「月」(石井裕也監督映画版) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は院長の石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
相模原障碍者施設殺傷事件を元にした、
辺見庸さんの同題の小説を原作とした映画が、
今ロードショー公開されています。
これは原作は、
外界とのコミュニケーションが一切取れない、
障碍者の女性の内面を、
ジョイスばりの意識の流れで描写する、
というかなり実験的な小説で、
実際の障碍者の内面を描いたというよりは、
作者自身がそうした身体状態になった時の内面を、
想像力で描写したという感じの作品です。
事件をもとにはしていますが、
それを正面から描いた、という性質の作品ではありません。
それを「ジョニーは戦場に行った」や、
僕の大好きな「潜水服は蝶の夢を見る」のように、
ナレーションなどを使用してそのままに映像化することも、
不可能ではないと思うのですが、
今回はそうした手法は取ってはいなくて、
原作の主人公の女性は、
その外面を少し描写するに留め、
宮沢りえさん扮する作家の女性を新たに主人公に設定して、
彼女と夫のオダギリジョーさんの物語を主軸に据え、
その関わりの中で事件を描く、
というほぼオリジナルの物語に改変しています。
それで何で辺見庸さんの「月」が原作なのかしら、
というようには思うのですが、
監督の石井さんは筋金入りの辺見さんの大ファンなので、
これはもう充分分かった上でのアクロバティック的な発想なんですね。
途中で犯人役の磯村勇斗さんが、
絞首刑の時の首が折れる音の話をするのですが、
これは石井監督が辺見さんから聞いた話が、
そのまま使われているんですね。
原作には勿論そんな話は出て来ないのです。
つまり、石井監督は原作を映画化するというよりも、
大好きな辺見さんの作品世界のイズムのようなものを、
今回の映画で表現したかったように感じました。
ただ、その情熱は理解した上で、
今回の作品が映画として成功しているかと言うと、
その点はちょっと微妙です。
この映画、前半は割とオドロオドロしい感じなんですね。
登場する施設は幽霊屋敷のようで、
昔は病院を舞台にしたホラーが良くありましたが、
そんな雰囲気なんですね。
登場する職員の二階堂ふみさんにしても、
磯村有斗さんにしても、
他人の心を理解せず、
土足で踏み込んで踏みにじるような、
つまり、SNS全盛の現代的な怪物で、
その2人が主人公の宮沢さんの家で、
彼女を傷つけたり不快にする発言を、
悪意なく言い募るところなど、
恐怖映画のテイストで慄然とするものがありました。
なるほどこれは新しい発想で面白い、
とは思ったのですが、
この調子で事件を再現するつもりなのかしら。
深刻な事件をホラーにしてしまって、
本当に大丈夫なのかしら、
多方面から叱られることにならないのかしら、
というように危惧する思いも同時にありました。
ただ、実際には段々と映画のテイストは変わり、
基本的に傍観者的で知識人を気取る感じの主人公夫婦の、
「芸術家の苦悩」的なテーマが前面に出て、
それに対峙する現実として事件は置かれ、
事件自体は割とリアルに描写されていましたが、
実際の殺人の描写自体は描かない、
というスタイルで終了となりました。
まあ勿論、これで仕方がなかったのかな、
というようには思うのですね。
障碍者を惨殺する場面をそのまま描くことは、
それを結果として残酷見世物にする、
ということになりますから、
到底映像にするべきではないのですね。
そうなると、結果としてこのようになるしかないのですが、
それで映画として成立しているのかと言うと、
ちょっと難しいように思いました。
「芸術家の苦悩」というのは、
身内受けはすると思うのですね。
でも観客の多くは芸術家や表現者ではないと思うので、
その辺りもちょっと計算違いがあったのではないかな、
というようには感じました。
テーマとしては、
「存在すること自体の意味」
という重いものがあるのですが、
個人的にはあまり刺さるテーマではないんですね。
僕も医療従事者で、
障碍のある方や認知症の方に、
接する機会は多いので、
「存在すること自体の意味」ということについては、
割と抵抗なく受け入れられる感じではあるからです。
原作でも映画でも、
老人の入所者が汚物に塗れて自慰行為をする姿に、
衝撃を受けて事件を起こすことを決意する、
という流れになっているのですが、
個人的にはあまりそれが衝撃的とは思わないんですね。
そういうのは日常茶飯事のことだと思うからです。
それより多分あり得るのは、
障碍者や認知症の方に殴られたりする職員はいるんですね。
それから罵倒されたり、
召使のように命令されたり、
汚物を投げつけられたり、
というようなことですね。
こうしたことが積み重なると結構きつくて、
それが理由で施設を辞めるという職員については、
僕も何度か経験があります。
ただ、そうした描写をすると、
それはそれで障碍者の方を悪く描く、
という感じになってお叱りを受けることにもなるので、
その辺りの匙加減は、
現実的には非常に難しいところであるように思います。
総じて、本当に難しいテーマに、
真っ向から取り組んだ力作ではあるのですが、
矢張り正攻法でこのテーマは映画にするのは困難だ、
という事実を確認したような作品でもあったように思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は院長の石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
相模原障碍者施設殺傷事件を元にした、
辺見庸さんの同題の小説を原作とした映画が、
今ロードショー公開されています。
これは原作は、
外界とのコミュニケーションが一切取れない、
障碍者の女性の内面を、
ジョイスばりの意識の流れで描写する、
というかなり実験的な小説で、
実際の障碍者の内面を描いたというよりは、
作者自身がそうした身体状態になった時の内面を、
想像力で描写したという感じの作品です。
事件をもとにはしていますが、
それを正面から描いた、という性質の作品ではありません。
それを「ジョニーは戦場に行った」や、
僕の大好きな「潜水服は蝶の夢を見る」のように、
ナレーションなどを使用してそのままに映像化することも、
不可能ではないと思うのですが、
今回はそうした手法は取ってはいなくて、
原作の主人公の女性は、
その外面を少し描写するに留め、
宮沢りえさん扮する作家の女性を新たに主人公に設定して、
彼女と夫のオダギリジョーさんの物語を主軸に据え、
その関わりの中で事件を描く、
というほぼオリジナルの物語に改変しています。
それで何で辺見庸さんの「月」が原作なのかしら、
というようには思うのですが、
監督の石井さんは筋金入りの辺見さんの大ファンなので、
これはもう充分分かった上でのアクロバティック的な発想なんですね。
途中で犯人役の磯村勇斗さんが、
絞首刑の時の首が折れる音の話をするのですが、
これは石井監督が辺見さんから聞いた話が、
そのまま使われているんですね。
原作には勿論そんな話は出て来ないのです。
つまり、石井監督は原作を映画化するというよりも、
大好きな辺見さんの作品世界のイズムのようなものを、
今回の映画で表現したかったように感じました。
ただ、その情熱は理解した上で、
今回の作品が映画として成功しているかと言うと、
その点はちょっと微妙です。
この映画、前半は割とオドロオドロしい感じなんですね。
登場する施設は幽霊屋敷のようで、
昔は病院を舞台にしたホラーが良くありましたが、
そんな雰囲気なんですね。
登場する職員の二階堂ふみさんにしても、
磯村有斗さんにしても、
他人の心を理解せず、
土足で踏み込んで踏みにじるような、
つまり、SNS全盛の現代的な怪物で、
その2人が主人公の宮沢さんの家で、
彼女を傷つけたり不快にする発言を、
悪意なく言い募るところなど、
恐怖映画のテイストで慄然とするものがありました。
なるほどこれは新しい発想で面白い、
とは思ったのですが、
この調子で事件を再現するつもりなのかしら。
深刻な事件をホラーにしてしまって、
本当に大丈夫なのかしら、
多方面から叱られることにならないのかしら、
というように危惧する思いも同時にありました。
ただ、実際には段々と映画のテイストは変わり、
基本的に傍観者的で知識人を気取る感じの主人公夫婦の、
「芸術家の苦悩」的なテーマが前面に出て、
それに対峙する現実として事件は置かれ、
事件自体は割とリアルに描写されていましたが、
実際の殺人の描写自体は描かない、
というスタイルで終了となりました。
まあ勿論、これで仕方がなかったのかな、
というようには思うのですね。
障碍者を惨殺する場面をそのまま描くことは、
それを結果として残酷見世物にする、
ということになりますから、
到底映像にするべきではないのですね。
そうなると、結果としてこのようになるしかないのですが、
それで映画として成立しているのかと言うと、
ちょっと難しいように思いました。
「芸術家の苦悩」というのは、
身内受けはすると思うのですね。
でも観客の多くは芸術家や表現者ではないと思うので、
その辺りもちょっと計算違いがあったのではないかな、
というようには感じました。
テーマとしては、
「存在すること自体の意味」
という重いものがあるのですが、
個人的にはあまり刺さるテーマではないんですね。
僕も医療従事者で、
障碍のある方や認知症の方に、
接する機会は多いので、
「存在すること自体の意味」ということについては、
割と抵抗なく受け入れられる感じではあるからです。
原作でも映画でも、
老人の入所者が汚物に塗れて自慰行為をする姿に、
衝撃を受けて事件を起こすことを決意する、
という流れになっているのですが、
個人的にはあまりそれが衝撃的とは思わないんですね。
そういうのは日常茶飯事のことだと思うからです。
それより多分あり得るのは、
障碍者や認知症の方に殴られたりする職員はいるんですね。
それから罵倒されたり、
召使のように命令されたり、
汚物を投げつけられたり、
というようなことですね。
こうしたことが積み重なると結構きつくて、
それが理由で施設を辞めるという職員については、
僕も何度か経験があります。
ただ、そうした描写をすると、
それはそれで障碍者の方を悪く描く、
という感じになってお叱りを受けることにもなるので、
その辺りの匙加減は、
現実的には非常に難しいところであるように思います。
総じて、本当に難しいテーマに、
真っ向から取り組んだ力作ではあるのですが、
矢張り正攻法でこのテーマは映画にするのは困難だ、
という事実を確認したような作品でもあったように思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2023-10-28 08:54
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