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直線的時間と円環的時間について [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

診療所の本年の診療は本日までとなります。
翌29日より来年1月4日までは、
休診ですのでご注意下さい。
明けの5日の土曜日は通常通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日は雑談です。

大学の教養学部の時に、
歴史哲学の講義があり、
今もその時の講義ノートは、
大切に保管しています。

大学の講義と言われるものの中で、
一番印象的だったものかも知れません。

歴史哲学というのは、
ある時代に何があったとか、
どんな人がいたとか、
そうしたことを題材にするものではなく、
人間が歴史を語ったりまとめたりする、
そうした行為の裏にある、
思考の枠組みのようなものを、
その研究対象にする学問です。

その講義の中で、
学んだことの1つは、
歴史における時間の捉え方には、
直線的な時間認識と円環的な時間認識との2種類がある、
ということです。

直線的な時間というのは、
常に時間は一方向に流れる、
という考え方です。

この時間の流れの感覚からすると、
ある出来事が起こると、
それが次の出来事の原因となり、
その結果生じた出来事がまた更に次の出来事の原因となります。

この流れは基本的には途切れることなく、
永遠に続きます。

もう1つの時間の捉え方は、
時間は円環をなし循環する、
というものです。

つまり、
部分的な時間を切り取って考えれば、
1つの出来事が次の出来事に連鎖したり乗り越えられたりする、
という点では同一なのですが、
その連鎖は永遠に続く直線ではなく、
あるサイクルで振り出しに戻るような性質を持っています。

そのサイクルは1年かも知れませんし、
10年かも知れず、10万年かもそれ以上かも知れません。

永遠というのはこの考え方からすれば、
存在するものでもあり、
存在しないものでもあります。

それが円というものの不思議さなのです。

こうした考え方自体は、
物凄く古いものです。

おそらく人間が社会的な存在として、
生きるようになってからは、
常にこの2つの考え方が人間の思考の中にはあるのです。

しかし、
おそらく本当の意味での時間というのは、
直線的なものではなく、
円環的なものでもないのではないかと思います。

それを直線にしたり円環にしたりするのは、
人間の心の恣意的な働きなのです。

何を当たり前のことを、
と思われる方があるかも知れません。

しかし、
この歴史認識の違いというのは、
意外に奥が深く、
今でも人間の心を支配し、
その自由を奪っているように思います。

実例でご説明しましょう。

先日選挙がありましたが、
「歴史を決して後戻りさせてはならない」
というような発言がよく聞かれました。

この考え方は、
歴史は正しい道筋であれば、
常に直線的に進歩し、
国民の幸せも生活の利便性も、
常により良い方向に進む性質のものだ、
という直線的な歴史認識を、
そのベースにしていることが分かります。

歴史は正常な流れの中にあれば、
当然決して後戻りなどはしません。
時間の奴隷である人間如きに、
そうした力などある筈もないからです。

それを敢えてそうした言い方をするのは、
正常な進歩を妨げる悪い奴らがいる、
ということを強調したいが故のレトリックです。

正常な流れにあれば直線的に進歩する筈なのに、
それが官僚機構なのか自民党政治なのか何なのかは分かりませんが、
悪い奴らが邪魔するので、
進むべきものが進まない、
ということなのです。

一方で「日本を取り戻す」という発言がありました。

これは基本的には円環的な時間の認識を元にしているのです。

直截に言えば、
「元に戻そう」と言うことです。

これは定められたレールに沿って走っていれば、
時には右に逸れたり左に逸れるように見えても、
同じところに戻って来る、
という時間認識が元になっています。

やるべきことは、
レールやその上を走る車体が老朽化したら、
それを補修することであり、
運航を妨害するような敵が現れれば、
それを撃退することです。

そうしたメンテナンスさえしっかりしていれば、
廻るべきものは廻ってゆくのです。

ただ、
露骨にそう言うと反感を招くのでは、
と警戒するので、
「取り戻す」というどちらとも取れるような、
曖昧な言い方をしている訳です。

経済においても、
景気は循環するという理論がある一方で、
ゆるやかな好景気が、
正しい判断が繰り返されれば永遠に持続する、
というような考え方もあります。

これも理論というより、
円環的な時間認識と直線的な時間認識とを、
ただ経済に適応しただけのようにも思えます。

このどちらの立場に立つのかによって、
何か障害であり何が悪かが、
変貌してしまうからです。

近代は直線的な歴史認識の時代、
と言って良いかも知れません。

科学の進歩というのは、
その象徴的な事象です。

そして、
共産主義や社会主義の思想というのも、
社会が科学と同じように直線的に進歩するという、
直線的な歴史認識に基づいているからです。

科学万能主義を含めて、
こうした思想の虜になっている人は、
円環的な歴史認識を決して認めようとはしません。

しかし、現代は混沌の時代で、
誰もが単純で直線的な歴史認識に対して、
懐疑的になっています。

仮に時間が直線だとすれば、
どう考えても永遠の下り坂が目の前にあり、
逆戻りせずに歴史を前に進めることは、
却って落ちる速度を上げる役目しか、
果たさないようにも思えます。

だからと言って、
単純に円環的な歴史認識に立つとしても、
なすべきことが何であるのかが見えては来ません。

直線的な歴史認識で邁進することが長過ぎた現在においては、
時間がどのような輪をなし、
引かれたレールが何処にあったのかも、
見出すことが困難になっているからです。

社会が直線的に進歩することを、
最早信じなくなった多くの人が、
まだ医療を含めた科学の進歩だけは、
専門家か一般の方かの区別なく、
信じて疑わないのは僕には不思議なことに思えます。

社会の情報量は増え、
科学技術は確かに進歩を続けているように見えますが、
その一方でどう考えても、
その恩恵を受ける筈の人間は、
明らかに劣化しているように思えます。

それは本来円環を成して循環するべき何かを、
科学技術の1方向性が、
歪めてしまった帰結のようにも思えます。

歴史認識というのは要するに時間認識のことです。

僕達は今一度、
何処かで見失ったレールを、
見つけ出す必要があるのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 2

あい。

円と直線、時間の流れについてはわたしもこの二つをどう考えたら一つの物にできるのか、悩んでいます。宗教を考えた時、仏教は円、キリスト教は直線のような気がしました。もしかしたら、メビウスの輪的なものが何らかの力で切れたりつながったりするのではないかとも思っています。
ど素人の考えで失礼しました。
by あい。 (2012-12-30 12:38) 

fujiki

あい。さんへ
コメントありがとうございます。
円環が連続しながら、
直線をなしているようにも、
思えますね。
by fujiki (2013-01-04 17:15) 

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