奈良地獄谷聖人窟 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日も診療所は休診です。
朝からいつのように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
今日も昨日に引き続いて、
奈良の柳生街道の石仏の話です。
仏像岩から結構急な坂道を15分ほど登り詰めると、
朝日観音に達します。
こちらです。
僕はこの仏様は、
大好きというほどではないのですが、
丁度朝日の差し込む時間で、
金色に輝くお姿には、
崇高なものを感じました。
これは銘文が横に刻まれていて、
年代は鎌倉後期であることがほぼ明らかです。
ただ、銘文が正しいとも、
実際には限らないのです。
他の場所にあった仏様の、
復刻のようなものである可能性もあるからです。
夕日観音と同じ作者のものである、
という説がありますが、
タッチも異なり、
藝術性には格段の相違があるので、
僕はその意見には納得がゆきません。
中央には弥勒菩薩でその両側に地蔵菩薩様、
という三尊の形式です。
僕は個人的には夕日観音はもっと古い時代のものだ、
という意見です。
ここから更にもう少し山道を登ると、
首切り地蔵に出ます。
それがこちら。
ここは昔からの三叉路で、
その目印にこのお地蔵様がおられます。
そばにはベンチとトイレがあります。
柳生街道の最初の休憩どころという格好です。
首の部分が切れていて、
荒木又衛門が試し切りにした、
という伝説のあるものです。
まあ、実際には年月による自然の亀裂と思われます。
年代は鎌倉期のもので、
こうした地蔵尊の道標としては、
非常に古いものです。
良く見ると浮き彫りの形式であることが分かります。
ここから、地獄谷への道に入ります。
すぐに現れるのがこの謎のポンプ小屋で、
人気のないのが非常に不気味です。
ホラー映画なら、
鉄の扉が急に開いて、
仮面の殺人鬼が出て来そうな迫力があります。
それからしばらく山を登ると、
今度はこちらに出ます。
この池がまた不気味で、
ホラー映画のロケ地に推薦したいくらいです。
地獄谷石窟まで600メートルと書いてあったのですが、
丁度そのくらい歩くと、
一旦舗装された車道に出て、
そこにある看板には、
再び山道への入り口に、
今度も地獄谷石窟まで600メートルと書いてあります。
ええっ、ここまでの距離は何だったの、
とがっかりしますが仕方がありません。
その後は再び山道になります。
こんな具合です。
地獄谷というのは、
もともと風葬の地で、
そう言われると何となく不気味で、
これまでの鬼気迫る雰囲気もなるほどな、
という感じです。
それほどの苦労はなく、
やがて山頂に近い場所に、
石窟が見えて来ます。
次をご覧下さい。
これが石窟の全景です。
岩屋の中に、線描の磨崖仏が彫り込まれています。
ただ、ご覧のように厳重に鉄条網と鉄の扉で守られているので、
外から透かし見て、
かろうじて内部の様子が分かる、
という感じのものです。
ただ、扉の中央部に覗けるようなスペースがあるので、
何とか様子は窺うことが出来ます。
では次を。
これが石窟の全景で、
奥に奈良の大仏を思わせる、
線描の三尊仏が彫り込まれています。
中央は盧舎那仏です。
実際には近寄れませんが、
カメラをズームするとこんな感じです。
平安時代の後期の作とされています。
現存するこうした線描の磨崖仏としては、
非常に古いものです。
技巧的にも優れ、彩色が残っていて、
その朱と周囲の岩壁の苔の緑とが、
なかなか鮮やかな対比を成しています。
ただ、これはカメラで撮ったものを後で見て分かることで、
実際に肉眼では、
もっと朧にしか確認出来ません。
仏様を拝する、という感じとは、
かなり程遠いものです。
なかなか見事な作品なのですが、
インドのアジャンタの石窟を以前一度訪問したことがあって、
そうした線描の磨崖仏の宝庫です。
この1万倍はスケールの大きなものなので、
それを思うとこういうタイプのものは、
ちょっと弱いな、
という感じがします。
ただ、単独の作品としては、
アジャンタと遜色は全くないレベルの高いものです。
それでは今日はこのくらいで。
明日は芳山の石仏の話です。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日も診療所は休診です。
朝からいつのように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
今日も昨日に引き続いて、
奈良の柳生街道の石仏の話です。
仏像岩から結構急な坂道を15分ほど登り詰めると、
朝日観音に達します。
こちらです。
僕はこの仏様は、
大好きというほどではないのですが、
丁度朝日の差し込む時間で、
金色に輝くお姿には、
崇高なものを感じました。
これは銘文が横に刻まれていて、
年代は鎌倉後期であることがほぼ明らかです。
ただ、銘文が正しいとも、
実際には限らないのです。
他の場所にあった仏様の、
復刻のようなものである可能性もあるからです。
夕日観音と同じ作者のものである、
という説がありますが、
タッチも異なり、
藝術性には格段の相違があるので、
僕はその意見には納得がゆきません。
中央には弥勒菩薩でその両側に地蔵菩薩様、
という三尊の形式です。
僕は個人的には夕日観音はもっと古い時代のものだ、
という意見です。
ここから更にもう少し山道を登ると、
首切り地蔵に出ます。
それがこちら。
ここは昔からの三叉路で、
その目印にこのお地蔵様がおられます。
そばにはベンチとトイレがあります。
柳生街道の最初の休憩どころという格好です。
首の部分が切れていて、
荒木又衛門が試し切りにした、
という伝説のあるものです。
まあ、実際には年月による自然の亀裂と思われます。
年代は鎌倉期のもので、
こうした地蔵尊の道標としては、
非常に古いものです。
良く見ると浮き彫りの形式であることが分かります。
ここから、地獄谷への道に入ります。
すぐに現れるのがこの謎のポンプ小屋で、
人気のないのが非常に不気味です。
ホラー映画なら、
鉄の扉が急に開いて、
仮面の殺人鬼が出て来そうな迫力があります。
それからしばらく山を登ると、
今度はこちらに出ます。
この池がまた不気味で、
ホラー映画のロケ地に推薦したいくらいです。
地獄谷石窟まで600メートルと書いてあったのですが、
丁度そのくらい歩くと、
一旦舗装された車道に出て、
そこにある看板には、
再び山道への入り口に、
今度も地獄谷石窟まで600メートルと書いてあります。
ええっ、ここまでの距離は何だったの、
とがっかりしますが仕方がありません。
その後は再び山道になります。
こんな具合です。
地獄谷というのは、
もともと風葬の地で、
そう言われると何となく不気味で、
これまでの鬼気迫る雰囲気もなるほどな、
という感じです。
それほどの苦労はなく、
やがて山頂に近い場所に、
石窟が見えて来ます。
次をご覧下さい。
これが石窟の全景です。
岩屋の中に、線描の磨崖仏が彫り込まれています。
ただ、ご覧のように厳重に鉄条網と鉄の扉で守られているので、
外から透かし見て、
かろうじて内部の様子が分かる、
という感じのものです。
ただ、扉の中央部に覗けるようなスペースがあるので、
何とか様子は窺うことが出来ます。
では次を。
これが石窟の全景で、
奥に奈良の大仏を思わせる、
線描の三尊仏が彫り込まれています。
中央は盧舎那仏です。
実際には近寄れませんが、
カメラをズームするとこんな感じです。
平安時代の後期の作とされています。
現存するこうした線描の磨崖仏としては、
非常に古いものです。
技巧的にも優れ、彩色が残っていて、
その朱と周囲の岩壁の苔の緑とが、
なかなか鮮やかな対比を成しています。
ただ、これはカメラで撮ったものを後で見て分かることで、
実際に肉眼では、
もっと朧にしか確認出来ません。
仏様を拝する、という感じとは、
かなり程遠いものです。
なかなか見事な作品なのですが、
インドのアジャンタの石窟を以前一度訪問したことがあって、
そうした線描の磨崖仏の宝庫です。
この1万倍はスケールの大きなものなので、
それを思うとこういうタイプのものは、
ちょっと弱いな、
という感じがします。
ただ、単独の作品としては、
アジャンタと遜色は全くないレベルの高いものです。
それでは今日はこのくらいで。
明日は芳山の石仏の話です。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2011-08-14 08:20
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コメント(2)
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彩色が残っているんですね。
ん~これは、なかなかいいじゃありませんか・・・私は好きだなあ
by yuuri37 (2011-08-16 00:29)
yuuri37 さんへ
この通りに見えれば良いのですが、
実際には肉眼ではほの暗い中に、
ぼんやりと浮かんで見える程度なのです。
by fujiki (2011-08-16 07:46)