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B君と予言のノートの話 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日も診療所は休みです。

昨日は神奈川の実家に戻りました。
今日は1日のんびりしているつもりです。

今日の内容も、フィクションとしてお読み下さい。

僕が大学1年の時、
たまたま同じ下宿に同級生のB君がいました。
下宿代は月15000円ですから、
そう高額ではありませんでしたが、
廊下の板はギシギシと歩く度に軋み、
隣の音は丸聞こえの築20年は経っている二階屋で、
トイレは共同で風呂はありません。
それを考えれば、当時としても割高な感じはしました。
一階は大家さんの母屋でしたが、
ぎょろ目で鬼瓦のような顔をしたご主人が、
1日でも家賃を入れるのが遅れると、
「てめえ、どういうつもりだ」
と血相を変えて怒鳴り込んで来ます。
医学生が下宿するのに、
とても見合った環境とは言えませんでした。

B君は背の高い好青年という印象で、
いつも笑顔を絶やしません。
やや甲高い声で話をします。
礼儀正しく、板が軋む廊下で僕の顔を見ると、
自分から快活に声を掛けて来ます。
地元の出身で、その口調には、
独特のまろやかな訛りがありました。

B君はこのように温厚な性格で、
その上テニス部に所属するスポーツマンでもありました。
学業の成績も概ね良好です。

そんなB君が、
珍しく感情を露にしたことが一度だけありました。

確か夏の終わりの頃だったと思いますが、
大家さんが下宿生と一緒に夕食をしようと声を掛けて来て、
たまたまその時下宿にいた僕とB君の2人が、
呼ばれて大家さん一家と夕食を共にしたのです。
どういう話の展開だったのかは忘れてしまったのですが、
大家さんが今の世の中と昔との違いについて、
何か喋っていて、それに対して、
話を向けられた僕とB君とが、
それぞれ自分の意見を話したのです。
B君はまあ、如何にも優等生的な一般論を述べ、
僕はちょっといつもの変わった話をしました。

大家さんは僕の話を気に入ってくれて、
「お前は若いが、世の中のことが良く見えてる」
と言いました。
すると、いつもは温厚なB君が、
その時ばかりは顔を真っ赤にして大家さんに対し、
「それは僕が世の中のことを分かっていない、という意味ですか」
と半ば喧嘩腰に大家さんに言い募ったのです。
「そうは言わねえがな、俺くらいの年になると分かることもあるのよ」
と大家さんが言うと、
「分りましたよ。要するに、あなたは僕より石原君の方が好きなんですね」
と言うなり、B君はすっくと立って、
そのまま出て行ってしまいました。

何となく一瞬気まずい空気が漂いました。
ただ、大家さんという人は、
そんなことを気に掛けるタイプではありません。
B君の後を追おうとする僕を制して、
「まあ、放っとけよ」
と言うとまた話し始めました。
僕は結局タイミングを失い、
その場に留まったのです。

夕食が終わり、大家さんと別れてから、
僕は二階のB君の部屋に行き、
ドアをノックしました。
何となく謝りたいような気分になったのです。
ところが、B君はいないようで返事はありません。
ノブを握ると、部屋に鍵は掛かっていませんでした。

何故、B君の部屋に入ろうと思ったのか、
今ではよく分かりません。
本来はそんなことをするべきではなかったのです。
でも、すいません。
現実にその時僕は勝手にB君の部屋に入ってしまったのです。
部屋の中はまだ夕陽が差していて、
中を見て取るだけの明るさはありました。

大きさは4畳半一間ですから、
見渡せばただそれだけです。
B君の姿はありませんでした。
奥の窓際に小さな机があって、
その上に1冊の大学ノートが置かれています。

ノートの表紙にマジックで表題が書かれていて、
「B君の人生を成功させるためのノート」
という文字が見えました。

これもまた僕の懺悔になります。
僕は誘惑に抗い難く、
そのノートを覗いて見てしまいました。

まず最初のページに、
B君と思しき人物の、
漫画風のイラストがあり、
一番上に「これが世界一素晴らしいB君の全てだ!」
と書かれていました。
イラストのB君はポーズを取って笑顔を見せていて、
そこには多くの矢印で、
各部分の解説が添えられています。
たとえば、口に書かれた矢印には、
「この笑顔にメロメロにならない女はいない。
その白い歯は全女性の憧れの的だ」
みたいな文句が並んでいます。

続いて次のページをめくると、
年表形式で、生まれてからB君の人生に起こったことが、
年代順に書かれています。
ちなみにその年の項目には、
「地元の○○大学医学部に、一発合格。
素晴らしいキャンパスライフが始まる」
との記載がありました。
「世界一素晴らしいB君」にとって、
地方の国立大学はちょっと役不足のような気もしますが、
その書き方では、特に不満ではないようです。

驚いたことに、その年表にはB君の未来も書かれていました。
「未来日記」の先取りのような部分もあったのです。
それによると、25歳で素晴らしいパートナーと結婚。
27歳でノーベル賞級の発見をして、
海外に招待され、留学することになっています。

ノートにはまだ続きがありましたが、
さすがにちょっと怖くなった僕は、
そこでノートを閉じ、部屋を後にしました。

翌朝、いつものように廊下でB君に会い、
いつものように挨拶を交わしました。
前夜のことにはお互いに触れませんでしたし、
B君の態度も普段と変わりはありませんでした。

B君は1年で下宿を去り、
僕とB君とは殆ど交流はなくなりました。
同学年とは言え、クラスも分かれていたので、
それほど交流の機会はなかったのです。

僕がB君のノートに再び出会ったのは、
大学を卒業して3年ほど経った頃のことです。

僕の所属していた科の患者さんが、
集中治療室に入ることになり、
医局員が交代で集中治療室に泊り込むことになったのです。
ある夜当番になった僕が、
二段ベッドが左右に並ぶ当直室に入ると、
たまたま目の前のベッドの上に置かれた、
馴染みのある大学ノートが目に入ったのです。
まさかと思って裏返して見ると、
「B君の人生を成功させるためのノート」
と間違いなく書かれています。
僕とは別の科に入局していたB君も、
たまたまその日泊まりの日だったのです。

再び僕は誘惑に駆られ、
ノートの中に目を通しました。

僕がいつもそのように、
勝手に他人の持ち物を盗み読みするような人間だと、
思われると困るのですが、
僕は基本的にそうした人間ではないつもりです。

ただ、皆さんも想像してみて下さい。
ほぼ10年ぶりにそのノートに再会して、
中を見る欲求に逆らえる人がいたら、
教えて欲しいと思います。

ノートの1ページ目のイラストは、
元のままでした。
B君は社会人になったその時まで、
自分の人生の理想像を、
ノートに書き綴っていたのです。
ただ、年表を見ると、
その記載は現実に合わせて修正が加えられていました。
一年後に教授を仲人にした結婚式が、
盛大に行なわれる予定になっていました。
これは現実の予定なのか、
まだ架空のものなのかは、よく分かりません。
続いて、2年後には助教授に昇進する予定になっていました。
B君の年齢であれば、異例の抜擢である筈です。
ただ、ノーベル賞級の発見、というのは消されていて、
それはより現実的な目標に修正されたのだと思われました。

その夜B君に会うことはありませんでした。

そしてまた、月日が流れました。

B君が急死したとの連絡を受けたのが、
数年前のことです。
その更に数年前に癌が発見され、
闘病を続けた後に、
まだ40代前半の若さで亡くなったのです。

あのノートを、B君は最後まで付けていたのでしょうか。
世界一の人生を生きるという決意を持って生き続けたB君は、
病の床でそのノートをどのように締め括ったのでしょうか。
B君のことを考えると、
僕は人生の残酷さのようなものを感じます。

B君があのノートを、
どのくらいの秘密にしていたのか、僕には分かりません。
無雑作にあちこちに置かれていたところを見ると、
ひょっとしたら、友達には見せていたのかも知れません。

僕は本来はこんなことを書くべきではないのかも知れません。
ただ、今思い返して見ると、
僕が2回あのノートを見たことが、
僕にはどうしても偶然のようには思えないのです。
この話を何処かに書いておくことが、
B君のためにもなるような気がして、
今日ここに書くことに決めました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 2

さすらいの

なぜか無性に心に滲む文です。
by さすらいの (2009-08-14 15:36) 

fujiki

さすらいのさんへ
コメントありがとうございます。
人生は色々な意味で不思議ですね。
by fujiki (2009-08-15 07:12) 

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