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「口から食べる」ということ [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から意見書など書いて、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日はある事例の話です。

患者さんはBさん。
90代の女性です。

認知症があり、不整脈とそれが原因となる、
脳梗塞の発作を何度か繰り返しています。
数年前から僕が関わっている老人ホームに入所されていますが、
普段は非常にお元気で、
会話も多く、食事が何よりの楽しみです。
食事は車椅子で食堂で摂っていますが、
特に食事での介助は必要ではありません。

ある日Bさんは風邪症状と共に、
38度台のお熱を出しました。
食事も摂り難い状態になったため、
数日施設内で抗生物質を入れた点滴をしました。
しかし、体調はあまり改善せず、
痰がらみのある咳も続いています。

それで近隣の病院に診療を依頼したところ、
急性気管支炎と尿路感染との診断で、
即日入院になりました。

病院での治療により症状は徐々に改善しましたが、
食事はなかなか摂れるようにはなりません。
お元気もありません。
そこで、点滴の治療が3週間に渡り続けられました。
Bさんは殆ど寝たきりの状態です。
そして、3週間後に今度は心筋梗塞の発作を起こします。
幸い症状は軽く、点滴の治療だけで、
胸の痛みは改善。
心臓の働きは悪くはなったものの、
安静にしていれば特に問題はありません。
しかし、Bさんは寝たきりの状態で、
昼間もぼんやりとしており、
とても自力で食事が摂れる状態とは思えません。

それで病院の主治医の取った対応は、
鼻から胃管という管を入れて、
そこから栄養剤を入れる、
という方法でした。

Bさんの全身状態は改善したため、
施設に戻そう、という話になります。

そこで問題となるのは、鼻から入った胃管の管です。

口から食事の摂れなくなったご高齢の方が、
栄養を摂る方法にはどんなものがあるでしょうか?

まず、点滴があります。

点滴には手や足の比較的表面にある血管に、
針を刺す、と言う方法と、
中心静脈と言って、胸の中などの、
深い位置にある太い血管に、
針を入れる、という方法があります。

表面にある細い血管に針を入れる方法は、
簡単に出来るという利点はありますが、
あまり栄養は入れられません。
つまり食事の補助は出来ても、
代わりにはなりません。

中心静脈栄養は、
確かに食事の代わりにはなりますが、
その施行はある程度設備のある病院等でないと困難ですし、
雑菌の混入から敗血症になるなど、
特有の重篤な合併症も存在します。

次に「胃ろう」という方法があります。
これは胃に穴を開けて、
そこに管を入れ、
直接胃の中に栄養剤を入れる、
という方法です。
簡単な手術が必要となりますが、
中心静脈にカテーテルを入れるのと、
変わらない程度のリスクですし、
一旦出来てしまえば、
その操作は非常に楽である、という利点があります。

ただ、胃の動きは当然悪くなるので、
長期間胃ろうの状態にあると、
次第に身体は栄養を吸収し辛いような状態になります。
また、胃の中の栄養剤が食道へと逆流することもあり、
肺炎の原因となる場合もあります。

僕の関わっている老人ホームでは、
胃ろうの患者さんは受け入れており、
また細い血管からの点滴は、
適宜実施していますが、
原則として鼻からの胃管の患者さんは、
受け入れをしていません。

それは何故かと言えば、
胃管は入れるのは簡単ですが、
ブラインドで入れるため、
本当に胃の適切な位置に入っているのかどうかの、
確認が難しく、
入れる際に誤って気管に入ってしまったり、
知らない間に抜けてしまって、
適切でない位置に栄養剤が入ってしまったり、
といったトラブルが多いからです。

ところが、病院の主治医は、
胃管を入れた状態のままで、
Bさんを退院させてしまいました。
口から食事を摂ることは不可能であり、
胃ろうはご家族の反対があった、
という理由からです。

勿論事前に胃管の管理は困難だ、
というお話は何度もしてあったのですが、
強引に「帰します」と言われれば、
施設は弱い立場なので、
それに抗うことは出来ないのです。

退院の当日に施設のスタッフと相談を重ねましたが、
矢張り胃管の継続は避けたい、
というのがスタッフの総意です。

それで退院されたBさんを診察し、
Bさんのご家族と今後の対応について話し合いました。

僕は施設で胃管を継続する場合のリスクと、
その方法が決してBさんにとって最善のものとは思えない、
という話をしました。
Bさんは飲み込みの力には、
大きな問題はなさそうです。
それよりも気力が低下して、
病院という異質な環境の中で、
長期間寝たきりの状態に置かれていたことより、
食べるということに対する、
意欲がなくなってしまっている、
という印象がありました。

もしそうであるなら、施設の環境の中で、
精神的な安定が得られれば、
少しずつ食事を摂ることが可能なのではないか、
と思ったのです。

そこで、ご家族の同意を得た上で、
胃管はすぐに抜きました。

すぐに食事を摂ることは、
どちらにしても不可能なので、
毎日500ml 程度の点滴を、
取り敢えずは開始としました。

氷を舐めてもらったりして、
咽喉に刺激を与えると共に、
味の比較的強いものを少量摂ってもらい、
食べ物の味の感覚を、
思い出してもらうように試みました。

5日間ほどは、殆ど口から摂ることは出来ませんでした。
飲み込み自体は悪くはありません。
しかし、一口口にして飲み込むと、
それだけで消耗してしまうのです。

気の早いナースは、
もうその時点で「多分無理ですね」と言いました。

僕もそう言われれば不安になります。

1週間待って、それでも同じ状態だったら、
スタッフが反対しても、
僕の責任で胃管の再開を提案しようか、
と口には出しませんでしたが、
思ってはいました。

しかし…

変化があったのは、実際には10日ほど経ったくらいからです。

Bさん本人が「食べたい。お腹が空いた」と言い出しました。

それでも、実際には一口か二口食べると、
胸が苦しいと言って、食べるのを止めてしまいます。
けれども、次の食事でもBさんはまた、
「食べたい」と言いました。
むせることもなく、飲み込みはしっかりしています。

そして、Bさんの気力は次第に回復し、
笑顔を見せ、多弁になり、
食事量も少しずつ増えて、
通常の半分から3分の1の量は、
摂れるようになって来たのです。

Bさんの余命が、
胃管から強制的に栄養を入れている寝たきりの状態と、
今の少量の食事を摂り、お元気に話をし、
食事の時は車椅子に座っている状態と、
どちらが長いものかは僕には分かりません。

しかし、少なくとも病院での、
Bさんは食事を摂るのは無理で管を入れるか死を待つしかない、
という判断は誤りだった、ということは分かります。

口から食べるということは、
単純に栄養を補給するというより、
ずっと意味合いの大きなものなのです。
それはコミュニケーションの手段であり、
最高のリハビリであり、
精神の安定であり、
一種のスポーツのようなものなのです。

勿論管を入れざるを得ない、と言う方もいます。
しかし、現実にはそうした方は実は少数で、
治療のための病院という、
非人間的なストレス過多の環境が、
人工的に作り出した場合が大きいのです。

強制的に管を入れて栄養を摂る、と言う行為は、
ただそれだけの意味ですが、
口から食事を摂るということは、
「心の栄養」という意味合いもあるのだと、
僕は思っています。

皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 2

カヲル

石原先生、おはようございます。

口から食べると、いろんな事を想います。
過去のステキな記憶とか、こうしたらおいしいのに・・・とか
つまりイメージが膨らみます。
食べ物を咀嚼することで、イメージ世界を旅できるってことを
ひとは本能的に知っているからかと思いました。

サプリメントを飲んだときや栄養剤を飲んだ時は想い浮かばないです。

食べ物を噛む時間とか、のどをすぎる時間など
時間を味わうのも食事の大事な意味かと。

ヒトは栄養だけで生きられない生き物なんですね。

by カヲル (2010-03-27 10:28) 

fujiki

カヲルさんへ
補足コメントありがとうございます。
病院の治療はこうした点で、
ちょっと本質を外れている面があるのだと思います。

by fujiki (2010-03-27 21:41) 

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