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柿食う客「無差別」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は祝日で診療所は休診です。

ちょっと買い物に出掛けて、
今戻ってPCに向かっています。

間違いなく日本存亡の危機ですが、
こうして無為に日々を過ごしているのが、
何とも言えない虚無的な気分です。
軽率なことは言えませんし、
言ってどうにかなるものでもなく、
ただ自分で行動することもなく、
訳知り顔に何かを言う人には、
自分を何処かに置いて、
無性に腹が立ちます。

信頼していた人が、
都合が悪くなると、
巧みに逃げる感じというのは、
本当に嫌なものですが、
こうしている時にも、
必死で何かを守ろうとしている人を、
心密かに応援すること以外には、
何もすることがありません。

1日は始まり、
そしていつものように暮れていきますが、
それが明日も続く保障は何処にもありません。

いつでも一般の人達は、
何も分からずただただその1日を、
自分なりの規範を持って、
自分なりに必死に生きるよりないような気がします。
そして1日の最後に、
頑張った自分を静かに褒めてあげましょう。

中途半端な情報は毒で、
それを流すメディアや、
メディアぶった人達を、
憎む気持ちは日に日に強くなります。
中途半端な情報や、
不正確な情報は要りません。
扇動するつもりなら、
もっとしっかり扇動して下さい。
洗脳するつもりなら、
100%洗脳して下さい。
後から全てあなたのせいに出来るように。
もし本当に正確な情報を発信しようとしているなら、
命懸けでやって下さい。
どうせ死ぬなら教えないで殺してくれ、
という感じです。

1ヶ月くらい前からは、
一切テレビは見ることを止めました。
ネットのニュースも勿論見ません。

気を取り直して、
もう夕方ですが今日の話題です。

今日はこちら。
無差別2.jpg
中屋敷法仁の作・演出による、
彼主催の劇団「柿食う客」の新作公演を見て来ました。

結成7年目で、
こういう言い方は失礼かも知れませんが、
中堅どころの小劇場だと思います。

この辺りのポジションは物凄く微妙で、
よりメジャーになるには、
小劇場のままではいけませんし、
一方で変に媚びてメジャーになろうとするより、
自分達の積み上げて来たものを、
愚直に守る姿も素敵に思えます。

演劇というのは、
かなりその上演する場所に、
影響を強く受ける様式なので、
小さな空間で濃密な芝居を上演していた劇団が、
比較的大きな劇場で芝居をすると、
一気に詰まらなくなるのもよくあることですし、
賢くその空間に合わせて、
演出も演技も変更すると、
それはそれで面白いのですが、
昔の小空間の舞台とは別物になるので、
過去の公演が懐かしく思えるのもよくあることです。

「柿食う客」は、
本公演を見るのは今回が初めてです。
少し前にパルコ劇場でプロデュース公演があって、
その「露出狂」という舞台がまあまあだったので、
意外と面白いかも、
と思って今回足を運んでみました。

大袈裟な設定を、
少人数のキャストで、
筋は皆で語りながら進めて展開を簡素化し、
モダンダンス風のダンスも取り入れながら、
小道具や大道具はあまり使用せず、
役者の肉体で全てを表現するようなタイプの作品です。

こういうのはお金が掛からないので、
若手の小劇場の得意技です。

こうした舞台は、
アングラの頃はどちらかと言えば、
通俗的なので軽蔑されていました。

演技スタイルはつかこうへいが源流で、
それが関西で比較的流行するようになります。
そこからメジャーになったのが新感線です。

それが再び東京にも輸入されて、
多分数的には最も多くの小劇場が、
こうしたスタイルの芝居を上演し、
そして多くは数年で消えてゆくのだと思います。

主催者は大抵自分が賢いと信じているような人で、
テーマは高尚で哲学的ですが、
実際の演技スタイルや演出は、
子供じみたものになります。
ほぼ間違いなくジブリの影響は受けています。

今回の舞台も、
トータルにはそうした傾向のものでした。
部分的に寺山修司の影響は感じましたが、
もっとやるなら限界までやって欲しかったな、
というのが正直な感想です。

以下ネタバレがあります。

犬殺しの被差別の一族が主人公で、
その戦前から戦後に掛けての歴史が、
年代記風に綴られます。

しんとく丸という踊りの名手が出て来たり、
犬神の呪いが語られるのは、
勿論原典は別にありますが、
僕は寺山修司の影響のように感じました。

特定の思想を押し付けよう、
というような嫌な感じはなく、
素朴に色々と人間存在や、
日本人とは何か、
日本の歴史とは何かを考えて、
物語を作ってみました、
という感じです。

自然由来の神を殺す、
神殺しがテーマとなる辺りは、
「もののけ姫」みたいでした。
後半には「原子力」という神が降臨するので、
今の時代を当て込んだ風もありますが、
その点は掘り下げられずに終わります。

ラストは犬殺しの兄妹が、
穴の中に閉じ込められ、
そこで新たな世界を創造しよう、
と宣言して終わります。

オペラの「アイーダ」みたいでもありますし、
寺山修司の「身毒丸」のラストの、
「お母さん、もう一度僕を生んで下さい」
のようでもあります。
松尾スズキも以前から、
よくこうした「闇に人間を閉じ込める」
という比喩を用いています。

僕はこのくだりが一番好きでしたが、
非常に淡白で情感に乏しく、
もっと盛り上げて欲しかったな、
と思いました。

キャストはそれなりに頑張っています。

僕のお気に入りは、
金髪で獣性を秘めた玉置玲央と、
破れかぶれのようなテンションを、
意外と高レベルで持続させる深谷由梨香の艶姿で、
もう一度見たくなります。
他の5人はレベルは落ちます。

ただ、優等生的でお行儀が良く、
ダンスや肉体演技は、
昔から小劇場を観続けて来た者としては、
この程度では納得出来ません。
もっとしゃかりきに、
極限までやって欲しいですし、
この程度で肉体派のようなことを言われては、
昔のアングラ役者に笑われます。

ラストはカーテンコールはせず、
芝居の中でナレーションでキャストを紹介したのは、
これも寺山修司のようなスタイルで気に入りましたが、
その後でアフタートークがあるので、
脱力しました。

観客を突き放すのかそうではないのか、
どちらかにしないとまずいのではないでしょうか。

7年目の劇団でこのくらいというのは、
色々な意味で微妙ですが、
もう数度は見ようかな、
とは思いつつ劇場を後にしました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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今野祥山

混沌とした不確定な時代になると必ず出現するのが扇動者であり、その扇動を利用して益を得ようとするおろかなやから達なのです。
今大切なのは自らの信じる道を日々の暮らしの中で誠実に生きる事だと思っています。
一人ひとりの力は小さくても、人間として恥じる事の無い暮らしを守る事は出来ます。
一つ一つの捨石が揺るがなければまだまだ日本は立ち上がれると考えています。


by 今野祥山 (2012-09-23 07:04) 

fujiki

今野祥山さんへ
コメントありがとうございます。
不安ですが信じられるものを信じて、
自分に出来ることをやっていくしかないですね。
by fujiki (2012-10-09 22:52) 

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