別役実「そして誰もいなくなった」(劇団乾電池版) [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日から診療所も連休の休診です。
これから5日まで奈良に出掛けます。
明日の更新はお休みとさせて下さい。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
別役実が下北沢の本多劇場の杮落としに書き下ろした戯曲を、
柄本明が演出して、同じ本多劇場で、
劇団東京乾電池の本公演として上演されました。
別役実は日本の戦後演劇に対して、
最も影響を与えた劇作家の1人です。
1961年からの数年間において、
欧米の前衛演劇を日本の風土に写し取るという、
不可能に近い力技を成功させ、
その後も非常に精力的に作品を発表し続けています。
おそらく前衛的なスタイルの劇作家としては、
作品の数は歴代1位ではないかと思います。
そのスタイルは、
SF界の星新一に良く似ています。
多作ですが職人芸的な拘りがあり、
ある種の実験のように作品を生み出します。
ただ、推敲して完成度を高めるような作業にはあまり興味はなく、
失敗作でもすぐ書いてしまって、
失敗した点は次の作品で修正する、
といった方法を取っています。
従って、ほぼ同じ、と思えるような作品も沢山あり、
ほぼ完成に達したと作者が思うまでは、
同じ骨格の作品を量産し、
完成すると今度は別の骨格に向かう、
というようなスタイルを持っているのです。
出来不出来の差はそんな訳で激しいのですが、
その点に作者が斟酌する感じもありません。
小説とは違って、
戯曲は実際に上演されなければ、
出来あがったとは言えないのですが、
別役氏は自分の手で作品を演出することはしないので、
多くの演出家や集団が、
その戯曲に命を与えることになります。
初期には鈴木忠志率いる早稲田小劇場が、
その作品を上演し、
別役氏自身の関わった集団としては、
手の会や奥さんが主体のかたつむりの会、
また演劇集団円や文学座アトリエ、
木山事務所などが、
主にその作品を上演しましたが、
「これが正統」という感じの決定版は、
現れてはいないように思います。
また、再演は良い作品が山のようにあるにも関わらず、
極限られた作品が上演されるだけです。
僕は別役のレベルの高い上演があれば、
絶対に観逃したくないといつも思っているのですが、
いつもいつも「象」と「マッチ売りの少女」だけというのでは、
何か情けない気分になってしまいます。
今回上演された「そして誰もいなくなった」は、
1982年の下北沢本多劇場の杮落としの第2弾として初演されたものです。
第1弾が唐先生の「秘密の花園」、
第3弾が斎藤憐の「イカルガの祭」で、
僕は「秘密の花園」と「イカルガの祭」は観ましたが、
この「そして誰もいなくなった」だけは観ませんでした。
ミステリーファンだったので、
別役がクリスティーのパロディをする、
ということ自体が、
当時は何となく腹立たしい気持ちがしたのです。
しかし、初演の評判はなかなかに良くて、
斎藤憐の「イカルガの祭」は、
ちっとも面白くなかったので、
この作品を観られなかったことは、
かなり後悔を感じていました。
そんな訳で今回の上演は結構楽しみにしていたのです。
東京乾電池の舞台は、
良くも悪くも「いい加減でテキトウ」な世界ですが、
そんな力の入らない別役芝居というのも、
捨て難い気がします。
作品は登場人物の設定や、
1つの場所に謎の人物によって集められた10人の男女が、
次々と殺されて行く、
という基本的なプロットは、
原作をそのまま頂いています。
ただ、原作は孤島の大邸宅ですが、
別役版は野外のピクニックになっています。
孤島の大邸宅なら逃げることは出来ませんが、
野外のピクニックであれば、
すぐに逃げられそうでちょっとヘンテコなのですが、
作者はそういう細かいことには斟酌していません。
作品はまず登場人物が1人ずつ姿を現すところを、
いつもの野外に家族や見知らぬ他人が集まるのと、
同じように喜劇的なタッチで軽快に描写します。
この部分は乾電池の役者さんのとぼけた味わいが、
作品にマッチしていて、
今回の上演では最も楽しめました。
全員が集まり蓄音器から不気味な声が響くと、
一転してシリアスなミステリーの雰囲気になり、
原作と同じように、
1人1人登場人物が死んで行きます。
連続殺人の動機が、
原作とは異なるひねくれた「不条理の世界の神の論理」になっていて、
不在の謎の招待主がベケットの「ゴドーを待ちながら」のゴドーだ、
という辺りが別役パロディの肝で、
最後に登場する人間の犯人は、
最後にゴドーの実在を匂わせたという罪によって、
空から降って来る巨大なおもりの下敷きになって、
劇は終わります。
別役としてもかなりの異色作の部類で、
不条理をトリックにしたミステリーという、
前人未到の世界に挑んでいます。
ただ、こうした作品は多分これきりで終わったように、
ちょっと発想自体に無理があって、
筋が原作に寄りかかり過ぎている点を含めて、
別役氏としては完成度は高くはありません。
しかし、前半の軽妙な筆の冴えと、
後半の異様なスリルとの対比はなかなか捨て難く、
今回の上演に関しては、
前半は良かったのですが、
後半は力量不足に感じました。
両方ともに一定レベルに達していれば、
完成度は低くても、
面白い作品であることは間違いがありません。
勿論クリスティーの原作の、
タネを割っているようなところがあるので、
原作をお読みになる前の観劇はお薦め出来ません。
柄本明さんの演出も、
いつもながらの肩の抜けた感じなのですが、
結構緻密に作品を構成している点は、
好感が持てます。
ただ、ラストの巨大なおもりが、
安っぽい書き割りだったのはガッカリしました。
あれは「ドカン」と落ちなければ意味がないと思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
そろそろ出掛けます。
皆さんも良い連休をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日から診療所も連休の休診です。
これから5日まで奈良に出掛けます。
明日の更新はお休みとさせて下さい。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
別役実が下北沢の本多劇場の杮落としに書き下ろした戯曲を、
柄本明が演出して、同じ本多劇場で、
劇団東京乾電池の本公演として上演されました。
別役実は日本の戦後演劇に対して、
最も影響を与えた劇作家の1人です。
1961年からの数年間において、
欧米の前衛演劇を日本の風土に写し取るという、
不可能に近い力技を成功させ、
その後も非常に精力的に作品を発表し続けています。
おそらく前衛的なスタイルの劇作家としては、
作品の数は歴代1位ではないかと思います。
そのスタイルは、
SF界の星新一に良く似ています。
多作ですが職人芸的な拘りがあり、
ある種の実験のように作品を生み出します。
ただ、推敲して完成度を高めるような作業にはあまり興味はなく、
失敗作でもすぐ書いてしまって、
失敗した点は次の作品で修正する、
といった方法を取っています。
従って、ほぼ同じ、と思えるような作品も沢山あり、
ほぼ完成に達したと作者が思うまでは、
同じ骨格の作品を量産し、
完成すると今度は別の骨格に向かう、
というようなスタイルを持っているのです。
出来不出来の差はそんな訳で激しいのですが、
その点に作者が斟酌する感じもありません。
小説とは違って、
戯曲は実際に上演されなければ、
出来あがったとは言えないのですが、
別役氏は自分の手で作品を演出することはしないので、
多くの演出家や集団が、
その戯曲に命を与えることになります。
初期には鈴木忠志率いる早稲田小劇場が、
その作品を上演し、
別役氏自身の関わった集団としては、
手の会や奥さんが主体のかたつむりの会、
また演劇集団円や文学座アトリエ、
木山事務所などが、
主にその作品を上演しましたが、
「これが正統」という感じの決定版は、
現れてはいないように思います。
また、再演は良い作品が山のようにあるにも関わらず、
極限られた作品が上演されるだけです。
僕は別役のレベルの高い上演があれば、
絶対に観逃したくないといつも思っているのですが、
いつもいつも「象」と「マッチ売りの少女」だけというのでは、
何か情けない気分になってしまいます。
今回上演された「そして誰もいなくなった」は、
1982年の下北沢本多劇場の杮落としの第2弾として初演されたものです。
第1弾が唐先生の「秘密の花園」、
第3弾が斎藤憐の「イカルガの祭」で、
僕は「秘密の花園」と「イカルガの祭」は観ましたが、
この「そして誰もいなくなった」だけは観ませんでした。
ミステリーファンだったので、
別役がクリスティーのパロディをする、
ということ自体が、
当時は何となく腹立たしい気持ちがしたのです。
しかし、初演の評判はなかなかに良くて、
斎藤憐の「イカルガの祭」は、
ちっとも面白くなかったので、
この作品を観られなかったことは、
かなり後悔を感じていました。
そんな訳で今回の上演は結構楽しみにしていたのです。
東京乾電池の舞台は、
良くも悪くも「いい加減でテキトウ」な世界ですが、
そんな力の入らない別役芝居というのも、
捨て難い気がします。
作品は登場人物の設定や、
1つの場所に謎の人物によって集められた10人の男女が、
次々と殺されて行く、
という基本的なプロットは、
原作をそのまま頂いています。
ただ、原作は孤島の大邸宅ですが、
別役版は野外のピクニックになっています。
孤島の大邸宅なら逃げることは出来ませんが、
野外のピクニックであれば、
すぐに逃げられそうでちょっとヘンテコなのですが、
作者はそういう細かいことには斟酌していません。
作品はまず登場人物が1人ずつ姿を現すところを、
いつもの野外に家族や見知らぬ他人が集まるのと、
同じように喜劇的なタッチで軽快に描写します。
この部分は乾電池の役者さんのとぼけた味わいが、
作品にマッチしていて、
今回の上演では最も楽しめました。
全員が集まり蓄音器から不気味な声が響くと、
一転してシリアスなミステリーの雰囲気になり、
原作と同じように、
1人1人登場人物が死んで行きます。
連続殺人の動機が、
原作とは異なるひねくれた「不条理の世界の神の論理」になっていて、
不在の謎の招待主がベケットの「ゴドーを待ちながら」のゴドーだ、
という辺りが別役パロディの肝で、
最後に登場する人間の犯人は、
最後にゴドーの実在を匂わせたという罪によって、
空から降って来る巨大なおもりの下敷きになって、
劇は終わります。
別役としてもかなりの異色作の部類で、
不条理をトリックにしたミステリーという、
前人未到の世界に挑んでいます。
ただ、こうした作品は多分これきりで終わったように、
ちょっと発想自体に無理があって、
筋が原作に寄りかかり過ぎている点を含めて、
別役氏としては完成度は高くはありません。
しかし、前半の軽妙な筆の冴えと、
後半の異様なスリルとの対比はなかなか捨て難く、
今回の上演に関しては、
前半は良かったのですが、
後半は力量不足に感じました。
両方ともに一定レベルに達していれば、
完成度は低くても、
面白い作品であることは間違いがありません。
勿論クリスティーの原作の、
タネを割っているようなところがあるので、
原作をお読みになる前の観劇はお薦め出来ません。
柄本明さんの演出も、
いつもながらの肩の抜けた感じなのですが、
結構緻密に作品を構成している点は、
好感が持てます。
ただ、ラストの巨大なおもりが、
安っぽい書き割りだったのはガッカリしました。
あれは「ドカン」と落ちなければ意味がないと思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
そろそろ出掛けます。
皆さんも良い連休をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2014-05-03 06:37
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コメント(3)
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先生 おはようございます。
地震のニュースを見てびっくりしています。
ご自宅や診療所は大丈夫ですか。
奈良探訪記を心待ちにしていたのですが
お留守の間の地震に・・・
お見舞い申し上げます。
by akemi (2014-05-05 08:03)
訪問 nice!有難う御座います。
ご無沙汰致して居ります、我が家のPCも・やっと
xpからWIN8.1に乗り換えする事が出来ました・・・
不慣れで・使い慣れるまで時間が懸かりそうですが??
これからぼちぼち再開しますのでお付き合い宜しくです。
by okin-02 (2014-05-05 11:18)
別役実さん、僕も大好きです・・・。
最近、読んでない、演劇も観ていない・・・。
久しぶりに、著作を読みたくなりました。ありがとうございます。
by ryo1216 (2014-05-06 06:00)