シス・カンパニー「叔母との旅」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
シス・カンパニーによる、
「叔母との旅」の再演の舞台を観て来ました。
原作はグレアム・グリーンの同題の小説で、
それをジャイルズ・ハヴァガルが演劇化し、
海外で上演された台本を、
日本のキャストで上演した作品です。
1994年に演劇集団円が、
同じ作品を矢張りハヴァガルの台本で上演し、
この時も好評で、
翌年の1995年に紀伊国屋ホールで再演されました。
この舞台は僕は観ています。
劇評が良かったので、
当日券で入ったのです。
その時のパンフレットがこちら。
僕はこの時の舞台に、
なかなかの感銘を受け、
面白い芝居だと思いました。
それで今回の上演の初演には、
あまり足が向きませんでした。
この作品は演劇集団円の舞台で、
充分なような気がしたからです。
ただ、今回の舞台も、
比較的評判が良かったので、
それなら、
と思い出掛けることにしました。
観劇後の印象は微妙なところで、
矢張り洒落た作品だと思いましたが、
演劇集団円の舞台は、
もっとウェットなものだったのに対し、
今回の上演は結構ドライなもので、
そうなると如何にもイギリス的な物語に、
ラストの処理など、
何となく違和感を感じて、
入り込み難かったのも正直なところです。
また、後で詳しく書きますが、
演劇集団円の舞台が、
ほぼ原作通りの上演だったのに対して、
今回の上演では幾つか設定に手を加えていて、
それが原作の趣旨に、
やや反しているように思えるのと、
役者の個性と作品の本質的な部分とに、
やや乖離があるように思えました。
ただ、面白い作品なので、
迷われている方がいれば、
「悪くないよ」くらいにはお勧めします。
それでは以下ネタバレがあります。
話のコンセプトは、
僕は大好きです。
清廉潔癖な母親に育てられ、
独身のまま銀行員として、
55歳まで実直に仕事一途に勤め上げた、
ヘンリーという男が主人公です。
要するにマザコンなのです。
物語はその母の葬式から始まり、
ヘンリーはそこで長く逢うことのなかった、
母の妹で75歳の叔母と再会します。
その叔母は母とは正反対に、
奔放な人生を送り、
今もそうした生き方をしている、
破天荒な女性ですが、
その叔母に引き寄せられるまま、
ヘンリーは叔母の指示のもと、
トルコから南米パラグアイに至る、
長い旅をします。
このあらすじだけで、
察しが付くように、
これは「叔母さん」だと思ったら、
実は○○だった、という話です。
ただそれが最後まで秘密にされていて、
クライマックスで感動的な呼びかけに結実するのです。
そして、
そのことにより、
ヘンリーの人生も、
55歳にして大きな変容を遂げます。
まあ、
実際にはそんなことは有り得ないのですが、
僕のような年齢の者には、
勇気を与えてくれる話です。
さすが、グレアム・グリーンという感じですし、
日本人の作家は、
あまりこうした作品を書かないと思います。
ハヴァガルによる劇化の台本は、
非常に個性的なもので、
出演するのは4人の男優のみで、
3人は50代くらいの年齢の役者で、
もう1人は若い俳優です。
その3人の中年から初老の役者が、
代わりばんこにヘンリーを演じます。
場面ごとに引き継ぐように演じることもありますし、
ある場面ではシンクロするように、
同じ台詞を時間差で語ります。
そして、
ヘンリー以外の全ての役柄は、
4人で分担して演じ分けられるのです。
この芝居でヘンリー以外の、
最も重要な登場人物は、
勿論ヘンリーの叔母ですが、
この叔母は、
ヘンリーを演じる役者の1人が、
その1人のみで演じます。
舞台の混乱を避けるための、
これも巧妙な仕掛けです。
演劇集団円の舞台では、
橋爪功と有川博、勝部演之の3人が、
ヘンリーを演じました。
叔母役は橋爪功で、
もう1人若手の役者が4人目として入り、
彼は基本的には殆ど台詞は喋らず、
黙々と多くの役を演じ分けます。
クライマックスに、
叔母のことを別の名前、
それまで秘されていた名前で、
呼びかける場面は、
3人で正面を向き、
客席に向かって静かに語りました。
その時の切ない情感は、
今も脳裏に焼き付いています。
わざわざ3人で1人を演じるような、
人工的な仕掛けをした意味が、
その瞬間に腑に落ちるような感じがありました。
一方で今回の新版の舞台は、
段田安則、浅野和之、高橋克美、鈴木浩介の4人が出演し、
4人共にヘンリーを演じる趣向になっています。
叔母役は段田安則です。
15年前の橋爪功の役を、
引き継ぐとしたら段田安則辺りだろうな、
というのは、
まあ妥当な感じがします。
上演されたのは青山円形劇場ですから、
舞台は円形で客席の中央にあり、
クライマックスは舞台の中心にいる、
見えない叔母に向かって、
それを囲む4人が、
それぞれ呼びかけるような演出になっていました。
しかし、
これではどうも感銘に欠けるような気がします。
この芝居は役者の実人生と、
役柄とがシンクロするようなところに、
その妙味があるではないかと思います。
劇中の設定は銀行員ですが、
演じる役者も役者一筋に、
数十年を過ごし、
将来への不安と、
自分の人生がこれで良かったのか、
という悔悟の念が、
語られない部分にあるのです。
そこにもう1人若い役者の加わる意味は、
まだ将来のある同じ職業の人間が、
対比される意味合いがあるのです。
彼は自分の若い肉体を誇示し、
残りの3人の役者に、
やや小馬鹿にしたような態度を示します。
それが作品の構図を見事に浮かび上がらせ、
クライマックスの切ない情感に結実するのです。
かつての演劇集団円の舞台には、
確かにそれがありました。
橋爪功も有川博も勝部演之も、
集団内では重鎮で、
映像の仕事もあり、
特に橋爪功は売れていた時期ではありましたが、
それでも新劇一筋で、
それほどの脚光は当たらず、
年齢を重ねている、
というある種の切なさがありましたし、
ちょっとした視線やその物腰の中に、
演技を超えた、
そうした仕事一筋で来た初老の男の、
人生の悲哀のようなものがありました。
演出の設定は、
何か野田秀樹の芝居のようなところがあるのですが、
それを疲れたおじさんの役者が、
慣れない手つきで必死にこなすところに、
言うに言われぬ味わいがあったのです。
それに対して今回の新版の舞台は、
小劇場界ではまだ自信満々の感じのキャストが集まり、
そのうちの2人は野田秀樹の遊眠社出身で、
こうした演出はお手の物のメンバーです。
演出も、
野田演出に非常に影響を受けた松村武なので、
野田演出を彷彿とさせるような、
トリッキーな役柄の切り替えの場面が、
多く見られます。
ただ、それにより却って、
原作の持つ哀しさのようなものは、
かなり薄まってしまった感は否めません。
そして、
色々な事情はあるのでしょうが、
4人目の役者に鈴木浩介を配して、
ヘンリーを4人にしてしまった演出の変更も、
適切なものではなかったように僕には思えます。
この役は、
基本的に無名の若手が演じてこそ意味のあるもので、
それが作品全体の構成を深める効果があるのです。
今回のような舞台を観ると、
演劇は難しいな、
とつくづく思います。
技巧的には円の舞台より遥かに優れ、
ストーリーの語り方も巧みなのですが、
その感銘の深さにおいては、
遥かに及ばないように思うからです。
ただ、非常に面白い作品なので、
今後も上演があると思いますし、
また別のキャストで、
別の切り口の演出が施されれば、
見違えるような舞台が、
出現する可能性もあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
シス・カンパニーによる、
「叔母との旅」の再演の舞台を観て来ました。
原作はグレアム・グリーンの同題の小説で、
それをジャイルズ・ハヴァガルが演劇化し、
海外で上演された台本を、
日本のキャストで上演した作品です。
1994年に演劇集団円が、
同じ作品を矢張りハヴァガルの台本で上演し、
この時も好評で、
翌年の1995年に紀伊国屋ホールで再演されました。
この舞台は僕は観ています。
劇評が良かったので、
当日券で入ったのです。
その時のパンフレットがこちら。
僕はこの時の舞台に、
なかなかの感銘を受け、
面白い芝居だと思いました。
それで今回の上演の初演には、
あまり足が向きませんでした。
この作品は演劇集団円の舞台で、
充分なような気がしたからです。
ただ、今回の舞台も、
比較的評判が良かったので、
それなら、
と思い出掛けることにしました。
観劇後の印象は微妙なところで、
矢張り洒落た作品だと思いましたが、
演劇集団円の舞台は、
もっとウェットなものだったのに対し、
今回の上演は結構ドライなもので、
そうなると如何にもイギリス的な物語に、
ラストの処理など、
何となく違和感を感じて、
入り込み難かったのも正直なところです。
また、後で詳しく書きますが、
演劇集団円の舞台が、
ほぼ原作通りの上演だったのに対して、
今回の上演では幾つか設定に手を加えていて、
それが原作の趣旨に、
やや反しているように思えるのと、
役者の個性と作品の本質的な部分とに、
やや乖離があるように思えました。
ただ、面白い作品なので、
迷われている方がいれば、
「悪くないよ」くらいにはお勧めします。
それでは以下ネタバレがあります。
話のコンセプトは、
僕は大好きです。
清廉潔癖な母親に育てられ、
独身のまま銀行員として、
55歳まで実直に仕事一途に勤め上げた、
ヘンリーという男が主人公です。
要するにマザコンなのです。
物語はその母の葬式から始まり、
ヘンリーはそこで長く逢うことのなかった、
母の妹で75歳の叔母と再会します。
その叔母は母とは正反対に、
奔放な人生を送り、
今もそうした生き方をしている、
破天荒な女性ですが、
その叔母に引き寄せられるまま、
ヘンリーは叔母の指示のもと、
トルコから南米パラグアイに至る、
長い旅をします。
このあらすじだけで、
察しが付くように、
これは「叔母さん」だと思ったら、
実は○○だった、という話です。
ただそれが最後まで秘密にされていて、
クライマックスで感動的な呼びかけに結実するのです。
そして、
そのことにより、
ヘンリーの人生も、
55歳にして大きな変容を遂げます。
まあ、
実際にはそんなことは有り得ないのですが、
僕のような年齢の者には、
勇気を与えてくれる話です。
さすが、グレアム・グリーンという感じですし、
日本人の作家は、
あまりこうした作品を書かないと思います。
ハヴァガルによる劇化の台本は、
非常に個性的なもので、
出演するのは4人の男優のみで、
3人は50代くらいの年齢の役者で、
もう1人は若い俳優です。
その3人の中年から初老の役者が、
代わりばんこにヘンリーを演じます。
場面ごとに引き継ぐように演じることもありますし、
ある場面ではシンクロするように、
同じ台詞を時間差で語ります。
そして、
ヘンリー以外の全ての役柄は、
4人で分担して演じ分けられるのです。
この芝居でヘンリー以外の、
最も重要な登場人物は、
勿論ヘンリーの叔母ですが、
この叔母は、
ヘンリーを演じる役者の1人が、
その1人のみで演じます。
舞台の混乱を避けるための、
これも巧妙な仕掛けです。
演劇集団円の舞台では、
橋爪功と有川博、勝部演之の3人が、
ヘンリーを演じました。
叔母役は橋爪功で、
もう1人若手の役者が4人目として入り、
彼は基本的には殆ど台詞は喋らず、
黙々と多くの役を演じ分けます。
クライマックスに、
叔母のことを別の名前、
それまで秘されていた名前で、
呼びかける場面は、
3人で正面を向き、
客席に向かって静かに語りました。
その時の切ない情感は、
今も脳裏に焼き付いています。
わざわざ3人で1人を演じるような、
人工的な仕掛けをした意味が、
その瞬間に腑に落ちるような感じがありました。
一方で今回の新版の舞台は、
段田安則、浅野和之、高橋克美、鈴木浩介の4人が出演し、
4人共にヘンリーを演じる趣向になっています。
叔母役は段田安則です。
15年前の橋爪功の役を、
引き継ぐとしたら段田安則辺りだろうな、
というのは、
まあ妥当な感じがします。
上演されたのは青山円形劇場ですから、
舞台は円形で客席の中央にあり、
クライマックスは舞台の中心にいる、
見えない叔母に向かって、
それを囲む4人が、
それぞれ呼びかけるような演出になっていました。
しかし、
これではどうも感銘に欠けるような気がします。
この芝居は役者の実人生と、
役柄とがシンクロするようなところに、
その妙味があるではないかと思います。
劇中の設定は銀行員ですが、
演じる役者も役者一筋に、
数十年を過ごし、
将来への不安と、
自分の人生がこれで良かったのか、
という悔悟の念が、
語られない部分にあるのです。
そこにもう1人若い役者の加わる意味は、
まだ将来のある同じ職業の人間が、
対比される意味合いがあるのです。
彼は自分の若い肉体を誇示し、
残りの3人の役者に、
やや小馬鹿にしたような態度を示します。
それが作品の構図を見事に浮かび上がらせ、
クライマックスの切ない情感に結実するのです。
かつての演劇集団円の舞台には、
確かにそれがありました。
橋爪功も有川博も勝部演之も、
集団内では重鎮で、
映像の仕事もあり、
特に橋爪功は売れていた時期ではありましたが、
それでも新劇一筋で、
それほどの脚光は当たらず、
年齢を重ねている、
というある種の切なさがありましたし、
ちょっとした視線やその物腰の中に、
演技を超えた、
そうした仕事一筋で来た初老の男の、
人生の悲哀のようなものがありました。
演出の設定は、
何か野田秀樹の芝居のようなところがあるのですが、
それを疲れたおじさんの役者が、
慣れない手つきで必死にこなすところに、
言うに言われぬ味わいがあったのです。
それに対して今回の新版の舞台は、
小劇場界ではまだ自信満々の感じのキャストが集まり、
そのうちの2人は野田秀樹の遊眠社出身で、
こうした演出はお手の物のメンバーです。
演出も、
野田演出に非常に影響を受けた松村武なので、
野田演出を彷彿とさせるような、
トリッキーな役柄の切り替えの場面が、
多く見られます。
ただ、それにより却って、
原作の持つ哀しさのようなものは、
かなり薄まってしまった感は否めません。
そして、
色々な事情はあるのでしょうが、
4人目の役者に鈴木浩介を配して、
ヘンリーを4人にしてしまった演出の変更も、
適切なものではなかったように僕には思えます。
この役は、
基本的に無名の若手が演じてこそ意味のあるもので、
それが作品全体の構成を深める効果があるのです。
今回のような舞台を観ると、
演劇は難しいな、
とつくづく思います。
技巧的には円の舞台より遥かに優れ、
ストーリーの語り方も巧みなのですが、
その感銘の深さにおいては、
遥かに及ばないように思うからです。
ただ、非常に面白い作品なので、
今後も上演があると思いますし、
また別のキャストで、
別の切り口の演出が施されれば、
見違えるような舞台が、
出現する可能性もあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-08-05 10:03
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私は仕事柄見る側ではなく見せる側の人間なので、とんと演劇は判らないが、趣味とは言えこれだけの文章を書く為にはそれなりに造詣も深くなければならず、相当なものだと言う事は判ります。
それに比べ私のブログと言えば専門家でありながら写真に頼り文章は短く、少しは見習わなくてはと反省然りです。
たまには仏像に関する記事もお願いします。
by 今野祥山 (2012-08-05 11:44)
初演の演目ではなかったのですね~。
by minK (2012-08-06 02:21)
今野祥山さんへ
コメントありがとうございます。
また仏像関連の記事もアップしたいと思います。
by fujiki (2012-08-06 08:17)
mink さんへ
コメントありがとうございます。
確認はしていませんが、
円の公演が日本では最初ではないかと思います。
by fujiki (2012-08-06 08:18)