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利き手の話 [医療のトピック]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は右利きと左利きの話です。

利き手の問題は、
古くて新しい話題です。

利き手とは何でしょうか?

1つの定義は「個体に固有の非対称的な手の使用」
というものです。
人間には対照的な2つの腕と2つの手がありますが、
それを対照的に同じ頻度で使っている訳ではありません。
片方の手の方が、自然と使う頻度が多く、
また、全く同じ動作をするのに、
その能力には殆どの場合、明らかな左右差があります。
概ね同じ動作を巧みにこなす手と、頻繁に使う方の手は、
一致しているので、
その手のことを、「利き手」と呼んでいるのです。

この利き手は一旦固定すると、
基本的には終生その傾向は変わりません。

右利きの人と左利きの人がいて、
ほぼ人口の9割以上の人は右利きです。
これは洋の東西を問わず、
過去を遡っても、若干比率は異なっても、
ほぼ同一の傾向が存在しています。

このことから、右利きが正常であり、
左利きは何らかの異常ではないか、
という考え方は以前からあり、
犯罪者が左利きに多い、という説や、
ある種の精神疾患が左利きに多い、
という知見などもあって、
左利きは不当に差別される事態も生じました。

その一方で、最近では、
天才には左利きが多い、と言われたり、
藝術家や優れたスポーツ選手、
音楽家にも左利きが多い、との意見もあります。
脳科学の流行によって、
右脳が左手と連動していることが分かってくると、
左利きは右脳を活性化させるので、
より優れた感性を持っている、との見解も生まれました。

果たして、どちらの考え方が正しいのでしょうか?

猿には左利きが多いとの見解があり、
それが進化の過程で、
何らかの要因により右利き優位になった、
という考え方があります。

脳は右脳と左脳に分かれていますが、
全く対称的という訳ではなく、
右利きの人間では、
左脳の横の部分は右よりも大きくなっています。
これが一般的には言語の発達と関係が深いと考えられ、
右手をよく使うことで、
言語脳が進化し、人間は言葉を操るようになった、というのです。

右利きの人間の言語の中枢は、
ほぼ100パーセント左脳にあります。
これが左利きだと右脳に言語中枢があるかと言うとそうではなく、
左右ある程度均等に言語の能力を分け合っている、
と考えられています。

利き手は何によって決められているのでしょうか?

これにも多くの説があり、
昔から現在に至るまで、多くの論争を起こしながら、
未だに決着は付いていません。
大雑把に言えば、2つの考え方があります。
つまり、生まれつき利き手は決まっている、
という考え方と、
利き手は環境により作られる後天的なものだ、
という考え方です。
このうち、出産後に利き手が決まる、
という考え方は、現在ではほぼ否定されています。
誰が見ても明確に利き手が判明するのは、
7歳頃になってからのことですが、
注意深く観察すると、
片手をより多く使う傾向は7ヶ月頃には既に存在し、
早い時期にそれをどちらかに強制しようとしても、
結果的にはあまりうまくゆかないことが、
分かっているからです。

生まれつき利き手が決っている、という考えにも、
遺伝子レベルで決っているのだ、という考え方と、
胎児の発育の段階で決まるのだ、
という考え方の2種類があります。

利き手の傾向は生まれてから変わることもあるのですから、
全て遺伝子で決められているのだ、
という考えには無理があります。
おそらくは右脳に比べて左脳が発達し易い、
という傾向は遺伝情報の中に組み込まれていて、
それが胎児期の様々な環境要因により、
一部は逆転して右脳が優位になり、
左利きの傾向を生むのではないか、
と考えるのが一番無理がないようです。

利き手を変化させる胎児期の環境要因についても、
色々な説があります。

その1つはホルモン説で、
胎児のある時期に通常よりも男性ホルモンが上昇すると、
それがきっかけとなって、
左脳の発育が抑えられ、
右脳優位になって、左利きが生じるのだ、
というのです。
この場合、他の部位の脳の発育が正常であれば、
左利きであるだけで、それ以外は成長障害のない状態になり、
同時に右脳の前の方の発育も抑えられると、
発達障害が生じ易い、という理屈です。
一部の発達障害には左利きの比率が多いことが知られていますが、
この考え方はその説明にはなる訳です。

また、お母さんのお腹の中での胎児の姿勢によって、
脳の発育の左右差が生じ、
それが原因で左利きが生まれるのだ、という説もあります。
胎児の姿勢は左耳がお母さんの背骨に近い位置にあることが多く、
そのために左側の平衡感覚がより発達して、
その側の左足が軸足となり、
その対称の位置にある右手が利き手になる、というのです。
ちょっと面白いですね。
この理屈でいくと、胎児の体位が変わると、
利き手も変わることになります。
一卵性の双子では、確かに利き手が異なる場合があります。
ただ、勿論必ずそうなる訳ではありません。

先日見たあるブログで、「双子の一方は必ず左利きになる」
との記述がありましたが、
これは僕の知る限りは嘘ですね。
そんな面白話はありません。

いずれにしても、人間の場合、概ね右利きになるような、
ある種のプログラムがあることは事実です。
何らかの原因でそれがうまく完成しないと、
左利きや両手利きが誕生するのです。
ただ、それは左利きが欠陥品だ、という意味ではありません。
そのプログラム自体が、
おそらくは反対になる余地を残したものだからです。

利き手というのは、結局は手の問題ではなく、
右脳と左脳のバランスの問題です。
良く使う手が利き手になる訳ではなく、
脳にプログラムされたバランスによって、
手のバランスが変わる訳です。

ですから、よく左手を多く使うように訓練すれば、
右脳が活性化されて、感性が高まるのだ、
といったニュアンスの擬似科学的話がありますが、
そうしたことは絶対ないとは言い切れないものの、
通常はあまり大した変化は起こらない、
と考えるのが理に適っています。
左手をよく使えば、確かに左手の動作の精度は向上するでしょう。
しかし、それは別に脳のプログラムが変更になることとは、
あまり関係のない話だからです。

右利きも左利きも一長一短があるとすれば、
両手利きが最も優れた資質のようにも思えます。
全ての人を訓練して、
両手利きにすればいいのではないでしょうか?

実際にそうした考えがあり、実行に移されたことがあります。
所はイギリスで、19世紀の終わりの頃の話です。
これを「両手利き運動」と言います。
ところが、利き手を変えることはそう容易いことではなく、
見掛け上両手利きになっても、
実際には脳のプログラムは変化しなかったため、
うまくゆくことはなく、運動は廃れてしまったのです。

まあ、教訓的な話ですね。

僕は利き手というのは、
男女の性差に似たところがあると思います。
いずれも遺伝子レベルで決定されている要素がありながら、
その区分は必ずしも明確なものではなく、
環境の変化で変更されてしまう場合もあります。
結局本質的な部分は脳のプログラムにあり、
それを行動や環境から無理矢理改変することは、
その人を不幸にする結果しか生まないのです。

その意味で最近の「脳トレ」と称するものは、
勿論現在ある機能の維持には、
一定の効果があるのだと思いますが、
「右脳を活性化させる」というような、
脳のプログラムを変えるようなニュアンスで使用されるのは、
却って有害な場合もあるのではないか、という気がします。

皆さんはどうお考えになりますか。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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