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インフルエンザ脳症のメカニズム [医療のトピック]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

インフルエンザの流行が、
本格的になる季節になりました。

特に5歳以下のお子さんにとって、
インフルエンザで最も怖いのは、
インフルエンザ脳症です。

インフルエンザウイルスは、
通常は咽喉から上気道の上皮にしか感染はせず、
それ以外の部分でウイルスが増殖することは、
極めて稀だと考えられています。

それでは何故、
インフルエンザの高熱などの症状が、
それほど長くは続いていない時期に、
急激に脳の腫れが起こり、
異常行動や意識障害、痙攣などが生じるような、
特異な現象が起こるのでしょうか?
ウイルスが脳に侵入しているのではないとすれば、
一体何がこの現象を起こしているのでしょうか?

この現象は欧米では報告は稀で、
日本人に多いことが知られています。
また、大人での発生は殆どなく、
多くは5歳以下のお子さんに限定されています。

その理由は何でしょうか?

タミフルのような薬剤が、
脳炎の誘発要因なのではないか、
という説を唱える人がいます。
また、いやいや解熱剤で無理に熱を下げるのが悪いのだ、
という説を、
まことしやかに唱える人もいます。

こうした人達のやや無責任に思える見解は、
果たして正しいものなのでしょうか?

最近その点についての、
かなり説得力のある見解が、
日本の研究者のグループの手によって、
明らかにされつつあります。

今日はその点について、
僕なりにまとめてみたいと思います。

体内のエネルギー源として、
人間はミトコンドリアでATPを産生しますが、
その材料になるのは、ブドウ糖と脂肪とアミノ酸です。
小さいお子さんでは、
大人の数倍のATPを産生しているとされますが、
特に食事を取れない状態になると、
脂肪からエネルギーを産生する比率が高まります。

つまり、お子さんは脂肪の代謝の役割が、
大人より大きいのです。

ここが1つのポイントです。

最近の研究により一部の日本人では、
脂肪の代謝に関わる酵素が、
熱に弱い体質を持っている可能性が明らかになりました。

つまり、その体質を持っている人は、
発熱していない状態では、
通常の人と同じように脂肪を分解して、
ATPを産生することが出来るのですが、
一旦高熱を出したような状態になると、
その分解酵素が働かない状態になり、
ATPが充分に産生されないようになってしまうのです。

細胞の中のATPがあるレベル以下に低下すると、
細胞と細胞の間を繋いでいる、
ZO-1と呼ばれる蛋白質が遊離し、
結果として細胞間がユルユルの状態になって、
それが脳の浮腫の原因になるのでは、
と考えられるのです。
これは、重症の脳梗塞の時に、
見られる変化と、
基本的には同じものです。

これが、インフルエンザ脳症の、
メカニズムの一部ではないか、
と考えられます。

つまり、生まれ付き脂肪の代謝酵素が、
熱に弱い遺伝的素因があると、
インフルエンザなどで高熱になった時に、
その酵素が欠損したのと同じ状態になり、
脂肪が分解されずに細胞がATP欠乏に陥ると、
細胞同士の結合が弛み、
脳の浮腫みが生じるのです。

インフルエンザ脳症は、
全てのお子さんに均等に起こるのではなく、
ある遺伝的素因を持つお子さんに、
非常に起こり易い現象なのです。

これがもう1つのポイントです。

その素因の原因には、
幾つかの遺伝子多型が、
関連していると報告されていますが、
そのうちの1つは日本人にしか報告例のないものです。

つまり、こうした理由により、
日本人にはインフルエンザ脳症が起こり易い、
と考えられるのです。

よろしいでしょうか?

ただ、これだけでは納得の行かない部分もあります。

まず、これまでの説明が事実なら、
インフルエンザでなくても、
熱さえ上がれば脳症が起こることになります。
しかし、実際には勿論他の感染症でも、
脳症の発生はありますが、
インフルエンザのような頻度ではありません。

とすれば、何故インフルエンザで脳症が生じ易いのかは、
上の説明だけでは不充分で、
インフルエンザウイルスと脳症の発生との間に、
何らかの関連性を見出す必要があります。

その点についての、
現時点での研究者の説明はこうです。

インフルエンザウイルスの身体への侵入に伴って、
身体の強い免疫反応が惹起されます。

すると、サイトカインの増加により、
トリプシンなどの、
プロテアーゼと呼ばれる酵素が、
全身で活性化されます。
要するに鋏のように蛋白を切り分ける酵素です。

プロテアーゼが脳内で活性化すると、
ウイルスなどを脳に侵入させないための、
生体のバリアが破れて、
ウイルスは全身の組織に侵入し易くなります。

つまり、重症の脳症の状態においては、
ウイルス自体が脳に侵入しているケースもあるのです。
また、プロテアーゼの活性化は、
細胞同士の結合も切り開くので、
その相乗効果により、
インフルエンザの感染では、
他のウイルス感染症よりも、
脳症が起こり易くなる、
ということになる訳です。

上記のメカニズムは、
その全てが人間で立証されたものではありませんが、
研究者らは、2003年頃以降、
多くのデータを積み重ねており、
全体としてはかなり信頼性の高いものだと僕は思います。

さて、それでは最初の疑問に戻りましょう。

風邪の熱は下げない方が良い、
解熱剤は身体の有害であるし、
免疫系を高める働きをしているのだから、
と物知り顔で言う人がいます。

しかし、実際にはそれは全てのお子さんに、
当て嵌まる事実ではありません。

日本人の2~3%は、
熱に弱い脂肪分解酵素を持っていて、
そうした体質のお子さんでは、
高熱で食事の取れないような環境で、
細胞が簡単にATP欠乏の状態に陥り、
脳症などの深刻な事態を招きかねないのです。

従って、そうした体質のお子さんでは、
熱は解熱剤を使用しても、
速やかに下げる必要があります。

皆さんは例外的にお子さんの熱を下げる場合として、
それまでに熱性痙攣を起こしたケースを、
思い出されるかと思います。
これはクリアに分かっている訳ではありませんが、
熱性痙攣も同様に熱に弱い体質が、
その基礎にある可能性があります。

つまり、これまでに熱性痙攣や脳症、
発熱時の異常行動などの症状を来たしたお子さんは、
高熱に細胞が弱い体質の可能性を考えて、
解熱剤は速やかに使用する必要があります。

タミフルの害が、
全くないとは言えませんが、
インフルエンザなのにタミフルは使用せず、
解熱剤も使用しないという判断は、
もしあなたのお子さんが熱に弱い体質であれば、
本末転倒である可能性もあるのです。

本来はそうしたリスクの高い遺伝子多型は、
事前に検査をしてそれを確認するべきです。

しかし、現状はそうした遺伝子診断が、
少なくとも一般に普及するのには、
まだ時間が掛かることは間違いがありません。

従って、これまでに熱性痙攣や熱による脳症状の出現したケース、
また血縁で脳症などの事例のあるケースでは、
この体質の可能性を考えて、
発熱に対して早めに対応する必要があります。

また、脂肪の分解の必要性が高まるケースで、
こうしたことが起こり易いので、
脂質分解酵素の必要性がない、
ブドウ糖の補充を、
発熱時には心掛ける必要があります。

熱が出て食事の取り難い時には、
ブドウ糖を含む飲料を補充し、
それが困難で重症感があれば、
早期に点滴でブドウ糖の補充を検討します。
通常膵炎に使用される、
プロテアーゼを分解するような製剤が、
早期に使用されることも有効性があるかも知れません。

今日はインフルエンザ脳症のメカニズムについての、
最近の考え方についての話でした。

主だった論文には目を通しているので、
そう誤りはないと思うのですが、
専門分野ではないので、
もし不正確な部分があればご指摘下さい。
また、後半の予防法については、
論文等に書かれていることではなく、
僕の推論ですので、
その点は誤解のないように、
お読み頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 11

あゆ

石原先生、おはようございます。
私もこの発表について詳細が知りたかったので、大変助かりました。
ありがとうございました。

話は違いますが、先生のお顔を日経DI premium版で拝見いたしました。
私は勝手にひげを生やした眼鏡の先生を想像していたので、ちょっと意外でした。
爽やかな先生、これからも医療のこと、趣味のこと、発信し続けてください。 楽しみにしています。
体調崩されませんように。
by あゆ (2010-11-30 09:52) 

親

今年のインフルエンザワクチンの安全性に関して教えていただけませんか?
ネットなどに接種後、死亡など記載がありますが
接種者もさまざまな体調、病歴などがあり一概に判断できないと
感じますが本当にワクチンの安全性はどうなんでしょうかね?
毎年、各病院で混雑が発生していて国民全体での接種率など公表されていないのですが接種の有効性は本当にあるのでしょうか?
お時間が御座いましたらご意見をお聞きしたいのですが・・・
by 親 (2010-11-30 10:45) 

fujiki

あゆさんへ
コメントありがとうございます。
説得力のあるデータですが、
これだけで脳症が全て説明出来ると考えるのは、
ちょっと危険かも知れません。

あの記事は掲載料もなく、
雑誌自体も送ってはくれなかったので、
僕も現物は見ていないのです。

これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2010-11-30 21:57) 

fujiki

親さんへ
コメントありがとうございます。
現状診療所で接種している1000例程度の事例では、
特に例年と副反応は違わない印象です。
ただ、これは本当に分かりません。
まだ少数ですが今年も接種後の死亡事例は報告されていて、
実際には氷山の一角である可能性があります。
ただ、体調の悪くない方であれば、
それほどご心配する必要はないのではないかと思います。

接種の有効性も、
例年の季節性のワクチンと同等と考えれば、
そこそこは期待出来る、というレベルだと思います。
by fujiki (2010-11-30 22:31) 

はっちぽっち

読んでいてとても怖くなりました。七歳と三歳の息子は二人とも熱性けいれん歴があります。三歳の子はけいれん重積にも。
インフルエンザになったら落ち着いて対処したいと思います。ありがとうございました。
最近子育てが怖いです。。
by はっちぽっち (2010-12-01 16:24) 

fujiki

はっちぼっちさんへ
コメントありがとうございます。
熱性けいれんとインフルエンザ脳症との間に、
直接的な関係が立証されている訳ではありませんので、
ご心配はされ過ぎないようにして下さい。
子育てはご不安も多いと思いますが、
人間にとって最高の仕事だと思いますので、
気を入れ過ぎずに頑張って下さい。
ご相談出来るところには必ず相談をして、
ストレスを溜め込まないようにして下さいね。

これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2010-12-02 08:16) 

reirei

うちの子も熱性けいれんを2度起こしていて、ダイアップを使うように言われています。
ダイアップはけいれんを予防するものの、熱を下げるものではないですよね。
今までは高熱でもダイアップだけで様子を見てました。
間をあければ解熱剤の使用も大丈夫だと聞いてますが、やはり使った方がいいんでしょうね。
インフルエンザは高熱が2,3日続くこともありますよね。
その場合は解熱剤を使いつづけた方がいいんでしょうか?

ダイアップを使うと眠ってしまったり、フラフラしたりしますよね。
ダイアップを使用していて、もし脳症が起きてしまったら素人に判断はつくのでしょうか?
脳症などは治療が遅れると怖いので、いつも高熱のときは不安に思います。
by reirei (2010-12-02 22:52) 

fujiki

reirei さんへ
解熱剤は適宜使用した方が良いと思います。
ブドウ糖を含む水分摂取と、
太い血管の廻りを冷やすのも有用と思います。
ダイアップは確かに症状をマスクするリスクはありますが、
熱性痙攣の既往のある場合には、
矢張り使った方が良いと思います。
by fujiki (2010-12-03 08:15) 

あきこ

石原先生、いつも記事を楽しみにしています。

熱性痙攣を起こしやすい子どもは熱に弱い体質、という
ところ、それを読んでなんだかほっとしました。
(なぜ、息子は痙攣を起こすんだろう・・・)と
ずっと不安で疑問だったからです。
体質とわかれば、対処方法を前向きに考えられます。
先生、ありがとうございます。

ただ、前回、痙攣を起こしたときに、医者にはあまり
解熱剤を使うな、と言われました。

理由は、熱が出たときに解熱剤を使うと、薬が切れて、
また熱が上がりだす時に痙攣を起こしやすくなる
から、だと。

解熱剤を適宜使って、薬が切れない状態にして、
熱を下げた状態を保ちながら体力が回復するのを待つのが
いいのでしょうか。

ただ、熱はきちんと出しきらないと、(つまり薬でさげていては)
治らない、とも聞いたのですが・・・。

解熱剤との付き合い方、って本当に難しいです。

石原先生も師走のお忙しい中、どうかお身体ご自愛ください。
by あきこ (2010-12-22 14:44) 

fujiki

あきこさんへ
コメントありがとうございます。
先生の言われることも、
勿論一理あるのですが、
僕は多少解熱剤を使ったからと言って、
それで大きく免疫の状態が変化するとは、
思えない気がします。
安定して熱を下げるような薬剤はないのですから、
リスクのあることは事実ですが、
「常に使わないのが正しい」
というのも別種の迷信に近く、
さほどの根拠はないのでは、
と僕は思います。
アセトアミノフェンを必要最小限で、
お子さんの状態を見ながら使用することは、
決して誤りではないのではないでしょうか。
by fujiki (2010-12-23 19:00) 

あきこ

石原先生、お忙しい中お返事ありがとうございました。
先生のご説明、とてもよくわかりました。
子どもの様子を見ながら・・・というのも大切に
なってくるんですね。そして、アセトアミノフェンということ、
心に留めます。不安がやわらぎました。
ありがとうございます。

石原先生はつねにいろんな考え方、見方を教えて
くださるので、とても感謝しています。

これからもよろしくお願いいたします。
by あきこ (2010-12-24 23:51) 

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