突劇金魚「ゆうれいを踏んだ」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日なので診療所は休診です。
久しぶりに家でのんびり過ごす予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
関西を拠点に活躍をされている劇団、
「突劇金魚」の新作公演が、
駒場のアゴラ劇場で本日まで上演されています。
僕は今回が初見です。
サリngROCKという女性の方が作・演出を手掛け、
関西ノリなのですが、
不思議で繊細な独特の肌触りがあります。
文学的なのですが、
作者の頭の中のストーリーの間合いを、
暗転や音効、照明などを巧みに使って、
観客の生理と同期させている点に感心しました。
演劇としては物足りない気はするのですが、
これはこれで完成していて、
1つの演劇のあり方ではないかと思います。
この作者は演劇より小説に、
より向いているようにも感じました。
以下ネタばれを含む感想です。
主人公は祖母と2人暮らしの若い女性で、
両親の不在には色々と曰くがありそうです。
彼女は祖母の敷いたレールの通りに、
銀行に就職が決まって、
銀行員を夫にするという人生設計であったのですが、
その直前に墓場でおっさんの「幽霊を踏む」と、
髪の毛から桜の木が生えて来て、
花が咲きます。
おっさんの幽霊は女性に付きまとい、
じょうろで水を撒いたり、
毛虫を取ったりと桜の世話をします。
女性は桜の木のために就職は出来なくなり、
それを非難した祖母と喧嘩をして、
家を飛び出してしまいます。
その時、ひょんなことから祖母の目は見えなくなります。
頭から桜の木を生やした女性は、
それから遠い親戚を淡路島に訪ね、
そこでアイドルとしてオーディションを受ける話があったり、
変な小劇場の劇団を仕切る女傑に誘われて、
「木」の役で海外公演まで出掛けたり、
と言う波乱万丈な人生を送った上で、
最後は目の不自由な、
それでいて酷く独善的で身勝手な祖母の元に戻り、
そこでミュージシャンを目指すフリーターの男と、
ゆるい共同生活を送るようになります。
頭に生えた木は、
祖母に枝を毟り取られ、
幽霊に根を抜かれて、
切り株だけが残った姿になります。
頭に桜の木が生え花が咲くのは、
落語の「頭山」ですが、
それを要するに主人公の個性というか、
タレントのようなものの象徴として使っています。
主人公の女性は頭に桜の木を生やすことで、
自己主張をして、祖母の敷いたレールから、
逃れることに成功するのですが、
世間を流浪する中で、
桜の木を自分のために利用することが出来ず、
自分が何をやりたいのかも見付けることが出来ず、
最後は桜の木から解放されることで、
祖母の元に戻ります。
しかし、それは祖母の支配下に戻るということではなく、
家族という関係を否定した別箇の形においてなのです。
呪いにより変身したお姫様が、
諸国を彷徨って色々な冒険をし、
最後は呪いが解けて王子様と結ばれる、
というのはファンタジーの1つの古典的な形式ですが、
そこに幽霊と頭山という、
日本的な設定を取り込み、
「自己実現」や「自分探し」、「家族」を呪いとして設定して、
そこからの解放を描くというプロットは、
かなり巧みに出来ています。
特徴は演出を含めた、
「文学的香気」のようなもので、
暗転を含めて闇を巧みに利用した空間設計、
角度のある照明の効果、
自然音を巧みに用いた音響、
白塗りのメイクとお洒落な衣装、
被り物の桜の木の小道具や、
下に敷かれた美しい絨毯の効果など、
洗練されほぼ完成の域にあると言って良い、
1つの独自のスタイルが、
作者の紡ぐ物語を、
心地良く、染み透るように観客に伝えてくれます。
台詞も適度なユーモアがあって、
リズムもある文体なので心地良く、
それでいて、幽霊に代表される原初的な恐怖感を、
感じさせるところも随所にあります。
この辺りのバランス感覚を含めて、
語り口が良いのです。
キャストもなかなか好演で、
主人公の女性を演じた片桐慎和子さんの雰囲気が良く、
絶対に成功は出来なさそうなミュージシャンの卵を演じ、
狂言回し的な役割も担った、
山田まさゆきさんもなかなかです。
一方で物足りなく感じた点は、
まず、暗転を多用して、
細かい場面を積み上げて構成されているのですが、
それだけで終始するので、
単調になっていたように感じました。
クライマックスやポイントでは、
一か所くらい長い場面があっても良かったのではないか、
と思うのです。
言葉を言い換えれば、
作者の生理ではなく、
観客の生理に任せる部分が、
ポイントではあった方が、
より観客に感銘を与えられたのではないか、
ということです。
これはスタイルにもよりますから、
その方がより良いとも言えないのですが、
一か所全体の核になるような、
観客が観劇後必ずその場面のことを話すような、
気軽に感情移入をさせてくれるような、
そうした部分があった方が良いように感じました。
2つ目は幽霊の部分が全体にもやもやしていて、
僕の読解力が不足しているせいもあるのですが、
最後までその存在の意味合いが不明に感じました。
そのビジュアルなイメージも、
勿論良いと思われる方もいると思うので、
敢くまで個人的な感想なのですが、
不気味さも違和感も中途半端であったように思いました。
個人的には、
松尾スズキさんの「キレイ」の、
伊藤ヨタロウさんの「神様」のようなイメージで、
幽霊が処理出来たらもっと面白くなったのではないか、
と感じました。
要は少し重過ぎると思うのです。
それが作品自体の持つある種の軽快さを、
打ち消すような部分があったように思いました。
最初から愚鈍で大仰な存在であり過ぎ、
不気味さもユーモアも不足しているので、
物語が停滞する感じがするのです。
もっと飄々とした幽霊で、
それでいて所々に不気味さや恐怖が感じられる、
というくらいがベストではないでしょうか?
それから、
山田まさゆきさんは良かったのですが、
せっかくギターをつま弾いたりするのですから、
1曲オリジナルのテーマ曲があって、
それを演奏する場面があっても良かったのではないでしょうか?
あのパクリの曲があるだけでは、
ギャグなのかそうでないのか不鮮明ですし、
詰まらないように思うのです。
総じて、あまりに作者の呼吸で、
物語がキッチリ構成されているので、
完成度が高い反面、
芝居としては息苦しい感じがします。
もう少し随所に無駄や余白や遊びがあっても、
良いのではないでしょうか?
最後に気に入った場面や設定で言うと、
オープニング、
サワサワ言うような音で見えない幽霊の不気味さを表し、
後姿から振り返った主人公の顔に浮かんだ、
驚愕の表情で幽霊を表現した瞬間に暗転に至るところと、
屈折した愛情を互いに抱く、
主人公の遠い親戚の兄妹の描写です。
今後の作品も可能であれば足を運びたいと思います。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日なので診療所は休診です。
久しぶりに家でのんびり過ごす予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
関西を拠点に活躍をされている劇団、
「突劇金魚」の新作公演が、
駒場のアゴラ劇場で本日まで上演されています。
僕は今回が初見です。
サリngROCKという女性の方が作・演出を手掛け、
関西ノリなのですが、
不思議で繊細な独特の肌触りがあります。
文学的なのですが、
作者の頭の中のストーリーの間合いを、
暗転や音効、照明などを巧みに使って、
観客の生理と同期させている点に感心しました。
演劇としては物足りない気はするのですが、
これはこれで完成していて、
1つの演劇のあり方ではないかと思います。
この作者は演劇より小説に、
より向いているようにも感じました。
以下ネタばれを含む感想です。
主人公は祖母と2人暮らしの若い女性で、
両親の不在には色々と曰くがありそうです。
彼女は祖母の敷いたレールの通りに、
銀行に就職が決まって、
銀行員を夫にするという人生設計であったのですが、
その直前に墓場でおっさんの「幽霊を踏む」と、
髪の毛から桜の木が生えて来て、
花が咲きます。
おっさんの幽霊は女性に付きまとい、
じょうろで水を撒いたり、
毛虫を取ったりと桜の世話をします。
女性は桜の木のために就職は出来なくなり、
それを非難した祖母と喧嘩をして、
家を飛び出してしまいます。
その時、ひょんなことから祖母の目は見えなくなります。
頭から桜の木を生やした女性は、
それから遠い親戚を淡路島に訪ね、
そこでアイドルとしてオーディションを受ける話があったり、
変な小劇場の劇団を仕切る女傑に誘われて、
「木」の役で海外公演まで出掛けたり、
と言う波乱万丈な人生を送った上で、
最後は目の不自由な、
それでいて酷く独善的で身勝手な祖母の元に戻り、
そこでミュージシャンを目指すフリーターの男と、
ゆるい共同生活を送るようになります。
頭に生えた木は、
祖母に枝を毟り取られ、
幽霊に根を抜かれて、
切り株だけが残った姿になります。
頭に桜の木が生え花が咲くのは、
落語の「頭山」ですが、
それを要するに主人公の個性というか、
タレントのようなものの象徴として使っています。
主人公の女性は頭に桜の木を生やすことで、
自己主張をして、祖母の敷いたレールから、
逃れることに成功するのですが、
世間を流浪する中で、
桜の木を自分のために利用することが出来ず、
自分が何をやりたいのかも見付けることが出来ず、
最後は桜の木から解放されることで、
祖母の元に戻ります。
しかし、それは祖母の支配下に戻るということではなく、
家族という関係を否定した別箇の形においてなのです。
呪いにより変身したお姫様が、
諸国を彷徨って色々な冒険をし、
最後は呪いが解けて王子様と結ばれる、
というのはファンタジーの1つの古典的な形式ですが、
そこに幽霊と頭山という、
日本的な設定を取り込み、
「自己実現」や「自分探し」、「家族」を呪いとして設定して、
そこからの解放を描くというプロットは、
かなり巧みに出来ています。
特徴は演出を含めた、
「文学的香気」のようなもので、
暗転を含めて闇を巧みに利用した空間設計、
角度のある照明の効果、
自然音を巧みに用いた音響、
白塗りのメイクとお洒落な衣装、
被り物の桜の木の小道具や、
下に敷かれた美しい絨毯の効果など、
洗練されほぼ完成の域にあると言って良い、
1つの独自のスタイルが、
作者の紡ぐ物語を、
心地良く、染み透るように観客に伝えてくれます。
台詞も適度なユーモアがあって、
リズムもある文体なので心地良く、
それでいて、幽霊に代表される原初的な恐怖感を、
感じさせるところも随所にあります。
この辺りのバランス感覚を含めて、
語り口が良いのです。
キャストもなかなか好演で、
主人公の女性を演じた片桐慎和子さんの雰囲気が良く、
絶対に成功は出来なさそうなミュージシャンの卵を演じ、
狂言回し的な役割も担った、
山田まさゆきさんもなかなかです。
一方で物足りなく感じた点は、
まず、暗転を多用して、
細かい場面を積み上げて構成されているのですが、
それだけで終始するので、
単調になっていたように感じました。
クライマックスやポイントでは、
一か所くらい長い場面があっても良かったのではないか、
と思うのです。
言葉を言い換えれば、
作者の生理ではなく、
観客の生理に任せる部分が、
ポイントではあった方が、
より観客に感銘を与えられたのではないか、
ということです。
これはスタイルにもよりますから、
その方がより良いとも言えないのですが、
一か所全体の核になるような、
観客が観劇後必ずその場面のことを話すような、
気軽に感情移入をさせてくれるような、
そうした部分があった方が良いように感じました。
2つ目は幽霊の部分が全体にもやもやしていて、
僕の読解力が不足しているせいもあるのですが、
最後までその存在の意味合いが不明に感じました。
そのビジュアルなイメージも、
勿論良いと思われる方もいると思うので、
敢くまで個人的な感想なのですが、
不気味さも違和感も中途半端であったように思いました。
個人的には、
松尾スズキさんの「キレイ」の、
伊藤ヨタロウさんの「神様」のようなイメージで、
幽霊が処理出来たらもっと面白くなったのではないか、
と感じました。
要は少し重過ぎると思うのです。
それが作品自体の持つある種の軽快さを、
打ち消すような部分があったように思いました。
最初から愚鈍で大仰な存在であり過ぎ、
不気味さもユーモアも不足しているので、
物語が停滞する感じがするのです。
もっと飄々とした幽霊で、
それでいて所々に不気味さや恐怖が感じられる、
というくらいがベストではないでしょうか?
それから、
山田まさゆきさんは良かったのですが、
せっかくギターをつま弾いたりするのですから、
1曲オリジナルのテーマ曲があって、
それを演奏する場面があっても良かったのではないでしょうか?
あのパクリの曲があるだけでは、
ギャグなのかそうでないのか不鮮明ですし、
詰まらないように思うのです。
総じて、あまりに作者の呼吸で、
物語がキッチリ構成されているので、
完成度が高い反面、
芝居としては息苦しい感じがします。
もう少し随所に無駄や余白や遊びがあっても、
良いのではないでしょうか?
最後に気に入った場面や設定で言うと、
オープニング、
サワサワ言うような音で見えない幽霊の不気味さを表し、
後姿から振り返った主人公の顔に浮かんだ、
驚愕の表情で幽霊を表現した瞬間に暗転に至るところと、
屈折した愛情を互いに抱く、
主人公の遠い親戚の兄妹の描写です。
今後の作品も可能であれば足を運びたいと思います。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2015-04-29 08:59
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