「沈黙ーサイレンスー」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシが監督し、
多くの日本人キャストが出演した話題の映画を、
封切りの映画館で観て来ました。
これは「ミッション」と同じような、
「キリスト教宣教師受難もの」という括りの映画で、
日本が主な舞台になってはいますが、
それは「異教徒の棲む異界」としての日本で、
現実の日本を描いた歴史もの、
というような感じではありません。
オープニングの雲仙での熱湯掛け拷問の場面など、
石井輝男監督の残酷時代劇かと思いました。
ただ、詩情に溢れる隠れキリシタンの村人と、
ポルトガル人の宣教師との交流などは、
悪い感じではありません。
後半は転びキリシタンとなった宣教師の、
数奇な後半生を描く、という感じになり、
「ラスト・エンペラー」にも似た味わいです。
日本が主な舞台になっていて、
日本人キャストが多く出演している割には、
日本という感じがあまりしないのは、
実際の撮影は全て台灣で行われているためかも知れません。
漁村は日本の漁村には見えませんし、
長崎や江戸も、微妙にへんてこりんな感じで、
空気感が矢張り違います。
こんな家屋は絶対になかった、
というような不思議な日本家屋が多く登場します。
それで徹底した時代考証を行った、
と威張っているようなことがパンフレットには書かれているので、
何か複雑な心境にもなります。
言語もポルトガル人が英語を話し、
日本人が日本語と英語を当然にように話します。
それでいて「キリシタン」などの、
ポルトガル語由来の言葉が、
割と頻繁に台詞に登場するので、
何処か珍妙な感じはあります。
ただ、それが悪いということではありません。
「ラスト・サムライ」と同じくらいには日本で、
アメリカ人が真面目に日本を表現すると、
こんな感じになるのだと思います。
その意味でもこれは日本とは違う「異界」で、
キリスト教徒が苦しむという映画で、
そう思って観るのが正解なのだと思います。
窪塚洋介さんは彼のキャリアで、
間違いなく最高の芝居で、
それだけでも観る値打ちはあります。
ただ、彼の役はアメリカ映画によく出て来る、
ただの「馬鹿」で、
それ以上でもそれ以下でもありません。
長いものに巻かれ、
主人公を悪意なく裏切り続けるのですが、
それを俯瞰的に投げ出すように描いています。
原作でもその通りで、
普通もう少し2人の魂の交流があったり、
何かに気づく瞬間があったりしても良いのでは、
というように思うのですが、
そうしたことはまるでないのです。
遠藤周作さんはそうした意味で、
多分に欧米人的な感性を、
持っている方だったのかも知れません。
イッセー尾形さんの悪代官も、
原作の好々爺のイメージとはちょっと違いますが、
狡猾で一筋縄ではゆかない悪党を、
よく骨肉化していたと思います。
これも彼の映像の代表作と言って良い芝居ではないでしょうか。
笈田ヨシさんと塚本晋也さんの村人も、
最後の水責めの体当たりの芝居を含めて、
入魂の演技だったと思います。
このように、日本人キャストに、
入魂の芝居をさせるスコセッシは、
矢張り名監督だという思いはします。
作品としてはちょっとピンと来ない部分はあり、
特に最終的に神様の言葉が、
ナレーションとして流れてしまうのですが、
それも良くないのではないか、
というように思うのですが、
日本人キャストのそれぞれに凄みのある熱演を見るだけでも、
一見の値打ちはあると思います。
「ラスト・サムライ」と同じくらいのレベルでお勧めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシが監督し、
多くの日本人キャストが出演した話題の映画を、
封切りの映画館で観て来ました。
これは「ミッション」と同じような、
「キリスト教宣教師受難もの」という括りの映画で、
日本が主な舞台になってはいますが、
それは「異教徒の棲む異界」としての日本で、
現実の日本を描いた歴史もの、
というような感じではありません。
オープニングの雲仙での熱湯掛け拷問の場面など、
石井輝男監督の残酷時代劇かと思いました。
ただ、詩情に溢れる隠れキリシタンの村人と、
ポルトガル人の宣教師との交流などは、
悪い感じではありません。
後半は転びキリシタンとなった宣教師の、
数奇な後半生を描く、という感じになり、
「ラスト・エンペラー」にも似た味わいです。
日本が主な舞台になっていて、
日本人キャストが多く出演している割には、
日本という感じがあまりしないのは、
実際の撮影は全て台灣で行われているためかも知れません。
漁村は日本の漁村には見えませんし、
長崎や江戸も、微妙にへんてこりんな感じで、
空気感が矢張り違います。
こんな家屋は絶対になかった、
というような不思議な日本家屋が多く登場します。
それで徹底した時代考証を行った、
と威張っているようなことがパンフレットには書かれているので、
何か複雑な心境にもなります。
言語もポルトガル人が英語を話し、
日本人が日本語と英語を当然にように話します。
それでいて「キリシタン」などの、
ポルトガル語由来の言葉が、
割と頻繁に台詞に登場するので、
何処か珍妙な感じはあります。
ただ、それが悪いということではありません。
「ラスト・サムライ」と同じくらいには日本で、
アメリカ人が真面目に日本を表現すると、
こんな感じになるのだと思います。
その意味でもこれは日本とは違う「異界」で、
キリスト教徒が苦しむという映画で、
そう思って観るのが正解なのだと思います。
窪塚洋介さんは彼のキャリアで、
間違いなく最高の芝居で、
それだけでも観る値打ちはあります。
ただ、彼の役はアメリカ映画によく出て来る、
ただの「馬鹿」で、
それ以上でもそれ以下でもありません。
長いものに巻かれ、
主人公を悪意なく裏切り続けるのですが、
それを俯瞰的に投げ出すように描いています。
原作でもその通りで、
普通もう少し2人の魂の交流があったり、
何かに気づく瞬間があったりしても良いのでは、
というように思うのですが、
そうしたことはまるでないのです。
遠藤周作さんはそうした意味で、
多分に欧米人的な感性を、
持っている方だったのかも知れません。
イッセー尾形さんの悪代官も、
原作の好々爺のイメージとはちょっと違いますが、
狡猾で一筋縄ではゆかない悪党を、
よく骨肉化していたと思います。
これも彼の映像の代表作と言って良い芝居ではないでしょうか。
笈田ヨシさんと塚本晋也さんの村人も、
最後の水責めの体当たりの芝居を含めて、
入魂の演技だったと思います。
このように、日本人キャストに、
入魂の芝居をさせるスコセッシは、
矢張り名監督だという思いはします。
作品としてはちょっとピンと来ない部分はあり、
特に最終的に神様の言葉が、
ナレーションとして流れてしまうのですが、
それも良くないのではないか、
というように思うのですが、
日本人キャストのそれぞれに凄みのある熱演を見るだけでも、
一見の値打ちはあると思います。
「ラスト・サムライ」と同じくらいのレベルでお勧めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2017-01-29 11:13
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