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「Winny」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
winny.jpg
新鋭松本優作監督が、
ファイル共有ソフトWinnyの開発者が逮捕起訴され、
7年の裁判を戦った実話を、
極めて刺激的で感動的な社会派ドラマとして映画化しました。

その見事な構成力と取材の重み、
主演の東出昌大さんを初めとする役者陣の入魂の演技には、
今年一番と言って良い感銘を受けました。

正直映画としての完成度には、
今一つという部分もあるのですが、
企画からテーマ、役者の演技に演出と、
これぞ映画という血の滾った力作で、
これはもう是非にお勧めしたいと思います。

以下、多分蛇足的な感想です。

出来れば映画をご覧になった後でお読み下さい。

絶対に観る価値のある映画ですし、
最初にあまり情報はない方が、
その魅力を充分に堪能出来ると思うからです。

これね、映画としては、
権力組織の悪と対決するという、
まあ古めかしい素材で、
昔山本薩夫監督が作った社会派映画みたいな感じなんですね。
その映像の雰囲気やタッチも、
特にウィニー事件と並列して語られる、
警察の裏金告発事件の方は、
多分意図的にそうした古い社会派映画の作りになっています。

でもその古めかしい話が、
実際に21世紀に起こったことなんですね。
一旦メンツを潰されると、
あらゆる権力装置を使って、
なりふり構わずに個人を潰しに掛かる、
警察権力というものの怖さと、
一旦「悪」というレッテルが貼られると、
それに乗っかって思考停止し、叩き続けるという、
メディアとそれを信じてしまう僕達の同調圧力の怖さのようなものを、
ここまで生々しく描いた映画は、
確かに一昔前には定番であったのですが、
最近はあまりないと思います。

それも丹念な取材に基づいて、
「分からないことは推測では画にしない」
という姿勢で描かれているんですね。
これが出来そうで通常は出来ないことで、
この映画の素晴らしさだと思います。

普通、警察と検察とがなれ合いで悪事をする、
というようなお話を作ると、
ステレオタイプな悪人同士の、
それこそ「おぬしも悪よのう」みたいな場面を、
絶対作るんですね。
でも、この映画にはそうした場面は1つもないんですね。
それは取材で確認された「事実」ではなく、
「憶測」であるからですね。
その代わりに実際に裁判での警察官の台詞や、
弁護士が抗議に行った時の検察官の台詞の中に、
裏にあるそうした気配のようなものを、
漂わせるという作劇をしています。

観客にとっては、分かり易い話の方が好き、
という傾向は確実にあるので、
それに迎合すると「悪」の場面と、
それが糾弾されたり、へこまされたりする場面を、
作りたくなるんですね。
山本薩夫監督はその辺を良く心得ているので、
必ずクライマックスでは、
主人公が怒りを爆発させるという場面を作るのです。

しかしこの映画の作り手は、
そうしたことをしていないのです。

その代わりに映画を成立させているのは何かと言えば、
1つは事実の重みです。
こういう事実を元にした映画の作りとしては、
途中で現実のニュース映像や、
現実の人物へのインタビューなどを、
交えるのが1つの定番の演出ですよね。
この映画を観ていると、
途中までは少し物足りなさを感じ、
そうした実録映像を見たいような気分になるんですね。
でも、その代わりにこの映画では、
裁判でも記者会見でもテレビ映像でも、
実際の言葉を忠実に使っているんですね。
それがリアルさをしっかりと担保していて、
それでラストになった初めて、
実際の主人公の語る映像が登場します。

ああ、なるほどこういう計算で実際の映像を出さなかったのね、
と感心しましたし、
実際の主人公の語る言葉が、
観客の心に強い感動を持って響くのです。

リアルな裁判の場面が作品中の白眉で、
書類を確認したりのちょっとしたやり取りまで、
細部にリアルさが追求されているので、
そこで発せられた言葉の応酬を、
臨場感を持った事実として受け止めることが出来ます。

ここでも、通常はもっとドラマとしての山場を作り、
盛り上げたいところではあるのですが、
煽り的な演出は極力排して、
その経過を客観的に追うことにより、
司法制度の歪さのようなものが、
より明瞭に観客に届けられた、という気がします。

今回の映画で何より特筆するべきは役者陣で、
主人公のソフト開発者を演じた東出昌大さんは、
まさに入魂の演技で、
プログラムでしかコミュニケーションが取れないという天才を、
見事に演技として立ち上がらせ、
ラストの実際の映像に繋げた手際は、
素晴らしいと言う以外言葉がありません。

ああ、この人には僕達とは全く違う見え方で、
世界が見えているんだろうなあ、という実感を、
リアルにこちらに伝えてくれました。

対する弁護士役の三浦貴大さんも、
受けの演技で少し損な役回りですが、
その精度の高い演技でこの作品の背骨を支えていました。
百戦錬磨の老獪な弁護士を演じた吹越満さんがまた絶妙で、
たまに素のおちゃらけめいたところがあるのがご愛敬ですが、
裁判でのやり取りなどは、
この作品の信憑性の部分を大きく支えていました。
また「悪の片鱗」を短い出番で表現しなければいけない役回りである、
渡辺いっけいさんと渋川清彦さんも、
演出の意図によく応えていたと思います。

この映画でもう1つ特筆するべきはその構成で、
ウィニー事件については、
第一審の裁判をリアルに描いて、
敗訴と、上告への意欲までを描くと、
主人公の死にジャンプして、
三浦貴大さんと主人公の姉役の吉田羊さんとの対話で締め括り、
その後の経過を字幕で語って、
ラストの実際の主人公の映像に繋げます。
これはまあ黒澤監督の「生きる」方式ですね。

本来一番重要と思える部分を敢えて「余白」にする、
という手法です。
これが成功したかどうかは何とも言えなくて、
ネットでは「勝訴した上告審こそ描いて欲しかった」
という当然とも言えるような意見も多いので、
そうした意見の方にとっては失敗であったのかも知れません。
個人的には裁判の経過を執拗にたどるには、
第一審が適切ですし、
これ以上裁判場面を重ねるのは退屈を招き、
ラストの実際の映像のインパクトも削ぐ結果になるので、
これで良かったように感じました。

もう1つの構成上の特徴は、
一見無関係と思える警察裏金事件を並行して描き、
ウィニーで流出したファイルが裏金事件の証拠となることにより、
その2つを結び付けるという趣向です。
正直裏金事件の描き方は、
ややステレオタイプな社会派ドラマのスタイルなので、
陳腐な感じを受けることは確かです。

こうした構成が必要だったのか、
という点も微妙なのですが、
これも言ってみれば2つの事件の間に、
語られない「余白」があって、
それが作品の一番のテーマである、
ということだと思うのですね。
でも、その関連を直接的に描くことは、
憶測に踏み込むことになり、
主人公の意図を勝手に斟酌して、
同調圧力を作り上げたマスコミの権力と、
同じことをしているという自戒があったように思います。

このように言いたいことはなかなか尽きないのですが、
今年これまでに観た映画の中では、
一番感銘を受けた1本で、
上映されている映画館の数も少ないですし、
上映自体もそれほど長くはなさそうですが、
これは映画館で観るべき映画だと思います。
シネスコの画面で主人公の最後の陳述場面を観るだけで、
それは強く感じ取れると思いますので、
是非是非映画館に足を運んで頂きたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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