僕が体験した唐先生の芝居を振り返る(1982年~1984年) [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から雨で台風も近付いているとのことなので、
走りに行くのもお休みです。
休みの日は趣味の話題です。
唐十郎の芝居は色々な意味で僕の青春でした。
僕は唐先生と勝手に呼んでいますが、
横浜国立大学の教授をされる前からのことで、
僕にとっては唐先生と呼ぶのが、
一番馴染む気がするので、
いつもそう書かせて頂いています。
僕は仮にタイムマシンで何処か1つの時代の1つの場所に、
時空を超えて行くことが可能であるとしたら、
迷うことなく唐先生の70年代の傑作、
「ベンガルの虎」の初演の現場に時を遡りたいと思います。
「ベンガルの虎」の初演を観たら、
その場で死んでも後悔はありません。
他にそうした思いを抱くのは、
デセイ様が僕の目の前で、
僕1人のために歌ってくれた時で、
その時もその場で死んで後悔はありません。
ある種の凝縮した時間こそ、
藝術というものの本質的な意味だと思いますし、
それを人生と等価と考えるのが、
僕の基本的な考え方だからです。
その大好きな唐先生の芝居を、
先週は危うく嫌いになり掛けました。
ただ、最後の最後で僕は踏み留まろうと決めました。
たとえ気持ちをズタズタに引き裂かれようとも、
僕は好きだったものを、
生涯命懸けで好きでいようと決めたのです。
すいません。
何が言いたいのか分からないですね。
今日は僕の体験した唐先生の芝居を、
僕なりに振り返りたいと思います。
その記載には充分気を配りたいと思いますが、
何か不都合がありましたら、
ご指摘頂ければ即座に抹消したいと思います。
それでは始めます。
まずこちらから。
①二都物語(再演)
これは僕の観た最初の唐先生の芝居です。
1982年の秋のことです。
その前の年にラジオで、
唐先生と蜷川幸雄が対談していて、
「下谷万年町物語」という芝居の宣伝でした。
「渋谷の街に戦後のバラックを再現する」
というような意味のことを話していて、
何となく魅力的には感じたのですが、
結局観には行けませんでした。
翌年の春に「新二都物語」という芝居があり、
これも観たかったのですが、
時間が合わず、
夏休みにパルコのプロデュース公演で、
「少女仮面」を文学座の小林勝也の演出でやったものを観ました。
これが唐先生の芝居を実際に観た最初のものです。
出演は渡辺えり子(当時)と不破万作などで、
その奇怪な世界には、
訳も分からずにも魅力は感じました。
そして、その年の秋、
春の「新二都物語」とその原点であった、
旧作の「二都物語」の再演とが紅テントで予定され、
僕はその「二都物語」の舞台で、
唐先生の舞台姿に初めて出逢いました。
唐先生はそれまで、
過去の作品をテントで再演するということを、
殆どしてはいませんでした。
状況劇場の初期に、
同じ作品を何度か上演することはあったと思いますが、
数年以上の期間を置いての再演、というのは、
この作品が最初のことだったと思います。
オープニング、テントの奥が開いていて、
その向こうに池が掘ってありました。
そこに役者が飛び込みつつ、
舞台に駆け上がると、
海の書かれた幕が、
舞台後方に下がって芝居が始まります。
伝説の初演の不忍池と比べれば、
小じんまりとしたものでしたが、
それでもワクワクとした気分になりました。
この芝居の李礼仙はリーランという、
日本の憲兵に兄を殺された朝鮮の少女で、
彼女が痰壺から拾った100円玉を投げると、
朝鮮海峡の上を赤い木馬が廻ります。
その時に流れるのは韓国の歌謡曲です。
僕はこの芝居を2回観ましたが、
2回目には初回になかった、
幕間劇が演じられました。
出版されている戯曲に書かれているものです。
でも、より感銘を受けたのは、
同時に上演された新作の「新二都物語」の方です。
②新二都物語(1982年秋興行)
これは要するに死んだ筈の「二都物語」のヒロイン、リーランが、
日本人に忘れ去られた何かを突き付けるために、
戻って来る、という話です。
この舞台は僕が観た唐先生の舞台の中では、
一番大掛かりなものでした。
舞台は全体が巨大なプールになっていて、
その上に分割された戸板が敷かれて舞台面になっています。
その戸板がロープに引かれて引き上げられると、
その部分だけが池になる、
という仕掛けです。
オープニングでは舞台の中央が池になっていて、
そこに役者がなだれ込み、
それからその池に戸板の橋が掛けられ、
その戸板がもう一度引き上げられると、
戸板の裏側に、
リーランの姿が現われます。
赤い木馬が廻る場面は、
舞台の周囲が水路になって、
そこを駆け抜けるという趣向です。
ラストは木馬が駆け抜けた後に背後の書割が倒れると、
そこにはトラックの荷台に載せた、
回転する木馬が宙に浮くように見えていて、
その木馬にリーランが跨り、
こちらに向かって手を振ります。
音効ではアラン・パーソンズ・プロジェクトの、
「eye in the sky」、
クスコの「聖山アトス」、
デヴィット・ボウイの「ワルシャワの幻想」
などが僕の耳には残りました。
この後にプロデュース公演として、
「黒いチューリップ」というのがあって、
それから本多劇場の杮落しとして、
「秘密の花園」がありました。
ただ、状況劇場の1983年の春の公演は行なわれず、
僕はがっかりした思いで次を待ちました。
③住み込みの女(1983年秋興行)
次に観た紅テントがこの作品で、
役者さんは前回の公演から、
大分変わっていました。
坂元貞美と不破万作さんが退団されました。
演出助手に蜷川幸雄が付いて、
彼自身も出演しています。
それに蜷川組の塩島昭彦(この人は大好き)と、
大門伍郎、そして元黒テントの清水紘治が客演でした。
要するに紅テントではあっても、
随分と客演の比率の多い公演でした。
オープニングはテントの横幕が開くと、
新宿中央公園の隣の殺風景な空地を、
大きな風呂敷包みを背負った蜷川幸雄が走って来て、
その後ろからそれを追って唐先生が走って来ます。
2人がテントに駆け込むと、
横幕が下りて芝居が始まります。
この作品は床屋の鏡を抜けると、
向こうが別の場所に繋がっていて、
それを廻り舞台で表現していました。
テントで大きな廻り舞台というのは、
多分初めてではなかったかな、
と思います。
確かジャーニーの初期の曲だったと思います、
12弦のギターがかき鳴らされるような曲が、
廻り舞台と共に流れて、
拍手が湧きました。
音効はそれから、
「遊星からの物体X」の、
ベースだけでボボンと鳴る、
不気味な効果音も使っていました。
ラストはテントの外にパワーシャベルが登場して、
李礼仙を載せてグルグル廻ります。
内容は仕掛けの割にこじんまりしていて、
ちょっと物足りない感じはあったんですが、
それでも1年振りのテントは素敵でした。
そして、翌年の春がこちらになります。
④「あるタップダンサーの物語」(1984年春興行)
これは1984年の春公演ですね。
今これは手元にチラシとかがないんです。
何処かに紛れてしまったようで、
実家のダンボールの中かも知れません。
初期の状況劇場の名女形、
四谷シモンの復活が話題でした。
伝説のタップダンサーの話で、
マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」に合わせて、
タップ合戦をする、という趣向がありました。
何と言うか、時代を感じさせますね。
男の主役が不在の感じで、
唐先生が狂言回し的役柄、
佐野史郎と金守珍が悪党の2枚看板。
そこに得体の知れないシモンが絡む、
という感じの芝居でした。
3幕は「靴裁判」になるんですが、
これは以前の名作「鉄仮面」の趣向ですね。
唐先生の裁判シーンは、
それほど多くはないんですが、
緊迫感があってワクワクするんですよね。
非常に唐突に裁判になるんです。
四谷シモンは矢張り面白かったですね。
歌も歌いましたし、
「夢に見た左巻きの朝顔が、
いつか右に巻く時が来る…」
うろ覚えですけれど、
そんな感じの歌。
でも、その軽妙な感じは、
他の役者さんとはあまり合わない感じでした。
役者紹介の時にね、
シモンが唐先生を紹介して、
「最後に作演出、くぅあらぁ・じゅうーろぅ」
みたいな変な言い方をしたのを、
今でもよく覚えています。
ラストはただ外が見えると、
トラックの荷台の上で、
李礼仙がタップを踏んでいるだけ、
というもので、
それはちょっとガッカリでした。
唐先生は最後に、
「僕はあなたの作者になります」
みたいなことを言って、
そのままストップモーションになるんです。
メタフィクション的な趣向で、
当時はちょっと違和感がありました。
⑤「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」(1984年冬興行)
この作品は初演は1970年代で、
元々唐先生としてはこじんまりした作品です。
それを再演でしかも日取りが12月で、
更には普通唐先生のテントの芝居は、
毎週末だけ、というのが通例なのですが、
2週間の連続興行でした。
石橋蓮司が客演です。
オープニングが印象的だったんですけど、
菅田俊という役者さんが、
多分初登場だったと思うのですが、
いきなり客席に大きな脚立を立てて、
「良い眺めだな」みたいなことをするんです。
こんなパートは初演の台本にはありません。
そういうおまけを付けて、
旧作を上演することの、
多分最初だったかも知れません。
唐先生が傘屋のおちょこを演じたのですが、
これは初演は十貫寺梅軒さんの役柄で、
これはちょっと、すいません、
ミスキャストかな、という感じでした。
色々な意味で変則で、
地味な感じの芝居でした。
本当は一気に29年を書いてしまいたかったのですが、
疲れてしまったので、
今日はここまでにします。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から雨で台風も近付いているとのことなので、
走りに行くのもお休みです。
休みの日は趣味の話題です。
唐十郎の芝居は色々な意味で僕の青春でした。
僕は唐先生と勝手に呼んでいますが、
横浜国立大学の教授をされる前からのことで、
僕にとっては唐先生と呼ぶのが、
一番馴染む気がするので、
いつもそう書かせて頂いています。
僕は仮にタイムマシンで何処か1つの時代の1つの場所に、
時空を超えて行くことが可能であるとしたら、
迷うことなく唐先生の70年代の傑作、
「ベンガルの虎」の初演の現場に時を遡りたいと思います。
「ベンガルの虎」の初演を観たら、
その場で死んでも後悔はありません。
他にそうした思いを抱くのは、
デセイ様が僕の目の前で、
僕1人のために歌ってくれた時で、
その時もその場で死んで後悔はありません。
ある種の凝縮した時間こそ、
藝術というものの本質的な意味だと思いますし、
それを人生と等価と考えるのが、
僕の基本的な考え方だからです。
その大好きな唐先生の芝居を、
先週は危うく嫌いになり掛けました。
ただ、最後の最後で僕は踏み留まろうと決めました。
たとえ気持ちをズタズタに引き裂かれようとも、
僕は好きだったものを、
生涯命懸けで好きでいようと決めたのです。
すいません。
何が言いたいのか分からないですね。
今日は僕の体験した唐先生の芝居を、
僕なりに振り返りたいと思います。
その記載には充分気を配りたいと思いますが、
何か不都合がありましたら、
ご指摘頂ければ即座に抹消したいと思います。
それでは始めます。
まずこちらから。
①二都物語(再演)
これは僕の観た最初の唐先生の芝居です。
1982年の秋のことです。
その前の年にラジオで、
唐先生と蜷川幸雄が対談していて、
「下谷万年町物語」という芝居の宣伝でした。
「渋谷の街に戦後のバラックを再現する」
というような意味のことを話していて、
何となく魅力的には感じたのですが、
結局観には行けませんでした。
翌年の春に「新二都物語」という芝居があり、
これも観たかったのですが、
時間が合わず、
夏休みにパルコのプロデュース公演で、
「少女仮面」を文学座の小林勝也の演出でやったものを観ました。
これが唐先生の芝居を実際に観た最初のものです。
出演は渡辺えり子(当時)と不破万作などで、
その奇怪な世界には、
訳も分からずにも魅力は感じました。
そして、その年の秋、
春の「新二都物語」とその原点であった、
旧作の「二都物語」の再演とが紅テントで予定され、
僕はその「二都物語」の舞台で、
唐先生の舞台姿に初めて出逢いました。
唐先生はそれまで、
過去の作品をテントで再演するということを、
殆どしてはいませんでした。
状況劇場の初期に、
同じ作品を何度か上演することはあったと思いますが、
数年以上の期間を置いての再演、というのは、
この作品が最初のことだったと思います。
オープニング、テントの奥が開いていて、
その向こうに池が掘ってありました。
そこに役者が飛び込みつつ、
舞台に駆け上がると、
海の書かれた幕が、
舞台後方に下がって芝居が始まります。
伝説の初演の不忍池と比べれば、
小じんまりとしたものでしたが、
それでもワクワクとした気分になりました。
この芝居の李礼仙はリーランという、
日本の憲兵に兄を殺された朝鮮の少女で、
彼女が痰壺から拾った100円玉を投げると、
朝鮮海峡の上を赤い木馬が廻ります。
その時に流れるのは韓国の歌謡曲です。
僕はこの芝居を2回観ましたが、
2回目には初回になかった、
幕間劇が演じられました。
出版されている戯曲に書かれているものです。
でも、より感銘を受けたのは、
同時に上演された新作の「新二都物語」の方です。
②新二都物語(1982年秋興行)
これは要するに死んだ筈の「二都物語」のヒロイン、リーランが、
日本人に忘れ去られた何かを突き付けるために、
戻って来る、という話です。
この舞台は僕が観た唐先生の舞台の中では、
一番大掛かりなものでした。
舞台は全体が巨大なプールになっていて、
その上に分割された戸板が敷かれて舞台面になっています。
その戸板がロープに引かれて引き上げられると、
その部分だけが池になる、
という仕掛けです。
オープニングでは舞台の中央が池になっていて、
そこに役者がなだれ込み、
それからその池に戸板の橋が掛けられ、
その戸板がもう一度引き上げられると、
戸板の裏側に、
リーランの姿が現われます。
赤い木馬が廻る場面は、
舞台の周囲が水路になって、
そこを駆け抜けるという趣向です。
ラストは木馬が駆け抜けた後に背後の書割が倒れると、
そこにはトラックの荷台に載せた、
回転する木馬が宙に浮くように見えていて、
その木馬にリーランが跨り、
こちらに向かって手を振ります。
音効ではアラン・パーソンズ・プロジェクトの、
「eye in the sky」、
クスコの「聖山アトス」、
デヴィット・ボウイの「ワルシャワの幻想」
などが僕の耳には残りました。
この後にプロデュース公演として、
「黒いチューリップ」というのがあって、
それから本多劇場の杮落しとして、
「秘密の花園」がありました。
ただ、状況劇場の1983年の春の公演は行なわれず、
僕はがっかりした思いで次を待ちました。
③住み込みの女(1983年秋興行)
次に観た紅テントがこの作品で、
役者さんは前回の公演から、
大分変わっていました。
坂元貞美と不破万作さんが退団されました。
演出助手に蜷川幸雄が付いて、
彼自身も出演しています。
それに蜷川組の塩島昭彦(この人は大好き)と、
大門伍郎、そして元黒テントの清水紘治が客演でした。
要するに紅テントではあっても、
随分と客演の比率の多い公演でした。
オープニングはテントの横幕が開くと、
新宿中央公園の隣の殺風景な空地を、
大きな風呂敷包みを背負った蜷川幸雄が走って来て、
その後ろからそれを追って唐先生が走って来ます。
2人がテントに駆け込むと、
横幕が下りて芝居が始まります。
この作品は床屋の鏡を抜けると、
向こうが別の場所に繋がっていて、
それを廻り舞台で表現していました。
テントで大きな廻り舞台というのは、
多分初めてではなかったかな、
と思います。
確かジャーニーの初期の曲だったと思います、
12弦のギターがかき鳴らされるような曲が、
廻り舞台と共に流れて、
拍手が湧きました。
音効はそれから、
「遊星からの物体X」の、
ベースだけでボボンと鳴る、
不気味な効果音も使っていました。
ラストはテントの外にパワーシャベルが登場して、
李礼仙を載せてグルグル廻ります。
内容は仕掛けの割にこじんまりしていて、
ちょっと物足りない感じはあったんですが、
それでも1年振りのテントは素敵でした。
そして、翌年の春がこちらになります。
④「あるタップダンサーの物語」(1984年春興行)
これは1984年の春公演ですね。
今これは手元にチラシとかがないんです。
何処かに紛れてしまったようで、
実家のダンボールの中かも知れません。
初期の状況劇場の名女形、
四谷シモンの復活が話題でした。
伝説のタップダンサーの話で、
マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」に合わせて、
タップ合戦をする、という趣向がありました。
何と言うか、時代を感じさせますね。
男の主役が不在の感じで、
唐先生が狂言回し的役柄、
佐野史郎と金守珍が悪党の2枚看板。
そこに得体の知れないシモンが絡む、
という感じの芝居でした。
3幕は「靴裁判」になるんですが、
これは以前の名作「鉄仮面」の趣向ですね。
唐先生の裁判シーンは、
それほど多くはないんですが、
緊迫感があってワクワクするんですよね。
非常に唐突に裁判になるんです。
四谷シモンは矢張り面白かったですね。
歌も歌いましたし、
「夢に見た左巻きの朝顔が、
いつか右に巻く時が来る…」
うろ覚えですけれど、
そんな感じの歌。
でも、その軽妙な感じは、
他の役者さんとはあまり合わない感じでした。
役者紹介の時にね、
シモンが唐先生を紹介して、
「最後に作演出、くぅあらぁ・じゅうーろぅ」
みたいな変な言い方をしたのを、
今でもよく覚えています。
ラストはただ外が見えると、
トラックの荷台の上で、
李礼仙がタップを踏んでいるだけ、
というもので、
それはちょっとガッカリでした。
唐先生は最後に、
「僕はあなたの作者になります」
みたいなことを言って、
そのままストップモーションになるんです。
メタフィクション的な趣向で、
当時はちょっと違和感がありました。
⑤「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」(1984年冬興行)
この作品は初演は1970年代で、
元々唐先生としてはこじんまりした作品です。
それを再演でしかも日取りが12月で、
更には普通唐先生のテントの芝居は、
毎週末だけ、というのが通例なのですが、
2週間の連続興行でした。
石橋蓮司が客演です。
オープニングが印象的だったんですけど、
菅田俊という役者さんが、
多分初登場だったと思うのですが、
いきなり客席に大きな脚立を立てて、
「良い眺めだな」みたいなことをするんです。
こんなパートは初演の台本にはありません。
そういうおまけを付けて、
旧作を上演することの、
多分最初だったかも知れません。
唐先生が傘屋のおちょこを演じたのですが、
これは初演は十貫寺梅軒さんの役柄で、
これはちょっと、すいません、
ミスキャストかな、という感じでした。
色々な意味で変則で、
地味な感じの芝居でした。
本当は一気に29年を書いてしまいたかったのですが、
疲れてしまったので、
今日はここまでにします。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2011-05-29 14:01
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コメント(4)
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一度でも夢中になれたアーティストの、クリエイティビティのピークを感じてしまう瞬間は、身近な人の老いにも似た寂しさがあって目を背けてしまいたい気持ちになります。
でも最近は、どんな引き際でも、そういった思いになるアーティストはたぶん、ずっと好きなんだろうな…と。特にど真ん中でなくともリアルタイムを経験できたアーティストそんな気がします。
その逆はひたすら憧れるだけで、片思いで置いてきぼりの寂しさとセットですが、こちらも勝手に目眩く妄想をさせてもらえます。
芸術に対して軽薄でしょうか…。
by アミナカ (2011-05-30 00:38)
好きだったものを生涯命がけで好きでいよう。という気持ち分かるような気がします。私は、お芝居は分かりませんが・・・
真剣に好きになったものだから、でも、変化するから・・・
by yuuri37 (2011-05-30 06:50)
アミナカさんへ
いつもありがとうございます。
本当は最近はもう、
あまり出掛けることにも興味が沸きません。
でも、それではいけないかな、
と思ったりもします。
by fujiki (2011-05-30 08:22)
yuuri37 さんへ
いつもありがとうございます。
時々うんざりしたり、
また好きになったり、
難しいですね
by fujiki (2011-05-30 08:24)