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ナイロン100℃「百年の秘密」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は土曜日なので、
趣味の話題にします。

今日はこちら。
ナイロン100℃「百年の秘密」.jpg
ケラリーノ・サンドロヴィッチ率いる、
ナイロン100℃の新作公演を観て来ました。
公演は5月20日までですから、
もう終わっています。

ケラの芝居は、
ナイロン100℃の旗揚げ以来、
3分の2くらいは観ています。

ケラは現在の小劇場演劇に、
おそらく最も影響を与えている劇作家で演出家ですが、
当初の演劇はむしろ余技で、
ナンセンスコメディしかやらなかった頃のことを思うと、
今の演劇界におけるポジションは、
何やら不思議な思いもします。

ケラの作風はかなり多岐に渡っていて、
モンティ・パイソン風のナンセンスコメディから、
時空を複雑に交錯させた、
ノスタルジックで私小説的な内容のもの、
シニカルでドライな青春群像劇、
SF的な設定のメタフィクションから、
映画や歴史小説をモチーフにしたもの、
そして今回のような、
擬似翻訳劇まで、
本当に色々な傾向のものがあります。

それでいて、
どれも観ればケラの作品だとひと目で分かります。
何より長く、
3時間以内に終わることは、
滅多にありませんし、
テンポは常に悠然としていて、
舞台には常に特殊な時間が流れています。

20年以上に渡り、
コンスタントに作品を発表し続けているのは、
さすがだと思います。
行き詰まって女の子ともめると、
税金を使ってイギリスへ留学して一休み、
みたいなことはしないのです。
ただ、その代わり作品の出来にはかなりの凹凸があり、
未整理な内容に苛々させられることも多いのは事実です。

ケラの作品には、
非常に多くの引用があり、
彼自身最近は好んで海外や日本の、
古典と呼ばれるような戯曲の演出も手掛けているので、
それがまた彼の作品に反映されます。

演出的には、
スライドみたいな映像で、
いきなり前後関係を説明するのは、
松尾スズキの頂きだと思いますし、
映像と照明をシンクロさせて、
役者とその役者の映像とが、
同時に現われて、
時間の交錯を表現したり、
舞台に黒いシミが現われると、
それが急激に舞台全体に広がって、
舞台が不気味な音と共に暗くなったりするのは、
天野天街の頂きだと思いますが、
松尾スズキはもうかつての、
ヴォネガットのようなロマネスク的な芝居を、
描くことが出来なくなっているので、
ケラの作品に、
もう滅んだかつての演劇知が、
集積して存在しているような、
そんな趣があるのです。

つまり、ケラの作品は、
一種の演劇百科事典で、
それはここ10年くらいの小演劇が、
どのようなものであったのかを、
集大成的に見せるような意味合いを、
持っているのではないかと思います。

ケラの作品を支えているもう1つの要素は、
その魅力的な俳優陣で、
これにはいつも非常に驚かされます。
そんなに熱心に練習したり、
演技を磨いたりしているようには、
到底思えないのですが、
ナイロン以外の舞台に客演しても、
堂々たる存在感で、
その演技の技術においても、
たとえば新劇のベテランの俳優と、
遜色など全くないのは感心します。

僕が宝石のように愛しているのは、
峯村リエと松永玲子ですが、
それ以外に、
みのすけも大倉孝二も三宅弘城も、
犬山イヌコもいて、
若手もそれなりに面白いのですから、
これはもうただ事ではありません。

以下、少しネタバレがあります。

今回の新作は、
擬似翻訳劇とでも名付けられるような形式のもので、
舞台は外国で登場人物も皆外人です。

日本には翻訳劇という、
ややへんてこなジャンルがあり、
日本人が金髪の鬘を付けたりして、
西洋演劇を日本語でそのまま演じるのです。
明治の頃にそうしてトルストイやシェークスピアを演じることが、
「新劇」と称されて、
一時は知的で高級なものと理解されました。

それが実際には、
「へんてこ」なものであることを理解した上で、
純粋な創作なのに、
敢えて「翻訳劇」のスタイルを利用するのが、
「疑似翻訳劇」です。

この形式を藝術に高めたのは、
三島由紀夫で、
「サド侯爵夫人」はその大きな成果です。

翻訳劇の演技は「へんてこ」ですが、
意外に日本人には合っているのです。
逆に日本人がそのまま日本人を演じると、
何かむしろリアルに感じられません。
等身大の演劇というものが、
あまり日本で深化しないのは、
そうした理由があるのかも知れません。

従って、ケラのこうした作品は、
日本の演劇の伝統に沿ったものでもあるのです。

この作品は、
ワイルダーの「わが町」がモチーフになっていて、
同じような田舎町の人間模様が、
ほぼ100年の時間を、
過去から未来、そしてまた過去と、
自在に行き来しながら描かれます。

主軸になるのは、
犬山イヌコと峯村リエが演じる、
同級生の女性で、
舞台はその出会いから間もない子供時代の挿話から始まり、
その数十年後に飛び、
更に数十年後に飛んでから、
再び何度も時間軸を移動します。

ケラの作品としては、
シリアスな部類で、
笑いの要素は殆どありません。
かつてはこうした系統の芝居でも、
随所にナンセンスな遣り取りがあって、
笑いを誘ったものでしたが、
最近はそうしたサービスを、
敢えてしない方向に進んでいるようです。

今回の作品は、
ケラの作品としてベストではありませんが、
水準は超えている部類で、
3時間半の上演時間は、
勿論長いのですが、
それほどしんどくは感じませんでした。

多分僕の感じる裏テーマは、
「老いてからの恋」で、
過去に失った恋人を、
現在ではただの老女に過ぎないのに、
執着して死んでゆく萩原聖人の姿に、
ケラの本音が見え隠れしているような気がしました。

不満は物語の骨格を支えている「秘密」というのが、
家を象徴する巨木の根元に埋めた過去の手紙であったり、
過去の過ちから生じた近親相姦への怖れであったりすることで、
これはちょっとあまりに古すぎます。
骨格は古典的でも、
こうした点には現代に上演するに相応しい新しさがないと、
拙いのではないかと思えるのです。

また、峯村リエの役どころは、
登場はエキセントリックで無意味に暴力的で面白いのですが、
それが登場場面のみで終わってしまい、
彼女の役柄にその後反映されていないのが、
残念に感じました。

ケラは同世代なので、
矢張りちょっと気になるものがあるのです。
団塊の下の世代と、
団塊ジュニアの世代に挟まれた、
宙ぶらりんで情けのない感じというのは、
切実に感じますし、
その行き着く先を、
見届けたい思いもあるのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 2

アミナカ

先生の今回の劇評を読んでいて、頭に浮かぶのは
映画の「氷壁の女」でした。御存知ですか?
特に好きな映画と言うわけでは無いのですが、印象に残る作品で、
様々な登場人物にもし自分なら…と感情を後から追いかけてみたり、ちょっとその辺に転がっているシチュエーションでは無いのですが、何故か気にかかる映画でした。
ケラ作品、もしくはこの方御本人は蜘蛛の巣のように頭のなかは様々なものが案外綺麗に放射状に張り巡らされている印象があるのですが、真ん中が大きくあいているような無責任感も感じます。かといってかならず心地悪い無責任感では無いのですが…
役者に任せている部分がそのあたりになるのでしょうか…
なんだか落ち着かない気候が続きますが、御自愛ください。
by アミナカ (2012-05-26 23:00) 

fujiki

アミナカさんへ
コメントありがとうございます。
「氷壁の女」は観ていません。
面白そうですね。
DVD化もされていない、
こうした埋もれた作品は結構ありますね。
wowow辺りでやってくれるといいのですが…
by fujiki (2012-05-28 08:11) 

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