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診療報酬により医療を変えようとする愚劣さを考える [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は雑談、と言うより愚痴のようなものです。

いつとは言えませんが、
ある時に、関わっている施設から連絡があり、
本日入所されている高齢者のご家族に、
病状の説明をして欲しい、という依頼がありました。

その患者さんの状態は、決して良いものとは言えませんでした。

所謂老衰に近い状態で、
特にこれといった基礎疾患はないのですが、
徐々に食事が取れなくなって、
点滴をしながら経過を見ている状態でしたが、
次第に寝ている時間も多くなっていました。

しかし、その状態は基本的にはここ数カ月変化はなく、
3ヵ月ほど前にご家族には一度病状のご説明をしていました。

それなのにどうして今もう一度説明を、
それも今日すぐ、というようなタイミングで、
行なわないといけないのでしょうか?

疑問には思いましたが、
僕のような立場の医者は、
命じられたことを淡々とこなすしか生きる術はないので、
シンプルに「分かった」と言いました。

何故僕は説明を繰り返す必要があったのでしょうか?

実は次のような理由がありました。

施設には看取り加算というものがあって、
ご高齢の患者さんを家にいるように最後までケアをすると、
それを評価して施設に入るお金が増えます。
ご本人の自己負担も当然増えます。

この看取り加算には規定があって、
誓約書のようなものにご家族のサインをもらわないといけないのですが、
そのためにはまず、
主治医が病状を説明するという段取りが必要なのです。

看取り加算というもの自体嫌な言葉ですが、
このようなものがあるのは、
病院ではなく施設での看取りを増やそう、
という国の方針があるのです。

介護保険も医療保険もそうですが、
たとえば「施設の看取りを増やしたい」というような目論見があると、
「それじゃ、看取りをする施設は報酬を増やして、
看取りをしない施設は報酬を減らせば、
少しでも報酬を増やそうと施設はするので、
看取りが増えるだろう」
というように考え、
そうした報酬の改定を行なうのです。

施設はそのために、
看取り加算を取る要件として、
僕にご家族への説明を命じた訳です。

こういう手続きの意味しかない仕事というのは、
虚しさを感じさせます。

そもそも、社会保障の方向性を、
お金を増やしたり減らしたりすることで、
達成しようという手法はどうでしょうか?

個人的には愚劣な方法のように思います。

来年の4月には診療報酬の改定があり、
そのための議論が現在行なわれています。

それに関して次のような記事がありました。

口から食事を取ることが困難になった患者さんのために、
胃に穴を開けて、直接チューブで栄養を胃に注入する、
胃ろうという方法があります。

12月11日に診療報酬の改定を議論する、
中央社会保険医療協議会という会議があり、
そこで胃ろうの取り扱いを巡って議論があったのだそうです。

その中では、
患者の生活の質を損なわない観点から、
不必要な「胃ろう」の導入を控える取り組みを、
医療機関に促していくことで一致したとされました。

ふーん。不必要な「胃ろう」を控えるべきと言うのですか。

それだけなら勿論異論はありません。
そもそも「不必要」なのですから、
それが明らかであれば、
やらないに越したことはありません。
しかし、実際には必要であるどうか、という判断は、
非常に難しく、ガイドライン的なものは先日公開されましたが、
その記載も極めて曖昧で模糊としています。

それを一体どのようにして達成するのかと言うと、
まず胃ろうの造設に当たっては、
口から食べることが出来ない状態であるかどうかを、
十分検証することを要件とし、
一方で胃ろうの取り外しに当たっては、
積極的に取り組んでいる医療機関には診療報酬を引き上げる方針である、
ということのようです。

この文章を皆さんがお読みになると、
もっともで妥当な要件だ、
と思われるかも知れません。

ただ、これをより現実的に考えると、
まず胃ろうが必要がどうかの検討を、
どのように行なうのかが問題となります。

通常診療報酬でこうした要件を決める場合、
これこれの検査をするとか、
どれだけの期間を置いて食べることの困難さを確認するとか、
研修を受けた職員がいることとか、
そうしたことが条件となり、
それを事前に届け出て、
実際に患者さんに検討を行なった場合、
その記録をしっかり残すことにより、
胃ろうの診療報酬を請求することが可能となる、
ということになります。

検査の機器が指定されれば、
それを買わなければいけませんし、
研修を受けた医師や看護師などがいなければ、
その養成も必要となります。

勿論こうした要件にはそれなりの意義はあるのです。
たとえば、ガイドラインとしてこうしたことを決めることは、
診療をより適切に行なうために必要なことです。

しかし、実際には患者さんの状態は様々で、
そうした検討が是非必要な患者さんもいれば、
そうした検討をするまでもない、
という病態の方もいます。
更には患者さんのご家族を含めた環境や、
その医療機関の医療資源の状況によって、
現実的にはガイドライン通りの判断が、
困難なケースもあります。

たとえば、
胃ろうが必須とまでは言えないけれど、
経口摂取を継続的に行なうことは非常に困難で、
その適応自体はあり、
胃ろうが増設されれば施設入所が可能となるけれど、
そうでない場合には、
在宅に戻るより他に選択肢がなく、
ご家族は施設入所を強く希望している、
というようなケースでは、
胃ろう造設はご家族のためには意味のあることですが、
診療報酬の改定が行われれば、
こうした患者さんは胃ろうの適応にはならず、
行き場を失う可能性があります。

問題はつまり、
ガイドラインではなく診療報酬としてこうした要件が決まると、
その強制力は非常に大きなものになり、
患者さんの環境要因など、個々の患者さんの状況の違いに、
きめ細かく対応することは、
不可能になる、と言う事実です。

胃ろうの閉鎖についても、
同じことが言えます。

胃ろうの閉鎖に積極的に取り組んでいる医療機関の、
診療報酬を増額する、という方針が示されています。

胃ろうというのは、
胃壁の一部をお腹の壁に固定して、
そこに穴を開けて管を挿入することによって行われますが、
管を抜いてしまえば、
左程の時間が経たないうちに穴は塞がってしまいます。

従って、胃ろうを閉鎖すること自体は、
病院でなくても何処でも出来る、
簡単な処置で可能なのです。

しかし、胃ろうを塞いだからと言って、
お体が元の状態に戻る、
という簡単なものではありません。

胃壁とお腹の皮膚が癒着した状態自体は、
そのままで残りますから、
胃ろうは抜けても胃の動きはそれまでより低下します。

また、その時点で患者さんが口から食事を取ることが可能であっても、
そもそも胃ろうの適応とされたように、
経口摂取に問題がある患者さんなのですから、
その後再び胃ろうが必要となるような、
言葉を変えれば胃ろう造設の適応となるような、
状態になることは高い確率で想定されます。

しかし、一度胃ろうを閉じていますから、
現実的にはもう一度胃ろうを造ることは不可能です。

一般の方で誤解をされている方も多いかと思いますが、
胃ろうを造設していても、
口から食事を取ることは可能です。
ボタン型の胃ろうというのは、
その穴を保持するストッパーのようなものですから、
そのままお風呂にも入れますし、
日常生活はそのままで全て可能です。

胃ろう以外の人工栄養法である、
経鼻の胃管や中心静脈栄養の方が、
遥かに生活の制限が大きく、
合併症も多いのですが、
あまりそうしたことは一般の方には知られていません。

胃ろうの閉鎖に積極的に取り組んでいる医療機関は、
確かにその院内においては、
適切できめ細かい患者さんの指導やリハビリなどが行われ、
患者さんに持続的な経口摂取を可能にするかも知れません。

しかし、その患者さんが在宅に戻ったり、
施設に入所したりすれば、
その環境は大きく異なり、
同じようなケアの継続が困難となれば、
すぐに患者さんの状態は悪化して、
胃ろうを含む人工栄養の実施が不可欠となる事態が予想されます。

それでは、そうした時に、
元の医療機関が援助をしてくれるでしょうか?

そんなことは絶対にありません。

こうした診療報酬の改定に欠けているのは、
患者さんの医療を継続的に捉える、
と言う視点なのです。

慢性疾患で寝たきりのような患者さんや、
癌の末期の患者さんは、
ベルトコンベアーに載せられるように、
医療機関や在宅、施設を移動する存在です。
そのように規定しているのも診療報酬の体系自身です。
ある病院に長期間入院していると、
診療報酬を減らすようなシステムを作っているからです。
しかし、より高次の医療機関には、
より高いケアの水準を要求し、
それに対して高い診療報酬を設定しているにも関わらず、
その患者さんが施設に移った時に、
ケアの水準が大幅に低下するということに、
配慮するという視点がまるでありません。

何故こうしたことが起こるかと言えば、
厚労省や診療報酬を決めている偉い皆さんにとって、
個々の患者さんは点としてしか存在してはおらず、
時系列に沿って連続しているその患者さんの人生を、
そのままに捉えるという視点がないからです。

患者さんは医療機関や施設の、
「附属物」としてしか認識されていないのです。
ですから、その医療機関に附属している間は、
規定通りのケアが受けられても、
そこから排除されれば、
同じ患者さんとは認識されないのです。

現行のプラン通りに胃ろうに関わる診療報酬の改定が行われれば、
面倒な胃ろうの造設をする医療機関は、
確実に減少します。
そして、一部の「良心的な」医療機関は、
積極的に胃ろうの閉鎖を行ないます。

従って、これにより間違いなく胃ろうの患者さんの数は減少し、
診療報酬を決めている皆さんや厚労省の皆さんは、
我々の適切な指導により、
胃ろうという不必要な手技が減少したと、
胸を張るに違いありません。

しかし、その裏で確実に行き場のない寝たきりの患者さんは増え、
そのご家族が重い介護の負担に苦しむことになるのは、
これも間違いのないことに僕には思えるのです。

何が間違っているのでしょうか?

僕の個人的な意見はこうです。

間違っているのは診療報酬のシステムそれ自身なのです。

ある行政の施策を実現するために、
それに都合の良い施設の診療報酬を増やし、
都合の悪い施設の診療報酬を減らすようなやり方は間違っているのです。

個々の医療機関や施設は点で存在しているのではなく、
ある患者さんの1つのかけがえのない人生において、
その時間軸にそれぞれ別個に関わっているからです。

問題はその継続性をしっかり担保するように、
診療報酬のシステムは構築されるべきだ、ということなのです。

不適切な胃ろうを造らせないようにする、
という方針は誤りではありません。
しかし、それで診療報酬をいじくるのであれば、
食事が自力で取れなくなった患者さんをどうするか、
という根本的な問題を、
点ではなく線で考える発想が必要です。
胃ろうを造ることなくそうした患者さんを、
特別養護老人ホームのような施設でケアすることは、
現実的には多くの場合に不可能なのです。
それでは、在宅でみられるのでしょうか?
現行の介護保険のシステムの中で、
どれだけの時間を食事介助に割けますか?
充分な時間の確保は不可能です。
それではご家族にそれを強いるのでしょうか?
それが可能なご家族はごく少数だと思います。
長期療養型の病院で、
そうしたきめ細かいケアが可能でしょうか?
もし可能であるとすれば、
それは現行の診療報酬で想定される数倍の労力を、
ボランティアで行なう献身的なスタッフの犠牲により、
贖われる性質のものではないでしょうか?

以前にも書きましたが、
現行の胃ろうは一種の必要悪なのです。

その一番のメリットは、
ご家族や施設の職員の労力が、
他の方法と比較して少なくて済む、
ということにあるからです。

それを人間性の否定だとして、
排除することは簡単です。
きれいごとだけなら、幾らでも言えるのです。
しかし、そうするだけでは、
問題の根本的な解決にはならないのです。

医療のデザインを、
トータルに良いものにしていこう、
と言う視点がなければ、
そうした臭い物には蓋の発想は、
悪い結果を生むだけだからです。

僕が最も嫌悪するのは、
行政の担当者や診療報酬の改定に当たっている専門家の、
おそらくは全員が、
胃ろうというものの性質が、
そうした必要悪であることを分かっていながら、
そこには触れずにきれいごとの議論だけで改定作業を行なっている、
その偽善的な態度そのものなのです。

皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 3

bpd1teikichi_satoh

Dr.Ishiharaとても興味深い内容の記事何時も有り難う御座います!爺は、医師ではありませんが、かって医学部の基礎に在籍
していた事もあって、考えさせられました。そもそも医学は、
仁術で医療従事者は、常に患者のQOLを上げる事を考えるべき
で、その方法は個々の患者に最も適した医療がベストなのですが
どうしても、健康保険の審査から画一的に計算されがちです。
人間的に暖かい医療が今必要なのではないでしようか?
by bpd1teikichi_satoh (2013-12-24 10:16) 

ゆうのすけ

=☆ I WISH YOUR HAPPY MERRY CHRISTMAS!! ☆= ^^♪~
by ゆうのすけ (2013-12-24 18:52) 

北岡

今回の内容にかなり、医療に携わる者として考えさせられるものでした。
事実、認知があり在宅では老老介護状態であり、病院と施設を行ったり来たりしてる患者さんは大変多く、環境が変わることで、患者さんは不穏になることも少なくなく、その症状?状態を治療?する目的で薬が処方される。
とても矛盾を感じる事が多い日々です。しかし、自分の立場にて、なかなかにその矛盾点に的確な提案や責任が持てない知識の無さも痛感しています。勉強をしよう。。 石原先生、いつも刺激となる内容をありがとうございます。
by 北岡 (2013-12-28 07:22) 

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