歌舞伎座十二月大歌舞伎(夜の部) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が担当し、
午後は石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
久しぶりに歌舞伎座の初日に足を運びました。
行ったのは夜の部の「妹背山婦女庭訓」の通しです。
「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」は、
江戸時代の近松半二の浄瑠璃が原作で、
人形浄瑠璃を原作とする所謂義太夫狂言の中でも、
名作として継承されて来たものです。
一応大化の改新がベースになっている王朝物で、
蘇我入鹿が大悪党の怪物として登場し、
その入鹿が退治されるまでの物語ですが、
史実はデタラメで世話場では普通の江戸時代町民の物語になります。
ワーグナーとの類似も指摘される、
極めて複雑でバロック的な作品です。
五段の大長編の浄瑠璃ですが、
三段目と四段目はそれぞれ別個のストーリーとしても、
観ることが出来るような構成になっているので、
今日ではもっぱらこのどちらかが、
その段のみの通し狂言として、
上演されることが一般的です。
三段目には川の両側で2つの家が対立して悲劇が訪れる、
「山の段」と呼ばれる、一場で2時間近い、
歌舞伎作品としても最も長い部類の名場面があり、
四段目には「三笠山御殿」という、
これも「山の段」に匹敵するような名場面があります。
それぞれ前段に、
きっかけとなる短い場面があって、
それと組み合わせて上演されることが通例です。
今回はそのうちの四段目が通しとして上演されました。
四段目の場合は、
「三笠山御殿」の前に、
「道行恋苧環」という踊りの場面を付けるのが通例ですが、
今回はその前の「杉酒屋」から繋げて上演されるのが珍しく、
この場面は昭和45年の京都南座以降、
まともな上演がありませんでした。
四段目全体を通して、
悲劇のヒロインがお三輪という町娘ですが、
今回は最後の「三笠山御殿」のみを玉三郎が演じ、
それまでの2つの場面では、
同じ役を七之助が演じます。
初めて歌舞伎を観る方には、
ややわかりにくい趣向ですが、
同じ役を2人以上の役者が、
リレーのバトンタッチのように演じ継ぐのは、
歌舞伎ではよくある趣向で、
今回の場合は座長格の玉三郎が、
七之助に自分の藝を継承する、
というような意味合いがあったように思います。
「三笠山御殿」は僕はこれまであまり観る機会がなくて、
平成8年の国立劇場の上演以来です。
その時は2ヶ月に渡る通し上演で、
荒事のヒーローを演じた鱶七の吉右衛門が素晴らしく、
これぞ荒事藝という気がしたものです。
ただ、お三輪は当時既にご高齢の雀右衛門丈で、
お三輪というイメージとはかなりの乖離がありました。
当時の玉三郎は抜群でしたが、
お三輪は意外に演じていませんでした。
初めて観る玉三郎のお三輪は、
如何にも玉三郎らしい念の入った役作りで、
観られて良かったと思いました。
ただ、瀕死の部分など、
あまり古怪な感じがしないのと、
さすがに老いを感じて辛い部分もあります。
玉三郎丈は唯一無二の立女形ですが、
その藝はその肉体の姿に頼る部分が大きいので、
年を経て磨きの掛かる藝質ではないのです。
かつては完璧にコントロールされたその姿が、
ところどころに綻びが見えるのは悲しい気分になります。
松也と七之助のフレッシュなコンビが、
意外に古風な感じの藝質で快く、
さすがに人気者だけのことはあり華があります。
入鹿の歌六にも大きさがあります。
澤瀉屋を支えていた歌六と門之助が、
最近は猿之助一座以外で、
充実した芝居をしていると思います。
杉酒屋では中車の息子の團子(だんこ)が、
台詞も多い丁稚の子太郎という役で、
なかなか達者なところを見せました。
中車は「三笠山御殿」の豆腐買おむらという、
立役が女形を演じるご馳走的な役柄を演じ、
ちょっとご愛嬌の部分もありましたが、
登場した姿と口跡は、
かつて猿翁そっくりであるのに驚きました。
それにしても最近の猿之助一座は、
本当に切り売りのような感じで悲しくなります。
このままでは空中分解になるのではないでしょうか?
外から見ていると、
当代猿之助の求心力に問題があるように思いますが、
内部事情はまた違うのかも知れません。
いずれにしても今回の舞台は、
トータルには現状の役者陣では、
なかなか充実した上演であったように思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が担当し、
午後は石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
久しぶりに歌舞伎座の初日に足を運びました。
行ったのは夜の部の「妹背山婦女庭訓」の通しです。
「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」は、
江戸時代の近松半二の浄瑠璃が原作で、
人形浄瑠璃を原作とする所謂義太夫狂言の中でも、
名作として継承されて来たものです。
一応大化の改新がベースになっている王朝物で、
蘇我入鹿が大悪党の怪物として登場し、
その入鹿が退治されるまでの物語ですが、
史実はデタラメで世話場では普通の江戸時代町民の物語になります。
ワーグナーとの類似も指摘される、
極めて複雑でバロック的な作品です。
五段の大長編の浄瑠璃ですが、
三段目と四段目はそれぞれ別個のストーリーとしても、
観ることが出来るような構成になっているので、
今日ではもっぱらこのどちらかが、
その段のみの通し狂言として、
上演されることが一般的です。
三段目には川の両側で2つの家が対立して悲劇が訪れる、
「山の段」と呼ばれる、一場で2時間近い、
歌舞伎作品としても最も長い部類の名場面があり、
四段目には「三笠山御殿」という、
これも「山の段」に匹敵するような名場面があります。
それぞれ前段に、
きっかけとなる短い場面があって、
それと組み合わせて上演されることが通例です。
今回はそのうちの四段目が通しとして上演されました。
四段目の場合は、
「三笠山御殿」の前に、
「道行恋苧環」という踊りの場面を付けるのが通例ですが、
今回はその前の「杉酒屋」から繋げて上演されるのが珍しく、
この場面は昭和45年の京都南座以降、
まともな上演がありませんでした。
四段目全体を通して、
悲劇のヒロインがお三輪という町娘ですが、
今回は最後の「三笠山御殿」のみを玉三郎が演じ、
それまでの2つの場面では、
同じ役を七之助が演じます。
初めて歌舞伎を観る方には、
ややわかりにくい趣向ですが、
同じ役を2人以上の役者が、
リレーのバトンタッチのように演じ継ぐのは、
歌舞伎ではよくある趣向で、
今回の場合は座長格の玉三郎が、
七之助に自分の藝を継承する、
というような意味合いがあったように思います。
「三笠山御殿」は僕はこれまであまり観る機会がなくて、
平成8年の国立劇場の上演以来です。
その時は2ヶ月に渡る通し上演で、
荒事のヒーローを演じた鱶七の吉右衛門が素晴らしく、
これぞ荒事藝という気がしたものです。
ただ、お三輪は当時既にご高齢の雀右衛門丈で、
お三輪というイメージとはかなりの乖離がありました。
当時の玉三郎は抜群でしたが、
お三輪は意外に演じていませんでした。
初めて観る玉三郎のお三輪は、
如何にも玉三郎らしい念の入った役作りで、
観られて良かったと思いました。
ただ、瀕死の部分など、
あまり古怪な感じがしないのと、
さすがに老いを感じて辛い部分もあります。
玉三郎丈は唯一無二の立女形ですが、
その藝はその肉体の姿に頼る部分が大きいので、
年を経て磨きの掛かる藝質ではないのです。
かつては完璧にコントロールされたその姿が、
ところどころに綻びが見えるのは悲しい気分になります。
松也と七之助のフレッシュなコンビが、
意外に古風な感じの藝質で快く、
さすがに人気者だけのことはあり華があります。
入鹿の歌六にも大きさがあります。
澤瀉屋を支えていた歌六と門之助が、
最近は猿之助一座以外で、
充実した芝居をしていると思います。
杉酒屋では中車の息子の團子(だんこ)が、
台詞も多い丁稚の子太郎という役で、
なかなか達者なところを見せました。
中車は「三笠山御殿」の豆腐買おむらという、
立役が女形を演じるご馳走的な役柄を演じ、
ちょっとご愛嬌の部分もありましたが、
登場した姿と口跡は、
かつて猿翁そっくりであるのに驚きました。
それにしても最近の猿之助一座は、
本当に切り売りのような感じで悲しくなります。
このままでは空中分解になるのではないでしょうか?
外から見ていると、
当代猿之助の求心力に問題があるように思いますが、
内部事情はまた違うのかも知れません。
いずれにしても今回の舞台は、
トータルには現状の役者陣では、
なかなか充実した上演であったように思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2015-12-05 07:39
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