維新派「トワイライト」 [演劇]
こんにちは。
石原藤樹です。
10月1日の北品川藤クリニック開院に向け、
バタバタと準備が続いています。
今日はクリニックの看板が出来ました。
連休のラストの話題はこちら。
昨日奈良県の曽爾村で、
維新派の新作野外劇「トワイライト」を観て来ました。
日本各地の様々な場所で、
大規模な野外劇を上演し続けている維新派ですが、
今回は奈良県の東南の外れくらいに位置する、
曽爾高原というススキの高原で有名な曽爾村の、
建民運動場という自然の中にある野球場にも使える広場で、
いつもながらの素敵な舞台を実現させました。
公演は今月の27日までですが、
もし行くことが可能な方は、
是非にとお薦めしたいと思います。
現役で上演されている野外劇の中では、
間違いなく最もクオリティが高いものだと断言出来ます。
以下ネタバレを含む感想です。
草の少し生えた大きな広場がそのまま舞台になっていて、
階段上の客席からその広大な広がりを見下ろします。
頭上には夕暮れから夜に掛かる空が広がり、
周辺をぐるっと山が取り囲んでいます。
グラウンドには照明塔があって、
そのうちの一部は公演の照明としても使用されます。
維新派の舞台は一時はかなり大掛かりなセットが組まれ、
その大セットも見所の1つだったのですが、
最近は仕掛けはあってもシンプルなもので、
野外の景色をそもまま使用する、
という雰囲気のものになっています。
今回もセットは基本的にはなく、
山に囲まれた広場が目の前に広がっているだけです。
しかし、大空間を巧みに活かした照明や音響の効果、
一糸乱れぬ群舞などはさすがに素晴らしく、
予想を上回る美しい光景が次々と眼前に現れ、
そして儚くも消えて行きます。
中途で一旦照明が消えると、
闇の中に蛍のような光が1つずつ浮かび、
それが星空のように広がって、
月面を模したような幻想的な光景が広がるのが、
今回の白眉で、
これだけではるばる曽爾村まで来た意味は、
充分あると思わされました。
維新派の作品は一時は殆ど台詞はなく、
無言劇に近いスタイルで、
そのストーリーを追うことも、
かなり困難であったのですが、
最近の作品では普通の芝居のような独白や掛け合いが増え、
細部のニュアンスまでは難しいものの、
ストーリーラインは掴むことが楽になりました。
今回は以前の作品にも登場した、
「わたる」という青年が、
少年時代を回想する物語で、
曽爾村そのものが舞台となり、
男勝りの少女との儚い恋と、
その友達で風の又三郎のような謎の前歯のない少年の思い出が、
主軸として語られ、
そこにこれまでの作品で描かれた、
外国籍の少年が迫害される構図や、
日本地図を逆さに見て、
海を南下する構図、
主催の松本雄吉さんの、
おそらくは子供の頃の大阪の風景などが、
挟み込まれます。
ラストは靴の船が大海を渡るという、
作品中に登場するイメージが、
実体化して観客を迎えます。
維新派の世界は最近落ち着いて枯れて来た感じがあり、
それが物足りなく感じることも、
ないとは言えません。
特に東京で上演された「ろじ式」や「風景画」などは、
その感が強かったのですが、
その2作品のディテールは、
今回の野外劇でも良い意味で活かされていて、
円熟したその世界を、
今は楽しむべきなのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
石原藤樹です。
10月1日の北品川藤クリニック開院に向け、
バタバタと準備が続いています。
今日はクリニックの看板が出来ました。
連休のラストの話題はこちら。
昨日奈良県の曽爾村で、
維新派の新作野外劇「トワイライト」を観て来ました。
日本各地の様々な場所で、
大規模な野外劇を上演し続けている維新派ですが、
今回は奈良県の東南の外れくらいに位置する、
曽爾高原というススキの高原で有名な曽爾村の、
建民運動場という自然の中にある野球場にも使える広場で、
いつもながらの素敵な舞台を実現させました。
公演は今月の27日までですが、
もし行くことが可能な方は、
是非にとお薦めしたいと思います。
現役で上演されている野外劇の中では、
間違いなく最もクオリティが高いものだと断言出来ます。
以下ネタバレを含む感想です。
草の少し生えた大きな広場がそのまま舞台になっていて、
階段上の客席からその広大な広がりを見下ろします。
頭上には夕暮れから夜に掛かる空が広がり、
周辺をぐるっと山が取り囲んでいます。
グラウンドには照明塔があって、
そのうちの一部は公演の照明としても使用されます。
維新派の舞台は一時はかなり大掛かりなセットが組まれ、
その大セットも見所の1つだったのですが、
最近は仕掛けはあってもシンプルなもので、
野外の景色をそもまま使用する、
という雰囲気のものになっています。
今回もセットは基本的にはなく、
山に囲まれた広場が目の前に広がっているだけです。
しかし、大空間を巧みに活かした照明や音響の効果、
一糸乱れぬ群舞などはさすがに素晴らしく、
予想を上回る美しい光景が次々と眼前に現れ、
そして儚くも消えて行きます。
中途で一旦照明が消えると、
闇の中に蛍のような光が1つずつ浮かび、
それが星空のように広がって、
月面を模したような幻想的な光景が広がるのが、
今回の白眉で、
これだけではるばる曽爾村まで来た意味は、
充分あると思わされました。
維新派の作品は一時は殆ど台詞はなく、
無言劇に近いスタイルで、
そのストーリーを追うことも、
かなり困難であったのですが、
最近の作品では普通の芝居のような独白や掛け合いが増え、
細部のニュアンスまでは難しいものの、
ストーリーラインは掴むことが楽になりました。
今回は以前の作品にも登場した、
「わたる」という青年が、
少年時代を回想する物語で、
曽爾村そのものが舞台となり、
男勝りの少女との儚い恋と、
その友達で風の又三郎のような謎の前歯のない少年の思い出が、
主軸として語られ、
そこにこれまでの作品で描かれた、
外国籍の少年が迫害される構図や、
日本地図を逆さに見て、
海を南下する構図、
主催の松本雄吉さんの、
おそらくは子供の頃の大阪の風景などが、
挟み込まれます。
ラストは靴の船が大海を渡るという、
作品中に登場するイメージが、
実体化して観客を迎えます。
維新派の世界は最近落ち着いて枯れて来た感じがあり、
それが物足りなく感じることも、
ないとは言えません。
特に東京で上演された「ろじ式」や「風景画」などは、
その感が強かったのですが、
その2作品のディテールは、
今回の野外劇でも良い意味で活かされていて、
円熟したその世界を、
今は楽しむべきなのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2015-09-23 20:18
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