続・僕の知っている「偽医者」の話 [フィクション]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は事務仕事の予定です。
それでは今日の話題です。
今日は昨日とはまた別の、
「偽医者」の事例の話です。
これも僕の聞いた事実を元にしていますが、
そのまま書くと差し障りがあるので、
細部は色々と変えています。
フィクションとしてお読み頂ければ幸いです。
その診療所は繁華街のビルの4階にありました。
元々ある病院の事務長をしていた人物が、
開設者となり開設したのです。
診療所の経営者は開業医であれば、
通常は院長が同時に兼ねるのですが、
経営者は医者である必要はないので、
こうした形もあり得るのです。
診療科目は内科と皮膚科と泌尿器科です。
近隣には飲食店街があり、
性病の患者さんが多いことが想定されました。
そこで、泌尿器科のニーズが高いと判断したのです。
ビルの4階という立地も、
その意味では目立たずこっそり受診出来るので、
むしろ好都合と考えられました。
これはかなり以前の話で、
まだ医局制度が絶対の頃です。
バイトだけをしているような医者は少なく、
バイトをしている殆どの医者は大なり小なり、
大学の医局の影響力の下にありました。
開設者の事務長は、
それで伝手のある大学病院の、
泌尿器科の医局に連絡を取り、
そこからバイトの医者を派遣してもらい、
それで診療を行なう方針にしました。
本来は最初から常勤の医者が望ましかったのですが、
幾ら募集を掛けても反応はなく、
もう場所は押さえてしまったので、
止むを得ない決断だったのです。
ただ、診療所には管理者が必要です。
経営者は医者でなくてもいいのですが、
管理者は医者でなくてはならない決まりです。
事務長はこれも伝手を探してあちこちを廻り、
結局もう引退された高齢の内科の医者に、
「形だけの」管理者になってもらうように頼み込みました。
管理者は原則「専任」でなくてはいけません。
他の医療機関との掛け持ちではいけないのです。
従って、常勤の医者が見付からない場合には、
引退された医者とか、
何かの理由で定期的な仕事をしていない医者を、
探さなければいけません。
その頼んだ医者は、実際に診療をする訳ではありません。
ただ、書類の管理者の欄に名前を書くだけです。
所謂「名前貸し」ですね。
名前を貸すだけで、その医者は月10万円の報酬を要求。
事務長は法外な要求だな、とは思ったものの、
他に探す当てもないので、そのまま支払うことに決めました。
これももう、とっくに時効の話ですが、
勿論当時でも違法行為です。
しかし、事務長としては、他に方法はなかったのでした。
診療所は開設され、取り敢えずは週4日のスケジュールで、
外来の診療が始まりました。
大学の医局から派遣されて来る医者は、
日替わりです。
1人は講師の肩書きで、この医者は経験もあり、
事務長から見ても、まっとうな仕事振りでした。
どうやら、近いうちに開業する思惑があるらしく、
その予行演習のつもりのようでした。
残りの医者はもっと若く、
明らかに研修医か、それに毛の生えた状態でした。
今は研修中にバイトは原則として出来ませんが、
当時は卒業したてで、まだ右も左も分からない状態でも、
バイトで当直や外来が可能だったのです。
当然の如く、まともな診察ではありません。
ある医者は1人の患者さんに1時間掛けて、
診察をします。
特定の人ではなく、全員1時間掛かるのです。
「何故そんなに時間が掛かるのですか?」
と事務長が訊くと、
「本当に真剣な診察は、そのくらいの時間が掛かるものなのです」
と逆に怒られてしまいます。
それでいて、手付きはたどたどしく、
素人目にも無駄に時間だけ掛けているような気がします。
また別のある医者は、
殆ど患者さんと言葉を交わさず、
患者さんの顔を見ることもしません。
それでいきなり陰部を露出させ、
尿道に何も言わずに綿棒を突っ込んだりするので、
患者さんは悲鳴を上げて大騒ぎになります。
講師でもそんな研修医でも、
バイト代は基本的には同じです。
それはちょっと問題ではないかと講師の医者に言うと、
医局には分からない形で、自分の報酬だけ増やしてくれないか、
と要求されます。
要するに裏金を出せと言うのです。
事務長としては、むしろ新人の医者の報酬は下げて欲しいと思って、
そんな話をしたのですが、
却ってやぶ蛇となり、支出が更に嵩んでしまったのです。
バイトであるのにもかかわらず、
夏と冬には「特別手当」の名目で、
賞与まで要求されます。
そんなこんなで人件費は膨れ上がり、
開所1年で診療所は膨大な赤字を抱えました。
そんなある日、来る筈だったバイトの医者に、
突然「今日は医局の用事が入ったから」
とキャンセルされる事態が起こります。
事務長は頭を抱えます。
それで師長として勤務していた、
ベテランの看護師に相談すると、
「取り敢えず薬だけで済む患者さんは、
薬だけ処方して帰ってもらいましょう。
新患の人には事情を言って、
別の日に来てもらうようにしましょうか…」
と何となく含みのある言い方です。
事務長は迷いましたが、
これでまたその日診療所を閉めれば、
その分赤字が膨らんでしまいます。
それで、看護師長の言う通りに診療を始めました。
途中で看護師長が相談に来て、
「新患なんですが、ただの膀胱炎みたいなんです。
おしっこを取って検査に出して、
いつもの抗生物質を出せばそれでよさそうなんですが…」
と言葉を濁します。
事務長の頭の中で、その時に何かが弾けました。
看護師が暗に仄めかしていた内容が、
自分の意思にしっかりと結び付いたのです。
それで事務長は言いました。
「私が話しをするよ。診察室に入れてくれないか」
と言います。
これが「偽医者」誕生の瞬間でした。
事務長は白衣を着て、診察室に入り、
患者さんを呼び入れて話を聞きました。
元々営業畑の仕事をしていて、
話すのは得意です。
散々酷い研修医の診察を隣で聞いていて、
診療の段取りは分かっています。
「膀胱炎ですね。薬を出しておきましょう」
で診療は終了です。
患者さんが出て行ってから、
傍に立つ看護師長と相談して、
検査と処方の指示をカルテに書きます。
診療を終えて、事務長の心には、
何か充実感のようなものが去来していました。
勿論看護師長の助けがあってのことですが、
自分の診察は少なくとも研修医よりは数段上でしたし、
掛かった患者さんもそう感じた筈です。
それどころか、開業を目指している講師の医者よりも、
患者さんのあしらいは堂に入っていたのではないか、
と事務長は思います。
不正をしたという疚しさは、感じない訳ではありません。
しかし、自分は一言も、自分が医者だと名乗った訳ではありません。
診察室に座り、白衣を着ている自分を見て、
患者さんが勝手にそう思っただけのことです。
「私は嘘は吐いていない」
勝手な理屈でしたが、
そう頭の中で唱えると、
罪悪感は消えました。
第一、誰も損はしていないではないか、
と事務長は考えます。
患者さんも損はしていないし、
普段よりむしろ充実した診療を得て、
満足して診療所を後にしたのです。
それに引き換えあいつらは何だ、
と思いは研修医の未熟さに及びます。
何も出来ない癖に態度ばかりは一人前で、
法外な金を要求するじゃないか。
その後何度か同じようなことがあり、
バイトの医者がドタキャンすると、
代わりに事務長が診療をしました。
そして、それからしばらくして、講師の医者が、
もう少しバイトの報酬を上げてくれ、
そうでないとこれ以上は続けられない、
という足元を見るような要求をして来ました。
事務長はその要求をすっぱり拒絶し、
大学の医局は医者を引き揚げました。
さて、それから事務長は自分が院長として、
診療に当たり、事務全般も同時に受け持ちました。
通常の開業医と同じになったのです。
唯一違っていたのは、医師免許がないということだけでした。
診療所の評判はそれまでより上がり、
患者さんも増え、
一番の負担であった人件費が格段に減少したため、
経営状態も改善しました。
全てはしばらくの間順調に思えました。
しかし、こんなことが長続きする訳はありません。
以前受診した患者さんからの不審の訴えと、
スタッフの内部告発が重なり、
事務長は捕まり、刑に服したのです。
これも色々と考えさせる事例です。
今は多分昔のような非常識な新人の勤務はない筈なので、
状況は変化しているとは思いますが、
医局制度が崩壊したため、
却って医師が偏在し、
一部で深刻な医師不足の事態を生んでいます。
医者の端くれとしては、
あんな仕事なら俺が代わりにやった方がましだ、
などと言われないように、
日々の診療に勤めたいとは思っています。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は事務仕事の予定です。
それでは今日の話題です。
今日は昨日とはまた別の、
「偽医者」の事例の話です。
これも僕の聞いた事実を元にしていますが、
そのまま書くと差し障りがあるので、
細部は色々と変えています。
フィクションとしてお読み頂ければ幸いです。
その診療所は繁華街のビルの4階にありました。
元々ある病院の事務長をしていた人物が、
開設者となり開設したのです。
診療所の経営者は開業医であれば、
通常は院長が同時に兼ねるのですが、
経営者は医者である必要はないので、
こうした形もあり得るのです。
診療科目は内科と皮膚科と泌尿器科です。
近隣には飲食店街があり、
性病の患者さんが多いことが想定されました。
そこで、泌尿器科のニーズが高いと判断したのです。
ビルの4階という立地も、
その意味では目立たずこっそり受診出来るので、
むしろ好都合と考えられました。
これはかなり以前の話で、
まだ医局制度が絶対の頃です。
バイトだけをしているような医者は少なく、
バイトをしている殆どの医者は大なり小なり、
大学の医局の影響力の下にありました。
開設者の事務長は、
それで伝手のある大学病院の、
泌尿器科の医局に連絡を取り、
そこからバイトの医者を派遣してもらい、
それで診療を行なう方針にしました。
本来は最初から常勤の医者が望ましかったのですが、
幾ら募集を掛けても反応はなく、
もう場所は押さえてしまったので、
止むを得ない決断だったのです。
ただ、診療所には管理者が必要です。
経営者は医者でなくてもいいのですが、
管理者は医者でなくてはならない決まりです。
事務長はこれも伝手を探してあちこちを廻り、
結局もう引退された高齢の内科の医者に、
「形だけの」管理者になってもらうように頼み込みました。
管理者は原則「専任」でなくてはいけません。
他の医療機関との掛け持ちではいけないのです。
従って、常勤の医者が見付からない場合には、
引退された医者とか、
何かの理由で定期的な仕事をしていない医者を、
探さなければいけません。
その頼んだ医者は、実際に診療をする訳ではありません。
ただ、書類の管理者の欄に名前を書くだけです。
所謂「名前貸し」ですね。
名前を貸すだけで、その医者は月10万円の報酬を要求。
事務長は法外な要求だな、とは思ったものの、
他に探す当てもないので、そのまま支払うことに決めました。
これももう、とっくに時効の話ですが、
勿論当時でも違法行為です。
しかし、事務長としては、他に方法はなかったのでした。
診療所は開設され、取り敢えずは週4日のスケジュールで、
外来の診療が始まりました。
大学の医局から派遣されて来る医者は、
日替わりです。
1人は講師の肩書きで、この医者は経験もあり、
事務長から見ても、まっとうな仕事振りでした。
どうやら、近いうちに開業する思惑があるらしく、
その予行演習のつもりのようでした。
残りの医者はもっと若く、
明らかに研修医か、それに毛の生えた状態でした。
今は研修中にバイトは原則として出来ませんが、
当時は卒業したてで、まだ右も左も分からない状態でも、
バイトで当直や外来が可能だったのです。
当然の如く、まともな診察ではありません。
ある医者は1人の患者さんに1時間掛けて、
診察をします。
特定の人ではなく、全員1時間掛かるのです。
「何故そんなに時間が掛かるのですか?」
と事務長が訊くと、
「本当に真剣な診察は、そのくらいの時間が掛かるものなのです」
と逆に怒られてしまいます。
それでいて、手付きはたどたどしく、
素人目にも無駄に時間だけ掛けているような気がします。
また別のある医者は、
殆ど患者さんと言葉を交わさず、
患者さんの顔を見ることもしません。
それでいきなり陰部を露出させ、
尿道に何も言わずに綿棒を突っ込んだりするので、
患者さんは悲鳴を上げて大騒ぎになります。
講師でもそんな研修医でも、
バイト代は基本的には同じです。
それはちょっと問題ではないかと講師の医者に言うと、
医局には分からない形で、自分の報酬だけ増やしてくれないか、
と要求されます。
要するに裏金を出せと言うのです。
事務長としては、むしろ新人の医者の報酬は下げて欲しいと思って、
そんな話をしたのですが、
却ってやぶ蛇となり、支出が更に嵩んでしまったのです。
バイトであるのにもかかわらず、
夏と冬には「特別手当」の名目で、
賞与まで要求されます。
そんなこんなで人件費は膨れ上がり、
開所1年で診療所は膨大な赤字を抱えました。
そんなある日、来る筈だったバイトの医者に、
突然「今日は医局の用事が入ったから」
とキャンセルされる事態が起こります。
事務長は頭を抱えます。
それで師長として勤務していた、
ベテランの看護師に相談すると、
「取り敢えず薬だけで済む患者さんは、
薬だけ処方して帰ってもらいましょう。
新患の人には事情を言って、
別の日に来てもらうようにしましょうか…」
と何となく含みのある言い方です。
事務長は迷いましたが、
これでまたその日診療所を閉めれば、
その分赤字が膨らんでしまいます。
それで、看護師長の言う通りに診療を始めました。
途中で看護師長が相談に来て、
「新患なんですが、ただの膀胱炎みたいなんです。
おしっこを取って検査に出して、
いつもの抗生物質を出せばそれでよさそうなんですが…」
と言葉を濁します。
事務長の頭の中で、その時に何かが弾けました。
看護師が暗に仄めかしていた内容が、
自分の意思にしっかりと結び付いたのです。
それで事務長は言いました。
「私が話しをするよ。診察室に入れてくれないか」
と言います。
これが「偽医者」誕生の瞬間でした。
事務長は白衣を着て、診察室に入り、
患者さんを呼び入れて話を聞きました。
元々営業畑の仕事をしていて、
話すのは得意です。
散々酷い研修医の診察を隣で聞いていて、
診療の段取りは分かっています。
「膀胱炎ですね。薬を出しておきましょう」
で診療は終了です。
患者さんが出て行ってから、
傍に立つ看護師長と相談して、
検査と処方の指示をカルテに書きます。
診療を終えて、事務長の心には、
何か充実感のようなものが去来していました。
勿論看護師長の助けがあってのことですが、
自分の診察は少なくとも研修医よりは数段上でしたし、
掛かった患者さんもそう感じた筈です。
それどころか、開業を目指している講師の医者よりも、
患者さんのあしらいは堂に入っていたのではないか、
と事務長は思います。
不正をしたという疚しさは、感じない訳ではありません。
しかし、自分は一言も、自分が医者だと名乗った訳ではありません。
診察室に座り、白衣を着ている自分を見て、
患者さんが勝手にそう思っただけのことです。
「私は嘘は吐いていない」
勝手な理屈でしたが、
そう頭の中で唱えると、
罪悪感は消えました。
第一、誰も損はしていないではないか、
と事務長は考えます。
患者さんも損はしていないし、
普段よりむしろ充実した診療を得て、
満足して診療所を後にしたのです。
それに引き換えあいつらは何だ、
と思いは研修医の未熟さに及びます。
何も出来ない癖に態度ばかりは一人前で、
法外な金を要求するじゃないか。
その後何度か同じようなことがあり、
バイトの医者がドタキャンすると、
代わりに事務長が診療をしました。
そして、それからしばらくして、講師の医者が、
もう少しバイトの報酬を上げてくれ、
そうでないとこれ以上は続けられない、
という足元を見るような要求をして来ました。
事務長はその要求をすっぱり拒絶し、
大学の医局は医者を引き揚げました。
さて、それから事務長は自分が院長として、
診療に当たり、事務全般も同時に受け持ちました。
通常の開業医と同じになったのです。
唯一違っていたのは、医師免許がないということだけでした。
診療所の評判はそれまでより上がり、
患者さんも増え、
一番の負担であった人件費が格段に減少したため、
経営状態も改善しました。
全てはしばらくの間順調に思えました。
しかし、こんなことが長続きする訳はありません。
以前受診した患者さんからの不審の訴えと、
スタッフの内部告発が重なり、
事務長は捕まり、刑に服したのです。
これも色々と考えさせる事例です。
今は多分昔のような非常識な新人の勤務はない筈なので、
状況は変化しているとは思いますが、
医局制度が崩壊したため、
却って医師が偏在し、
一部で深刻な医師不足の事態を生んでいます。
医者の端くれとしては、
あんな仕事なら俺が代わりにやった方がましだ、
などと言われないように、
日々の診療に勤めたいとは思っています。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2009-08-05 08:18
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コメント(2)
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はじめまして.
映画『ディア・ドクター』のブログ検索から飛んできました.
やはりお医者様から見たら,あの映画にはそんなにアラがあったのですね.
素人目には全然わかりませんでした.
ところで「偽医者」って実際にいるんですね,ビックリしました.
私は体が頑丈にできているので,あまり医療機関にかかりませんから,
簡単にコロッと騙されてしまいそうです.
by midori (2009-08-23 01:06)
midori さんへ
コメントありがとうございました。
現実にはそうした事例は結構あるようです。
by fujiki (2009-08-23 16:25)