舞台版「残酷歌劇ライチ光クラブ」(2015年河原雅彦演出版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が診療の予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
元々は東京グランギニョルが1985年に上演した舞台を、
2006年に古屋兎丸さんがオマージュとして漫画化し、
それを原作として再び舞台化され、
来年は映画公開も控えている「ライチ光クラブ」が、
鹿殺しの丸尾丸一郎さんの台本と、
河原雅彦さんの演出で、
残酷歌劇と銘打って、
今原宿で上演されています。
グランギニョルの初演は、
僕は観ていません。
2012年に江本純子さんが台本・演出に当たった公演があり、
好評であったようですが、
それも未見です。
要するにあまり興味はなかったのですが、
漫画はなかなか迫力があって面白く、
小劇場の舞台がその記憶の中で、
20年後に漫画にリニューアルされて、
それが更に再度新しい舞台になる、
という特異な経緯も面白く、
今回はちょっと興味を持って観に行くことにしました。
結論としては、
漫画の原作に忠実な舞台で、
如何にも丸尾丸一郎さんという台本、
そして如何にも河原雅彦さんという演出の作品です。
原作はドラマとしては非常に面白く、
ラストのカタストロフ(大虐殺劇)の段取りも、
極めて巧みに出来ているので、
これはもう、そのままやれば一定の面白さは、
ほぼ確保されると言っていいのですが、
それ以上の面白さが、
舞台化によって引き出されたかと言うと、
そこまでは言えない結果になっていました。
ミュージカル仕立てになっているのですが、
なかなか曲も良く、
「ロッキー・ホラー・ショー」のような雰囲気で、
作品世界を邪魔していません。
ダンス・パフォーマンス集団が共演していて、
それなりに面白いダンスなのですが、
3人の女性のパフォーマーが、
配役もはっきりせずにうろうろしているのは問題だと思いました。
特に最後に殆どの登場人物が殺し合うカタストロフがあるのですが、
その場面でも3人のパフォーマーが生きて踊っているのは、
役柄の位置付けも不鮮明なので、
まずいと思いました。
一番の問題は、
過激でグロテスクな舞台にするのか、
それともスタイリッシュな舞台にするのか、
その辺りが不鮮明であることで、
おそらく丸尾さんと河原さんのコンビとしては、
もっと過激な舞台にしたかったのではないか、
と推測するのですが、
若手の男優さんを集めて、
女性客の多い客席では、
そこまで過激にすることも出来ず、
血しぶきは飛ぶもののあまりリアルな感じではなく、
性描写もぼんやりとしか描かれません。
最後に水が出たりしますが、
今更な感じですし、
薔薇の処刑であるとか、
ライチ畑が炎に包まれて2人の少年が大やけどを負う場面など、
原作漫画の肝となる部分が、
凡庸にしか描かれていない点にも失望します。
それでいて、
泥臭くもあり、
スタイリッシュな感じにはなっていないので、
何処か中途半端な感じが残るのです。
この作品にはフランケンシュタインの怪物を思わせる、
機械人間が登場しますが、
グランギニョルの初演では嶋田久作が演じた役柄を、
ダンサーの男性が演じていて、
これも違和感がありました。
これはもう間違いなく嶋田久作さんへの当て書きなので、
ちょっと大柄なだけのダンサーが、
この役を演じても面白みがないのです。
僕の勝手な推測ですが、
グランギニョル版の「ライチ光クラブ」のイメージの元ネタの1つは、
唐先生の「少女都市」で、
そこでは少女を捕らえて肉体をガラスに変えようとするマッドサイエンティストを、
麿赤児さんが演じていて、
その奇怪な怪物としての姿が、
この機械人間の原点だと思います。
そうした怪物としての存在感がないと、
この役は成立しないと思うのです。
そんな訳で漫画をなぞっただけの、
やや段取り的な芝居になっていたことは残念でした。
これなら漫画を読めば充分だと感じてしまいました。
漫画版の方が、
ずっと過激でエロチックで、
危ないロマンチズムに溢れた怪作であるからです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が診療の予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
元々は東京グランギニョルが1985年に上演した舞台を、
2006年に古屋兎丸さんがオマージュとして漫画化し、
それを原作として再び舞台化され、
来年は映画公開も控えている「ライチ光クラブ」が、
鹿殺しの丸尾丸一郎さんの台本と、
河原雅彦さんの演出で、
残酷歌劇と銘打って、
今原宿で上演されています。
グランギニョルの初演は、
僕は観ていません。
2012年に江本純子さんが台本・演出に当たった公演があり、
好評であったようですが、
それも未見です。
要するにあまり興味はなかったのですが、
漫画はなかなか迫力があって面白く、
小劇場の舞台がその記憶の中で、
20年後に漫画にリニューアルされて、
それが更に再度新しい舞台になる、
という特異な経緯も面白く、
今回はちょっと興味を持って観に行くことにしました。
結論としては、
漫画の原作に忠実な舞台で、
如何にも丸尾丸一郎さんという台本、
そして如何にも河原雅彦さんという演出の作品です。
原作はドラマとしては非常に面白く、
ラストのカタストロフ(大虐殺劇)の段取りも、
極めて巧みに出来ているので、
これはもう、そのままやれば一定の面白さは、
ほぼ確保されると言っていいのですが、
それ以上の面白さが、
舞台化によって引き出されたかと言うと、
そこまでは言えない結果になっていました。
ミュージカル仕立てになっているのですが、
なかなか曲も良く、
「ロッキー・ホラー・ショー」のような雰囲気で、
作品世界を邪魔していません。
ダンス・パフォーマンス集団が共演していて、
それなりに面白いダンスなのですが、
3人の女性のパフォーマーが、
配役もはっきりせずにうろうろしているのは問題だと思いました。
特に最後に殆どの登場人物が殺し合うカタストロフがあるのですが、
その場面でも3人のパフォーマーが生きて踊っているのは、
役柄の位置付けも不鮮明なので、
まずいと思いました。
一番の問題は、
過激でグロテスクな舞台にするのか、
それともスタイリッシュな舞台にするのか、
その辺りが不鮮明であることで、
おそらく丸尾さんと河原さんのコンビとしては、
もっと過激な舞台にしたかったのではないか、
と推測するのですが、
若手の男優さんを集めて、
女性客の多い客席では、
そこまで過激にすることも出来ず、
血しぶきは飛ぶもののあまりリアルな感じではなく、
性描写もぼんやりとしか描かれません。
最後に水が出たりしますが、
今更な感じですし、
薔薇の処刑であるとか、
ライチ畑が炎に包まれて2人の少年が大やけどを負う場面など、
原作漫画の肝となる部分が、
凡庸にしか描かれていない点にも失望します。
それでいて、
泥臭くもあり、
スタイリッシュな感じにはなっていないので、
何処か中途半端な感じが残るのです。
この作品にはフランケンシュタインの怪物を思わせる、
機械人間が登場しますが、
グランギニョルの初演では嶋田久作が演じた役柄を、
ダンサーの男性が演じていて、
これも違和感がありました。
これはもう間違いなく嶋田久作さんへの当て書きなので、
ちょっと大柄なだけのダンサーが、
この役を演じても面白みがないのです。
僕の勝手な推測ですが、
グランギニョル版の「ライチ光クラブ」のイメージの元ネタの1つは、
唐先生の「少女都市」で、
そこでは少女を捕らえて肉体をガラスに変えようとするマッドサイエンティストを、
麿赤児さんが演じていて、
その奇怪な怪物としての姿が、
この機械人間の原点だと思います。
そうした怪物としての存在感がないと、
この役は成立しないと思うのです。
そんな訳で漫画をなぞっただけの、
やや段取り的な芝居になっていたことは残念でした。
これなら漫画を読めば充分だと感じてしまいました。
漫画版の方が、
ずっと過激でエロチックで、
危ないロマンチズムに溢れた怪作であるからです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2015-12-26 07:51
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