野島伸司「ウサニ」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日も診療所は休診です。
これから上野にフェルメールを観に行く予定です。
フェルメールの絵は小さくて、
ほぼ間違いなくガラスケースに入っているので、
代わりに写真が入っていても、
多分見分けの付かないような感じだろうな、
と想像は付くのですが、
オランダに行くような予定もないので、
矢張り行こうと思い立ちました。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
野島伸司が2003年に書いた小説を、
自ら舞台劇に脚色し、
フジテレビのディレクターが演出した舞台を、
何となく見てしまいました。
フジテレビのディレクターが演出した舞台というのは、
これまでにも多くあり、
何度かは見ていますが、
一度も演劇として面白かったことはありません。
会場のル・テアトル銀座という会場は、
セゾン劇場と呼ばれた時代から、
何度も来ていますが、
ここで面白い舞台を見たという記憶も、
殆どありません。
それなら行かなければ良さそうなものですが、
野島伸司は良い意味でも悪い意味でも、
まともではない人なので、
その初舞台脚本というのに、
ちょっと興味があったのです。
しかし、
結果的にはこれまでのテレビディレクター芝居と、
同じ性質のもので、
キッチュな舞台装置と妙な衣装と妙な音楽と、
居心地の悪い気分だけが、
残るような性質のものでした。
客席は芸能人など関係者が多く、
トータルには入りは悪いので、
要するに一般のお客さんはあまり入っていない、
という感じでした。
芝居を見てから、
原作の小説を読みました。
これは相当ビックリの作品で、
これを舞台化するという企画を、
一体どういう感覚で提案したのか、
非常に不思議に思いました。
妙な幼児性がありながら、
誰も未だかつて書いたことのない作品を書くのだ、
というような気合があって、
特にラストの辺りなど、
不出来なのですが、
トラウマになりそうな凄味があります。
舞台版は原作の台詞を多く取り入れ、
基本的には原作に忠実なのですが、
倫理的にかなり問題のある原作を、
見た目だけポップな感じにして、
音楽劇に仕立てるというのは、
ちょっと無理があったように思います。
以下ネタバレがあります。
原作は主人公の青年の一人称で殆どが貫かれ、
ラストのみ数十年後のエーコという少女の視線になります。
主人公の青年は父親の妄想を実現するために、
アマゾンに行って「イチゴの精霊」を掴まえるのですが、
その精霊はそのままでは目には見えず、
ウサニというウサギのヌイグルミの中に入って、
動くヌイグルミとして実体化します。
青年は辺鄙な村で父親とイチゴを作っていて、
ウサニの魔法により、
そのイチゴはこの世のものとは思えぬほどの甘さになります。
青年はウサニに愛されるのですが、
それと同時に謎の生身の女が現われ、
ヌイグルミと人間との奇妙な三角関係に悩まされます。
謎の女は実は父親の不倫相手だったのですが、
嫉妬に狂った父親に惨殺され、
ウサニが女を殺したと誤解した青年は、
ウサニを焼却炉に投げ込んで燃やしてしまいます。
しかし、
何とウサニは惨殺された女の死体に転生し、
青年は村人が恐怖に慄く中、
腐った死体を抱きながら、
「真実の愛は何なのか」という哲学的な演説を、
丘の上で村人に語るのです。
その演説は、
愛は純粋で目に見えないものだけれど、
人間は常に最初は本当の愛ではない「愛着」で結び付き、
その愛着は4年で終わるので、
世の中のカップルは4年で愛は終わったと思い、
それを「倦怠」を呼んで、
互いに浮気をするのだけれど、
実は真実の愛は、
その倦怠から始まるのだ、
というものなのです。
そして、
青年はその後見えないウサニと、
その生涯を終えるのです。
「愛とは目に見えない」
というテーマは分かります。
しかし、
ウサギのヌイグルミが、
青年とセックスをしようとしたりする場面を、
生々しく描写するので、
読んでいる方は、
こんなことをそのまま書いていいのだろうか、
と不安になりますし、
最後のゾンビを抱き締めるというのも、
発想は分かりますがグロテスクの極致で、
それがキリストの山上の垂訓をモチーフにしている感じなので、
倫理的にはギリギリの感じです。
舞台版は原作ではただの蛇に噛まれただけだったのに、
それを「蛇の王様」という実体化した存在にして、
金ぴかの尻尾を振り乱す、
かなり恥ずかしいキャラとして、
山本耕史に演じさせたりしているので、
原作のインモラルな感じが、
かなり薄まっているのですが、
その代わりひなびた村の空気感などが、
完全に消滅しているので、
得体の知れない話だな、
と言う感じはしても、
話のポイントは全く分からない、
という感じの舞台になっていました。
もう何があっても、
フジテレビのディレクターが演出する舞台を、
見に行くのは止めようと思います。
それではそろそろ出掛けます。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日も診療所は休診です。
これから上野にフェルメールを観に行く予定です。
フェルメールの絵は小さくて、
ほぼ間違いなくガラスケースに入っているので、
代わりに写真が入っていても、
多分見分けの付かないような感じだろうな、
と想像は付くのですが、
オランダに行くような予定もないので、
矢張り行こうと思い立ちました。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
野島伸司が2003年に書いた小説を、
自ら舞台劇に脚色し、
フジテレビのディレクターが演出した舞台を、
何となく見てしまいました。
フジテレビのディレクターが演出した舞台というのは、
これまでにも多くあり、
何度かは見ていますが、
一度も演劇として面白かったことはありません。
会場のル・テアトル銀座という会場は、
セゾン劇場と呼ばれた時代から、
何度も来ていますが、
ここで面白い舞台を見たという記憶も、
殆どありません。
それなら行かなければ良さそうなものですが、
野島伸司は良い意味でも悪い意味でも、
まともではない人なので、
その初舞台脚本というのに、
ちょっと興味があったのです。
しかし、
結果的にはこれまでのテレビディレクター芝居と、
同じ性質のもので、
キッチュな舞台装置と妙な衣装と妙な音楽と、
居心地の悪い気分だけが、
残るような性質のものでした。
客席は芸能人など関係者が多く、
トータルには入りは悪いので、
要するに一般のお客さんはあまり入っていない、
という感じでした。
芝居を見てから、
原作の小説を読みました。
これは相当ビックリの作品で、
これを舞台化するという企画を、
一体どういう感覚で提案したのか、
非常に不思議に思いました。
妙な幼児性がありながら、
誰も未だかつて書いたことのない作品を書くのだ、
というような気合があって、
特にラストの辺りなど、
不出来なのですが、
トラウマになりそうな凄味があります。
舞台版は原作の台詞を多く取り入れ、
基本的には原作に忠実なのですが、
倫理的にかなり問題のある原作を、
見た目だけポップな感じにして、
音楽劇に仕立てるというのは、
ちょっと無理があったように思います。
以下ネタバレがあります。
原作は主人公の青年の一人称で殆どが貫かれ、
ラストのみ数十年後のエーコという少女の視線になります。
主人公の青年は父親の妄想を実現するために、
アマゾンに行って「イチゴの精霊」を掴まえるのですが、
その精霊はそのままでは目には見えず、
ウサニというウサギのヌイグルミの中に入って、
動くヌイグルミとして実体化します。
青年は辺鄙な村で父親とイチゴを作っていて、
ウサニの魔法により、
そのイチゴはこの世のものとは思えぬほどの甘さになります。
青年はウサニに愛されるのですが、
それと同時に謎の生身の女が現われ、
ヌイグルミと人間との奇妙な三角関係に悩まされます。
謎の女は実は父親の不倫相手だったのですが、
嫉妬に狂った父親に惨殺され、
ウサニが女を殺したと誤解した青年は、
ウサニを焼却炉に投げ込んで燃やしてしまいます。
しかし、
何とウサニは惨殺された女の死体に転生し、
青年は村人が恐怖に慄く中、
腐った死体を抱きながら、
「真実の愛は何なのか」という哲学的な演説を、
丘の上で村人に語るのです。
その演説は、
愛は純粋で目に見えないものだけれど、
人間は常に最初は本当の愛ではない「愛着」で結び付き、
その愛着は4年で終わるので、
世の中のカップルは4年で愛は終わったと思い、
それを「倦怠」を呼んで、
互いに浮気をするのだけれど、
実は真実の愛は、
その倦怠から始まるのだ、
というものなのです。
そして、
青年はその後見えないウサニと、
その生涯を終えるのです。
「愛とは目に見えない」
というテーマは分かります。
しかし、
ウサギのヌイグルミが、
青年とセックスをしようとしたりする場面を、
生々しく描写するので、
読んでいる方は、
こんなことをそのまま書いていいのだろうか、
と不安になりますし、
最後のゾンビを抱き締めるというのも、
発想は分かりますがグロテスクの極致で、
それがキリストの山上の垂訓をモチーフにしている感じなので、
倫理的にはギリギリの感じです。
舞台版は原作ではただの蛇に噛まれただけだったのに、
それを「蛇の王様」という実体化した存在にして、
金ぴかの尻尾を振り乱す、
かなり恥ずかしいキャラとして、
山本耕史に演じさせたりしているので、
原作のインモラルな感じが、
かなり薄まっているのですが、
その代わりひなびた村の空気感などが、
完全に消滅しているので、
得体の知れない話だな、
と言う感じはしても、
話のポイントは全く分からない、
という感じの舞台になっていました。
もう何があっても、
フジテレビのディレクターが演出する舞台を、
見に行くのは止めようと思います。
それではそろそろ出掛けます。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2012-08-13 07:01
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音楽が小室さんなんですね~。
by chima (2012-08-13 15:21)
旦那さんの伝で、この芝居の
タダ券のお話を頂いたのですが、
体調も良くなかったので、
観に行かなくて正解でした。
(申し訳ありません・・・)
タダ券は良く回って来るのですが、
面白かったためしがありません。
『つまらない→売れない→
客席を埋めたい→タダ券を配る』
という構図でしょうか。
「タダだから文句言えないねぇ」が
家路につくときの常套句です。
タダ券が回って来た芝居を
公表で出来れば良いのですが(^_^;)
by ☆ acco ☆ (2012-08-14 05:19)
突然のコメント、失礼します。
先週舞台を観劇して、同じような感想を抱いていたので…
もやもやして、『ウサニ つまらない』と検索して、このブログに辿り着きました。
本当に、どうしてこの作品をいい大人が(しかも実績のある)舞台化しようなんてことを思いついてしまったのか、理解に苦しみます。。
舞台で楽しかったのは、トークショーで生き生きとしている山本耕史さんのいい人っぷりが見れたことぐらいで、あとはもう、ポカンとするしかありませんでした…
そこらへんの高校生の舞台の方が美術も衣装もオリジナル脚本もよっぽどよくできている気が…
わけのわからない舞台を見てしまった仲間をみつけたのがうれしくて、思わず書き込んでしまいました!
お互い、お疲れ様でした笑。
by みい (2012-08-14 13:17)
chima さんへ
音楽自体は、
作品に合っているかはともかくとして、
悪くはなかったと思います。
by fujiki (2012-08-15 21:49)
acco さんへ
コメントありがとうございます。
クラシックのタダ券は、
その真価を知らない人が多いこともあり、
素晴らしい演奏会のこともありますが、
芝居はほぼ間違いなく、
タダに見合った出来ですね。
by fujiki (2012-08-15 21:56)
みいさんへ
コメントありがとうございます。
山本耕史さんのプロ根性には、
今回僕も感心しました。
あの役をやりたかったとは、
絶対に思えないのに、
あの態度は素晴らしいと思います。
今回の芝居の唯一の見どころかも知れません。
by fujiki (2012-08-15 22:00)