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「ある男」(石川慶監督映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ある男.jpg
平野啓一郎さんの長編小説が、
気鋭の映像作家石川慶監督により映画化されました。

石川監督の作品は、
ミステリーを超えたスタイリッシュで異様な世界が印象的だった、
「愚行録」で興味を持ち、
次の「蜂蜜と遠雷」は安っぽい感動ドラマ的企画を、
非常に高度な技巧と繊細な演出によって、
一段高いレベルの作品に仕上げた力量に感心しました。
ただ、「アーク」はインチキSF映画のような凡庸さで、
同様の企画とも言える「PLAN75」の、
足元にも及ばない出来栄えでガッカリさせられました。

今回の作品は「アーク」よりかなり持ち直した感じ。
ただ、映像や構図への完璧な拘りのようなものは、
今回はあまり感じませんでした。
今回はまあ原作の文章による心理描写を、
映像で表現するというところに妙味があり、
演技陣の頑張りもあって、
その試みはかなり成功していたように思います。
ただ、映像的なカタルシスには乏しいいので、
鑑賞後の気分としては、
今一つ、という感じが残りました。

以下、原作と映画のネタバレを含む感想です。

原作の小説は非常に面白く、
映画も予備知識なく観るか、
原作を読んだ後で観た方がより楽しめるので、
その点はご注意の上お読みください。

これは原作を先に読みました。

これね、明治の文豪みたいな小説なんですね。
最初が「この物語の主人公は、私がここしばらく、親しみを込めて「城戸さん」と呼んできた人物である。」という始まりなんですね。
これはモロに漱石の「こころ」でしょ。

そうした細部だけではなくて全体がそうで、
主人公は弁護士ですが、
描き方は「高級遊民」という感じなんですね。
その主人公が「自分とは何か」ということで苦悩するんですね。
それを描いてゆくタッチも、
明治の文豪風の手さばきなのです。

言ってみれば、これは平野さんが、
「もし明治の文豪が今生きていたら、どんな小説を書くだろう」
という想定のもとに、
書き上げた小説のように感じました。

従って、多くの部分は主人公の弁護士の、
心理の流れの描写に割かれているんですね。
その合間に誰とも知らない男と再婚して死別した、
里枝という女性の心理描写が差し挟まれるという構成です。

石川慶監督は「愚行録」でも主人公に妻夫木聡さんを起用していて、
何を考えているのか分からない、
不気味な感じを出しているんですね。
この時は原作をかなり改変していて、
主人公が唐突に行動を起こして、
観客はショックを受けたのですが、
今回は全く同じように妻夫木さんが登場しながら、
今度はその佇まいと微妙な表情や姿勢の変化だけで、
原作の心理描写を再現しようとしているんですね。

そんなことが出来るのかしら?

結論的にはかなりの部分まで出来ていて、
それがこの映画の最も見事なところだと思います。

原作を読んでから映画を観ると、
主人公の妻夫木さんのパートと、
安藤サクラさん演じる里枝のパートは、
ほぼ忠実に原作を再現しているんですね。
安藤さんはまだ子供とも対話があるので、
1人心理描写はそれほど多くないのですが、
妻夫木さんは殆どが1人心理描写なので、
非常に難易度が高いのですが、
妻夫木さんの身体に過る光と影の効果と、
その微妙な佇まいと表情の僅かな変化が、
その心理の綾と、心の中の葛藤を、
鮮やかに映像化している点には感心させられます。

映像的に優れているのは、
素性不明の男を演じた窪田正孝さんで、
原作ではこの人物の心理は説明はされないので、
このパートに関しては、
窪田さんの鬼気迫る熱演も含めて、
その存在の凄みは原作を遥かに超えていたと思います。

妻夫木さんと窪田さんの対象的な2つの名演を味わうだけで、
充分元は取った、という気分になる映画です。

一方で映画では仲野太賀さんと清野菜名さんが演じている、
旅館の次男坊を巡る人間関係については、
原作では充分な分量が割かれていて、
特に清野さんの役柄は、
原作全体のマドンナと言っても良いのですが、
そのニュアンスも変えられて、
出番も少ないものになっています。
太賀さんと妻夫木さんの役柄が、
原作ではラスト近くで長く対峙するのですが、
そのパートは完全に映画では削除され、
昔の恋人が再開するのを妻夫木さんが見守るという、
原作とは真逆の場面に変更されています。

これは仕方のなかったことかも知れませんし、
ひょっとしたら、
サブストーリーとして別に公開するつもりなのかしら、
というように思わなくもありませんが、
結果として何故太賀さんの役柄が自分を捨てるまでに追い込まれたのか、
兄弟の仲が悪いのは何故なのか、
という物語の下支えになる部分が、
不明瞭に終わってしまったという弊害があったように思います。

これは原作ではきっちり書き込まれている部分なのです。

原作は一歩間違うと漱石の「それから」に、
なりそうな感じがあるんですね。
でもそうはならないで終わるのですね。
今回石川監督は、
敢くまで原作に忠実な作品を作る、
という前提であったと思うので、
原作にも登場するマグリットの絵を効果的に使用し、
原作の導入の部分をラストに再現することで、
主人公が他人と入れ替わりたいと願うひと時の心の揺らぎを、
暗転で時間を断ち切るという、
是枝監督的手法で、
原作を変えずに映画的ラストを成立させるという、
これも結構な離れ業に成功しています。

その意味でラストは凝りに凝っているのですが、
多分原作を未読で映画を観ると、
そのニュアンスは観客には届き難かったのではないかと感じました。

そんな訳で石川監督の技巧と、
俳優陣の見事な演技が楽しめる力作で、
非常に面白い映画でしたが、
石川監督作品のファンとしては、
もっと原作から自由であっても良かったのではないかしらと、
ちょっとモヤモヤする部分を感じる映画でもありました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんは良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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