SSブログ

東京セレソンデラックス「ピリオド」と泣ける芝居の話 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って
(芝生が濡れていたので、
腹筋ははしょりました)、
それから今PCに向かっています。

朝から物凄く苛々していて、
今日はちょっと駄目です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ピリオド.jpg
才人宅間孝行の作・演出による、
東京セレソンデラックスの番外公演を観て来ました。

この劇団は僕は生で観るのは初めてです。
泣ける芝居とは聞いていて、
若手中心のキャストなので、
前半は間が詰まり過ぎて変にテンションが高く、
この調子でやられたら厳しいな、
と思ったのですが、
最後はしっかり泣けました。

僕はまあ、
年齢と共に涙もろくなっていて、
「この場面では泣かそうとしているな」
という作り手の意図を感じただけで、
既に涙腺が弛んでしまう方なので、
あまり参考にはなりませんが、
妻も面白いとは言っていて、
涙1つ見せませんでしたが、
最後まで眠らずに観ていました。

帰りの道で、
後ろの見知らぬ女の子の2人連れが、
「ミナコは泣いた?
あたしは泣かないのよね、こういうのは。
最後にちょっとグッと来たくらいかな」
と言っていたのを聞いて、
「どうかこの女に世界中の不幸が訪れますように」
と心の中で祈りましたが、
すぐに自分の醜い心を反省して、
その祈りは取り消しました。

多分、どちらかと言えば、
男が泣ける物語のようです。

ジャンルとしては「泣ける芝居」というのがあって、
そうした芝居のクライマックスになると、
森閑とした劇場内の、
あちこちですすり泣きが洩れ、
終わって明かりが点くと、
隣のお客さんの目も赤く腫れているのです。

泣かせのし易さという点で言うなら、
芝居より映画の方が、
ずっと上だと思います。

芝居というのは、
アップやロングの切り替えがないので、
生身の人間が演じる架空の物語に、
没入させ感情をかき立てるのは、
映像より数段難しいからです。

そして、
泣かせのパターンというのも、
そう多くはありません。

一昔前の小劇場の泣ける芝居と言えば、
つかこうへいが何と言っても抜群でした。
勿論それは彼がその本心を封印していた、
1982年の活動休止前までの芝居に限ってのことです。

つか以前の小劇場のアングラ芝居というのは、
笑いはあっても「泣かせ」はないものでした。
その芝居は緊張と弛緩とが交互に訪れるもので、
笑いも弛緩のために存在していて、
それが前面に立つことはありませんでした。

大衆演劇というものには「泣かせ」が付き物で、
遡れば歌舞伎も文楽も、
そのクライマックスは「泣かせ」です。

主君への義理のために、
自分の子供の首を刎ねたり、
凶状持ちに身を落とした相撲取りが、
かつての想い人を助けるために、
罪を犯し、
その想い人の前で、
一世一代の土俵入りを見せたりするのです。
それを仰々しく思わせぶりに、
間をたっぷりとって、
独特の節回しで演じることで、
観客は魔法に掛かったように、
涙を振り絞ったのです。

アングラ演劇も、
外国かぶれの新劇も、
こうしたベタベタの泣かせの芝居とは、
一線を画すことから始まったので、
「泣かせ」は泥臭くスマートではない、
という考えから、
観客を素直に泣かせるような場面を作らず、
ドライで観念的で、
簡単に筋を追えないような、
難解なストーリーが売りでした。

しかし、
それだけでは誰もカタルシスを感じないので、
要所要所に、
それまでの観念的なドライさが、
一瞬後退して、
情念が噴出されるような瞬間を作ります。

これは旧来の大衆劇の「泣かせ」のような、
観客の思い入れを用意する段取りがないので、
所謂「泣ける」感じではないのですが、
それまで抑制されていた情動のようなものが、
一気に解放されるカタルシスがあって、
「何か良く分からないけど凄い」
という気分に観客を浸らせてくれたのです。
当時は「異化効果」という、
今考えると良く分からない表現で、
呼ばれたりもしました。

さて、
そこで登場したつかこうへいは、
かつての大衆劇の「泣かせ」を、
臆面もなく取り入れることで、
小劇場演劇に新風を吹き込んだのです。

ただ、勿論これはかつての「一本刀土俵入り」のようなものとは、
基本的に異質なものです。

作品はかつての大衆劇の、
一種のパロディとして成立していて、
その枠組みそのものへの懐疑が、
常にその裏にあります。

「泣かせ」のパターンは、
基本的には1つだけで、
舞台上には2人の人物がいて、
常人には理解不能のような強い想いが、
その2人の間にはあるのです。
一方の人物がもう一方の人物に、
長いモノローグでその想いを語ります。
その想いは一方通行で、
交わることはないのですが、
舞台上にはもう1人の人物も存在はしていて、
相手の自分への想いを、
じっと耐えるように受け止めているのです。

東京セレソンデラックスの「泣かせ」の構造は、
基本的にはつかの芝居のものと同じです。
その「泣かせ」のモノローグは、
極めて巧みに、
つかの技法をすくい取っていて、
じっと耐えるもう1人がいる点も同じです。

ただ、物語の枠には、
その構造に対する懐疑はなく、
つかのような悪意に満ちた視線はありません。

昔からの小劇場のファンにとっては、
その悪意のなさが若干不満でもあるのですが、
確かに受ける要素はあり、
宅間孝行は今後その活躍の場を、
広めてゆくのだと思いました。

最後にちょっとネタばれがあります。

この芝居は一種の「難病もの」ですが、
その設定にはかなりの難があります。

何の治療もせず、
ただ2か月の余命だと家族が告げられた、
というような話で、
本人にも告知はされていないのですから、
一体いつの話だ、と思いますし、
病気に効く漢方薬をジュースに入れる、
というのも、
おやおや、という感じです。

本人が病気であることを知らず、
しかし不治の病で余命は短く、
年齢は若く、
何の治療法もなく家族にのみ告知される、
というような設定は、
昔はよくありましたが、
今では成立させることは、
非常に難しいのではないかと思います。

医療者としての立場から言うと、
不可能だと思います。

ただ、実際に舞台を観る多くの観客にとっては、
そうしたことは特に気にはならないことで、
「泣かせの芝居」としては、
充分に成立していますし、
特に主役2人の熱演は、
心に刺さる鮮烈さがありました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(18)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 18

コメント 4

HWK

この劇団、有名になる前に1度見たことがります。
友人が出演していまして。。。
その時はハイテンション芝居だったけど、
確かに面白かった記憶があります。
いつのまにか人気劇団ですね。

泣かせの構造のお話、面白いです。
私は、福島三郎という作家・演出家の作品が大好きです。

つかさんのお弟子さんも、
その遺伝子を受け継いでいますね。
羽原さんや秦さんとか。
by HWK (2012-04-16 00:22) 

fujiki

HWKさんへ
コメントありがとうございます。
セレソンデラックスは今年で解散のようで、
その後は劇団というより、
宅間孝行ブランド、
という感じになるのだと思います。
by fujiki (2012-04-16 08:12) 

通りすがりです

初めてコメントします!今まで医療系の検索でしばしばこちらのブログにたどり着いて拝見していました。
私は医療系の職業なのですが、とても勉強になります。
今回はお芝居で検索してこちらにたどり着き、驚きました。
そして思わずコメントしてしまいました(笑)
お芝居って良いですよね。
私はあんまりメッセージ性の強くないもの、若いキャストだけで構成されていないものが好きですが、色々な方のお芝居をこれからも観たいなと思っています。
最近はIOHの林邦應さんのお芝居を観て楽しみました。

お芝居やドラマ、映画を観ていて医療系のシーンが少しでも出ると「それは無いでしょ?!」って絶対に突っ込んでしまう自分がちょっとつまらないなと思ってしまいます^^
感情移入仕切れなくて、ちょっぴり人生損している気がします。
宅間孝行さんのお芝居、いつか観てみたいです。
これからもブログ読ませていただきます♪
失礼しました。
by 通りすがりです (2012-04-16 20:54) 

fujiki

通りすがりさんへ
コメントありがとうございます。
芝居は好きなのですが、
根が保守的なので、
なかなか新しい芝居に踏み込めません。
新しいおすすめがあれば、
是非教えて下さい。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2012-04-17 08:24) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0