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「らくだ」の後半 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は診療所は休診ですが、
検死の講習があるので、
埼玉の方で1日研修を受ける予定です。

昨日は医局時代の先輩に、
本当に久しぶりに逢って、
楽しい時間を過ごしました。
本当に数年振りくらいに良い気分になったのですが、
今朝になってみるといつもと同じです。
まあ、そんなものですね。

でも、僕が言いたいことは、
誰にでも良い兆しはあり、
良い出来事があり、
美しいものもあり、
貴重なものもあるということです。

心を研ぎ澄ませて周りを見ることが、
あなたに与えられた役目で、
動物の本能です。
それを忘れて内側だけに目を向け、
破壊的な衝動みたいなものを、
発見したような気分になって、
それに踊らされてはいけません。

人間の幸せの敵は論理で、
それを救うものは直感です。
三段論法みたいな考え方が、
誰の頭の中にも自然に存在する、
という幻想自体が、
人間を不幸にするのです。

すいません。
何か取りとめがありませんね。
話題を変えます。

今日はちょっと落語の話です。

僕が高校生の頃は、
まだコンサートのチケットを取るには、
銀座の山野楽器の前とか、
渋谷の西武の駐車場の横とかに、
早朝から並んで前売りのチケットを、
ゲットしなければなりませんでした。

そんな時の退屈な時間に、
ウォークマンで聞いていたのが、
古今亭志ん生師匠の落語でした。

大学になると、
それが今度は演劇の当日券を、
ゲットする機会に変わりました。

他の演者のものも、
幾つか聞きましたが、
何度か聞くと飽きてしまって、
生で聴いたらまた印象は違うのかも知れませんが、
僕にはテープで聴く志ん生師匠は別格でした。

枝雀師匠も好きでしたが、
この師匠は声の使い分けを殆どしない、
という独特の藝風なので、
声だけで聞いていると、
誰が何を話しているのか、
途中でよく分からなくなってしまいます。
つまり声色だけでは成立しないタイプの藝なのです。
それでも「狐忠信」という噺だけは、
何か奇怪な魅力があり、
テープでも何度も聴きました。
もっともこの噺は文楽や歌舞伎の、
「義経千本桜」が元ネタなので、
そのことがしっかりと理解出来たのは、
大学卒業後のことです。

「厩火事」とか「抜け雀」とか、
「化け物使い」とか「たぬき」とか。
志ん生師匠の好きな噺は幾つもありますが、
中でも忘れ難いのは「らくだ」で、
これは誰もが嫌い怖れる乱暴者の「らくだ」という男が、
ふぐに当たって死んだところから始まる、
という奇想の光る作品です。

この噺は全編語ると1時間近く掛かる長編で、
しかも後半は死骸の代わりに、
願人坊主を火に掛ける、
という凄まじい描写になるため、
通常は前半しか演じられません。

僕がよく聴いたテープの「らくだ」も、
その前半だけの短縮版でした。

その後立川談志師匠が最初に出したビデオで、
やや不完全な形ながら、
後半まで語られた「らくだ」を聴きました。

次には生の「らくだ」が聴きたくなり、
談志師匠の落語会に一時期集中的に通いました。

95年の3月25日の独演会で、
ようやく談志師匠の「らくだ」を生で聴きましたが、
その時は談志師匠はあまり元気はなく、
結局生で後半を聴くことは出来ませんでした。
ちなみにこの時の演目は、
「風呂敷」と「らくだ」の2席で、
これはいずれも志ん生師匠の十八番です。

その後何度か他の演者の「らくだ」を聴きましたが、
やはり前半しか演じられませんでした。

ただ、矢張り「らくだ」が始まると、
ひょっとしたら今日は後半まで語られるのではないか、
と思い、たとえばそれが寄席なら、
時間も限られているので、
そんなことは有り得ない、と分かってはいながらも、
何となく後半を求める気持ちがあって、
ドキドキしてしまうのです。

最近は生で落語を聴く機会は、
まずありませんが、
「らくだ」の後半が聴けるなら、
ちょっと無理はしても、
ホールに足を運ぼうかな、
と思っています。

今日は僕の好きな落語の話でした。

人生を一席の落語とするなら、
全編を通して聴いても、
前半だけで聴いても、
そこにどれほどの違いがあるかは分かりません。
「下げ」なんてどのようにも強引に作れてしまうからです。
しかし、生まれたからには、
普段語られない後半を求めるべきだし、
それを探すべきなのです。
部分に拘泥して理屈を付けたり、
意味を求めるのは簡単ですが、
そこに落語の、しいては人生の面白さはない筈です。

それではそろそろ出掛けます。

皆さんは良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 16

iyashi

私は『猫の皿』、『子は鎹』などが好きです
by iyashi (2010-02-07 08:57) 

a-silk

私は「短命」が好きです。
母の糖の薬は、アマリール1mmgに変わりました。
昨年の骨折の術後は、日に日に回復したのがわかったのですが、
今回はそうはいきません。
つくづく低血糖は、身体にダメージを与えると思いました。
by a-silk (2010-02-07 14:04) 

永遠の通りすがり

私は、先生が書かれているような、破壊的な衝動に踊らされている人間の一人ですね。
その行動を手放したいとは思いますが、なかなかできません。治療が不毛な感じになっているのも申し訳ないです。
でも、私がいつも口にしている破壊行動の目的が、本当に本来、自分が望んでいることではないと、薄々気付いています。

自分の周りの世界が色褪せて見えていたり、醜く映っているわけではありません。ただ、外に目を向けることに、今は価値が置けないというか…。
そうは見えないでしょうが、これでも「世の中、捨てたものではない」と心から思っているんです(それは、ちょっと救いでしょう?)。

苦しくて、思わず書いてしまいました。落語の話じゃなくてすみません。
by 永遠の通りすがり (2010-02-07 15:50) 

まみしゃん

脳腫瘍の手術の後、眼が不自由になった父が喜ぶことないかなぁ~と思いついたのが落語のCDでした。
この間入院した時は、病院と地域の行事の寄席を堪能してきたそうです。地元の高校の教頭先生や弁護士さんが落語家もしているそうです^^;
笑うことは脳にいちばんの刺激になるそうですが・・・自分は笑っているのかどうか。
自分の人生、少しでも面白さを感じる余生を過ごしたいものです(^^)
そうそう、私がライブ参戦していた時代は、並ばなくてもチケットGETできたものですが・・・B'zなんて、ファンクラブに入っていても手に入りませんね!

by まみしゃん (2010-02-07 16:05) 

ちびらママ

私も踊らされてる人間ですね。
未だにコントロールの難しい時間が訪れます。
でも、私を救ったのは直感ではありませんでした。
by ちびらママ (2010-02-07 20:03) 

fujiki

iyashi さんへ
「猫の皿」は僕も好きです。
どちらかと言うと、
飄々とした小品が好きです。

by fujiki (2010-02-07 20:06) 

midori

お休みのところお疲れ様です.
私も今日は夕方から仕事で,いま帰ってきました.

今日のはなんだか,ガツンときました.
昨日はぼんやり過ごしたので,良い刺激になったかもしれません.
by midori (2010-02-07 20:22) 

fujiki

a-silk さんへ
ゆっくりでも、必ず回復されると僕は思います。
確かに低血糖は怖いですね。
気を付けていても、
ちょっとした体調の変化で、
急に起こることがあります。

by fujiki (2010-02-07 20:40) 

fujiki

永遠の通りすがりさんへ
コメントありがとうございます。

僕は無力ですが、
絶対にあきらめるつもりはありません。
こんな言い方はおかしいかも知れませんが、
気長にやりましょうね。
(ごめんなさい。また失言したような気もします。
もっと実のあることが言えるといいのですが…)
by fujiki (2010-02-07 20:49) 

fujiki

まみしゃんさんへ
コメントありがとうございます。

そうですね。
以前は本当に好きな人しか、
ライブには行かなかったので、
結構チケットを取るのも楽だったような気もします。
最近はもう並んだりすること自体が、
無理な感じです。

by fujiki (2010-02-07 20:51) 

fujiki

midori さんへ
僕もさっき戻りました。
お疲れ様です。

by fujiki (2010-02-07 20:54) 

fujiki

ちびらママさんへ
コメントありがとうございます。

そうですね。
迷路を抜ける鍵は、
幾つもあるのだと思います。
断定的な表現になり過ぎたことを、
お許し下さい。


by fujiki (2010-02-07 21:19) 

永遠の通りすがり

失言ではありませんよ、勿論。
私が言葉に過剰に反応して動揺してしまうだけです。

コメント欄の名前通り、もう永遠に六診を通りすがってしまわないといけないかな…という気持ちがいつもあるので、そのように言って頂けるのは、素直に嬉しいです。
by 永遠の通りすがり (2010-02-07 22:19) 

永遠の通りすがり

言葉が変ですね。
つまり、診療所の下あたりを通り過ぎるくらいの存在にならないといけないのかな、患者失格かなという思いが常にあるという意味です。
改めて、酸欠恐るべし、です。頭が働かない。
by 永遠の通りすがり (2010-02-07 23:32) 

hikkabouya

 i-tune music storeからダウンロードした志ん生師匠の「らくだ」を愛聴していますが、やっぱり後半はなく、酔った屑屋さんがらくだの兄貴分に「魚屋へいって、マグロのブツをもらってこい。いやだといったらカンカンノウだ。」というところで終わっています。
 他の人が語れば、陰鬱になる話も志ん生師匠にかかればアッケラカンとした笑いになるから不思議です。
 だけど、「らくだ」だけでなく、「黄金餅」や「品川心中」など陰惨な後半部分が端折られることが多くなっていくのは、残念な気がします。
by hikkabouya (2010-02-08 15:24) 

fujiki

hikkabouya さんへ
コメントありがとうございます。

今はまあ、そういう時代なので、
仕方がないのかも知れませんね。
陰惨なものは、ないことにしておきたいのかも知れません。
by fujiki (2010-02-08 22:53) 

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