ヴィヴァルディ「メッセニアの神託」(ビオンディ再構成版日本初演) [オペラ]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から意見書など書いて、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
先日神奈川県立音楽堂の開館60周年記念公演として、
ヴィヴァルディのバロック・オペラ「メッセニアの神託」が、
2回のみ上演されました。
これは本当に待望の公演で、
個人的には今年一番の楽しみでした。
神奈川県立音楽堂は、
横浜の丘の上にある古いホールで、
上野の文化会館をうんと小ぶりにしたような雰囲気ですが、
時々思い切った魅力的な企画を実現させてくれます。
中でも2006年にたった1回のみ上演された、
ヴィヴァルディの「バヤゼット」は、
イタリアの気鋭のバロック音楽アンサンブル「エウローパ・ガランテ」が、
音楽監督ファビオ・ビオンディの采配による、
ワクワクするような躍動感ある演奏を聴かせ、
ジュノーやバルチェローナを始めとする、
綺羅星の如き歌手陣が、
名唱を披露しました。
僕がこれまで生で聴いた中では、
日本のオペラ上演で最高の舞台だったと断言出来ます。
今回の「メッセニアの神託」は、
同じビオンディの「エウローパ・ガランテ」が音楽監督を務め、
「バヤゼット」で最高の歌唱を聴かせたヴィヴィカ・ジュノーが、
2006年以来の再登板。
それに、若手では最高のアジリタ歌いと世評の高い、
ロシアのメゾ、ユリア・レーシネヴァが加わります。
ジュノーは最近あまり活躍の噂を聞かないので、
9年の歳月でどう変わったか変わっていないのかは心配でしたが、
レーシネヴァの前評判は抜群なので、
それだけでも期待は高まります。
実際の観劇後の感想は微妙なところで、
前回のジュノーを彷彿とさせる、
レーシネヴァの超絶技巧の歌唱は、
予想を上回る興奮がありましたが、
ジュノー自身は主役ではあるものの、
超絶技巧の披露はありませんでしたし、
頑張っていましたが、
ブランクを感じさせる歌唱でした。
作品自体はヴィヴァルディの完全なオリジナルということではなく、
バロックアリアの名曲を、
あちこちから集めて来て、
残っている資料から再構成したもののようです。
ストーリーは分かっていて、
どういうアリアが使われていたのか、
というような点についての資料は残っているのですが、
オリジナルの台本も楽譜も失われているので、
あちこちの曲をアレンジして、
ビオンディさんがパッチワークのように繋ぎ合わせて、
それらしい作品にしているのです。
先代猿之助が創作した復活狂言に良く似ています。
あれも一応原作は古典にあるのですが、
実際には多くの場面は有名な作品からアレンジして流用し、
繋ぎ合わせて1つの作品にしたものなのです。
ビオンディさんのプレトークでは、
こうしたオペラはそのまま上演すれば5時間くらい掛かり、
それでは現代人の生理には合わないので、
こうしたアレンジをして上演しているのだ、
というような話があり、
猿之助も同じようなことを常日頃言っていたことを思い出しました。
洋の東西を問わず、
古典を愛しそれを現代に復活させようと考える藝術家の心性というものは、
変わりがないということかも知れません。
こうした藝術家を僕は敬愛します。
ポイントは「古典への愛」に尽きるので、
それを基本に置いた上で、
後は極めて大胆に作品をアレンジするのです。
今回の作品はただ、オペラ・セリアとしての骨格が明確にあり、
演劇的な要素が強いので、
それが個々の歌手のアリアの技巧を楽しむ、という、
バロックオペラの愉楽と、
必ずしもうまく癒合していない、
という欠点があります。
前回の「バヤゼット」は、
もっとストーリー性の薄い、
はっきり言えば、どうでも良いような物語しかないので、
純粋な歌手の歌合戦的な妙味があり、
それに徹していた感じがあって面白かったのですが、
今回の作品はストーリーに合わせて歌がある、
というスタイルで、
ストーリー重視の後年のオペラに近いので、
歌合戦にするのか、ストーリー重視でいくのかが、
不鮮明になっていました。
前回の「バヤゼット」では、
歌手はアリアの時は、
基本的に棒立ちで正面を向いて歌うのです。
物語はアリアの間にあって、
その間はお芝居をするのですが、
アリアになれば、
その歌手のソロステージになる訳です。
アリアが終わると歌手は退場しますが、
拍手が多ければ、歌手は再び舞台に戻って来て、
カーテンコールが行われ、
それが終わってから、
次のお芝居パートに進む、という構成でした。
それが今回はアリアの途中でも、
それが舞台にいる相手に向けられたものであれば、
芝居をしながら歌を歌いますし、
アリアの後で拍手があっても、
再登場してカーテンコールをする、
というようなことはしません。
アリアがお芝居の一部である、
というスタイルが一貫していれば、
それはそれで良いのですが、
2幕7場でレーシネヴァが、
技巧を駆使した超難易度のアリアを歌い、
それがまあ今回のメインイベントなのですが、
そのアリア自体は作品からは完全に浮いています。
つまり、そのパートだけは、
「バヤゼット」と同じ歌合戦のスタイルなのです。
このパートが一番盛り上がったという事実は、
観客が求めているのも、
結局歌合戦である、ということを示しているように、
僕は思います。
ストーリーに歌が従属するオペラは、
そうしたオペラに任せておけば良いので、
このバロックオペラの企画は、
もっとその趣旨を鮮明にし、
心浮き立つ一流歌手の歌合戦で、
良かったのではないかと思うのです。
ビオンディさん率いるエウローパ・ガランテの演奏も、
レーシネヴァの超絶技巧アリアのサポートをする部分が、
最もその資質が良く現れ、
即興性を含んだ、
心躍るような演奏を聴かせてくれました。
リズムが歌手と演奏で要所でバシッと合うのですが、
その小気味よさなど、
他にはない快感です。
その一方で演技の感情を表現するような音としては、
あまり雄弁ではなかったように思います。
演出は能の様式を取り入れて、
登場人物が全て扇を持ち、
それを感情表現に使用するような、
和洋折衷のスタイルですが、
衣装などなかなか綺麗に美的センスのある仕上がりで、
そう悪くありませんでした。
こういう試みは大抵は大失敗するので、
その意味では稀有の成功例と言って良いかも知れません。
歌手の評価は、
この作品をどう捉えるのかによっても、
違って来るように思います。
レシーネヴァのアジリタは本当に素晴らしくて、
それだけで元は取って充分にお釣りが来るものだったと思います。
メゾというより、完全にソプラノの音域で、
本当に若い頃のグルヴェローヴァに遜色ない感じがあります。
実に自然で全く力むことなく、
精妙微細な音楽が、
口から心地良く、
神の泉の如くに流れ出て来ます。
現役最高のアジリタ歌いと言って、
間違いはないと思います。
ただ、作品からは彼女の歌は浮いています。
「バヤゼット」でのジュノーの超絶技巧は、
今回のレシーネヴァに遜色ない圧倒的な盛り上がりを生みましたが、
彼女の歌が、
全体から浮き上がっているような感じはありませんでした。
レシーネヴァは声質も今回の歌手陣では、
完全に1人異質ですし、
アリア自体も非常に唐突で作品世界から遊離しています。
この辺りに今回の上演の一番の問題があると思います。
「バヤゼット」の立役者のジュノーは、
かつてのアジリタの女王ですが、
ビジュアル的には充分まだ若々しく、
往年の女豹のような肢体も変わりがありませんでした。
その声質もかつてのカストラーテの役柄を歌うに相応しい美声です。
ただ、声の伸びは明らかになくて、
あまり最近は歌い込んでいない感じです。
また、演じた役柄は、
どちらかと言えばドラマチックな表現が求められ、
装飾歌唱は少ないものなのですが、
所々のアジリタのパートは、
明らかに音が粒だっていませんでした。
ただ、役柄的には及第点ではあったように思います。
最も今回の上演に合っていたのは、
女王メロペを歌ったマリアンヌ・キーランドというメゾで、
感情をしっかり入れたドラマチックな歌唱が、
アリアでも持続され、
それでいて歌のフォルムは崩れておらず、
技術的にもまずまずでした。
総じて優れた上演で堪能することが出来たのですが、
全体のスタイルが未統一で、
「バヤゼット」の時のような類い稀な興奮には至りませんでした。
個人的には是非手練を揃えての、
藝術的な歌合戦のようなバロックオペラを、
また誰か上演してくれないかな、
と改めて思いました。
それでは今日は次に続きます。
六号通り診療所の石原です。
朝から意見書など書いて、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
先日神奈川県立音楽堂の開館60周年記念公演として、
ヴィヴァルディのバロック・オペラ「メッセニアの神託」が、
2回のみ上演されました。
これは本当に待望の公演で、
個人的には今年一番の楽しみでした。
神奈川県立音楽堂は、
横浜の丘の上にある古いホールで、
上野の文化会館をうんと小ぶりにしたような雰囲気ですが、
時々思い切った魅力的な企画を実現させてくれます。
中でも2006年にたった1回のみ上演された、
ヴィヴァルディの「バヤゼット」は、
イタリアの気鋭のバロック音楽アンサンブル「エウローパ・ガランテ」が、
音楽監督ファビオ・ビオンディの采配による、
ワクワクするような躍動感ある演奏を聴かせ、
ジュノーやバルチェローナを始めとする、
綺羅星の如き歌手陣が、
名唱を披露しました。
僕がこれまで生で聴いた中では、
日本のオペラ上演で最高の舞台だったと断言出来ます。
今回の「メッセニアの神託」は、
同じビオンディの「エウローパ・ガランテ」が音楽監督を務め、
「バヤゼット」で最高の歌唱を聴かせたヴィヴィカ・ジュノーが、
2006年以来の再登板。
それに、若手では最高のアジリタ歌いと世評の高い、
ロシアのメゾ、ユリア・レーシネヴァが加わります。
ジュノーは最近あまり活躍の噂を聞かないので、
9年の歳月でどう変わったか変わっていないのかは心配でしたが、
レーシネヴァの前評判は抜群なので、
それだけでも期待は高まります。
実際の観劇後の感想は微妙なところで、
前回のジュノーを彷彿とさせる、
レーシネヴァの超絶技巧の歌唱は、
予想を上回る興奮がありましたが、
ジュノー自身は主役ではあるものの、
超絶技巧の披露はありませんでしたし、
頑張っていましたが、
ブランクを感じさせる歌唱でした。
作品自体はヴィヴァルディの完全なオリジナルということではなく、
バロックアリアの名曲を、
あちこちから集めて来て、
残っている資料から再構成したもののようです。
ストーリーは分かっていて、
どういうアリアが使われていたのか、
というような点についての資料は残っているのですが、
オリジナルの台本も楽譜も失われているので、
あちこちの曲をアレンジして、
ビオンディさんがパッチワークのように繋ぎ合わせて、
それらしい作品にしているのです。
先代猿之助が創作した復活狂言に良く似ています。
あれも一応原作は古典にあるのですが、
実際には多くの場面は有名な作品からアレンジして流用し、
繋ぎ合わせて1つの作品にしたものなのです。
ビオンディさんのプレトークでは、
こうしたオペラはそのまま上演すれば5時間くらい掛かり、
それでは現代人の生理には合わないので、
こうしたアレンジをして上演しているのだ、
というような話があり、
猿之助も同じようなことを常日頃言っていたことを思い出しました。
洋の東西を問わず、
古典を愛しそれを現代に復活させようと考える藝術家の心性というものは、
変わりがないということかも知れません。
こうした藝術家を僕は敬愛します。
ポイントは「古典への愛」に尽きるので、
それを基本に置いた上で、
後は極めて大胆に作品をアレンジするのです。
今回の作品はただ、オペラ・セリアとしての骨格が明確にあり、
演劇的な要素が強いので、
それが個々の歌手のアリアの技巧を楽しむ、という、
バロックオペラの愉楽と、
必ずしもうまく癒合していない、
という欠点があります。
前回の「バヤゼット」は、
もっとストーリー性の薄い、
はっきり言えば、どうでも良いような物語しかないので、
純粋な歌手の歌合戦的な妙味があり、
それに徹していた感じがあって面白かったのですが、
今回の作品はストーリーに合わせて歌がある、
というスタイルで、
ストーリー重視の後年のオペラに近いので、
歌合戦にするのか、ストーリー重視でいくのかが、
不鮮明になっていました。
前回の「バヤゼット」では、
歌手はアリアの時は、
基本的に棒立ちで正面を向いて歌うのです。
物語はアリアの間にあって、
その間はお芝居をするのですが、
アリアになれば、
その歌手のソロステージになる訳です。
アリアが終わると歌手は退場しますが、
拍手が多ければ、歌手は再び舞台に戻って来て、
カーテンコールが行われ、
それが終わってから、
次のお芝居パートに進む、という構成でした。
それが今回はアリアの途中でも、
それが舞台にいる相手に向けられたものであれば、
芝居をしながら歌を歌いますし、
アリアの後で拍手があっても、
再登場してカーテンコールをする、
というようなことはしません。
アリアがお芝居の一部である、
というスタイルが一貫していれば、
それはそれで良いのですが、
2幕7場でレーシネヴァが、
技巧を駆使した超難易度のアリアを歌い、
それがまあ今回のメインイベントなのですが、
そのアリア自体は作品からは完全に浮いています。
つまり、そのパートだけは、
「バヤゼット」と同じ歌合戦のスタイルなのです。
このパートが一番盛り上がったという事実は、
観客が求めているのも、
結局歌合戦である、ということを示しているように、
僕は思います。
ストーリーに歌が従属するオペラは、
そうしたオペラに任せておけば良いので、
このバロックオペラの企画は、
もっとその趣旨を鮮明にし、
心浮き立つ一流歌手の歌合戦で、
良かったのではないかと思うのです。
ビオンディさん率いるエウローパ・ガランテの演奏も、
レーシネヴァの超絶技巧アリアのサポートをする部分が、
最もその資質が良く現れ、
即興性を含んだ、
心躍るような演奏を聴かせてくれました。
リズムが歌手と演奏で要所でバシッと合うのですが、
その小気味よさなど、
他にはない快感です。
その一方で演技の感情を表現するような音としては、
あまり雄弁ではなかったように思います。
演出は能の様式を取り入れて、
登場人物が全て扇を持ち、
それを感情表現に使用するような、
和洋折衷のスタイルですが、
衣装などなかなか綺麗に美的センスのある仕上がりで、
そう悪くありませんでした。
こういう試みは大抵は大失敗するので、
その意味では稀有の成功例と言って良いかも知れません。
歌手の評価は、
この作品をどう捉えるのかによっても、
違って来るように思います。
レシーネヴァのアジリタは本当に素晴らしくて、
それだけで元は取って充分にお釣りが来るものだったと思います。
メゾというより、完全にソプラノの音域で、
本当に若い頃のグルヴェローヴァに遜色ない感じがあります。
実に自然で全く力むことなく、
精妙微細な音楽が、
口から心地良く、
神の泉の如くに流れ出て来ます。
現役最高のアジリタ歌いと言って、
間違いはないと思います。
ただ、作品からは彼女の歌は浮いています。
「バヤゼット」でのジュノーの超絶技巧は、
今回のレシーネヴァに遜色ない圧倒的な盛り上がりを生みましたが、
彼女の歌が、
全体から浮き上がっているような感じはありませんでした。
レシーネヴァは声質も今回の歌手陣では、
完全に1人異質ですし、
アリア自体も非常に唐突で作品世界から遊離しています。
この辺りに今回の上演の一番の問題があると思います。
「バヤゼット」の立役者のジュノーは、
かつてのアジリタの女王ですが、
ビジュアル的には充分まだ若々しく、
往年の女豹のような肢体も変わりがありませんでした。
その声質もかつてのカストラーテの役柄を歌うに相応しい美声です。
ただ、声の伸びは明らかになくて、
あまり最近は歌い込んでいない感じです。
また、演じた役柄は、
どちらかと言えばドラマチックな表現が求められ、
装飾歌唱は少ないものなのですが、
所々のアジリタのパートは、
明らかに音が粒だっていませんでした。
ただ、役柄的には及第点ではあったように思います。
最も今回の上演に合っていたのは、
女王メロペを歌ったマリアンヌ・キーランドというメゾで、
感情をしっかり入れたドラマチックな歌唱が、
アリアでも持続され、
それでいて歌のフォルムは崩れておらず、
技術的にもまずまずでした。
総じて優れた上演で堪能することが出来たのですが、
全体のスタイルが未統一で、
「バヤゼット」の時のような類い稀な興奮には至りませんでした。
個人的には是非手練を揃えての、
藝術的な歌合戦のようなバロックオペラを、
また誰か上演してくれないかな、
と改めて思いました。
それでは今日は次に続きます。
2015-03-07 08:01
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