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村上春樹「1Q84」 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みでたった今、
村上春樹の「1Q84」を読み終わったところです。

如何にも村上春樹らしい力作で、
予想していたより充実感をもって読了しました。

以下、ちょっとネタばれを含む感想です。
未読の方はご注意下さい。

作品は青豆という奇妙な名前の女性と、
同い年の天吾という男性の、2人の主人公の2つのパートが、
交互に語られる構成になっています。
ある理由で現実とはちょっと違う1984年が舞台で、
その年に2人は30歳という設定なので、
村上春樹本人より、5歳ほど年下、ということになります。

作者はこれまでに、
こうした2つのパートが交互に展開する長編を、
2回書いています。

その1つ目が「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で、
2つ目が前作の「海辺のカフカ」です。
「世界の終わり…」は鏡の裏表のような2つの世界が結び付いている、
というシンプルな構成で、
「海辺のカフカ」はもう少し複雑ですが、
2つの世代の物語を並立させる試みが、
必ずしも成功していたとは言えませんでした。

今回の作品は「海辺のカフカ」に比べると、
その辺りの構成は緻密に出来ていて、
20年前に運命的な結び付きを持った2人が、
互いに惹かれ合いながら、別々の物語を生き、
最後まで現実の肉体としては出逢うことは出来ないけれど、
お互いの幻想の中にその存在を確認する、
という趣向になっています。
個々の物語の中で、
父と子のような縦の軸が物語られ、
「海辺のカフカ」や「スプートニクの恋人」に描かれたような異界が、
現実と対比されますが、それも個々の物語の中での、
縦の軸として描かれます。
多くの二項対立とそのバランスとしての融和が描かれ、
その象徴として、空には2つの不揃いな月が浮かびます。

村上春樹の現時点での集大成であり、
一種の全体小説として書かれたことは間違いはありません。

例によって読書好きをくすぐるような、
引用の数々は巧みで、
表題のいわれにもなったオーウェルの「1984年」を始めとして、
「平家物語」から「チェーホフ」、
「カラマーゾフの兄弟」にアリストテレスからユングまで。
音楽はヤナーチェクにバッハから、得意のジャズ。
映画は「ミクロの決死圏」に「華麗なる賭け」に「ゲッタウェイ」と、
マイナーにはなりすぎずに、
気になるものを並べる辺りがさすがで、
そこに「猫の町」という如何にもありそうな、
架空の小説が挟まります。

欠点を言えば、文章は回りくどく、
繰り返しが多過ぎますし、
どんな人物も何故か同じレトリックの話し方をします。
会話において、基本的に1つの文体しか存在しないのです。
従って、作者が無理に違った話し方をさせている人物
(この作品では牛河という悪役)は、
とても人間とは思えない不自然な話し方をします。
多分普段テレビなどはご覧にならないのだと思いますが、
それで却ってネーミングがやぼったくなります。
宗教団体の名前が「さきがけ」というのも、
どうかと思いますし、
美少女小説家の名前が「ふかえり」というのも、
何かとっても恥ずかしい感じです。
青豆といういう主人公の設定にしても、
洋館に住む謎の富豪老婦人から依頼を受け、
DV男の首にアイスピックを突き立てる女殺し屋、
というのはどうなんでしょうか。
普通の人なら設定を思い付くだけで、
赤面してしまいそうです。

でも、それが意外と最後まで読むと、
そんな青豆さんが結構いとおしい存在に思えるのが不思議です。
この辺が唯一無二の作者の腕ですね。

この作品には明らかにオウムをモデルにした新興宗教が登場し、
1997年の東電OL事件をモデルにした設定も現われます。
90年代の事件を80年代に描いている訳です。
この作品に出て来る新興宗教の教祖は、
元々は学生運動の指導者で、
それがある日啓示を受け、
超能力を持つ教祖になるのです。
彼を教祖にするものは、
リトルピープルという異界の存在であり、
それは結局「羊をめぐる冒険」の特別な羊と同じものです。

村上春樹の頭の中では、
学生運動の頃の反資本主義的なエネルギーが、
オウムに繋がるという流れが想定されている訳です。

でも、僕は正直その考え方には反対です。
学生運動の水脈みたいなものとは、
オウムやカルトの存在は、
別個のものと考えるべきだし、
強引にそう思うのは、
自分達の世代が今に大きな影響力を及ぼし、
今の物語を書き換えているのだ、
という願望がそうさせているのではないかな、
という気がします。
村上春樹は名著「アンダーグラウンド」を書き、
「アンダーグラウンド2」では信者のインタビューまでしたのですから、
ことの本質はしっかり捉えている筈なのに、
何故なのかな、というのは僕の一番の不満です。

最後に僕ならではの小ネタを幾つか。

青豆さんの死ぬ場面は、
明らかに「アンナ・カレーニナ」の影響ですね。
これは意図的になぞっているのだと思います。
後、天吾が父のいる療養所で、
病状ごとに病棟が分かれていて、
次第に死に近付く、という描写は、
ブッツァーティという作家の「七階」という短編のイメージです。
原作が極め付きの名作だけに、
これはちょっとずるいな、という感じです。
後、療養所の医者が登場しますが、
とても医者とは思えません。
総じて専門職の生き方を、
作者は基本的にご存知ないのだと思います。

今日は少しだけ部屋を片付けました。
少し片付けると、その分だけ頭の中も整理され、
少しだけすっきりした気分になります。
それなら、毎日片付ければいいのですが、
なかなかそう出来ないところが、
凡人の辛さですね。

これからちょっと散歩に行きます。
少し気分を変えたいので。

それでは今日はこのくらいで。

良い休日の夕暮れをお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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