マクドナー「スポケーンの左手」(2015年小川絵梨子上演版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ、
今日は比較的のんびり過ごすつもりです。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イギリスのアイルランド系の劇作家マクドナーが、
2010年に発表した作品を、
新進気鋭の演出家である小川絵梨子さんが翻訳・演出し、
蒼井優、岡本健一、成河、中嶋しゅう、
という4人だけの魅力的なキャストを揃えた舞台が、
先日まで三軒茶屋で上演されました。
マクドナーは1970年生まれの気鋭の劇作家で、
最近は映画にややその軸足を移しているようです。
その作風はオールビーやピンター辺りをベースにしながら、
グロテスクで畸形的で暴力的な部分があり、
松尾スズキさんや長塚圭史さんの芝居に、
かなり似通った部分があります。
日本で特にその上演が注目されたのは、
パルコ劇場をホームグラウンドにして、
長塚圭史さんが、
「ウィー・トーマス」(原題はイニシュモアの中尉)、
「ピローマン」、「ビューティー・クイーン・オブ・リナーン」を、
立て続けに翻訳上演したことで、
当時の長塚さんの阿佐ヶ谷スパイダースとしての活動に、
かなり近い感じの暴力的で残酷の極みのような舞台は、
非常に鮮烈な印象を観客に与えました。
中でも再演もされた「ウィー・トーマス」は、
客席に血糊が飛び、
舞台上で人間をバラバラにするような壮絶な舞台で、
特に「いつ誰が拳銃を撃つのか?」というスリルだけで、
前半をもたせる、
緊張感のある演出が演劇の可能性を感じさせました。
ただ、この一連の上演は、
作品をかなり長塚さんの世界に引き寄せたもので、
マクドナーのこれが正統的な上演であるかと言うと、
ちょっと疑問に感じる部分もありました。
「ウィー・トーマス」みたいな作品が、
マクドナーの作品の中で、
そう多くはない(おそらくこれだけ)ということも分かりました。
小川絵梨子さんは、
このかなり長塚色が付いた感じのマクドナーを、
2013年から毎年1作ずつ演出しています。
正直長塚さん以外の演出家によるマクドナーには、
僕はあまり興味がなかったので、
これまでの2作品は観なかったのですが、
ネットで褒めている方がいたので、
ちょっと気になって急遽楽日に出掛けました。
これはなかなか悪くない舞台で、
1時間40分程度の上演時間の中で、
孤独な人間の心を、
覗き込むような感じがあります。
松尾スズキさんの「悪霊」や「マシーン日記」辺りと、
ちょっと似た感じがあるのですが、
松尾さんの作品には、
マクドナーのような緻密さや重層的な感じがないので、
どうして日本ではこうした緻密な芝居が生まれないのだろうな、
とちょっと悲しい気分になります。
以前のマクドナーの印象より、
オールビーに近いような作品です。
小川さんの演出は、
非常に丁寧な仕事だと感じましたが、
もっと衝撃性があっても良いように思いました。
かなりお上品な世界です。
以下ネタバレを含む感想です。
舞台はアメリカの田舎町のモーテルで、
中嶋しゅう演じるカーマイケルという男は、
左手がなく、
その失った左手を探し求めています。
37年前にスポケーンという町で、
不良に理不尽に左手を列車に切断されて失った、
と言うのですが、
その真偽は定かではありません。
岡本健一演じる黒人のトビーと、
蒼井優演じる白人のマリリンは、
町の不良の若者カップルですが、
「左手を探している男がいる」という話を聞きつけ、
あろうことか博物館のミイラの手を盗み出して、
それをカーマイケルに高額で売りつけようとします。
しかし、このカーマイケルは一種のサイコパスの危険人物で、
トビーとマリリンは拉致されて命の危険にさらされます。
その上モーテルにたった1人いる、
成河演じる若いフロント係の青年は、
動物園の猿にしか愛情を持つことが出来ず、
死ぬことを厭わないアブナイ人物なので、
彼を巻き込んで物語は予想外の方向に転がり始めます。
マクドナーらしい面白い趣向です。
しかも、オープニングは、
戸棚に閉じ込められて猿轡をかまされたトビーに、
いきなりカーマイケルが拳銃をぶっぱなすという、
予想外のところから始まるので、
その構成の妙に魅了されます。
カーマイケルには精神を病んだ母親がいて、
どうやら左手は本人が切断したもののようです。
しかし、ラストになって博物館から盗み出したミイラの手の筈が、
本物の彼の失われた左手に変貌し、
モーテルの一室で、
それを慈しむ孤独な中年男が、
部屋に残されて物語は終わります。
上手い作劇だと感心します。
登場人物は4人ですが、
電話の相手としてしか登場しないカーマイケルの母親が、
5人目の人物として重要な役割を担います。
カーマイケルとホテルのフロント係がメインで、
トビーとマリリンのカップルは、
脇役的な扱いです。
従って、その脇役を蒼井優と岡本健一が演じるキャスティングは、
ちょっともったいない感じがします。
2人とも主役が出来る役者ですし、
主役でこそ魅力を発揮するタイプです。
蓮っ葉な女性を蒼井優さんが喜々として演じるのは、
非常に贅沢な見ものではありますが、
矢張りあまり良いとは思えません。
集客を考えてのキャスティングなのでしょうが、
個人的には疑問に感じました。
一方で主役格の中嶋しゅうさんと成河さんは、
充実した芝居だったと思いますが、
地味なのでちょっとバランス的に残念な感じもあるのです。
こちらに名の売れた人(失礼!)を持ってきた方が、
キャスティング的には良かったのではないでしょうか?
演出は非常に丁寧で、
作品の伝えたいものを客席に届ける、という意味では、
及第点だと思います。
ただ、あまりパンチは効いていません。
所謂センターステージで、
横長の舞台を中央に配置し、
その両側に客席がある、という構造です。
臨場感を期待してこうしたことをするのだと思いますが、
僕はこうした舞台が嫌いです。
観客が互いに顔を見合わせるような感じは、
舞台への集中を削ぐと思いますし、
舞台機構やセットも制限されるので、
却って舞台への没入感がなくなります。
密室劇であるのに、密室性がなくなるのは、
この作品にとっては致命的に感じました。
また、オープニングの銃声は、
もっと観客を仰天させるようなインパクトが必要だと思います。
実際にはへっぽこでしたが、
その部分で衝撃性があれば、
その後カーマイケルが拳銃を構える度に、
観客はドキリとして緊張するのです。
これは「ウィー・トーマス」と同じような発想なので、
もっとケレン味がないといけません。
実際にはその後一度も、
拳銃が撃たれることはないのです。
途中でフロント係の青年が、
長い独白をします。
オールビーの「動物園物語」のような趣向です。
その場面を今回の演出では、
舞台を変えずにセットの脇で演じたのですが、
これも失敗だと個人的には思います。
あそこは無理をしても、
舞台を変えるべきだと思います。
カーマイケルの世界とフロント係の世界とは、
クライマックスの一瞬まで、
接触はしないのが物語の根幹の趣向なのに、
それがクロスしてしまう印象を観客に与えてしまうからです。
マクドナーの作品は、
本国ではコメディのように観られるもので、
もっと早いテンポで、
スピード感をもって演じられる性質のものだと思います。
ただ、日本で上演する場合には、
松尾スズキさんや長塚圭史さんの演出のような、
まったりとした緊張感が、
より作品の本質を伝える手法だと思うので、
今回の上演はその意味では、
ちょっと方向性に狂いがあるように個人的には感じました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ、
今日は比較的のんびり過ごすつもりです。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イギリスのアイルランド系の劇作家マクドナーが、
2010年に発表した作品を、
新進気鋭の演出家である小川絵梨子さんが翻訳・演出し、
蒼井優、岡本健一、成河、中嶋しゅう、
という4人だけの魅力的なキャストを揃えた舞台が、
先日まで三軒茶屋で上演されました。
マクドナーは1970年生まれの気鋭の劇作家で、
最近は映画にややその軸足を移しているようです。
その作風はオールビーやピンター辺りをベースにしながら、
グロテスクで畸形的で暴力的な部分があり、
松尾スズキさんや長塚圭史さんの芝居に、
かなり似通った部分があります。
日本で特にその上演が注目されたのは、
パルコ劇場をホームグラウンドにして、
長塚圭史さんが、
「ウィー・トーマス」(原題はイニシュモアの中尉)、
「ピローマン」、「ビューティー・クイーン・オブ・リナーン」を、
立て続けに翻訳上演したことで、
当時の長塚さんの阿佐ヶ谷スパイダースとしての活動に、
かなり近い感じの暴力的で残酷の極みのような舞台は、
非常に鮮烈な印象を観客に与えました。
中でも再演もされた「ウィー・トーマス」は、
客席に血糊が飛び、
舞台上で人間をバラバラにするような壮絶な舞台で、
特に「いつ誰が拳銃を撃つのか?」というスリルだけで、
前半をもたせる、
緊張感のある演出が演劇の可能性を感じさせました。
ただ、この一連の上演は、
作品をかなり長塚さんの世界に引き寄せたもので、
マクドナーのこれが正統的な上演であるかと言うと、
ちょっと疑問に感じる部分もありました。
「ウィー・トーマス」みたいな作品が、
マクドナーの作品の中で、
そう多くはない(おそらくこれだけ)ということも分かりました。
小川絵梨子さんは、
このかなり長塚色が付いた感じのマクドナーを、
2013年から毎年1作ずつ演出しています。
正直長塚さん以外の演出家によるマクドナーには、
僕はあまり興味がなかったので、
これまでの2作品は観なかったのですが、
ネットで褒めている方がいたので、
ちょっと気になって急遽楽日に出掛けました。
これはなかなか悪くない舞台で、
1時間40分程度の上演時間の中で、
孤独な人間の心を、
覗き込むような感じがあります。
松尾スズキさんの「悪霊」や「マシーン日記」辺りと、
ちょっと似た感じがあるのですが、
松尾さんの作品には、
マクドナーのような緻密さや重層的な感じがないので、
どうして日本ではこうした緻密な芝居が生まれないのだろうな、
とちょっと悲しい気分になります。
以前のマクドナーの印象より、
オールビーに近いような作品です。
小川さんの演出は、
非常に丁寧な仕事だと感じましたが、
もっと衝撃性があっても良いように思いました。
かなりお上品な世界です。
以下ネタバレを含む感想です。
舞台はアメリカの田舎町のモーテルで、
中嶋しゅう演じるカーマイケルという男は、
左手がなく、
その失った左手を探し求めています。
37年前にスポケーンという町で、
不良に理不尽に左手を列車に切断されて失った、
と言うのですが、
その真偽は定かではありません。
岡本健一演じる黒人のトビーと、
蒼井優演じる白人のマリリンは、
町の不良の若者カップルですが、
「左手を探している男がいる」という話を聞きつけ、
あろうことか博物館のミイラの手を盗み出して、
それをカーマイケルに高額で売りつけようとします。
しかし、このカーマイケルは一種のサイコパスの危険人物で、
トビーとマリリンは拉致されて命の危険にさらされます。
その上モーテルにたった1人いる、
成河演じる若いフロント係の青年は、
動物園の猿にしか愛情を持つことが出来ず、
死ぬことを厭わないアブナイ人物なので、
彼を巻き込んで物語は予想外の方向に転がり始めます。
マクドナーらしい面白い趣向です。
しかも、オープニングは、
戸棚に閉じ込められて猿轡をかまされたトビーに、
いきなりカーマイケルが拳銃をぶっぱなすという、
予想外のところから始まるので、
その構成の妙に魅了されます。
カーマイケルには精神を病んだ母親がいて、
どうやら左手は本人が切断したもののようです。
しかし、ラストになって博物館から盗み出したミイラの手の筈が、
本物の彼の失われた左手に変貌し、
モーテルの一室で、
それを慈しむ孤独な中年男が、
部屋に残されて物語は終わります。
上手い作劇だと感心します。
登場人物は4人ですが、
電話の相手としてしか登場しないカーマイケルの母親が、
5人目の人物として重要な役割を担います。
カーマイケルとホテルのフロント係がメインで、
トビーとマリリンのカップルは、
脇役的な扱いです。
従って、その脇役を蒼井優と岡本健一が演じるキャスティングは、
ちょっともったいない感じがします。
2人とも主役が出来る役者ですし、
主役でこそ魅力を発揮するタイプです。
蓮っ葉な女性を蒼井優さんが喜々として演じるのは、
非常に贅沢な見ものではありますが、
矢張りあまり良いとは思えません。
集客を考えてのキャスティングなのでしょうが、
個人的には疑問に感じました。
一方で主役格の中嶋しゅうさんと成河さんは、
充実した芝居だったと思いますが、
地味なのでちょっとバランス的に残念な感じもあるのです。
こちらに名の売れた人(失礼!)を持ってきた方が、
キャスティング的には良かったのではないでしょうか?
演出は非常に丁寧で、
作品の伝えたいものを客席に届ける、という意味では、
及第点だと思います。
ただ、あまりパンチは効いていません。
所謂センターステージで、
横長の舞台を中央に配置し、
その両側に客席がある、という構造です。
臨場感を期待してこうしたことをするのだと思いますが、
僕はこうした舞台が嫌いです。
観客が互いに顔を見合わせるような感じは、
舞台への集中を削ぐと思いますし、
舞台機構やセットも制限されるので、
却って舞台への没入感がなくなります。
密室劇であるのに、密室性がなくなるのは、
この作品にとっては致命的に感じました。
また、オープニングの銃声は、
もっと観客を仰天させるようなインパクトが必要だと思います。
実際にはへっぽこでしたが、
その部分で衝撃性があれば、
その後カーマイケルが拳銃を構える度に、
観客はドキリとして緊張するのです。
これは「ウィー・トーマス」と同じような発想なので、
もっとケレン味がないといけません。
実際にはその後一度も、
拳銃が撃たれることはないのです。
途中でフロント係の青年が、
長い独白をします。
オールビーの「動物園物語」のような趣向です。
その場面を今回の演出では、
舞台を変えずにセットの脇で演じたのですが、
これも失敗だと個人的には思います。
あそこは無理をしても、
舞台を変えるべきだと思います。
カーマイケルの世界とフロント係の世界とは、
クライマックスの一瞬まで、
接触はしないのが物語の根幹の趣向なのに、
それがクロスしてしまう印象を観客に与えてしまうからです。
マクドナーの作品は、
本国ではコメディのように観られるもので、
もっと早いテンポで、
スピード感をもって演じられる性質のものだと思います。
ただ、日本で上演する場合には、
松尾スズキさんや長塚圭史さんの演出のような、
まったりとした緊張感が、
より作品の本質を伝える手法だと思うので、
今回の上演はその意味では、
ちょっと方向性に狂いがあるように個人的には感じました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2015-12-06 15:48
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