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著作権の話 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

昨日はちょっとお酒を飲んだので、
朝はまだしんどかったのですが、
それでも7時に駒沢公園まで出掛け、
少し走ってストレッチもどきと腕立て伏せ(のようなもの)などをして、
帰って来ました。

今日は日曜日なので雑談的な話です。

唐突ですが、著作権というのは、
何か胡散臭いものだと思います。

「著作権侵害だ!」と言われると、
何か非常に動揺しますよね。
これは「差別だ!」と言われるのと、
非常に似たところがあります。

しかし、ある集団や人間を差別することと、
著作権を侵害するのとは同じことでしょうか?

とても同じこととは思えません。

それでは、何故言われた人は同じように感じるのでしょうか?

それは両方の言葉とも、
一般の人間にとっては、
それを聞いた瞬間に思考停止に陥るからです。

その先を考えては危険だ、
と思わせるのは、
それがある種の「死の機械」に繋がっているように、
思えるからです。

つまり、差別的な言葉を口にしたり、
著作権を侵害したりした瞬間に、
その人はその「死の機械」に首を突っ込んだのであり、
突っ込んだ時点でそこから逃げることは不可能で、
上に吊るされたギロチンが、
ストンと落ちるとあなたは一巻の終わりになるのです。

こんな機械は現実には存在しません。

しかし、あなたの頭の中には存在しているのです。

あなたはあなたの心の中では、
自由だ、と感じているかも知れませんが、
それは概ね嘘で、
あなたはあなたの心の中でさえ、
実は自由ではありません。

あなたの頭の中の迷路には、
幾つものトラップがあり、行き止まりがあって、
安っぽい門が造られ、
そこにはカフカの小説のような門番がいて、
「この門の向こうに行くと、
おまえさんは死の機械に首を突っ込むことになるぜ」
と警告を受けるのです。

これはあくまであなたの頭の中だけのことです。

しかし、ある特定の人間、
権力というものの構造を知り尽くしている人間は、
あなたの頭の中には死の機械があることを知っていて、
それを巧みに利用するのです。

人が人の心を操って、
世界各地で暴動を起こさせたり、
テロを起こさせたりするのは、
概ねそうした心の仕掛けによるものです。

すいません。
ちょっと話が逸れましたので元に戻します。

著作権という言葉が、
あまりに連呼されると、
何かうんざりしますし、
その言葉が胡散臭いものに思えて来ます。
 
でも、これは多分、
僕が何の著作権も持っていないから、
そう思うのかも知れません。

僕が何かの著作権を手にしたら、
必死で著作権を擁護する側に廻るかも知れません。
いや、間違いなくそうすると思います。
人間とは多分そういう生き物です。
ですから、これはそういう考えとして聞いて下さい。
著作権の恩恵を受けていない側から考えると、
こういうように思える、という話です。
ちなみに、僕は変節することを悪いこととは思いません。
自分の考えを変えない、というのは、
何も考えない、というのにちょっと似ていると思うからです。

さて、著作権とは何でしょうか?
人間が自分の創造したものを守る権利、といった所でしょうか?

たとえば僕が歌を作って、
それを自分の著作物として、
僕以外の全ての人間に、
お前はこれを聞くためには、金を払えよ、俺に頭を下げろよ、
と命令する、ということでしょうか。

これは何か傲慢な気がしませんか。

文化とは何でしょうか?

共有することに意義があるのではないですか?

素晴らしい歌が生まれたら、
その素晴らしさを、
多くの人が共有するべきではないのでしょうか?

そこに個人の権利が介在するのは良いことでしょうか?
権利とはそもそも何でしょう。
色々な考え方はありますが、
少なくとも僕たちが今暮らしている社会において、
その意味するところはお金ですよね。
つまり、著作権を行使するという行為は、
新たに誕生した歌という、
素晴らしい人間の共有の財産の周りに、
お金の垣根を巡らす、という行為になる訳です。

ちょっと強引な考え方でしょうか。

ここに、素晴らしく美しい花を咲かせる、
世界に1本しかないという美しい木があるとします。

その花はある時までは、
近隣の全ての人が自由に見ることが出来たのですが、
ある時、その木の周囲には柵が設けられ、
その柵の中に入るには、
入場料が必要になりました。

その木の生えている土地の持ち主が、
その木の価値を守るためには、
入場料を取るべきだと判断し実行したのです。

その木に今花が咲いているのは、
その地主の努力があったからで、
その土地にその木が生えている以上、
その木の持ち主は自分である、
というのがその理由でした。

この話のポイントはこうです。
入場料を取るという目的がなければ、
柵は造られなかったのです。
しかし、現実に柵が造られれば、
それは多くのトラブルを生む原因となるのです。

著作権というのはつまりこうしたものです。

自分の創造物を皆と共有することなく、
エゴイズムの柵を巡らす行為です。

戦争はどうして起こるのでしょうか?

多分、こうしたお金のための柵を巡らす行為と、
同じ類の心の働きからではないでしょうか?
著作権というものがしばしば人々の争いの種になるのは、
この考え方がそもそもそうした争いを生む原因を持っているからです。

しかし、「戦争反対!」と叫ぶ藝術家はゴミのように沢山いますが、
「著作権反対!」と叫ぶ藝術家は1人もいません。
しかし、この2つのスローガンは、
そう違うものとは僕には思えないのです。
つまりエゴイズムの臭いがプンプンとする、
と言う意味合いにおいては、非常に良く似ているのです。
勿論自分のエゴや財産は後生大事に守りながら、
「戦争反対!」と叫んでも一向に構いません。
しかし、それで戦争は絶対になくなりませんし、
そのちょっとしたやましさを、
そう叫ぶ藝術家は心の何処かで感じるべきではないかと、
僕は思います。

エーリッヒ・フロムの本を読むと、
理想的な社会では、
文化は全て共有されるもので、
私有財産がないと共に、
そうした権利も存在しないと書かれています。
良い歌をある人が作れば、
それはその集団の財産となり、
皆がその歌を楽しみます。
そして、皆にその歌が共有されることは、
その歌を作った人間にとって、
何にも勝る喜びになるのです。

つまり、著作権というのは私有財産のおまけみたいなものです。

本来は創造や藝術の価値というものは、
そうした安っぽい著作権というような仕組みで、
守られるものではないし、
もっと多くの人に共有され、
高められるものでなくてはならないのです。

著作権の必要性は分かります。

しかし、それは如何にも資本主義的なエゴイズムの産物です。

才能のある藝術家でありながら、
それを当然の人間の権利のように主張する方が多いのは、
僕には悲しむべきことのように思えます。

創造とかと、偉そうに言う人がいますね。

俺が造ったんだ、とか。
ただ一行の文章を、「俺のコピーだ」とか。
一枚の一筆書きみたいなイラストを、「俺のキャラクターだ」とか。

しかし、そもそも純粋な創造など、人間に出来るのでしょうか?

多分著作権を行使して裁判を起こしたりする人は、
それを信じているんでしょう。
創造とか、オリジナリティとか。

しかし、99パーセントの著作物は、
所詮は誰かの真似なのではないでしょうか。
少なくても何らかの影響は受けているのではないでしょうか。
文化というのはそもそもそうした積み重ねのことを、
本来意味している筈です。
残りの1パーセントは真の創造に近いもので、
それを別の言葉で藝術という訳ですが、
それを造った人間は、
多分それを自分の創造だ、
何て、おこがましいことは決して言わないと思います。
何て言うでしょう?
多分「神の所業」です。
勿論、人によって言い方は違うでしょうけどね。
「俺が造ったんだ、俺のもんだ、俺の感性だ」なんて、
オレオレ詐欺みたいなことは、
真の藝術家は決して言わない筈です。

プラトンのイデア論というのがありますね。
現実の形象は、所詮はイデアの世界の影だと言うのです。
我々はその実体を見ることは出来ない。
ただその影を、藝術という形で表わすに過ぎないのです。
優れた創作とは、イデアに近い、と言う意味です。
オリジナルなんて人間の頭からは出て来やしないのです。
それを、「俺が造った」なんて、何と傲慢でおこがましいことか。

でも、そうは言っても、藝術家だって生きていかないといけない。
霞を食べてる訳にもいかない。
そして、悲しいかな、
村上春樹の言い方を借りれば、
高度資本主義社会に暮らす以上、
藝術家すら著作権という汚物を仕方なく手に取り、
それを金に換えて、生活の糧にしない訳にはいかないのです。

僕の今日言いたかったことはこうです。
著作権というのは財産権の1種で、
本来は藝術家が軽蔑すべき、
卑小なエゴイズムの産物です。
しかし、その下らない仕組みでしか、
その生活が守られないのが、
資本主義の社会における藝術の地位であり、
哀れさなのです。
人間の文化的創造というもの、
藝術家の創作活動というものは、
著作権などという仕組みからは、
本来自由であるべきなのに、
それが成されていないのが、
僕には一番の問題だと思いますし、
多くの著作権者と呼ばれる方々が、
そのことを忘れているのは悲しむべきことだと思うのです。

今日は著作権というものの、
僕の感じるいかがわしさについての話でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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midori

著作権でお金が生まれる,ということを前提にした考え方は疑問ですが,
世の中には,他人の作ったものを「オレが作った」と主張してやまない
面の皮の厚い人たちがいますからね.
(何年か前に,お隣の国のお涙ちょうだいものの映画を観て,
 テーマ曲が名曲で,しかもどこかでゼッタイ聴いている有名な曲で,
 くだらない映画だったけど最後まで観てエンドロールに,
 テーマ曲の作者にお隣の国の人の名前があり,なんだか納得がいかず,
 帰ってネットで調べたら,N●Kの朝の連続ドラマのテーマ曲で,
 日本の有名な作曲家の作品でした.
 「著作権侵害だ!」と非常に頭にきた覚えがあります.)

by midori (2010-09-19 15:13) 

Y.T

うーん・・・
そこらへんの制度を勉強してる身としては、微妙な気分がします。。。
権利があっても行使する人ばかりではないですしね。
創作者(純粋な100%の創作であるかどうは別として)に敬意を払う方が少なく、更に金儲けにも利用したりするから、守るために制度が必要になるのでは。。。
しかし、某漫画家さんが、某歌手を訴えたときは、それまでその漫画家さんの作品は好きでしたが、「アホか」と思いましたので、程度問題な気もします。
by Y.T (2010-09-19 19:05) 

みぃ

そう言えば、息子が中学生の時に、夏休みの宿題として、全国子供映像科学コンクールに出品いたしました。 子供が撮ったビデオのバックがラウンドミューズックに、使った数曲の内、1曲が著作権侵害に当たる事が分かり、大変苦労したのを覚えています。 大変古いゲーム音楽だったのですが、提出した作品が、優秀賞として、選考されたために、大変ハラハラ致しました。
事情を説明して、何とかゲーム会社にやっと許可を得たのですが・・・・、許可が下りるまで、本当に苦労致しました。
by みぃ (2010-09-19 19:41) 

yuuri37

子供の頃、Walt Disneyの話を読んだことがあります。彼の考えたキャラクターが大変人気になり、喜んでいると会社が著作権を取って、彼は、自分のキャラクターが使えなくなり、失意のどん底に。妻にささえられ、妻の助言で、ミッキーを世に送り出した(詳しくは覚えてないし、ちょっと違っているかもしれませんが)。世界で最も著作権にうるさいと言われるDisney。この話を読んだとき、何か新しい物を創造したら、すぐに登録しないと痛い目に合うんだ。そして著作権を侵害してはいけないんだ。と小学生の私は単純に思ったことを覚えています。
そして、中学3年生の時、コミケに行って同人誌を手にしたとき、これって訴えられないの違法でしょうと思いショックを受けました。大学生になり、先輩にそのことを話し、「日本って遅れてるよね。著作権もなにもない。文化程度が低いんじゃん」と話すと。
「何をおっしゃいますか。漫画は日本の文化ですよ。世界に誇れる数少ない日本の文化。優れてるが故に著作権などと騒ぐ必要はないんだよ。今となっては芸術の域に達してると僕は思っている。コミケを経験している漫画家もたくさんいるし、そこで育っていくんだよ」
「???・・・はあ」
「僕は、ディズニーは嫌いだ。レオは手塚治虫のオリジナルだよ。君もそう思うだろう?」
「分かりません」
「はあ!?お前、手塚治虫の様になりたいって言ってたじゃないか。勉強しろよ・・・」
そのとき、だめだこの大学の漫研は、私にあわないと思いました。先輩の言ってることが理解できませんでした。でも、今、先輩の言いたかったことが分かったような気がします。
長々と失礼しました^^;
by yuuri37 (2010-09-19 23:45) 

いっぷく

変節しないことは何も考えないことですか?
そうかなー
何年間もヘアスタイルも変わらない友人を
「つまらない人だな」と思っていたら
これだけ流行が激しい中で、変える誘惑に負けない
ということは凄いことなんだと別の友人に言われて
なるほどと思ったことがあります。

人間とは間違いうる存在であり、
それを本能的に分かっています。
つまり、自分に自信がないものです。
だから嫉妬もコンプレックスもある。
そして流されやすい。
もちろん、逆に頑迷になる場合もありますが
「変節しないこと」というのは、
少なくとも頑迷なだけでなく、葛藤の末に変えないという
積極的な場合もあると思います。
by いっぷく (2010-09-20 03:00) 

fujiki

midori さんへ
コメントありがとうございます。
確かに確信犯のパクリは腹が立ちますね。
ただ、そうした人は確信犯なので、
これは倫理や道義の問題であって、
法律があろうとなかろうと、
彼らは同じことをするのではないかと思います。
それにそうした人を日本の法律は、
殆ど裁くことは出来ないですよね。
著作権で叱られるのは、
概ねその作品を愛している、
もっとまっとうな人か、
それとも全くの無知な人か、
どちらかのような気がします。
by fujiki (2010-09-20 11:50) 

fujiki

Y.T さんへ
コメントありがとうございます。
法律には全く詳しくはないので、
的外れがあったら申し訳ありません。
「泥棒」の取り締まりは是非やって欲しい、
と思う反面、
「著作権侵害」という言葉は、
権力者や他人をいたぶる時の道具に、
しばしば都合良く使われるような気がします。
by fujiki (2010-09-20 11:54) 

fujiki

みぃさんへ
コメントありがとうございます。
そうですね。
そういう営利目的でないものには、
あまり目くじらを立てるのはおかしな気がします。

by fujiki (2010-09-20 11:56) 

fujiki

yuuri37 さんへ
コメントありがとうございます。
僕もその先輩の意見には概ね賛成です。
大人の事情で振りかざすのは、
汚いという気がするからです。
by fujiki (2010-09-20 11:59) 

fujiki

いっぷくさんへ
コメントありがとうございます。
言われることは良く分かります。
僕は1つのポリシーを守ることを、
良くないこととは思いません。
僕はただ、毎日新しく生まれている、
と思いたいので、
当たり前に信じていることでも、
それがいつも同じだとは思わず、
自分の考えを毎日確認するべきではないか、
と思うだけです。
毎日自分のポリシーを確認することは、
勿論常に考えていることで、
変節しないのは考えていない、
と言う言い方は、
ちょっと誤解を招く表現だったと反省しています。
by fujiki (2010-09-20 12:08) 

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