SSブログ

人体実験としての医療の話 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みで今起きたところです。

たとえばある薬を使って、
予想外の効果があったとしますよね。
抗けいれん剤として開発された薬に、
抗うつ作用のあることが分かり、
抗うつ剤として使用されることになったとか、
睡眠剤がある種の患者さんにとっては、
覚醒作用があってその目的に使用されたり、
睡眠剤として開発された薬が、
その目的には使用出来ず、
癌の治療に効果のあることが分かった、
とかという事例です。

薬の歴史は実はこうしたことの繰り返しとも言えるもので、
現在使用されている薬のうち、
かなりの比率を占める薬剤が、
その開発発売時の使用法とは、
異なる目的に使われたり、その使用量や使用法が異なっている、
という事実があります。

どのようにしてこうしたことが分かるのかと言えば、
それは勿論医者が患者さんに処方をするからです。

知識を得て、マニュアル通りの処方をするのが、
良い医者とは限らない、という所以がこの辺りにあります。

患者さんがある薬に対して、
通常とは違う反応を示し、
血圧を下げる薬の筈なのに、
飲み始めてから血圧が却って上がった、
と主張したとします。
どのマニュアルや文献を見ても、
その薬で血圧が上がる、などとは書いてはありません。
その時に、この薬で血圧が上がる訳はない、
と患者さんの言葉を一方的に否定するのではなく、
ひょっとしたら、患者さんの体質や状況の違いによって、
この薬は血圧を上げる場合もあるのではないかしら、
と考えることが、良い医者の条件ではないか、
と僕は思い、そうした意味合いの記事も、
何度か書いて来ました。

ところが…

最近ある人から、
「それは人体実験ではないのか」、
と言われて強いショックを受けました。

その方は多くの医者から、
思い付きのように多くの薬剤を処方され、
そのために却って体調を崩されたと感じ、
そのようにして医者が患者さんに処方する行為を、
「人体実験」と感じたのです。

僕は医者という仕事が決して嫌いではありませんが、
その一方では一刻も早く医者を辞めたい、
という思いも持っています。
その辞めたいと思う理由の大きなものが、
この医者の「人体実験的思考」です。

そのことを常に頭に置いていたつもりでありながら、
薬の効用についての話を、
何か得意になってしていた訳です。
ある種の薬が他の用途に使用出来る可能性の広がること、
薬というものの持つ、新しい可能性の開けること、
それを無批判に素晴らしいことのように感じていたのです。
その瞬間には、それがある種患者さん不在の、
「人体実験的思考」でもあったことを、
僕自身忘れていた訳です。

医療というのは、
基本的にある種の「非人間性」を持っています。

医者が患者さんに薬を出し、注射をし、処置をするという行為は、
患者さんに常に不利益をもたらす可能性を持ち、
その一方で予想を超える効果をもたらす場合もあります。
その意味でこれは一種の賭けです。
そして、人体実験でもあります。
患者さんを実験動物のように無機的にとらえる視点が、
そこには常に存在し、
またそうでなければ人間としての医者は、
人間としての患者さんを前に、
ただ立ち尽くすだけで、
何の処置も行なうことは出来ないでしょう。

有能な医者とはどういう人種でしょうか。
勿論それだけではいけないのですが、
ある意味患者さんを実験動物として見ることの出来る、
ある種の冷徹さを持った生き物だと、
僕は思います。

診療というのは常に「人体実験」です。
ただ、人間としての医者は、
そこに常にある種のやましさを感じつつ、
診療にあたっているのです。

以前お話したEBMというのは、
そのやましさを見えづらくするための手段、
という言い方が出来るかも知れません。

大規模な臨床試験を行ない、その結果を元に、
マニュアル化された診療を行なう、
という段取りは何のためにあるのでしょうか?

臨床試験というのは、要するに「人体実験」そのものです。
でもこれは端から登録された患者さんも、
人体実験と知った上で、承諾を得た上で行なうのですから、
医者にとってのやましさは軽減されるのです。
人体実験の結果を元に、そのマニュアル通りに診療を行なえば、
日々の診療におけるやましさもなくなります。

しかし、それで本当に患者さんにとって、
より良い医療が提供されている、
と言えるでしょうか?
「人体実験」を排した筈の治療が、
却って非人間的に思えるところに、
この問題の複雑さがあるような気がします。

医療は患者さんを実験台のように見ざるを得ない、
という冷酷さを抱えています。
その冷酷さを認めた上で、
どう人間として患者さんという人間に向き合えるのか、
というところに、これからの医療をより良いものにしてゆく上での、
鍵が隠されているような気がします。

すいません。
何かちょっとまだまとまりません。
また、誤解を招くようなことを、
書いてしまったような気もします。

「誰か」に対しての、お答えになっていれば嬉しいのですが…

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(3)  コメント(6)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 6

さすらいの

どちらが先か、胃腸薬のドグマチールが今や抗精神病薬の花形っていうこともあるのでしょうね。生き身の人間、ましてや個体差があって、、、奥が深いといえば言えることでしょうか。テレビ、携帯電話等のIT関係が日進月歩するなかで細分化された薬が出来て患者にぴたりと効くシステムができないものでしょうか。そうすると「おもしろくもなんともない」世界が誕生してしまうのかも知れませんが。
by さすらいの (2009-07-19 09:20) 

ラジオネームFAM

副作用についても同じことが言えますね。
医療関係者以外の方にとって、「副作用」と聞いて、真っ先に「好ましくない作用」、「有害な作用」と認識されているのではないでしょうか?
でも、実際はすべてがすべて「好ましくない」、「有害な作用」ではありません。また、臨床試験などでは判らない、実際に使われてみてや他の薬物との相互作用などにより生じる副作用があるということを、世間一般に判っていただくにはどうすればいいか。
日々の仕事で模索しています。
by ラジオネームFAM (2009-07-19 10:11) 

purin

以前お話ししたか分かりませんが、私は以前医者にアレコレ薬を処方された挙句、面白おかしく私の事を書かれた本を出版されました。
その本を見て強いショックと怒りが隠せませんでした。
先生のように、人として人を診れる方、そして考えられる方は少ないと思います。
そういう先生にこそ、医者と言う職業を辞めずに頑張って頂きたいと私は思います。
酷な事とは思いますが、先生のような方を必要としている患者さんは多くいるのではないでしょうか?
私も後2ヶ月で関東に戻りますが、先生と是非お話しさせていただけたら…と思っておりますし、先生のお力が必要です。
どうか、辞めるなんて悲しいことを仰らないで欲しいです。
by purin (2009-07-19 17:22) 

fujiki

さすらいのさんへ
コメントありがとうございます。
オーダーメイド治療には、
僕自身はあまり信頼を持っていません。
結果としてデータ重視の振り分けに終わるような気がするからです。
by fujiki (2009-07-19 23:15) 

fujiki

ラジオネームFAMさんへ
コメントありがとうございます。
その通りだと僕も思います。
副作用のある薬が悪い薬なのではなく、
副作用から薬の可能性が広がることも多いですし、
本当に優れた薬とは、副作用が存在して、
そのメカニズムが分かっていて、
コントロール可能な薬だと思います。
ただ、臭い物に蓋で、副作用が見付かると、
可能性のある薬が葬り去られるのが実状ですね。
難しい問題です。
by fujiki (2009-07-19 23:19) 

fujiki

purinさんへ
コメントありがとうございます。
お辛い体験をされたのですね。
医者不信になっても仕方のないことだと思います。
僕も心に刻みます。
by fujiki (2009-07-19 23:22) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0