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新橋演舞場 新春大歌舞伎(市川右團次襲名夜の部) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
体調も崩しているので、
今日は1日家でゴロゴロしているつもりです。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
新橋演舞場歌舞伎2.jpg
今月市川右近が右團次を襲名する襲名披露興行が、
新橋演舞場で上演されています。

その夜の部に足を運びました。

今回の僕の眼目は海老蔵の、
「源平布引滝 義賢最後」で、
これは現仁左衛門が孝夫時代に復活させた演目で、
最後には階段からの仏倒しがあり、
実際に観たことがなかったので、
とても楽しみにしていました。

「源平布引滝」は、
元は長編の浄瑠璃ですが、
歌舞伎としてはもっぱら「実盛物語」という部分だけで上演され、
「義賢最後」は記録の残る範囲では、
大正13年に一度、昭和18年に一度上演されただけで、
その後は上演が絶えていたものを、
昭和40年に片岡孝夫(現仁左衛門)が復活させました。

これは何処まで原作通りなのか分からないのですが、
義太夫狂言の雰囲気、
時代物も雰囲気がしっかりと出ていて、
それでいて全体がコンパクトにまとまっていて、
退屈を感じる部分が少ないですし、
ラストの立ち回りは非常に長く充実していますから、
素晴らしい復活であったと思います。
さすが仁左衛門という感じで、
歌舞伎の復活狂言というのは、
こうあるべきではないかと思いますが、
こうした正統的な復活狂言というのは、
実際には極僅かであるのが実際だと思います。

さて、現仁左衛門が上演を重ねたこの「義賢最後」ですが、
最後の立ち回りで、
組み上げた戸板の上に立って、
戸板と一緒に倒れ落ちる「戸板倒し」や、
階段の上から手を付かずにそのまま前方に朽木の如く倒れる
「仏倒し」などは、
年齢を重ねれば上演は困難となります。

それで仁左衛門による上演は平成15年で最期となり、
その後は市川右近、愛之助、橋之助(現芝翫)が、
上演を重ねています。
海老蔵は平成20年の演舞場で1回上演していて、
今回が2回目の上演となります。

海老蔵の義賢は、
最後の立ち回りがさすがに素晴らしく、
仏倒しも見事に決まっていました。
ただ、前半から中盤の時代物のコクが必要とされる部分では、
まだまだ、という感じが否めませんでした。

今回中車が大事な役どころで海老蔵と掛け合いをし、
中車としてもこうした本格的な時代物は、
おそらく初めての挑戦だったと思いますが、
かなりたどたどしいところはあったものの、
踏ん張っていたという印象はありました。

ただ、作品としては2人の掛け合いの部分に時代物のコクがないと、
どうも出来としては良いものには仕上がらない、
という感じはあります。

こうした演目をしっかりと高レベルで上演することが、
歌舞伎の今後に関わるものだと思いますが、
海老蔵もそうした点ではまだまだだな、
と感じましたし、
脇役陣にもより奮闘を期待したいと思いました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。