて全然構いません。
by fujiki (2012-07-16 08:23) 

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