KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「SHELL」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
KAATの企画公演として、
倉持裕さんが台本を執筆し、
杉原邦生さんが演出した新作舞台が、
先日までKAATで上演されました。
石井杏奈さんが主演で、
幾つかの別の人生を同時に生きる女子高生を演じ、
秋田汐梨さんがそれを見抜く同級生を演じるという、
ちょっと説明の難しい物語を、
背景が緑一色に塗り込められた、
杉原さんの特異な演出で舞台化されています。
これはかなりきつい観劇でした。
一応真面目に観ていたつもりなのですが、
途中からは集中することが困難となり、
最後までしんどいままにどうにか観終えることが出来た、
という感じでした。
設定の理解がまず難しいのですね。
女子高生と娘のいるおじさんと、
目が不自由で大蛇を飼っているおばさんとが、
それぞれ別の役者さんが演じているのですが、
「同じ人物だ」と言うのですね。
別に変装したり変身しているという訳ではなく、
同じ時間軸で並行して別の人生を送っているけれど、
でも同じだ、と言うのです。
同じという意味は、
そのうちの誰かと誰かが出くわすと、
消滅してしまう、
つまりドッペルゲンガーのような感じで、
同時に同じ場所には存在出来ない、
ということのようです。
この3人の物語が並行的に進むのですね。
それがラストになって3人が出会ってしまうと、
見えなかった巨大な蛇が実体化して、
何かが消えてしまうのですが、
それが何であるのかも、ちょっと分かりませんでした。
女子高生の肉体はラストにも存在しているのですが、
中身はもう違っている、
ということのようです。
魂と肉体のアンバランスみたいなものなのかしら。
1つの肉体と魂が本来ペアになっていないといけないのに、
1つの魂が3つの体に同時に入ってしまった、
という空間が歪みながら存在している、
というようなことなのかも知れません。
倉持裕さんは現代を代表する劇作家の1人だと思いますし、
この間の「リムジン」もとても良かったですよね。
なので今回の作品にも、
緻密な論理とテーマが潜んでいるに違いない、
というようには思うのですが、
正直今回それを理解することは出来ませんでした。
僕はどうも杉原さんの演出は苦手なんですね。
正直これまで一度も良かった、と思ったことがありません。
これはもう多分好みの問題ですね。
今回は舞台機構を剥き出しにして、
所謂「素舞台」にしているんですね。
杉原さんはしばしばこうしたことをしていて、
それが有効な場合もあるとは思うのですが、
本来は矢張り舞台裏は見せるものではなくて、
別の空間をそこに作り上げるのが筋だと思います。
背景は全て緑になっているんですね。
巨大な緑の幕の前で芝居をしていて、
別人格が同時に現れると、
衣装も緑になってしまいます。
おそらくクロマキーのグリーンバック、
ということなんですね。
背景は何にでも変わり得るということなのだと思いますが、
舞台上では常に緑の幕があるだけなので、
ビジュアル的には異様な感じがするだけで、
特別効果的とも思えませんし、
むしろ手抜きのように感じてしまいました。
場面転換はキャストが群舞でやるのですが、
それがあるせいで、
やたらと転換に時間が掛かり、
舞台が間延びしてしまっているんですね。
ダンスがそれ自体で自立した感じではなくて、
転換なのか独立した場面なのかが中途半端なので、
その度にイライラしてしまいました。
こういう演出が個人的には嫌いです。
そんな訳でとてもつらい観劇であったのですが、
それはもう個人の主観なので、
面白かった方もいるのだと思います。
個人の感想としてご容赦頂ければ幸いです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
KAATの企画公演として、
倉持裕さんが台本を執筆し、
杉原邦生さんが演出した新作舞台が、
先日までKAATで上演されました。
石井杏奈さんが主演で、
幾つかの別の人生を同時に生きる女子高生を演じ、
秋田汐梨さんがそれを見抜く同級生を演じるという、
ちょっと説明の難しい物語を、
背景が緑一色に塗り込められた、
杉原さんの特異な演出で舞台化されています。
これはかなりきつい観劇でした。
一応真面目に観ていたつもりなのですが、
途中からは集中することが困難となり、
最後までしんどいままにどうにか観終えることが出来た、
という感じでした。
設定の理解がまず難しいのですね。
女子高生と娘のいるおじさんと、
目が不自由で大蛇を飼っているおばさんとが、
それぞれ別の役者さんが演じているのですが、
「同じ人物だ」と言うのですね。
別に変装したり変身しているという訳ではなく、
同じ時間軸で並行して別の人生を送っているけれど、
でも同じだ、と言うのです。
同じという意味は、
そのうちの誰かと誰かが出くわすと、
消滅してしまう、
つまりドッペルゲンガーのような感じで、
同時に同じ場所には存在出来ない、
ということのようです。
この3人の物語が並行的に進むのですね。
それがラストになって3人が出会ってしまうと、
見えなかった巨大な蛇が実体化して、
何かが消えてしまうのですが、
それが何であるのかも、ちょっと分かりませんでした。
女子高生の肉体はラストにも存在しているのですが、
中身はもう違っている、
ということのようです。
魂と肉体のアンバランスみたいなものなのかしら。
1つの肉体と魂が本来ペアになっていないといけないのに、
1つの魂が3つの体に同時に入ってしまった、
という空間が歪みながら存在している、
というようなことなのかも知れません。
倉持裕さんは現代を代表する劇作家の1人だと思いますし、
この間の「リムジン」もとても良かったですよね。
なので今回の作品にも、
緻密な論理とテーマが潜んでいるに違いない、
というようには思うのですが、
正直今回それを理解することは出来ませんでした。
僕はどうも杉原さんの演出は苦手なんですね。
正直これまで一度も良かった、と思ったことがありません。
これはもう多分好みの問題ですね。
今回は舞台機構を剥き出しにして、
所謂「素舞台」にしているんですね。
杉原さんはしばしばこうしたことをしていて、
それが有効な場合もあるとは思うのですが、
本来は矢張り舞台裏は見せるものではなくて、
別の空間をそこに作り上げるのが筋だと思います。
背景は全て緑になっているんですね。
巨大な緑の幕の前で芝居をしていて、
別人格が同時に現れると、
衣装も緑になってしまいます。
おそらくクロマキーのグリーンバック、
ということなんですね。
背景は何にでも変わり得るということなのだと思いますが、
舞台上では常に緑の幕があるだけなので、
ビジュアル的には異様な感じがするだけで、
特別効果的とも思えませんし、
むしろ手抜きのように感じてしまいました。
場面転換はキャストが群舞でやるのですが、
それがあるせいで、
やたらと転換に時間が掛かり、
舞台が間延びしてしまっているんですね。
ダンスがそれ自体で自立した感じではなくて、
転換なのか独立した場面なのかが中途半端なので、
その度にイライラしてしまいました。
こういう演出が個人的には嫌いです。
そんな訳でとてもつらい観劇であったのですが、
それはもう個人の主観なので、
面白かった方もいるのだと思います。
個人の感想としてご容赦頂ければ幸いです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2023-12-02 11:39
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