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本谷有希子「クレージーハニー」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
先週は長野に強行軍で往復して、
走りには行けなかったので、
2週間ぶりに駒沢公園まで走りに行き、
それから新宿まで妻と買い物に行って、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
クレイジーハニー.jpg
若手作家としても注目を集めている、
劇団、本谷有希子主宰の本谷有希子が、
作演出を勤めた、
パルコ劇場のプロデュース公演、
「クレージーハニー」を見て来ました。

彼女のパルコ劇場の公演は2回目で、
外部公演の体裁を取っていますが、
基本的にはキャストが豪華だというだけで、
そのスタンスは劇団の公演と変わりはありません。

彼女の芝居は、
2004年の第8回公演、
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の再演が、
僕が生で見た最初の作品で、
年1~2作の比較的ゆっくりとしたペースのため、
外部への脚本提供を含めて、
その後の彼女の劇作は、
全て見ていると思います。

作風は良くも悪くも、
小説家の演劇、という感じです。

後にも書きますが、「遭難、」という、
突然変異的な大傑作があるのですが、
それ以外の作品は、
演劇的な構成がこなれておらず、
小説のモノローグ的なドロドロした情念の発露と、
「物語」の展開とが、
演劇としてはアンバランスで、
設定はいつもエキセントリックで衝撃的なので、
一旦は惹き込まれるのですが、
観客の興味を持続させよう、
というような「演劇のリズム感」が欠如しているので、
何となく半ば拒絶されたような気分の中で、
さほどは長くない上演時間を、
かなりシンドイ思いで耐えなければなりません。
そして、ラストまで、
演劇的な見せ場やカタルシスは皆無なので、
重い気分で劇場を後にすることになります。

ただ、作家として自立したいのに、
そう出来ないので、
演劇を続けているような劇作家は多くいても、
どう考えても小説の方により才能があり、
これだけ演劇作りは下手くそなのに、
敢えて演劇活動を続けていて、
それも非常にラジカルで「危ない」テーマを、
取り上げ続けている、
という彼女の姿勢は、
僕は貴重なものだと思いますし、
その未だに無鉄砲な感じが、
僕が彼女の芝居を見続けている、
主な理由です。

僕の見た彼女の芝居の中では、
DVDにもなっている2006年の「遭難、」が、
ダントツに見事な作品で、
これは徹底して陰湿に、
自分とかかわりのある他人を陥れることだけが、
人生の目的と化し、
そうした病んだ自分の性格を、
過去のトラウマのせいにして、
その相手をも陰湿に糾弾し続けている女性教師が、
そのトラウマを他人の善意で解消されて、
生きる目的そのものを喪失してしまう、
という壮絶な話です。
ナイロン100℃の松永玲子が、
その性格破綻者を見事に演じて、
非常に見応えがありました。

ただ、昨年の「甘え」という作品は、
父親との複雑な確執が、
娯楽の要素なく執拗に描かれるだけの作品で、
物語的な要素は希薄でかつ破綻していて、
演劇中の主人公と、
作者との境界も曖昧な、
演劇としては成立していないような作品でした。

この先彼女は何処に行くのだろうか、
と正直不安に思っていたのですが、
今回の作品も同様に、
演劇という範疇からは、
かなり逸脱した傾向の作品になっています。

以下、少しネタバレがあります。

主人公は長澤まさみ演じる、
携帯小説でデビューした、
「キワモノ」の作家で、
リリー・フランキー演じる、
オネエ系のキャラの中年タレントと、
常に行動を共にしています。
主人公がイベントスペースで自分のコアなファンとイベントを開き、
その場で自分という存在を、
ファンの視線から再確認しようとするのです。

主人公の
「顔が可愛いからデビュー出来た」キワモノ作家は、
グロテスクに歪曲された作者自身の分身です。
彼女自身が抱えているであろう、
自分のコアなファンへの愛情と憎悪のない交ぜになった思いが、
かなり未整理な状態で、
舞台上にばら撒かれ、
あまり回収はされずに終幕を迎えます。

前作の「甘え」と同じように、
作者はもう演劇的物語を作ることには、
興味を示さなくなってしまったようで、
設定は魅力的でも展開はなく、
ファンの心理と作家の思いとが、
擦れ違ったまま、
彼女としては長い2時間20分の上演時間を、
観客は舞台上のファンのようには発言することを許されずに、
ひたすら耐える以外はありません。

それなら詰まらないのかと言うとそうでもなく、
初舞台の長澤まさみの圧倒的な肉体が、
ギリギリのところでこの舞台を支えています。

この舞台の長澤まさみは、
驚くほど魅力的です。

赤いラメの付いた衣装を身に纏い、
その髪も同色の真紅に染め上げて、
ミニスカートからスラリと伸びた、
本当にカモシカのような生足に、
黒いハイヒールという姿の彼女が、
ファンが投げ捨てた札束を、
フロアに這いずるようにして1枚ずつ拾うのです。

こんな無鉄砲なことを、
平気でさせられるのは、
本谷有希子だからこそだと、
僕は思います。

マイクパフォーマンスまでする長澤まさみの独白は、
つかこうへいに似ています。
ただ、つかがこうした芝居を書いたら、
その独白では観客の涙を振り絞ったと思いますが、
本谷有希子の同様の場面には、
そうしたカタルシスはありません。
彼女の世界ではゴミはゴミであり続け、
そこに輝きや切なさのような感情が、
入り込む余地を与えないのです。

本谷有希子のこうした独特の演劇との格闘が、
何処まで続くものなのかは、
よく分かりません。

今回の作品など、
寺山修司なら観客参加型の芝居にしたと思いますし、
つかこうへいなら同じ素材で、
泣かせたり感動させたりしたと思いますし、
ポツドールの三浦大輔なら、
ファンの集団の扱いなど、
もう少し緻密に構成して、
演劇の構成美を見せたと思います。
しかし、そうした演劇の長所を、
意図的なものかそうでないのかは分かりませんが、
全て無視して平然としているような本谷有希子の凄味も、
ちょっと気になるところがあるのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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コメント 2

末尾ルコ(アルベール)

長澤まさみが!ですか。
興味深いお話です。
俳優にとって出会う作品の大切さ・・ですね。

                            RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2011-08-29 06:16) 

fujiki

RUKO さんへ
コメントありがとうございます。
彼女はテレビより舞台の方が、
映えるタイプの女優さんだと思います。
映像では演じる役柄も限られ、
その魅力が十全には伝わらないのが残念です。
by fujiki (2011-08-29 08:21) 

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