TRASHMASTERS「背水の孤島」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
中津留章仁作・演出による、
劇団TRASHMASTERSの舞台、
「背水の孤島」を見て来ました。
本日まで下北沢の本多劇場で上演中です。
この劇団の舞台を見るのは初めてです。
昨年の9月に同題の作品の初演が、
笹塚ファクトリーで上演され、
東日本大震災と原発事故を真正面から扱って、
かなりの話題になりました。
今回が待望の再演ということになります。
そのテーマの性質上、
台本には初演から少し手が入っているようです。
作品は休憩なしで3時間半という長尺です。
最後まで耐えられるかと、
もう若くはないので怖れをなしましたが、
意外に耐えられない長さではなく、
そう退屈も感じませんでした。
ただ、ここまでの長さが、
果たして必要だったのかは、
やや疑問に思いましたし、
演出によってはもっと短く刈り込めそうな部分もありました。
上演は短期間で本日までですが、
記憶にも記録にも残る作品であることは確かで、
個人的にはそう好みではありませんが、
一見の価値はあります。
以下ネタバレがあります。
作品は短いプロローグの後、
ほぼ1時間半の「蠅」という前半と、
これもほぼ1時間半の、
「背水の孤島」という後半に分かれ、
転換を兼ねた暗転時には。
録音された音声と共に、
映像で説明の字幕が流れます。
プロローグは初演当時の現在という設定で、
国会内でアメリカのジャーナリストにより、
トヨタ自動車の幹部に、
トヨタが本社を海外に移転させるのではないか、
というインタビューを行ない、
それを全体の狂言回し的な役割の、
NHK(はっきりNHKとはされていなかったと思います)
のディレクターが、
批判的に見ている、
という一場面が描かれます。
その後舞台が暗転すると、
黒い画面に下から上へと、
映画の「大平原」や「スターウォーズ」のタイトルバックのように、
NHKのディレクターの目から見た原発事故後数日の、
緊迫した取材の様子が、
字幕の形で延々と現れ、
それをそのまま言葉にした、
独白の台詞の録音が被ります。
この転換部分が非常にユニークで、
個人的には舞台で演じられる生の情景より、
この延々と流れる字幕の方が、
演劇的で新鮮に感じました。
その後、
NHKが取材した震災後の東北のドキュメンタリーという体裁で、
前半の「蠅」がスタートします。
舞台は福島近郊(岩手なのかも知れません)の農家の納屋で、
そこに避難して来た漁師の一家が暮らしています。
仕事を奪われ無為な生活を送る父親と、
東大受験を目指す高校生の長男、
そしてその姉の東北大学の医学生です。
そこにNHKのディレクターとカメラマンの2人が取材のため、
長期滞在中で、
ボランティアの女性や、
近隣の高校教師、
これも近隣の缶詰工場の経営者や、
役場勤務の中年男性が、
そこを訪れます。
実は震災の当日に津波に呑まれた病院で、
役場勤務の妻子のある男と、
医学生の漁師の娘は、
絶望的な気分のまま性交渉をし、
妊娠してしまいます。
娘は高校教師に求愛されています。
娘は高校教師には秘密にしたまま、
中絶手術の費用を役場勤務の男に請求しますが、
男は金策に困り、
福島原発の危険な仕事をして、
被曝してしまいます。
高校教師は震災の日に、
缶詰工場から缶詰を盗み、
被災者に自分の判断で配布して、
それがマスコミに好意的に報道され、
有名人になっていますが、
その缶詰工場は金策に困り、
倒産の危機にあります。
医学生の弟の高校生は、
姉の苦境を知って、
缶詰を盗み、
それを売って中絶費用の足しにしようとします。
しかし、
その盗みが工場経営者に見付かり、
弟は糾弾されます。
そこで弟は開き直り、
自分の行為は悪で、
どうして震災の日の教師の行為は善なのかと、
大人達に詰め寄ります。
大人達は、
「あの日は極限状態だったので、
今とは意味が違うのだ」
と言いますが、
弟はその説明には納得しません。
その後今度は娘の妊娠自体が高校教師の知るところになり、
今度は高校教師が娘に「裏切りだ」と詰め寄りますが、
弟はその行為も、
缶詰泥棒と同じで、
極限状況の出来事なので、
許されるべきだと、
持論を展開します。
前半の「蝿」はこれで終わり、
再び字幕でその後の経過が説明されます。
漁師の父は死に、
高校教師と娘は結婚し、
子供は中絶はせずに2人が育てます。
役場勤務の男性は被曝し、
その障害と闘いながら、
患者の団体の代表になっています。
NHKのディレクターはNHKを辞めて、
危機管理の会社に勤め、
カメラマンは反原発団体の代表になります。
そして、
東大を卒業した弟は、
財務大臣の秘書になっています。
後半の「背水の孤島」は、
「蝿」の十数年後が舞台になります。
つまり、近未来の話です。
「背水の孤島」とは、
要するにもう後のない滅びの途上にある、
日本そのもののことです。
電力不足のため、
多くの企業は日本から撤退して、
日本の景気は悪化し、
財政赤字は拡大。
そこで政権交代後の政府は、
海外向けの国債を大量に発行して資金を調達し、
フランスのアルバ社製の原発の建設を、
岩手の石巻に建設する計画を打ち上げるのです。
それに対して、
反原発の団体は抗議のデモを行ない、
過激派による放射性物質を使用した、
政府へのテロが予告され、
東京は騒然とした雰囲気にあります。
日本の放射性物質の管理が杜撰であったため、
大量の放射性物質が福島原発から、
世界のテロ組織に横流しされ、
テロが世界で頻発しています。
舞台は財務大臣の執務室で、
そこに東京に放射性物質が持ち込まれた、
という危機管理会社からの報告が入ります。
実はその黒幕は今は秘書となっている、
かつての漁師の息子の弟で、
国債発行の計画を反故にさせて、
原発計画を白紙に戻すと、
海外に逃れます。
かつての缶詰の盗難の際に、
非常時には全てが正当化される、
という考えを大人から学んだことが、
日本の幕引きをするような行為に、
時を経て繋がった、
という訳です。
トータルな印象は、
燐光群に似ています。
前半は現実で後半は近未来というのも、
燐光群にもよくありそうな仕掛けです。
ただ、
演技の質感は燐光群よりリアルさを重視していて、
役者もそう達者ではありませんが、
過不足のない役作りをしています。
前半と後半とで同じ役者が、
10年以上の時間経過を見せるのですが、
髪型や衣装、メイクなどにも工夫を凝らし、
それらしく見せていることには感心しました。
前半部はポツドールにも似た感じがあります。
後半はドラマの「SP」に似ていて、
その点はどうかな…と感じました。
力作であることは間違いなく、
情報量の多さにも感心しました。
唯一医療情報に関しては、
放射線の被曝をややどぎつく扱って、
疑問を感じる部分はあります。
また、この作品での近未来の日本は、
必要以上に全体主義的国家のように描写されています。
ただ、
内容的にはしっかりとしている分、
大新聞の震災記事を、
そのまま並べて舞台に上げたような、
お行儀の良さを感じることも事実です。
情報ドラマとしての密度に比べると、
人間ドラマとしてはやや薄っぺらで、
何より展開に意外性のない点が、
僕には物足りなく感じました。
全てが予定調和的に展開してしまうのです。
非常に魅力的な舞台なのですから、
もう少し人間ドラマの深化に、
力を注ぐべきなのではないかと思いました。
個人的な考えとしては、
震災や原発事故の問題を、
真正面から扱うには、
演劇という形態は向いていないように思います。
たとえば、
昭和10年には226事件と阿部定事件がありましたが、
演劇としての成果では、
226事件より阿部定事件を扱った作品の方が、
ずっと大きいのです。
しかし、
男と女の修羅場を描きながら、
阿部定が振りかざした刃物の切っ先には、
確実に226事件を含めたその時代が、
まるごと映っている訳で、
そうした時代の取り込み方こそが、
演劇という形態の魅力のように思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
中津留章仁作・演出による、
劇団TRASHMASTERSの舞台、
「背水の孤島」を見て来ました。
本日まで下北沢の本多劇場で上演中です。
この劇団の舞台を見るのは初めてです。
昨年の9月に同題の作品の初演が、
笹塚ファクトリーで上演され、
東日本大震災と原発事故を真正面から扱って、
かなりの話題になりました。
今回が待望の再演ということになります。
そのテーマの性質上、
台本には初演から少し手が入っているようです。
作品は休憩なしで3時間半という長尺です。
最後まで耐えられるかと、
もう若くはないので怖れをなしましたが、
意外に耐えられない長さではなく、
そう退屈も感じませんでした。
ただ、ここまでの長さが、
果たして必要だったのかは、
やや疑問に思いましたし、
演出によってはもっと短く刈り込めそうな部分もありました。
上演は短期間で本日までですが、
記憶にも記録にも残る作品であることは確かで、
個人的にはそう好みではありませんが、
一見の価値はあります。
以下ネタバレがあります。
作品は短いプロローグの後、
ほぼ1時間半の「蠅」という前半と、
これもほぼ1時間半の、
「背水の孤島」という後半に分かれ、
転換を兼ねた暗転時には。
録音された音声と共に、
映像で説明の字幕が流れます。
プロローグは初演当時の現在という設定で、
国会内でアメリカのジャーナリストにより、
トヨタ自動車の幹部に、
トヨタが本社を海外に移転させるのではないか、
というインタビューを行ない、
それを全体の狂言回し的な役割の、
NHK(はっきりNHKとはされていなかったと思います)
のディレクターが、
批判的に見ている、
という一場面が描かれます。
その後舞台が暗転すると、
黒い画面に下から上へと、
映画の「大平原」や「スターウォーズ」のタイトルバックのように、
NHKのディレクターの目から見た原発事故後数日の、
緊迫した取材の様子が、
字幕の形で延々と現れ、
それをそのまま言葉にした、
独白の台詞の録音が被ります。
この転換部分が非常にユニークで、
個人的には舞台で演じられる生の情景より、
この延々と流れる字幕の方が、
演劇的で新鮮に感じました。
その後、
NHKが取材した震災後の東北のドキュメンタリーという体裁で、
前半の「蠅」がスタートします。
舞台は福島近郊(岩手なのかも知れません)の農家の納屋で、
そこに避難して来た漁師の一家が暮らしています。
仕事を奪われ無為な生活を送る父親と、
東大受験を目指す高校生の長男、
そしてその姉の東北大学の医学生です。
そこにNHKのディレクターとカメラマンの2人が取材のため、
長期滞在中で、
ボランティアの女性や、
近隣の高校教師、
これも近隣の缶詰工場の経営者や、
役場勤務の中年男性が、
そこを訪れます。
実は震災の当日に津波に呑まれた病院で、
役場勤務の妻子のある男と、
医学生の漁師の娘は、
絶望的な気分のまま性交渉をし、
妊娠してしまいます。
娘は高校教師に求愛されています。
娘は高校教師には秘密にしたまま、
中絶手術の費用を役場勤務の男に請求しますが、
男は金策に困り、
福島原発の危険な仕事をして、
被曝してしまいます。
高校教師は震災の日に、
缶詰工場から缶詰を盗み、
被災者に自分の判断で配布して、
それがマスコミに好意的に報道され、
有名人になっていますが、
その缶詰工場は金策に困り、
倒産の危機にあります。
医学生の弟の高校生は、
姉の苦境を知って、
缶詰を盗み、
それを売って中絶費用の足しにしようとします。
しかし、
その盗みが工場経営者に見付かり、
弟は糾弾されます。
そこで弟は開き直り、
自分の行為は悪で、
どうして震災の日の教師の行為は善なのかと、
大人達に詰め寄ります。
大人達は、
「あの日は極限状態だったので、
今とは意味が違うのだ」
と言いますが、
弟はその説明には納得しません。
その後今度は娘の妊娠自体が高校教師の知るところになり、
今度は高校教師が娘に「裏切りだ」と詰め寄りますが、
弟はその行為も、
缶詰泥棒と同じで、
極限状況の出来事なので、
許されるべきだと、
持論を展開します。
前半の「蝿」はこれで終わり、
再び字幕でその後の経過が説明されます。
漁師の父は死に、
高校教師と娘は結婚し、
子供は中絶はせずに2人が育てます。
役場勤務の男性は被曝し、
その障害と闘いながら、
患者の団体の代表になっています。
NHKのディレクターはNHKを辞めて、
危機管理の会社に勤め、
カメラマンは反原発団体の代表になります。
そして、
東大を卒業した弟は、
財務大臣の秘書になっています。
後半の「背水の孤島」は、
「蝿」の十数年後が舞台になります。
つまり、近未来の話です。
「背水の孤島」とは、
要するにもう後のない滅びの途上にある、
日本そのもののことです。
電力不足のため、
多くの企業は日本から撤退して、
日本の景気は悪化し、
財政赤字は拡大。
そこで政権交代後の政府は、
海外向けの国債を大量に発行して資金を調達し、
フランスのアルバ社製の原発の建設を、
岩手の石巻に建設する計画を打ち上げるのです。
それに対して、
反原発の団体は抗議のデモを行ない、
過激派による放射性物質を使用した、
政府へのテロが予告され、
東京は騒然とした雰囲気にあります。
日本の放射性物質の管理が杜撰であったため、
大量の放射性物質が福島原発から、
世界のテロ組織に横流しされ、
テロが世界で頻発しています。
舞台は財務大臣の執務室で、
そこに東京に放射性物質が持ち込まれた、
という危機管理会社からの報告が入ります。
実はその黒幕は今は秘書となっている、
かつての漁師の息子の弟で、
国債発行の計画を反故にさせて、
原発計画を白紙に戻すと、
海外に逃れます。
かつての缶詰の盗難の際に、
非常時には全てが正当化される、
という考えを大人から学んだことが、
日本の幕引きをするような行為に、
時を経て繋がった、
という訳です。
トータルな印象は、
燐光群に似ています。
前半は現実で後半は近未来というのも、
燐光群にもよくありそうな仕掛けです。
ただ、
演技の質感は燐光群よりリアルさを重視していて、
役者もそう達者ではありませんが、
過不足のない役作りをしています。
前半と後半とで同じ役者が、
10年以上の時間経過を見せるのですが、
髪型や衣装、メイクなどにも工夫を凝らし、
それらしく見せていることには感心しました。
前半部はポツドールにも似た感じがあります。
後半はドラマの「SP」に似ていて、
その点はどうかな…と感じました。
力作であることは間違いなく、
情報量の多さにも感心しました。
唯一医療情報に関しては、
放射線の被曝をややどぎつく扱って、
疑問を感じる部分はあります。
また、この作品での近未来の日本は、
必要以上に全体主義的国家のように描写されています。
ただ、
内容的にはしっかりとしている分、
大新聞の震災記事を、
そのまま並べて舞台に上げたような、
お行儀の良さを感じることも事実です。
情報ドラマとしての密度に比べると、
人間ドラマとしてはやや薄っぺらで、
何より展開に意外性のない点が、
僕には物足りなく感じました。
全てが予定調和的に展開してしまうのです。
非常に魅力的な舞台なのですから、
もう少し人間ドラマの深化に、
力を注ぐべきなのではないかと思いました。
個人的な考えとしては、
震災や原発事故の問題を、
真正面から扱うには、
演劇という形態は向いていないように思います。
たとえば、
昭和10年には226事件と阿部定事件がありましたが、
演劇としての成果では、
226事件より阿部定事件を扱った作品の方が、
ずっと大きいのです。
しかし、
男と女の修羅場を描きながら、
阿部定が振りかざした刃物の切っ先には、
確実に226事件を含めたその時代が、
まるごと映っている訳で、
そうした時代の取り込み方こそが、
演劇という形態の魅力のように思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-09-02 12:11
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