「エゴイスト」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ドキュメンタリー映画出身の松永大司監督が、
高山真さんの自伝的な小説を元に、
特異な執着と愛の形を描いた、
感性豊かな刺激的劇映画を撮りました。
これはちょっと河瀨直美監督に近いタッチで特異な演出です。
引きの絵は殆どなくて、
最初から最後まで極端な人間のアップだけが、
やや偏執狂的に連続します。
人間以外には世界に何の興味もない、と言わんばかり。
そこに登場するのが、
鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんのゲイのカップルの、
圧倒的な肉体です。
そこに不思議な存在感をもって、
宮沢さんの母親役の阿川佐和子さんが絡みます。
ほぼ3人だけの濃厚なドラマが、
眩暈を覚えるような没入感をもって展開されます。
こちらも相当な覚悟を持って臨まないと、
その世界に溺れて呼吸困難に陥るような気すらします。
これはかなり好き嫌いの分かれるジャンル映画で、
好きな方にとっては一生の宝物になりますし、
嫌いな方にとっては、
違和感と不快感しか感じないかも知れません。
僕は物凄く好きではないのですが、
そこそこ没入して観ることは出来ました。
主役の鈴木亮平さんがともかく圧倒的です。
彼のこれまでのキャリアの中で、
代表作と言って何処からも文句は出ないレベル。
ちょっとオーバーアクトに感じる部分もなくはないのですが、
トータルにキャラとして完成されているので、
鈴木亮平という存在を離れて、
1つの完璧で魅力的で複雑なキャラクターが、
見事にスクリーンの中で息づいているという感じです。
凄いですよ。
相手役の宮沢氷魚さんは、
言ってみれば引きの演技で損な役回りなのですが、
この役をこれだけの純度でこなせる役者さんは、
今他に誰もいないと思います。
宮沢さんと言うと、
舞台の「ピサロ」で演じた、
復活を信じて命を絶つインカ王がとても印象に残っていて、
今回も結果的にはそれに似た役回り。
こうした純粋で儚い悲壮な存在が、
これほど似合う人もいないと思います。
このお話は結局、
鈴木亮平さん演じるゲイの主人公が、
初めて同性としての宮沢さんを愛するのですが、
それは病気で14歳の時に死んだ自分の母親への思いを、
宮沢さんの母親へ向けることが目的、
という部分があったのですね。
恋人の母親を奪うことのための愛、
というのがエゴイストの愛、ということなのです。
間接的に主人公は恋人を追い込んで殺してしまうので、
結果として、
相手の母親をある意味乗っ取ってしまうことになる訳です。
そう書くとかなり壮絶な話なのですが、
実際には映画では相手の母親との積極的な交流は、
恋人が死んだ後で始まる、
という流れになっていて、
結果として母親を乗っ取った、ということになっても、
それは意図的なものではない、
という言い訳が用意されています。
原作では主人公は映画ほど裕福には描かれていませんし、
恋人の母親が自分の母親と同じように病気で余命が短いことは、
恋人が死ぬ前から分かっている設定となっているので、
その辺のニュアンスは、
映画ではかなり変わっているのです。
そんな訳で原作と映画は別物と考えた方が良いのですが、
映画は極力説明を絞っているので、
たとえば最初の方に登場する「豚1号」の意味などは、
原作を読まないと全く分からない台詞になっています。
非常に個性的で強い意思に彩られた映画で、
全ての方に向いた作品ではありませんが、
観る方によっては忘れがたい1本となる可能性はあり、
何より鈴木亮平さんの見事な演技だけでも、
一見の価値は充分にあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ドキュメンタリー映画出身の松永大司監督が、
高山真さんの自伝的な小説を元に、
特異な執着と愛の形を描いた、
感性豊かな刺激的劇映画を撮りました。
これはちょっと河瀨直美監督に近いタッチで特異な演出です。
引きの絵は殆どなくて、
最初から最後まで極端な人間のアップだけが、
やや偏執狂的に連続します。
人間以外には世界に何の興味もない、と言わんばかり。
そこに登場するのが、
鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんのゲイのカップルの、
圧倒的な肉体です。
そこに不思議な存在感をもって、
宮沢さんの母親役の阿川佐和子さんが絡みます。
ほぼ3人だけの濃厚なドラマが、
眩暈を覚えるような没入感をもって展開されます。
こちらも相当な覚悟を持って臨まないと、
その世界に溺れて呼吸困難に陥るような気すらします。
これはかなり好き嫌いの分かれるジャンル映画で、
好きな方にとっては一生の宝物になりますし、
嫌いな方にとっては、
違和感と不快感しか感じないかも知れません。
僕は物凄く好きではないのですが、
そこそこ没入して観ることは出来ました。
主役の鈴木亮平さんがともかく圧倒的です。
彼のこれまでのキャリアの中で、
代表作と言って何処からも文句は出ないレベル。
ちょっとオーバーアクトに感じる部分もなくはないのですが、
トータルにキャラとして完成されているので、
鈴木亮平という存在を離れて、
1つの完璧で魅力的で複雑なキャラクターが、
見事にスクリーンの中で息づいているという感じです。
凄いですよ。
相手役の宮沢氷魚さんは、
言ってみれば引きの演技で損な役回りなのですが、
この役をこれだけの純度でこなせる役者さんは、
今他に誰もいないと思います。
宮沢さんと言うと、
舞台の「ピサロ」で演じた、
復活を信じて命を絶つインカ王がとても印象に残っていて、
今回も結果的にはそれに似た役回り。
こうした純粋で儚い悲壮な存在が、
これほど似合う人もいないと思います。
このお話は結局、
鈴木亮平さん演じるゲイの主人公が、
初めて同性としての宮沢さんを愛するのですが、
それは病気で14歳の時に死んだ自分の母親への思いを、
宮沢さんの母親へ向けることが目的、
という部分があったのですね。
恋人の母親を奪うことのための愛、
というのがエゴイストの愛、ということなのです。
間接的に主人公は恋人を追い込んで殺してしまうので、
結果として、
相手の母親をある意味乗っ取ってしまうことになる訳です。
そう書くとかなり壮絶な話なのですが、
実際には映画では相手の母親との積極的な交流は、
恋人が死んだ後で始まる、
という流れになっていて、
結果として母親を乗っ取った、ということになっても、
それは意図的なものではない、
という言い訳が用意されています。
原作では主人公は映画ほど裕福には描かれていませんし、
恋人の母親が自分の母親と同じように病気で余命が短いことは、
恋人が死ぬ前から分かっている設定となっているので、
その辺のニュアンスは、
映画ではかなり変わっているのです。
そんな訳で原作と映画は別物と考えた方が良いのですが、
映画は極力説明を絞っているので、
たとえば最初の方に登場する「豚1号」の意味などは、
原作を読まないと全く分からない台詞になっています。
非常に個性的で強い意思に彩られた映画で、
全ての方に向いた作品ではありませんが、
観る方によっては忘れがたい1本となる可能性はあり、
何より鈴木亮平さんの見事な演技だけでも、
一見の価値は充分にあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2023-03-26 12:48
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