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ワーグナー「パルジファル」(2014年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から処方など書いて、
それから今PCに向かっています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
パルジファル.jpg
ワーグナー最後のオペラ「パルジファル」が、
今新国立劇場の2014/2015シーズン オープニング公演として、
今月14日まで上演されています。

「パルジファル」はある意味、
ワーグナーの集大成とも言える傑作ですが、
3幕のうち1幕と3幕は、
長大な上に動きが少なく、
初心者がその世界に浸るには、
かなりハードルの高い演目でもあります。

僕が生で聴いたのは、
2010年の東京・春・音楽祭の舞台で、
この時は演奏会形式の上演でしたが、
非常な感銘を受けました。
少しも退屈はしませんでしたし、
「ワーグナーではこれが一番じゃん」と素直に思えたのです。

その後二期会が取り上げましたが、
僕は二期会のワーグナーは聴いていると胃もたれがするようで、
正直好みではない上に、
ひいき筋の観客が多くて、
大したことがなくても「ブラボー」の嵐になるので、
足を運ぶことはしませんでした。

今回の新国立劇場の上演は、
キャストも揃っていますし、
演出が老いたりとは言え、
ワーグナーの演出で多くの傑作を送り出した、
鬼才ハリー・クプファーであったので、
非常に期待して出掛けました。

しかし、実際に上演された舞台は、
歌手陣は非常にレベルが高く、
欧米の一流歌劇場のプレミエに、
決してひけは取らない充実した歌唱でありメンバーでしたが、
演出ははなはだ疑問の残る不可思議なもので、
特にラストや第二幕の花の乙女の部分では、
作品を台無しにしていると強く感じました。

音楽も、ひょっとしたら、これこそ王道であり、
僕の耳が付いていけなかっただけなのかも知れませんが、
メリハリのないスローテンポなだけの演奏で、
歌手の声に明らかに聴き劣りがして、
とても納得が行くものではありませんでした。
あのオケでワーグナーは、
基本的に厳しいのではないでしょうか。

いつも思いますが、
何故誰が演出をしても、
新国立劇場のオリジナル演出のオペラは、
ああもセンスがなく、
無国籍のような奇怪さで、
誰に何を伝えたいのか、
まるっきり分からないようなものばかりになるのでしょうか?
誰が悪いのでしょうか?
時に何かの裏のメッセージを、
観客に伝えたいようにも思えるのは、
陰謀論の妄想でしょうか?

以下、少し演出の悪口を書かせて下さい。
ネタばれがあります。

この作品はキリスト教の聖杯伝説を元にし、
魔女の誘惑に負けて聖なる槍を奪われた上に、
その槍によって治癒しない傷を負った聖杯騎士団長が、
パルジファルという謎の若者に救われ、
その若者が聖杯の王になる、
という物語です。

ただ、誘惑する魔女が魔界では魔女であると共に、
聖杯城ではその召使として働くという二面性を持ち、
十字架上のキリストを嘲笑ったために、その罰を受け、
未来永劫2つの世界で奉仕する、呪われた存在と化している、
という単純な悪役ではない造形となっています。

ラストではパルジファルにより、
騎士団長はその傷を癒されて彼の僕となり、
魔女クンドリーは輪廻の呪いを解かれて、
安らかな死を迎えます。

晩年のワーグナーは東洋思想に興味を持っており、
自らの呪いにより滅びの途上にあるキリスト教が、
別個の世界から来た「聖なる愚者」により救われる、
という筋立ては、
旧来のキリスト教を否定したもののようにも思われます。

そこに焦点を当てた今回の演出では、
袈裟を来たお坊さんが3人、最初から登場し、
光り輝く道が舞台に造られているのですが、
その上方に常に現れます。
つまり、キリスト教より上に仏教がある、というように見えます。

ラストに至っては、
原典では傷が治癒する筈の騎士団長が死んでしまい、
その代わりに死ぬ筈だった魔女は死なず、
パルジファルと共に坊主の袈裟を着て、
光の道を上へと歩いて行きます。
聖杯騎士の皆さんも、自分の白い上着を脱ぎ捨て、
それに続いて行くように見えます。

キリスト教の時代は終わり、
皆仏教徒になってめでたしめでたしなのでしょうか?
まるで、何かの新興宗教のPR舞台のようです。

見ていて悪い意味で鳥肌が立ち、
あまりに呆然として美しい音楽も耳に入りませんでした。

こんな改変をするくらいなら、
ワーグナーの上演ではなく、
新作の宗教オペラでも作曲してやって欲しいと思います。
新垣さんに設計図を描いて、
お願いすれば良いのではないでしょうか。

このラストの台無し感に比べれば、
小さなことと言えなくもないのですが、
2幕でパルジファルを、
花の乙女と称される魔女の子分が、
誘惑する場面があり、
ちょっと官能的で面白い場面なのですが、
そこで乙女役の歌手を舞台には出さず、
声だけオフステージで流して、
舞台にはダンサーを出した、
という酷い演出にも、
本当にガッカリしました。

これは演奏会形式で聴いた時には、
ソプラノ歌手の皆さんが、
ドレス姿でズラッと並ぶので、
非常にウキウキするような場面だったのですが、
今回は魅力的な歌手を揃えておきながら、
その姿が実際に見られるのは、
アンコールの時のみなのには、
非常に失望しました。
クプファーがどう言ったって、
日本の観客は今回のキャストであれば、
絶対に本人が舞台で歌ってくれた方が良いのですから、
責任者やスタッフの方も、
断固として「否」と言って頂きたかったと思います。

総じてこんな演出ならない方がましです。

僕は音楽を聴きたいのです。

今の正直な感想としては、
現状の上演形態であれば、
醜悪な演出に落胆するくらいなら、
演奏会形式の方が100倍いい、と強く感じました。

ワーグナーは演奏会形式に限りますね。
来年の東京・春・音楽祭を、
楽しみに待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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