東京・春・音楽祭「ラインの黄金」 [オペラ]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から診察室の片付けなどして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
最近充実したラインナップで、
春一番の楽しみと言っていい「東京・春・音楽祭」の、
メインの公演であるワーグナーの「ラインの黄金」が、
先日上演されました。
ワーグナーの「ラインの黄金」は、
楽劇「ニーベルングの指環」4部作の第一作で、
「ワルキューレ」、「ジークフリード」、「神々の黄昏」と続きます。
このうち「ワルキューレ」は最も人気が高く、
単独で上演されることも多いのですが、
それ以外の作品は、
チクルスと呼ばれる短期間での連続上演か、
毎年1作品ずつのように連続上演されるのが一般的です。
この「ニーベルングの指環」は、
数あるオペラの中でも、
矢張りちょっと別格的な作品です。
その上演時間の長さも膨大ですが、
特にチクルス形式の上演で、
「神々の黄昏」のクライマックスである、
英雄ジークフリードの死の場面に至った時の、
身の毛がよだつような戦慄的な衝撃は、
他のオペラ作品では、
まず間違いなく得られない類のものです。
今回の上演は同じ指揮者の元で、
毎年1作品ずつの上演を行なって、
4年で完結しようというもので、
今回は第一作の「ラインの黄金」が、
演奏会形式で上演されました。
オペラの上演は、
セットや特殊効果、衣装なども揃えた本式のものと、
演奏会形式と言って、
同じ舞台にオケと歌手が並び、
音楽のみを演奏する上演とがあります。
演奏会形式は主に、
予算などの関係で本式の上演が困難な場合に行われますが、
通常本式の上演ではオケはピットの中に入りますから、
演奏者の姿は殆ど見えず、
音もより小さく不明瞭になります。
従って、付けられた音楽を純粋に楽しむには、
むしろ演奏会形式の方が適している、
という考え方も出来るのです。
また、本式の上演よりはチケット代が安くなるのも、
観客としては嬉しいところです。
演奏会形式の一番の欠点は、
演劇としてのオペラの側面が犠牲にされ、
どのような場面が上演されているのかが、
分かり難くなってしまうことです。
もう1つ細かく言うと、
音の配置が元々オペラの舞台を想定して作曲されているので、
演奏会形式では歌手や楽器の配置が難しい、
という点があります。
これは大編成の場合は結構問題で、
今回は一部の歌手の配置を変えて処理してましたが、
PAを使って一部は音のバランスを調整していたように思います。
しかし、こうした欠点はあっても、
多くのクラシックファンの方がそうだと思いますが、
本式の上演で同じ演目を何度か聴くと、
むしろ演奏会形式の方が音楽に専念出来て、
好ましく思うことがあります。
特に最近は昔の話なのに、
無理矢理現代に読み替えた演出や、
具体物の殆どない抽象的な演出などが横行しているので、
こんなものならない方が余程まし、
という気分になるのです。
ワーグナーの「ニーベルングの指環」には、
巨人や小人や神様や大蛇の怪物などが登場しますから、
何となく本式の舞台の方が面白そうに思いますが、
実際には、
たとえば小人と巨人が同じ舞台に立って話をする、
という場面があっても、
所詮は同じ歌手が演じるので、
一方が竹馬みたいな台の上にいたりする程度が関の山で、
そう面白いことには滅多にならないのです。
これを面白くしようとすると、
巨人は巨大な作り物で処理して、
歌はマイクで流すような演出になり、
それでは何のための生声のオペラなのか、
本末転倒になってしまいます。
ワーグナーは動きを意識せずに、
音楽を付けているのではないかと思います。
2人で歌うような場面は矢鱈と長いのに、
大蛇と闘うような場面に付けられた音楽は、
凄く短く淡白で、
これじゃ戦いようがないじゃん、
と言う感じなので、
どの演出でもバタバタと取って付けたように、
慌ただしく戦いが終わってしまうのです。
概ねそんな感じなので、
特にこの「ラインの黄金」のような上演頻度の低い作品は、
演奏会形式の方が落ち着きが良いような気がします。
今回の上演は非常に充実したもので、
ワーグナーに定評のあるヤノフスキの指揮に、
ウィーンフィルのコンマスを迎えたN響が応え、
原譜の指示通りに6台のハープが舞台上に並びます。
N響がいつもの繊細さはそのままに、
時に荒々しい演奏で、
巨大な生き物のような音の壁を屹立させます。
歌手陣も実力本位の豪華な布陣で、
特にアルベリヒを歌ったコニエチュニーが、
これまでのアルベリヒのイメージを変えるような、
力押しの強力な歌唱で、
舞台に神々の世界のパワーゲームを現出させました。
短い出番のエルダにクールマンというのももったいないくらい豪華です。
皆気合が入っていて、
役に成り切って、魂を入れて歌っているので、
舞台セットなどなくても、
全然不満に感じることはありませんでした。
客席の熱気もなかなかでしたし、
来年の「ワルキューレ」も、
本当に今から楽しみです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から診察室の片付けなどして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
最近充実したラインナップで、
春一番の楽しみと言っていい「東京・春・音楽祭」の、
メインの公演であるワーグナーの「ラインの黄金」が、
先日上演されました。
ワーグナーの「ラインの黄金」は、
楽劇「ニーベルングの指環」4部作の第一作で、
「ワルキューレ」、「ジークフリード」、「神々の黄昏」と続きます。
このうち「ワルキューレ」は最も人気が高く、
単独で上演されることも多いのですが、
それ以外の作品は、
チクルスと呼ばれる短期間での連続上演か、
毎年1作品ずつのように連続上演されるのが一般的です。
この「ニーベルングの指環」は、
数あるオペラの中でも、
矢張りちょっと別格的な作品です。
その上演時間の長さも膨大ですが、
特にチクルス形式の上演で、
「神々の黄昏」のクライマックスである、
英雄ジークフリードの死の場面に至った時の、
身の毛がよだつような戦慄的な衝撃は、
他のオペラ作品では、
まず間違いなく得られない類のものです。
今回の上演は同じ指揮者の元で、
毎年1作品ずつの上演を行なって、
4年で完結しようというもので、
今回は第一作の「ラインの黄金」が、
演奏会形式で上演されました。
オペラの上演は、
セットや特殊効果、衣装なども揃えた本式のものと、
演奏会形式と言って、
同じ舞台にオケと歌手が並び、
音楽のみを演奏する上演とがあります。
演奏会形式は主に、
予算などの関係で本式の上演が困難な場合に行われますが、
通常本式の上演ではオケはピットの中に入りますから、
演奏者の姿は殆ど見えず、
音もより小さく不明瞭になります。
従って、付けられた音楽を純粋に楽しむには、
むしろ演奏会形式の方が適している、
という考え方も出来るのです。
また、本式の上演よりはチケット代が安くなるのも、
観客としては嬉しいところです。
演奏会形式の一番の欠点は、
演劇としてのオペラの側面が犠牲にされ、
どのような場面が上演されているのかが、
分かり難くなってしまうことです。
もう1つ細かく言うと、
音の配置が元々オペラの舞台を想定して作曲されているので、
演奏会形式では歌手や楽器の配置が難しい、
という点があります。
これは大編成の場合は結構問題で、
今回は一部の歌手の配置を変えて処理してましたが、
PAを使って一部は音のバランスを調整していたように思います。
しかし、こうした欠点はあっても、
多くのクラシックファンの方がそうだと思いますが、
本式の上演で同じ演目を何度か聴くと、
むしろ演奏会形式の方が音楽に専念出来て、
好ましく思うことがあります。
特に最近は昔の話なのに、
無理矢理現代に読み替えた演出や、
具体物の殆どない抽象的な演出などが横行しているので、
こんなものならない方が余程まし、
という気分になるのです。
ワーグナーの「ニーベルングの指環」には、
巨人や小人や神様や大蛇の怪物などが登場しますから、
何となく本式の舞台の方が面白そうに思いますが、
実際には、
たとえば小人と巨人が同じ舞台に立って話をする、
という場面があっても、
所詮は同じ歌手が演じるので、
一方が竹馬みたいな台の上にいたりする程度が関の山で、
そう面白いことには滅多にならないのです。
これを面白くしようとすると、
巨人は巨大な作り物で処理して、
歌はマイクで流すような演出になり、
それでは何のための生声のオペラなのか、
本末転倒になってしまいます。
ワーグナーは動きを意識せずに、
音楽を付けているのではないかと思います。
2人で歌うような場面は矢鱈と長いのに、
大蛇と闘うような場面に付けられた音楽は、
凄く短く淡白で、
これじゃ戦いようがないじゃん、
と言う感じなので、
どの演出でもバタバタと取って付けたように、
慌ただしく戦いが終わってしまうのです。
概ねそんな感じなので、
特にこの「ラインの黄金」のような上演頻度の低い作品は、
演奏会形式の方が落ち着きが良いような気がします。
今回の上演は非常に充実したもので、
ワーグナーに定評のあるヤノフスキの指揮に、
ウィーンフィルのコンマスを迎えたN響が応え、
原譜の指示通りに6台のハープが舞台上に並びます。
N響がいつもの繊細さはそのままに、
時に荒々しい演奏で、
巨大な生き物のような音の壁を屹立させます。
歌手陣も実力本位の豪華な布陣で、
特にアルベリヒを歌ったコニエチュニーが、
これまでのアルベリヒのイメージを変えるような、
力押しの強力な歌唱で、
舞台に神々の世界のパワーゲームを現出させました。
短い出番のエルダにクールマンというのももったいないくらい豪華です。
皆気合が入っていて、
役に成り切って、魂を入れて歌っているので、
舞台セットなどなくても、
全然不満に感じることはありませんでした。
客席の熱気もなかなかでしたし、
来年の「ワルキューレ」も、
本当に今から楽しみです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2014-04-12 08:36
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コメント(2)
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Dr.Ishihara爺はワーグナーの大ファンで、本当はドイツバイロイト
音楽祭に行きたい処ですが、8年先まで予約が一杯との事で諦めました。然し、2002年にベルリン国立歌劇場日本公演で「ニーベルングの指輪」全4夜を視聴出来たのは非常に嬉しかったです!
爺も「ラインの黄金」を視聴したかったです・・・・・定例会で行けませんでした。
by bpd1teikichi_satoh (2014-04-18 10:31)
bpd1teikichi_satoh さんへ
2002年の上演は私も聴きましたが、
素晴らしかったですね。
今年の新国立のオープニングは、
「パルジファル」で同じクプファーの新演出になるので、
ちょっと期待出来るかも知れません。
来年の「ワルキューレ」はかなり期待出来るので、
必聴だと思います。
by fujiki (2014-04-19 08:34)