大人計画「ウェルカム・ニッポン」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
公演はもう終了となりますが、
松尾スズキ作・演出による、
大人計画の久しぶりの全体公演を見て来ました。
以前にも一度書きましたが、
1994年の大人計画「愛の罰」の初演を観た時の衝撃は、
今でもありありと覚えています。
特に予備知識なく、
たまたま時間が空いていたので、
当日券を買って、
通路に座る席で観たのです。
しょっぱなから子供が犬を苛めていると、
松尾スズキが、
いつものダラダラした様子で登場して、
いきなり子供の頭を、
持っていた石で思い切り殴り付けるのです。
その独特の間合いと言い廻し、
そして即物的な暴力の見せ方に、
ちょっと戦慄に近いものを感じましたし、
ちっともリアルではないのに、
これまで芝居でも映画でも、
何処でも見たことのなかった、
生々しい肌触りを感じました。
しかし、それは本当に物語の序の口に過ぎず、
様々な悪趣味とタブーと暴力の嵐が、
変にとぼけたコミカルな意匠を身に纏って、
次々と「悪趣味な見世物」のように、
展開されるのです。
そのテンションは最後まで途切れることなく続き、
ストーリーは何となく尻切れトンボのようにも思えましたが、
こんな芝居が存在していたのか、
という衝撃で、
呆然とした思いで劇場を後にしたのです。
珍しくアンケートまで書きました。
それ以降は、
大人計画の松尾スズキ作品は、
ほぼ全て観ていますが、
正直最近の作品には、
かつての衝撃性は、
殆ど感じられないことは事実です。
ただ、これは必ずしも彼の作品が変化した、
ということではないように思います。
僕が衝撃を受けた「愛の罰」は、
その後に再演されましたが、
再演の舞台はそれほど大きくは、
初演と変わっていなかったにも関わらず、
僕はかつての衝撃を、
追体験することは出来なかったからです。
松尾スズキの世界は、
1990年代の前半、
後に再演され今年にはシアターコクーンの再再演も決まっている、
「ふくすけ」から、
1994年の「愛の罰」、「嘘は罪」当たりで一応の完成を見て、
1995年に1990年代前半を覆っていた、
虚構の底がすっぽりと抜ける、
オーム真理教事件が起こってからは、
苦闘の時代に入り、
2000年の「キレイ」はその集大成的な作品でしたが、
その後は新たな格闘の対象を、
見付けることが出来ずにいるように、
僕には思えます。
1990年代前半の作品は、
その時代の空気の中でこそ、
衝撃性を持っていたのですが、
今ではそこに、
何か白々しい物しか、
感じることは出来ないように思えるのです。
以下、新作のネタバレがあります。
今回の新作は、
外国人の素人の女性が主役という、
ちょっと意表を付くものですが、
311の大震災の2ヶ月後に、
震災で失踪した日本人の恋人を、
彼女が探しに来る、
という設定が意欲的な割には、
何か予定調和的で、
ぬるい世界が展開されています。
3時間の2幕劇です。
1幕は場末の怪しいパブで、
ダラダラと話が進む、
いつもの松尾スズキの世界で、
2幕はケラのナレーションの元に、
ケラ風の味付けの部分もある、
1990年代前半の作品に近い、
ロマネスク的な世界です。
1幕が世話物で、
2幕が時代物、
という感じに近いかも知れません。
登場人物は何しろ濃いメンバーが、
ほぼ総出演なのですから、
豪華な共演であることは間違いなく、
役者を見るだけで元が取れている、
と言えなくもありません。
まあ、こうした公演でありがちのことですが、
荒川良々や皆川猿時などの強烈な個性が、
意外とおとなしめで詰まらず、
女子高生を怪演した平岩紙や、
怪しい東南アジア人役の顔田顔彦、
癌の末期のコメディアン役の宮崎吐夢などが、
光っていました。
ラストも意外にまとまっていて、
落ち着きがある一方、
極めて「普通の芝居」になっていることに、
少し失望も感じました。
先日の長塚圭史の「テキサス」が、
今の時代の異常さを、
ヒリヒリするような肌触りで、
具現化していたことを思い出すと、
勿論時代にフィットしていることのみが、
演劇ではないのですが、
かつて大人計画の芝居に、
新鮮な衝撃を受けた1人としては、
何か複雑な思いにもなるのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
公演はもう終了となりますが、
松尾スズキ作・演出による、
大人計画の久しぶりの全体公演を見て来ました。
以前にも一度書きましたが、
1994年の大人計画「愛の罰」の初演を観た時の衝撃は、
今でもありありと覚えています。
特に予備知識なく、
たまたま時間が空いていたので、
当日券を買って、
通路に座る席で観たのです。
しょっぱなから子供が犬を苛めていると、
松尾スズキが、
いつものダラダラした様子で登場して、
いきなり子供の頭を、
持っていた石で思い切り殴り付けるのです。
その独特の間合いと言い廻し、
そして即物的な暴力の見せ方に、
ちょっと戦慄に近いものを感じましたし、
ちっともリアルではないのに、
これまで芝居でも映画でも、
何処でも見たことのなかった、
生々しい肌触りを感じました。
しかし、それは本当に物語の序の口に過ぎず、
様々な悪趣味とタブーと暴力の嵐が、
変にとぼけたコミカルな意匠を身に纏って、
次々と「悪趣味な見世物」のように、
展開されるのです。
そのテンションは最後まで途切れることなく続き、
ストーリーは何となく尻切れトンボのようにも思えましたが、
こんな芝居が存在していたのか、
という衝撃で、
呆然とした思いで劇場を後にしたのです。
珍しくアンケートまで書きました。
それ以降は、
大人計画の松尾スズキ作品は、
ほぼ全て観ていますが、
正直最近の作品には、
かつての衝撃性は、
殆ど感じられないことは事実です。
ただ、これは必ずしも彼の作品が変化した、
ということではないように思います。
僕が衝撃を受けた「愛の罰」は、
その後に再演されましたが、
再演の舞台はそれほど大きくは、
初演と変わっていなかったにも関わらず、
僕はかつての衝撃を、
追体験することは出来なかったからです。
松尾スズキの世界は、
1990年代の前半、
後に再演され今年にはシアターコクーンの再再演も決まっている、
「ふくすけ」から、
1994年の「愛の罰」、「嘘は罪」当たりで一応の完成を見て、
1995年に1990年代前半を覆っていた、
虚構の底がすっぽりと抜ける、
オーム真理教事件が起こってからは、
苦闘の時代に入り、
2000年の「キレイ」はその集大成的な作品でしたが、
その後は新たな格闘の対象を、
見付けることが出来ずにいるように、
僕には思えます。
1990年代前半の作品は、
その時代の空気の中でこそ、
衝撃性を持っていたのですが、
今ではそこに、
何か白々しい物しか、
感じることは出来ないように思えるのです。
以下、新作のネタバレがあります。
今回の新作は、
外国人の素人の女性が主役という、
ちょっと意表を付くものですが、
311の大震災の2ヶ月後に、
震災で失踪した日本人の恋人を、
彼女が探しに来る、
という設定が意欲的な割には、
何か予定調和的で、
ぬるい世界が展開されています。
3時間の2幕劇です。
1幕は場末の怪しいパブで、
ダラダラと話が進む、
いつもの松尾スズキの世界で、
2幕はケラのナレーションの元に、
ケラ風の味付けの部分もある、
1990年代前半の作品に近い、
ロマネスク的な世界です。
1幕が世話物で、
2幕が時代物、
という感じに近いかも知れません。
登場人物は何しろ濃いメンバーが、
ほぼ総出演なのですから、
豪華な共演であることは間違いなく、
役者を見るだけで元が取れている、
と言えなくもありません。
まあ、こうした公演でありがちのことですが、
荒川良々や皆川猿時などの強烈な個性が、
意外とおとなしめで詰まらず、
女子高生を怪演した平岩紙や、
怪しい東南アジア人役の顔田顔彦、
癌の末期のコメディアン役の宮崎吐夢などが、
光っていました。
ラストも意外にまとまっていて、
落ち着きがある一方、
極めて「普通の芝居」になっていることに、
少し失望も感じました。
先日の長塚圭史の「テキサス」が、
今の時代の異常さを、
ヒリヒリするような肌触りで、
具現化していたことを思い出すと、
勿論時代にフィットしていることのみが、
演劇ではないのですが、
かつて大人計画の芝居に、
新鮮な衝撃を受けた1人としては、
何か複雑な思いにもなるのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-04-22 09:10
nice!(16)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0