三谷幸喜「酒と涙とジキルとハイド」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から何となく悶々として、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
三谷幸喜の意外に久しぶりの舞台の新作が、
今東京芸術劇場で上演中です。
三谷さんの芝居には、
大人数でスケール感のあるものと、
少人数でミニマルな感じのものとの2つの系統があり、
今回はキャストは4人のみで、
上演時間も休憩なしの1時間40分程度ですから、
ミニマルな系統の物に属します。
二重人格物の古典として一般にも広く知られている、
「ジキルとハイド」を下敷きにして、
原作の設定が実は嘘だった、
という三谷さんならではの着想から、
1場の軽快な喜劇に仕立てています。
悪くないのですが、
あまりに万人向けの作品にし過ぎていて、
毒気が欠片もないのが、
個人的には物足りなく感じます。
三谷さんの良い時のように、
笑いが連鎖してゆかないのも、
あまり書いていて乗らなかったのかな、
という印象を持ちました。
キャストは概ね好演ですが、
愛之助さんも藤井隆さんも、
正直能力全開という感じの熱演ではありません。
優香さんは今回のメインで、
彼女の描き方には三谷さんのパーソナルな拘りが、
潜んでいるように思いました。
非常に魅力的に演出されていましたが、
ちょっとお行儀が良過ぎて、
食い足りない感じは残ります。
演出はいつもながらのソツのないものですが、
もっと怪奇味や意外性があっても良いと思います。
壁にズラリと並んだフラスコなどのビジュアルは、
この間の新国立の「死の都」ですね。
以下ネタばれがあります。
「ジキル博士とハイド氏」は、
スティーブンソンの中編くらいの長さの小説で、
温厚で篤実なジキル博士という科学者が、
何故かハイドという粗暴で残虐な男と関わりを持っていて、
ハイドをかくまっているように見えるので、
それは何故なのか、という謎を主軸にした、
一種のミステリー小説です。
それが実はジキルとハイドが同一人物で、
ジキル博士の研究が、
人間の心の中の善悪を分離することだった、
という真相は、
所謂「意外な結末」だったのですが、
今ではジキルとハイドは、
二重人格の代名詞となってしまっているので、
今の読者がこの本を読んでも、
かつてのようなラストの驚きを、
感じることは出来ないのです。
この原作が知れ渡った要因は、
1つには何度も映画化されたことにあります。
映画においては、
人間が同じように演じては面白くないので、
ハイドを怪人のように描くことになり、
特殊メイクが使用されたりして、
一種のモンスター映画の扱いになりました。
それと同時に、
ジキル博士に恩人の娘の許嫁がいて、
彼女がハイドのために恐怖を味わう、
というような入れごとが追加されました。
実際には原作にはそうした恋人は登場せず、
これは映画の付け足しなのです。
更に最近ではブロードウェイミュージカル化され、
そこではジキル博士が学会などから迫害を受けるような、
政治的なドラマまで追加されました。
今回の作品の基本的な設定は、
概ねミュージカル版の「ジキル&ハイド」がベースになっていて、
片岡愛之助演じるジキル博士が、
ハイドに変身する新薬の学会発表の直前に、
実はその薬が失敗で、
それをどうにか取りつくろうために、
売れない役者の藤井隆を雇い、
彼に変身後のハイドを演じさせようとします。
そこにジキル博士の許嫁の優香がやって来て、
ハイドの姿を見られてしまうので、
発表でのお芝居を、
優香の前で演じる羽目になります。
と、実は優香も奔放で淫乱な一面を隠していて、
自分でも効かない薬を飲むと、
別人格に変貌して騒動になる、
という筋立てです。
もう1人の登場人物は迫田孝也演じる博士の助手で、
実は彼が全ての黒幕のようにも見えます。
肩の凝らない愛すべき小品といった感じの作品で、
たとえば「笑いの大学」で俎上に載せられる台本のような、
軽演劇のスタイルを実践したもののようにも思えます。
失敗した研究を成功に見せかけようとする、
というのは、
STAP細胞を彷彿とさせて、
実際にそれを意識したギャグもあります。
ただ、勿論作品が構想されたのは、
STAP騒動より前なので、
捏造自体がテーマという訳ではありません。
「ジキルとハイド」をこのようにパロディにするのは、
さすがに三谷幸喜という感じで面白いのですが、
彼の良い時に付き物の、
人間関係の逆転劇が、
この作品ではあまり見られないのが、
やや物足りなくは感じます。
特に主人公のジキル博士のキャラが、
最初から最後まで生真面目であまり変化がないので、
その辺りはもう一工夫欲しいところです。
メインは間違いなく優香さんで、
男性陣は2人でそれぞれの人格を演じるのに対して、
彼女は1人で2つの人格を演じるのですが、
魅力的ではあるものの、
エロチックなところが欠片もないので、
その点も少し中途半端に感じました。
ただ、その辺は興行的な理由も、
おそらくはあったように思います。
この作品の裏設定は「ロッキー・ホラーショー」ではないでしょうか。
歌はないものの生演奏の伴奏や効果音が入り、
インチキ怪奇ミュージカル的な雰囲気は、
似通っていますし、
あの作品でも黒幕は金髪の助手で、
貞節な女性が怪人に感化されて淫乱に姿を変える点も同じです。
「ヤング・フランケンシュタイン」も入っているように思います。
この作品はミュージカル化した方が、
納まりが良いように思われ、
海外でも受けそうな感じがします。
三谷さんはその辺りのことを、
もう既に考えているのかも知れません。
小品のように見えて、
意外に今後の展開が用意されているのかも知れませんね。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から何となく悶々として、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
三谷幸喜の意外に久しぶりの舞台の新作が、
今東京芸術劇場で上演中です。
三谷さんの芝居には、
大人数でスケール感のあるものと、
少人数でミニマルな感じのものとの2つの系統があり、
今回はキャストは4人のみで、
上演時間も休憩なしの1時間40分程度ですから、
ミニマルな系統の物に属します。
二重人格物の古典として一般にも広く知られている、
「ジキルとハイド」を下敷きにして、
原作の設定が実は嘘だった、
という三谷さんならではの着想から、
1場の軽快な喜劇に仕立てています。
悪くないのですが、
あまりに万人向けの作品にし過ぎていて、
毒気が欠片もないのが、
個人的には物足りなく感じます。
三谷さんの良い時のように、
笑いが連鎖してゆかないのも、
あまり書いていて乗らなかったのかな、
という印象を持ちました。
キャストは概ね好演ですが、
愛之助さんも藤井隆さんも、
正直能力全開という感じの熱演ではありません。
優香さんは今回のメインで、
彼女の描き方には三谷さんのパーソナルな拘りが、
潜んでいるように思いました。
非常に魅力的に演出されていましたが、
ちょっとお行儀が良過ぎて、
食い足りない感じは残ります。
演出はいつもながらのソツのないものですが、
もっと怪奇味や意外性があっても良いと思います。
壁にズラリと並んだフラスコなどのビジュアルは、
この間の新国立の「死の都」ですね。
以下ネタばれがあります。
「ジキル博士とハイド氏」は、
スティーブンソンの中編くらいの長さの小説で、
温厚で篤実なジキル博士という科学者が、
何故かハイドという粗暴で残虐な男と関わりを持っていて、
ハイドをかくまっているように見えるので、
それは何故なのか、という謎を主軸にした、
一種のミステリー小説です。
それが実はジキルとハイドが同一人物で、
ジキル博士の研究が、
人間の心の中の善悪を分離することだった、
という真相は、
所謂「意外な結末」だったのですが、
今ではジキルとハイドは、
二重人格の代名詞となってしまっているので、
今の読者がこの本を読んでも、
かつてのようなラストの驚きを、
感じることは出来ないのです。
この原作が知れ渡った要因は、
1つには何度も映画化されたことにあります。
映画においては、
人間が同じように演じては面白くないので、
ハイドを怪人のように描くことになり、
特殊メイクが使用されたりして、
一種のモンスター映画の扱いになりました。
それと同時に、
ジキル博士に恩人の娘の許嫁がいて、
彼女がハイドのために恐怖を味わう、
というような入れごとが追加されました。
実際には原作にはそうした恋人は登場せず、
これは映画の付け足しなのです。
更に最近ではブロードウェイミュージカル化され、
そこではジキル博士が学会などから迫害を受けるような、
政治的なドラマまで追加されました。
今回の作品の基本的な設定は、
概ねミュージカル版の「ジキル&ハイド」がベースになっていて、
片岡愛之助演じるジキル博士が、
ハイドに変身する新薬の学会発表の直前に、
実はその薬が失敗で、
それをどうにか取りつくろうために、
売れない役者の藤井隆を雇い、
彼に変身後のハイドを演じさせようとします。
そこにジキル博士の許嫁の優香がやって来て、
ハイドの姿を見られてしまうので、
発表でのお芝居を、
優香の前で演じる羽目になります。
と、実は優香も奔放で淫乱な一面を隠していて、
自分でも効かない薬を飲むと、
別人格に変貌して騒動になる、
という筋立てです。
もう1人の登場人物は迫田孝也演じる博士の助手で、
実は彼が全ての黒幕のようにも見えます。
肩の凝らない愛すべき小品といった感じの作品で、
たとえば「笑いの大学」で俎上に載せられる台本のような、
軽演劇のスタイルを実践したもののようにも思えます。
失敗した研究を成功に見せかけようとする、
というのは、
STAP細胞を彷彿とさせて、
実際にそれを意識したギャグもあります。
ただ、勿論作品が構想されたのは、
STAP騒動より前なので、
捏造自体がテーマという訳ではありません。
「ジキルとハイド」をこのようにパロディにするのは、
さすがに三谷幸喜という感じで面白いのですが、
彼の良い時に付き物の、
人間関係の逆転劇が、
この作品ではあまり見られないのが、
やや物足りなくは感じます。
特に主人公のジキル博士のキャラが、
最初から最後まで生真面目であまり変化がないので、
その辺りはもう一工夫欲しいところです。
メインは間違いなく優香さんで、
男性陣は2人でそれぞれの人格を演じるのに対して、
彼女は1人で2つの人格を演じるのですが、
魅力的ではあるものの、
エロチックなところが欠片もないので、
その点も少し中途半端に感じました。
ただ、その辺は興行的な理由も、
おそらくはあったように思います。
この作品の裏設定は「ロッキー・ホラーショー」ではないでしょうか。
歌はないものの生演奏の伴奏や効果音が入り、
インチキ怪奇ミュージカル的な雰囲気は、
似通っていますし、
あの作品でも黒幕は金髪の助手で、
貞節な女性が怪人に感化されて淫乱に姿を変える点も同じです。
「ヤング・フランケンシュタイン」も入っているように思います。
この作品はミュージカル化した方が、
納まりが良いように思われ、
海外でも受けそうな感じがします。
三谷さんはその辺りのことを、
もう既に考えているのかも知れません。
小品のように見えて、
意外に今後の展開が用意されているのかも知れませんね。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2014-04-26 08:13
nice!(23)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0