TRASHMASTERS「儚みのしつらえ」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
政治問題などを扱った骨太な作風が信条の劇団、
TRASHMASTERSの新作公演が、
先日まで新宿の紀伊国屋ホールで上演されました。
僕は2012年の「背水の孤島」の再演が、
この劇団の初見で、
これは福島の原発事故を真っ向から扱ったものですが、
現在から近未来までを俯瞰する構想の雄大さと、
切羽詰まったような凄みと迫力で、
全てに共感は出来ないものの、
かなり圧倒され驚きました。
かつての「燐光群」を彷彿とさせ、
より先鋭で純なものを感じました。
次の2013年の「来訪者」は、
今度は尖閣諸島問題を扱っていて、
いきなり日中開戦に至る直前の大使館の緊迫で幕を開け、
後半は休戦後の尖閣諸島が舞台になるという、
これまたちょっと怖いもの知らずの怪作で、
特に前半の戦争に至る直前の緊迫は、
現実ともオーバーラップして、
並みの恐怖映画より遥かに怖ろしい世界でした。
ただ、この作品を観て、
ここまでやってしまって次はどうするつもりなのかしら、
と危惧を感じたことも事実です。
再演を挟んで今年3月の新作は、
「虚像の礎」と題され、
架空の国の内戦めいた戦争の話で、
圧倒的な情報量を背景にして、
近未来の虚実ないまぜの世界を展開した、
それまでの2作品と比較すると、
純然たるフィクションの世界になっているので、
正直物足りなさを感じました。
ただ、戦争を終結させるために、
ただの藝術家に出来ることは何か、
という普通はまともに芝居にするのは、
ちょっと気恥ずかしくなるような正攻法のテーマに、
真っ向から取り組んだある種の志しのようなものは感じました。
いよいよ次はどうするつもりなのだろう、
と思いました。
そして、今回の新作になるのですが、
作品は前作と同じく、
戦争を繰り返している架空の国の話で、
あまりリアリティのある世界ではなく、
世界の作り込みがしっかり成されている感じではありません。
戦争犯罪とその責任というような内容になっていて、
人間の性欲と戦争とが対比され、
「ひかりごけ」みたいな感じもあります。
上演時間は2時間半弱とこの劇団としては短めで、
演出も含めて、
更に「普通のお芝居」になっていました。
戯曲の仕上がりが遅かったようなことも、
パンフレットには書かれていて、
実際物語としての細部の詰めも甘く、
人物の彫り込みも浅く、
とても上出来とは言えない仕上がりです。
出来が不充分であることは、
作者やキャストの皆さんも、
内心ではご存じだと思うので、
今回は今回として、
また方向性を定めて次回に望むことを、
ファンの1人としては期待したいと思います。
以下ネタバレを含む感想です。
作品は架空の国家の話で、
台詞は全て日本語で話され、
役名も半分は日本人のような感じなのですが、
隣国との戦争が繰り返されている、
という設定になっています。
言ってみれば、
いきなりイランの隣に日本がある、
というようなイメージです。
舞台には邸宅のセットが組まれ、
その手前の部分のみを使用して、
戦地での野戦病院の場面が演じられます。
基本的には邸宅の場面と野戦病院の場面のみで、
全編は展開されます。
オープニングは戦場の場面で、
吹上タツヒロ演じる負傷兵と龍坐演じる同僚の兵士は、
林田麻里演じる女性の衛生兵が、
ただ1人取り残された野戦病院で、
3人で立て籠ることになります。
そこで舞台は2年後の龍坐の邸宅に移ると、
行方不明の龍坐を待つ川崎初夏演じる妻は、
カゴシマジロー演じるジャーナリストの愛人と関係を持っています。
大田基裕演じる1人息子は、
そんな母親には批判的です。
そこに行方不明だった龍坐がいきなり帰って来ます。
負傷兵だった吹上タツヒロも生きているのですが、
女性の衛生兵は死亡しています。
その邸宅には龍坐の妻の妹と、
その友達として女性の衛生兵の双子の妹(?)も、
たまたま居合わせています。
実は野戦病院で3人で閉じ込められた時、
龍坐と女性の衛生兵は互いに愛し合い、
それを妬んだ吹上タツヒロは、
衛生兵を強姦してその挙句に殺してしまったのです。
これは生き残った2人だけの秘密でしたが、
双子は直感で姉の思いを見抜いていて、
龍坐がその後国会議員となって、
再び戦争の開始を画策した時、
反戦運動の活動家となった龍坐の息子と、
妻の愛人のジャーナリストは、
そのことを戦争犯罪として龍坐の失脚を図ります。
そこでもう1つの三角関係が進行していて、
星野卓誠演じる職人は、
内田慈演じる龍坐の妻の奔放な妹が、
友人の建築家に思いを寄せていることに嫉妬して、
最終的にその建築家を刺し殺します。
その殺人と時を同じくして、
開戦の危機が告げられると、
ジャーナリストは豹変して戦争への高揚を語り、
龍坐は開戦の電話より、
建築家の死にまず寄り添おうとします。
前作は藝術家の星野卓誠さんがメインの話でしたが、
今回は龍坐さんがメインになっています。
ただ、
女性が強姦されて殺されても、
それを黙って見過ごしておいて、
上官に誘われれば議員にも立候補して、
開戦の準備を進め、
それでいて、最後は戦争より個人の悲劇を優先する、
というかなり分裂症的なキャラクターなので、
ラストに至っても、
何かもやもやした気分だけが募ります。
龍坐さんは魅力的で男っぽい役者さんですが、
主役に据えるのはちょっと弱いという感じがしました。
芝居が常に脇役的に引いてしまう感じなのです。
今回の作品の問題は色々あるのですが、
まず設定が弱いと思います。
戦争を続けている架空の国家の話であれば、
もっとディテールを作り込み、
リアルな架空の世界を、
観客に感じさせないと駄目なのではないでしょうか?
そうでなければ、
ある部分だけ現実と違う、
パラレルワールドとしての日本、
というのも1つの考えです。
しかし、今回の設定はそのどちらでもなく、
中途半端に現在の日本と同じで、
それでいて絶えず戦争をしているという点が違う、
という極めてリアリティのない、
あやふやなものになっています。
今回の内容であれば、
「ひかりごけ」や「野火」でも良かったように思います。
要するに、実際の過去の話にして良かったと思うのです。
第二次大戦を今扱うと色々なバイアスが掛かるので、
そうではなく、より客観的かつ純粋に、
戦争犯罪と人間の欲望の問題を、
テーマにしたかったのかも知れませんが、
それであれば設定が弱すぎると思います。
端的に言えば、
戯曲の世界観に想像力が不足しています。
元々、作・演出の中津留さんの戯曲は、
3人以上の人物が絡み合う、というような場面があまりなく、
2人の人物の会話があり、
そこにもう1人入って来ると、
1人が出て、今度は別の2人の会話になる、
というような流れが多く、
会話劇としては単調であるのが欠点で、
それを大胆な構成と、
圧倒的な情報量でカバーしていたのですが、
今回のように背景となる世界が弱く、
構成が2つの場面を行き来するだけの単純なものであると、
劇作の単調さと盛り上がりのなさが、
大写しにされてしまうようなきらいがありました。
演出も今回は冴えていません。
完全に別個のリアルなセットを、
前半と後半で組み換え、
セットチェンジの暗転を、
スクリーンに強烈な音効と共に高速でナレーションと字幕を流して、
緊迫感が途切れないようにするのが、
かつての得意技でしたが、
今回はセットは変わらず、
あまりリアルでもなく、
家のセットの前で戦場のシーンを演じるなど、
安っぽい平凡な方法が取られています。
暗転も普通のもので、
字幕などの繋ぎもないので、
暗転の度に緊張が途切れてしまいます。
これではいけません。
更にはメインのストーリーには、
あまり起伏がないのに、
内田慈さんがオナニーをしたり、
女兵士が強姦されたりする性的な場面のみが、
非常にねちっこくかつ長々と描写されるのにも、
あまり必然性を感じませんでした。
中津留さんは本当にこんなことがやりたかったのでしょうか?
正直聞いてみたいような思いにとらわれます。
総じて力感のある作品ではありましたが、
情熱が空回りしている感じで、
作者の頭の中も、
まだ整理されていないように感じました。
ただ、これまでのこの劇団の系譜を考えれば、
このままで終わる訳はないと思いますし、
1人のファンとしてはそう信じたいので、
次回作はより先鋭で、
より緻密な新作を期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
政治問題などを扱った骨太な作風が信条の劇団、
TRASHMASTERSの新作公演が、
先日まで新宿の紀伊国屋ホールで上演されました。
僕は2012年の「背水の孤島」の再演が、
この劇団の初見で、
これは福島の原発事故を真っ向から扱ったものですが、
現在から近未来までを俯瞰する構想の雄大さと、
切羽詰まったような凄みと迫力で、
全てに共感は出来ないものの、
かなり圧倒され驚きました。
かつての「燐光群」を彷彿とさせ、
より先鋭で純なものを感じました。
次の2013年の「来訪者」は、
今度は尖閣諸島問題を扱っていて、
いきなり日中開戦に至る直前の大使館の緊迫で幕を開け、
後半は休戦後の尖閣諸島が舞台になるという、
これまたちょっと怖いもの知らずの怪作で、
特に前半の戦争に至る直前の緊迫は、
現実ともオーバーラップして、
並みの恐怖映画より遥かに怖ろしい世界でした。
ただ、この作品を観て、
ここまでやってしまって次はどうするつもりなのかしら、
と危惧を感じたことも事実です。
再演を挟んで今年3月の新作は、
「虚像の礎」と題され、
架空の国の内戦めいた戦争の話で、
圧倒的な情報量を背景にして、
近未来の虚実ないまぜの世界を展開した、
それまでの2作品と比較すると、
純然たるフィクションの世界になっているので、
正直物足りなさを感じました。
ただ、戦争を終結させるために、
ただの藝術家に出来ることは何か、
という普通はまともに芝居にするのは、
ちょっと気恥ずかしくなるような正攻法のテーマに、
真っ向から取り組んだある種の志しのようなものは感じました。
いよいよ次はどうするつもりなのだろう、
と思いました。
そして、今回の新作になるのですが、
作品は前作と同じく、
戦争を繰り返している架空の国の話で、
あまりリアリティのある世界ではなく、
世界の作り込みがしっかり成されている感じではありません。
戦争犯罪とその責任というような内容になっていて、
人間の性欲と戦争とが対比され、
「ひかりごけ」みたいな感じもあります。
上演時間は2時間半弱とこの劇団としては短めで、
演出も含めて、
更に「普通のお芝居」になっていました。
戯曲の仕上がりが遅かったようなことも、
パンフレットには書かれていて、
実際物語としての細部の詰めも甘く、
人物の彫り込みも浅く、
とても上出来とは言えない仕上がりです。
出来が不充分であることは、
作者やキャストの皆さんも、
内心ではご存じだと思うので、
今回は今回として、
また方向性を定めて次回に望むことを、
ファンの1人としては期待したいと思います。
以下ネタバレを含む感想です。
作品は架空の国家の話で、
台詞は全て日本語で話され、
役名も半分は日本人のような感じなのですが、
隣国との戦争が繰り返されている、
という設定になっています。
言ってみれば、
いきなりイランの隣に日本がある、
というようなイメージです。
舞台には邸宅のセットが組まれ、
その手前の部分のみを使用して、
戦地での野戦病院の場面が演じられます。
基本的には邸宅の場面と野戦病院の場面のみで、
全編は展開されます。
オープニングは戦場の場面で、
吹上タツヒロ演じる負傷兵と龍坐演じる同僚の兵士は、
林田麻里演じる女性の衛生兵が、
ただ1人取り残された野戦病院で、
3人で立て籠ることになります。
そこで舞台は2年後の龍坐の邸宅に移ると、
行方不明の龍坐を待つ川崎初夏演じる妻は、
カゴシマジロー演じるジャーナリストの愛人と関係を持っています。
大田基裕演じる1人息子は、
そんな母親には批判的です。
そこに行方不明だった龍坐がいきなり帰って来ます。
負傷兵だった吹上タツヒロも生きているのですが、
女性の衛生兵は死亡しています。
その邸宅には龍坐の妻の妹と、
その友達として女性の衛生兵の双子の妹(?)も、
たまたま居合わせています。
実は野戦病院で3人で閉じ込められた時、
龍坐と女性の衛生兵は互いに愛し合い、
それを妬んだ吹上タツヒロは、
衛生兵を強姦してその挙句に殺してしまったのです。
これは生き残った2人だけの秘密でしたが、
双子は直感で姉の思いを見抜いていて、
龍坐がその後国会議員となって、
再び戦争の開始を画策した時、
反戦運動の活動家となった龍坐の息子と、
妻の愛人のジャーナリストは、
そのことを戦争犯罪として龍坐の失脚を図ります。
そこでもう1つの三角関係が進行していて、
星野卓誠演じる職人は、
内田慈演じる龍坐の妻の奔放な妹が、
友人の建築家に思いを寄せていることに嫉妬して、
最終的にその建築家を刺し殺します。
その殺人と時を同じくして、
開戦の危機が告げられると、
ジャーナリストは豹変して戦争への高揚を語り、
龍坐は開戦の電話より、
建築家の死にまず寄り添おうとします。
前作は藝術家の星野卓誠さんがメインの話でしたが、
今回は龍坐さんがメインになっています。
ただ、
女性が強姦されて殺されても、
それを黙って見過ごしておいて、
上官に誘われれば議員にも立候補して、
開戦の準備を進め、
それでいて、最後は戦争より個人の悲劇を優先する、
というかなり分裂症的なキャラクターなので、
ラストに至っても、
何かもやもやした気分だけが募ります。
龍坐さんは魅力的で男っぽい役者さんですが、
主役に据えるのはちょっと弱いという感じがしました。
芝居が常に脇役的に引いてしまう感じなのです。
今回の作品の問題は色々あるのですが、
まず設定が弱いと思います。
戦争を続けている架空の国家の話であれば、
もっとディテールを作り込み、
リアルな架空の世界を、
観客に感じさせないと駄目なのではないでしょうか?
そうでなければ、
ある部分だけ現実と違う、
パラレルワールドとしての日本、
というのも1つの考えです。
しかし、今回の設定はそのどちらでもなく、
中途半端に現在の日本と同じで、
それでいて絶えず戦争をしているという点が違う、
という極めてリアリティのない、
あやふやなものになっています。
今回の内容であれば、
「ひかりごけ」や「野火」でも良かったように思います。
要するに、実際の過去の話にして良かったと思うのです。
第二次大戦を今扱うと色々なバイアスが掛かるので、
そうではなく、より客観的かつ純粋に、
戦争犯罪と人間の欲望の問題を、
テーマにしたかったのかも知れませんが、
それであれば設定が弱すぎると思います。
端的に言えば、
戯曲の世界観に想像力が不足しています。
元々、作・演出の中津留さんの戯曲は、
3人以上の人物が絡み合う、というような場面があまりなく、
2人の人物の会話があり、
そこにもう1人入って来ると、
1人が出て、今度は別の2人の会話になる、
というような流れが多く、
会話劇としては単調であるのが欠点で、
それを大胆な構成と、
圧倒的な情報量でカバーしていたのですが、
今回のように背景となる世界が弱く、
構成が2つの場面を行き来するだけの単純なものであると、
劇作の単調さと盛り上がりのなさが、
大写しにされてしまうようなきらいがありました。
演出も今回は冴えていません。
完全に別個のリアルなセットを、
前半と後半で組み換え、
セットチェンジの暗転を、
スクリーンに強烈な音効と共に高速でナレーションと字幕を流して、
緊迫感が途切れないようにするのが、
かつての得意技でしたが、
今回はセットは変わらず、
あまりリアルでもなく、
家のセットの前で戦場のシーンを演じるなど、
安っぽい平凡な方法が取られています。
暗転も普通のもので、
字幕などの繋ぎもないので、
暗転の度に緊張が途切れてしまいます。
これではいけません。
更にはメインのストーリーには、
あまり起伏がないのに、
内田慈さんがオナニーをしたり、
女兵士が強姦されたりする性的な場面のみが、
非常にねちっこくかつ長々と描写されるのにも、
あまり必然性を感じませんでした。
中津留さんは本当にこんなことがやりたかったのでしょうか?
正直聞いてみたいような思いにとらわれます。
総じて力感のある作品ではありましたが、
情熱が空回りしている感じで、
作者の頭の中も、
まだ整理されていないように感じました。
ただ、これまでのこの劇団の系譜を考えれば、
このままで終わる訳はないと思いますし、
1人のファンとしてはそう信じたいので、
次回作はより先鋭で、
より緻密な新作を期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
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2014-11-15 08:17
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