M&Oplaysプロデュース「リムジン」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
3年前にコロナ禍で全公演中止となった倉持裕さんの新作が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。
倉持裕さんは多彩な作品を発表されていますが、
今回は師匠筋の岩松了さんを少し思わせるところのある台詞劇で、
倉持さんならではという独自性も感じられ、
完成度の高い優れたお芝居で感銘を受けました。
向井理さんと水川あさみ演じる夫婦が、
ちょっとした自分の過ちを隠蔽してしまったことから、
結果として他人に忖度をしなければならなくなり、
自由な意志の元に行動することが出来なくなる、
という今の世の中の構造の中で、
とても一般的な心理を描いたものです。
これは大仰に作品化するのであれば、
純粋な志を持っていた若者が、
大人に付け込まれて、
結果として悪徳政治家になってしまう、
というお話になったり、
映画になった「お前の罪を自白しろ」みたいな作品になる、
というようなテーマです。
ただ、倉持さんはそうした大仰な作品にはせず、
もっと多くの人にとって身近な世界、
とても些細な出来事の連鎖の裏に、
同じ心理の構造がある、
という描き方をしています。
舞台は田舎町に設定され、
主人公の夫婦は、
出来の悪い兄の代わりに、
父の工場を継ぐことになります。
そこに町の有力者から、
自分の後継の組合長にならないか、
という話が舞い込みます。
ささやかな出世の可能性に喜んだ2人ですが、
有力者と一緒に行った狩猟の場で、
誤ってその有力者を誤射してしまいます。
怪我は軽症でさほどの問題ではなかったのですが、
それを正直に言い出せなかったことから、
その疚しさを感じる心理が、
2人の人生を変えて行くのです。
主人公は権力を持ち、
それを行使しないといけないのですが、
それを国会議員などではなく、
町の組合長という、
多くの人にとって手が届きそうで届かない、
というようなニュアンスの、
絶妙な距離感に設定しています。
そしてその権力の行使というのも、
大掛かりな汚職などではなく、
小学校のスクールバスを運行させる、
というような身近な陳情なのです。
少人数しか登場しない舞台の中で、
誰でも感じていて意識はしていない、
些細な感情の本質に切り込むというのは、
岩松了さんも得意とするテーマです。
ただ、一時期の岩松さんであれば、
その感情の昂ぶりが、
舞台の後半に唐突なカタストロフ、
それは暴力であったり、殺人であったり自死であったりもするのですが、
そうしたショッキングな展開が用意されていました。
それが今回の作品ではそうした感情の爆発はなく、
確かに何度か、
主人公が感情を爆発させて、
真相を話してしまいそうになる瞬間はあるのですが、
それは結果として爆発することはなく、
一種の寸止めとしてその場は終わります。
最後まで感情の揺らぎと寸止めだけが提示され、
そのまま舞台は終わるのです。
凡百の作家と演出家であれば、
ここまで何もない話を、
娯楽性も伴った台詞劇として成立させるのは、
至難の業だと思います。
それが曲がりなりにも優れた演劇として成立しているのは、
第一には倉持さんの台詞の精度の高さがあり、
登場人物7人のキャラ設定の巧みさがあります。
主人公以外に作品には、
小松和重さんと青木さやかさんが演じる、
もう1組の夫婦が登場し、
田村健太郎さん演じる、
主人公達より一世代下の、
「挨拶も出来ない」青年が登場します。
こうした人物達は、
ちょっとずらした形で、
主人公達の、
あるべき姿やあったかも知れない姿を、
表現しているのですが、
夫婦2組のヒエラルキーは、
最初とラストで、
見掛けは同じで実際には反転していますし、
田村さんは途中で意図せざる些細な失敗をして、
それを雰囲気に流されずに、
正直に話してしまって笑いを取ることで、
主人公達のそうであったかも知れない未来を、
巧みに表現しています。
主人公の隠蔽は最初は「無意識の行為」として始まります。
その無意識の裏にある心理構造のようなものが、
この作品の最も描きたかった部分ではないかと思うのですが、
挨拶も出来ない今風の若者が、
その「無意識の行為」をひょいと乗り越えてしまう、
という辺りに、 この作品の底の深さが表われています。
こうした幾何学的な精緻さのようなものが、
今回の作品の真骨頂ではないかと思います。
岩松作品にもそうした一種のシンメトリーは登場するのですが、
もっとシニカルで意地悪な岩松さんは、
こうした分かり易い人物は登場させず、
同じような関係性で登場しても、
それが途中で曖昧になるような、
観客を混乱させる仕掛けを用意しています。
その点はもっと親切で分かり易い岩松戯曲、
という感じをこの作品は出しているのです。
キャストは皆好演で、
間合いの1つ1つまで作品を理解した演技をしているので、
結果として作品の肝となる、
主人公2人の心理が、
台詞の流れを超えてリアルに感じられる、
という素晴らしさに繋がっています。
そんな訳でやや演劇マニア向けの作風で、
全くの演劇初心者には向かないと思うのですが、
現代的な心理劇の傑作で、
演出、役者とも高いレベルでの上演なので、
迷われている方がいれば、
是非にとお勧めしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
3年前にコロナ禍で全公演中止となった倉持裕さんの新作が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。
倉持裕さんは多彩な作品を発表されていますが、
今回は師匠筋の岩松了さんを少し思わせるところのある台詞劇で、
倉持さんならではという独自性も感じられ、
完成度の高い優れたお芝居で感銘を受けました。
向井理さんと水川あさみ演じる夫婦が、
ちょっとした自分の過ちを隠蔽してしまったことから、
結果として他人に忖度をしなければならなくなり、
自由な意志の元に行動することが出来なくなる、
という今の世の中の構造の中で、
とても一般的な心理を描いたものです。
これは大仰に作品化するのであれば、
純粋な志を持っていた若者が、
大人に付け込まれて、
結果として悪徳政治家になってしまう、
というお話になったり、
映画になった「お前の罪を自白しろ」みたいな作品になる、
というようなテーマです。
ただ、倉持さんはそうした大仰な作品にはせず、
もっと多くの人にとって身近な世界、
とても些細な出来事の連鎖の裏に、
同じ心理の構造がある、
という描き方をしています。
舞台は田舎町に設定され、
主人公の夫婦は、
出来の悪い兄の代わりに、
父の工場を継ぐことになります。
そこに町の有力者から、
自分の後継の組合長にならないか、
という話が舞い込みます。
ささやかな出世の可能性に喜んだ2人ですが、
有力者と一緒に行った狩猟の場で、
誤ってその有力者を誤射してしまいます。
怪我は軽症でさほどの問題ではなかったのですが、
それを正直に言い出せなかったことから、
その疚しさを感じる心理が、
2人の人生を変えて行くのです。
主人公は権力を持ち、
それを行使しないといけないのですが、
それを国会議員などではなく、
町の組合長という、
多くの人にとって手が届きそうで届かない、
というようなニュアンスの、
絶妙な距離感に設定しています。
そしてその権力の行使というのも、
大掛かりな汚職などではなく、
小学校のスクールバスを運行させる、
というような身近な陳情なのです。
少人数しか登場しない舞台の中で、
誰でも感じていて意識はしていない、
些細な感情の本質に切り込むというのは、
岩松了さんも得意とするテーマです。
ただ、一時期の岩松さんであれば、
その感情の昂ぶりが、
舞台の後半に唐突なカタストロフ、
それは暴力であったり、殺人であったり自死であったりもするのですが、
そうしたショッキングな展開が用意されていました。
それが今回の作品ではそうした感情の爆発はなく、
確かに何度か、
主人公が感情を爆発させて、
真相を話してしまいそうになる瞬間はあるのですが、
それは結果として爆発することはなく、
一種の寸止めとしてその場は終わります。
最後まで感情の揺らぎと寸止めだけが提示され、
そのまま舞台は終わるのです。
凡百の作家と演出家であれば、
ここまで何もない話を、
娯楽性も伴った台詞劇として成立させるのは、
至難の業だと思います。
それが曲がりなりにも優れた演劇として成立しているのは、
第一には倉持さんの台詞の精度の高さがあり、
登場人物7人のキャラ設定の巧みさがあります。
主人公以外に作品には、
小松和重さんと青木さやかさんが演じる、
もう1組の夫婦が登場し、
田村健太郎さん演じる、
主人公達より一世代下の、
「挨拶も出来ない」青年が登場します。
こうした人物達は、
ちょっとずらした形で、
主人公達の、
あるべき姿やあったかも知れない姿を、
表現しているのですが、
夫婦2組のヒエラルキーは、
最初とラストで、
見掛けは同じで実際には反転していますし、
田村さんは途中で意図せざる些細な失敗をして、
それを雰囲気に流されずに、
正直に話してしまって笑いを取ることで、
主人公達のそうであったかも知れない未来を、
巧みに表現しています。
主人公の隠蔽は最初は「無意識の行為」として始まります。
その無意識の裏にある心理構造のようなものが、
この作品の最も描きたかった部分ではないかと思うのですが、
挨拶も出来ない今風の若者が、
その「無意識の行為」をひょいと乗り越えてしまう、
という辺りに、 この作品の底の深さが表われています。
こうした幾何学的な精緻さのようなものが、
今回の作品の真骨頂ではないかと思います。
岩松作品にもそうした一種のシンメトリーは登場するのですが、
もっとシニカルで意地悪な岩松さんは、
こうした分かり易い人物は登場させず、
同じような関係性で登場しても、
それが途中で曖昧になるような、
観客を混乱させる仕掛けを用意しています。
その点はもっと親切で分かり易い岩松戯曲、
という感じをこの作品は出しているのです。
キャストは皆好演で、
間合いの1つ1つまで作品を理解した演技をしているので、
結果として作品の肝となる、
主人公2人の心理が、
台詞の流れを超えてリアルに感じられる、
という素晴らしさに繋がっています。
そんな訳でやや演劇マニア向けの作風で、
全くの演劇初心者には向かないと思うのですが、
現代的な心理劇の傑作で、
演出、役者とも高いレベルでの上演なので、
迷われている方がいれば、
是非にとお勧めしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2023-11-18 11:03
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