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木ノ下歌舞伎「黒塚」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

本日2本目の演劇の記事になります。

今回はこちら。
黒塚.jpg
まだ30代の木ノ下裕一さんが、
歌舞伎を現代的に大胆にアレンジし、
木ノ下歌舞伎と銘打った上演を精力的に続けています。

その代表作の1つとして再演された「黒塚」を、
東京駒場のアゴラ劇場に観に行きました。

昔からアングラや小劇場の方は、
意外に歌舞伎台本が好きで、
「演劇」として歌舞伎台本を上演する、
という試みは、これまでにも多く行われています。

その中には花組芝居のように、
歌舞伎が本当に好きで、
それを小劇場テイストをまぶして自分達なりに上演しよう、
というような集団もありますし、
純粋に歌舞伎の台本のみを、
今上演されている歌舞伎の演出とは別箇の形で、
上演しよう、という試みもあります。

前者は基本的に現行の歌舞伎自体を評価していて、
後者はむしろそれを批判している、
と言う点が異なります。

現行の歌舞伎演出を批判し、
それを台本から再生しよう、
というような試みは、
早稲田小劇場の鈴木忠志さんが、
理論的な意味ではその嚆矢であったように思います。

早稲田小劇場の舞台では、
南北の台詞が、
全く別個の状況の中で、
白石加代子によって披露されました。

また、蜷川幸雄も何度か東海道四谷怪談を、
原作の台詞のままに、歌舞伎ではない演出で上演しています。
現行の歌舞伎が真の意味で南北の台本を活かしていない、
という批判的な主張がその上演の裏にはありました。

現行の歌舞伎演出の多くは、
明治時代に成立したもので、
そのため明治にも活躍した河竹黙阿弥の台本などは、
上手く咀嚼されていますし、
江戸時代から一定の節回しで伝承がされてきた、
義太夫狂言なども良いのですが、
江戸後期の鶴屋南北の世話物などは、
その台詞を実際に当時どのように喋っていたのか、
と言う本質的な部分が不明なので、
現行の歌舞伎の演出には、
多くの問題があり、
この江戸時代の台本を、
現代に継承して上演するに際して、
最良のものとは到底言えない、
という事実があるのです。

しかし、そうした批判的な趣旨で上演された歌舞伎台本は、
概ね歌舞伎の現行演出より退屈で、
貧相でダラダラしていて耐え難いことが通例です。

僕は正直小劇場で新演出された歌舞伎台本を元にした舞台を、
面白いと思ったことは一度もありません。

従って、この木ノ下歌舞伎は、
観た方の感想は100%絶賛の嵐なのですが、
小劇場の感想など、
観客の1%の絶賛(含社交辞令)と、
99%の無視からなるのが通例なので、
信用はあまりしていませんでした。

観た感想としては、
最初の掴みは素晴らしくて、
30分くらいは本当にワクワクしながら観劇しました。

それが中段の歌舞伎の設定を活かした場面が、
やたらと勿体を付けていたので、
ちょっと「おやおや」と言う感じになり、
お涙頂戴の壮大な入れごとが始まったので、
「やめてよ、そういうことだったの」
と思い、
歌舞伎のパクリの身体演技が、
キレキレだったのでちょっと感心し、
ラストは意外に忠実に原作をなぞっていたので、
これじゃやる意味があまりないな、
と少し落胆した終わりになりました。

そんな訳で満足はとても出来なかったのですが、
こうした小劇場の歌舞伎読み替え公演としては、
これまでで最も楽しめました。
最初はとても面白いです。
それから役者さんは5人とも抜群です。

以下ネタばれを含む感想です。

「黒塚」は二代目猿之助(今の猿翁の父)が、
昭和の初期に作った能を元にした舞踊劇で、
歌舞伎としては新しい、新舞踊劇に属するものです。

能の黒塚を原作として、
西洋の舞踊などの動きも参考にして創作された、
当時としては非常にモダンな作品です。

従って、原作自体がそう古いものではないので、
それを「現代的に読み替える」ということには、
それほどの面白みがあるようにも思えません。

原作は3場に分かれていて、
1場は能の雰囲気で展開され、
2場は新舞踊的に薄野原で、
老婆が心情を託した踊りを披露し、
3場では裏切られて悪鬼と化した、
隈取り姿の老婆と高僧達との荒事的な対決になります。

これを今回の上演では、
高僧達の一行を、
現代の若者の「自分探しの旅」的な雰囲気であしらい、
一方の悪鬼である老婆は、
原作に近い雰囲気で対比させています。

このバランスがなかなか面白くて、
一種の世代間対決というような風情もあり、
僕には1場が一番楽しめました。

最初に道に迷った体で劇場の外から声が聞こえ、
とぼけた会話が続くのも楽しいですし、
老婆の古語と高僧達の現代語が、
スムーズに通じてしまうのも面白いのです。

老婆の動きも、
能掛かりかと思うと、
急に素早く梯子を駆け登ったりと、
意表を突いています。
糸繰りの歌が有名なヒット曲に変貌するギャグも、
原作のカセットテープとの掛け合いで過去を物語る、
という小細工にも味があります。

ここまではつまり、
能のアレンジとして面白いのです。

その後は2場の薄野原になります。
原作では広大な薄野原をバックに、
幽玄な老婆の舞踊が見せ場になっているのですが、
今回の上演ではその踊りの要所は、
かなり丹念にコピーしながら、
その裏にある老婆の過去の悲劇と、
そこからの心象風景を、
高僧達を演じる役者さんと一緒になって、
小劇場的小芝居として演じます。
その後はラップの曲で老婆の心情が歌われます。
原作の新舞踊を一種のミュージカル化しているのです。

木ノ下さんの発言などを読むと、
原作では鬼となった老婆の心理が説明不足なので、
それを別個の民話や謡曲などを参考にして創作し、
付け加えたのだ、ということのようです。

しかし、このような如何にも理屈っぽい説明を、
過剰に積み重ねることを
本当に古典の再発見のように言って良いのでしょうか?

原作は単なる舞踊劇なので、
老婆が鬼女になった理由などは、
あまり本質的ではなく、
それを入れると作品がくどくなるので、
あっさり省略しているのです。

それは原作の様式から来る必然なので、
別に欠点ではないと思います。

そんなことは木ノ下さんも当然理解している筈なのに、
敢えて「説明不足」のような批評をしているのです。

その辺りが僕にはちょっとずるく感じます。

僕が不満なのは、
この2場が説明に次ぐ説明で、
そこに更に原作の踊りのコピーが入るので、
かなりくどくゴタゴタしている、
と言う点にあります。

もっとスマートにミュージカルにしてしまった方が、
良かったのではないでしょうか?
何か説明をした上で、
踊りをじっくり踊る、というのは、
僕には屋上屋を重ねるようで退屈に感じました。

ご存じのように、
当代猿之助の「黒塚」の2場の舞踊は絶品で、
現在上演されている歌舞伎舞踊の、
頂点にあるものの1つです。

それを半端になぞるような場面が、
それも結構長くあるのは個人的には頂けません。

両者を観比べた方の感想として、
原作の世界がより深く理解出来た、
というようなものが複数あり、
そうした感想を持たれる方が多いのであれば、
結果として歌舞伎の観客の裾野も広がることになり、
良いことなのかな、と思わなくはありません。

ただ、僕はこうした説明過剰は、
古典劇というものの魅力とは別物で、
それをむしろ削ぐものなので、
あまりするべきことではないような気がするのです。

そもそも踊りの途中で回想シーンを入れるという発想自体が、
演劇としては一番まずい手のように思います。

今回の上演はこの2場に最も力点があって、
3場の鬼女と高僧達との対決は、
時間も短く、極めてあっさりと描かれます。

鬼と言っても隈取りをするのではなく、
黒いラインを眉の間に1本引くだけです。
それでまず鬼女のみで原作の殺陣をなぞり、
それから今度は高僧達と一緒に同じ殺陣を披露します。

原作もこの対決の場面はあっさりしていて、
やや残念な印象があるのですが、
今回の上演はより淡泊で、
かつ新しい発想はなく原作の殺陣をなぞっているだけなので、
非常に物足りなく感じました。

その前の見現わしは、
場内を暗転して懐中電灯でキャストがあちこちを照らすという、
天井桟敷的演出です。
ただ、せっかくなのに完全暗転ではありませんでした。

まず、鬼女に隈取りも仮面も付けないのだとすれば、
別個の方法で「鬼」を表現する方法がなければいけないと思うのです。
しかし、そうした工夫はなく、
舞台には老婆はいても、
鬼はいなかったように思います。

また、高僧達と鬼女との対決こそ、
色々なアレンジが可能なパートだと思うのですが、
そうした工夫が何もなかったのは残念に感じました。

総じて発想は面白いのですが、
2場を再構成することに拘り過ぎて、
全体のバランスを欠く結果になったように思います。
2場はもっと圧縮して、
原作の振り付けは完全になくし、
ミュージカルとラップで表現してしまった方が、
よりすっきりまとまったのではないでしょうか?
その代り、活劇はもっと盛り上げる余地があったように思います。

キャストは抜群です。

老婆も高僧も良く、
強力は原作にもあるアクロバティックな振りを、
よりブレイクダンス的に演じるのですが、
歌舞伎の所作が入るのも面白く、
肉体のキレも抜群でした。

長い歌舞伎台本の全編上演もしていて、
それはちょっと観なくても良いかな、
と思うのですが、
秋には近松劇が予定されていて、
木ノ下歌舞伎の近松芝居は、
ちょっと楽しみな気もします。

近松劇こそ、
かつてどのように演じられていたのかが、
音楽も含めて全く不明の、
だからこそ自由な演出による再構成が、
可能な台本だと思うからです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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