ナカゴー「ノット・アナザー・ティーン・ムービー」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から雨なので、
走りには行けず、
今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
一度見たら忘れられない役者さんでもある、
鎌田順也さん率いる劇団「ナカゴー」の、
特別劇場と題する公演を観て来ました。
「ナカゴー」はこれまでに「野鳩」との合同公演を観ただけなので、
あまり分かったようなことは言えません。
今回の作品は古い幾つかのアメリカ映画をモチーフにして、
アメリカの古き良き時代のハイスクールを舞台にした、
チープでバイオレンスな青春群像からスタートし、
そこから後半は、
これもチープでバイオレンスでグロテスクな、
SFファンタジー的世界に突入します。
登場キャストは17名と大人数で、
それが最後はバッタバッタと死んで行きます。
会場は区の施設にある、
ただの小宴会や会議などに使用するスペースで、
照明効果も音響効果も、
素人レベルのものしか使わず、
セットもなく、
ちょっとした手製の作り物のギミックがある程度です。
規模的にはただの宴会の余興じゃん、
と思えるようなものなのですが、
演技のレベルはそう馬鹿にしたものではなく、
お話のバランスも、
過剰な部分は過剰に遊び、
まとめる部分はそれなりにまとめているので、
もうひと押し、狂騒的な残酷見世物の向こう側に、
人間の本性を垣間見せるような、
叙情的な水分があればもっと良いのに、
とは思うのですが、
これはこれで悪くないと感じました。
状況劇場だって、
紅テントを張る前のごく初期の芝居などは、
多分こんな感じに近かったのじゃないかしら、
と思わなくもありません。
ただ、これを毎回ない時間を割いて観るには、
ちょっときついな、と思うことも確かで、
公演によってそのスタンスも違うのでは、
とは思うのですが、
この路線で勝負するのであれば、
矢張りこれまでにない「見世物」や、
これまでにない切り口が、
ただのシュールやグロテスクやエロスを超えて、
存在する必要があるように思いました。
以下、ネタバレを含む感想です。
舞台はアメリカのハイスクールで、
山ワサビを開発しているという、
変な母親と暮らす高校生の息子が主人公です。
彼は実は怒りの対象を爆発させてしまう超能力の持ち主なのですが、
恋人を守るために、
襲った生徒を爆死させてしまい、
それがトラウマになって超能力を封印しています。
両親を惨殺されたキャシーという少女を、
母親が妹として連れて来るのですが、
そのキャシーは怒ると相手を痙攣させてしまう超能力を持っていて、
転校生のキャシーは登校初日からクラスメートに苛められ、
その能力を全開にしてしまいます。
と、それとは別箇にクラスメートには、
森の原住民である食人族の末裔がいて、
体育の授業中に別のクラスメートを食べてしまうので、
それがまた大騒ぎになり、
右往左往の中で、
実は主人公の母親がラスボス的な超能力者で、
その率いる化け物との対決が、
クライマックスに用意されています。
お分かりのように、
メインの元ネタはデ・パルマの映画「キャリー」で、
同じ監督の「フューリー」辺りもちょっと入っている感じです。
他にも複数のネタ元があると思いますが、
それ以外はちょっと分かりませんでした。
上記の内容で上演時間は80分です。
この物語を、
よく小劇場である、
吹き替え海外ドラマのパロディのような雰囲気で、
リズミカルに展開してゆきます。
コミカルな感じですが、
リンチや苛めの場面が次々と登場しますし、
作り物のペニスや毛糸の陰毛などが、
猥雑な雰囲気を醸し出します。
クライマックスの活劇では、
黒衣が登場して身体を宙に舞わせたり、
あまり出来の良くない作り物の手や胴体などが、
暗転で本人とすり替わります。
良い点を言うと、17人ものキャストが登場するのにも関わらず、
小劇場レベルでは、皆意外に質の高い芝居をしていて、
その演技の競演だけでかなり見応えがあります。
「ナカゴー」からの登場は、
作演出の鎌田順也さんと、
主役の超能力高校生を演じた篠原正明さんの2人だけですが、
篠原さんはなかなか充実した力押しの芝居で、
以前一度観た時にはそれほど感心しなかったのですが、
今回は作品の中心となる暴力的な熱情を、
過不足なくかつ(良い意味で)インチキ臭く演じていました。
鎌田順也さんは一度見たら忘れられない過激なビジュアルで、
今回はオープニングにチラリと出現し、
殆ど聞き取れない得体の知れない台詞を発します。
後半はクラスメートを食べたことが台詞で知らされますが、
「なるほど、あいつなら食べそうだ」
と思わせるところがさすがです。
それから僕が知っているのは、
「野鳩」、「毛皮族」、「チェルフィッシュ」、「ナカゴー」、
「シベリア少女鉄道」の全てに客演もしくは所属し、
目つきの悪さと(良い意味で)性格の悪そうな感じでは小劇場一の怪女優、
佐々木幸子さんで、
「毛皮族」に客演していた頃は、
ただの目つきの悪さだけで目立たない感じだったのが、
最近は何でもこなすオールラウンドの、
お局的存在感と安定感を示しているのはさすがです。
今回はキャシーを苛めるだけの端役に近いのですが、
超能力を浴びて白目を剥いて痙攣を繰り返す芝居など、
惚れ惚れとする怪演で、
観客を惹き付ける引力は抜群です。
小劇場の手練に混じって、
シベリア少女鉄道主催の土屋亮一さんが、
いつもの劇団でも見せる、
恥ずかしそうな素人芝居を演じています。
お掃除おじさんで登場し、
後半では巨大な触手と化したペニスを操る怪物という、
とても恥ずかしい役柄を、
如何にも恥ずかしそうに演じ、
あっさりと退治されてしまいます。
こうした適材適所のバランス感覚が、
またなかなか素敵です。
「シベリア少女鉄道」の土屋さんも、
「野鳩」の水谷圭一さんも、
「ナカゴー」の鎌田さんを非常に評価していて、
何となく不思議な感じもするのですが、
3人に共通するのは、
ド田舎の一軒家で親のすねを齧って引き籠もった中年男が、
ゲームをしているうちに、
日常とゲームとが一体化したような世界観で、
その薄汚い日常がポエム化したような感じが、
互いを惹き付けるのかも知れません。
3人の違いを僕なりに考えれば、
鎌田さんはちょっと自意識に汚れたゲームの世界を、
仮想現実として遊んでいて、
土屋さんは「それをやっている俺は誰なんだ」
という醒めた突っ込みが最後に入る感じで、
水谷さんは自分が住んでいる田舎の荒涼とした景色の方を、
ゲーム化して提示しようと悪戦苦闘している、
という感じかも知れません。
「野鳩」と「ナカゴー」は合同公演をしましたが、
僕が観たいのはむしろ「シベリア少女鉄道」と「ナカゴー」のリミックスで、
「ナカゴー」の演技レベルとストーリーテリングで、
前半を疾走して、
後半でいきなり「シベ少」のどんでん返しが待っていれば、
今回より数段面白い芝居が出来上がるような気がします。
ストーリー的には前半は良いのに、
予定調和の活劇のクライマックスが詰らないのです。
そこはもっとぶち壊さないと意味がありません。
アングラ芝居の本質は、
破れかぶれになった役者の肉体を見せることで、
比喩的な意味でもそうでなくても、
役者が素っ裸で向き合い、
肉弾戦を演じるような感じがないと、
それはアングラではない、と言う気がします。
その意味で数年前の「毛皮族」は間違いなくアングラでしたが、
今回の「ナカゴー」は違います。
「ナカゴー」の芝居は小劇場的で、
それなりに過激なところがあるのですが、
肉体をそのままに見せると言う視点がなくて、
それが個人的には物足りなく感じました。
勿論「ナカゴー」がアングラである必要はないのですが、
今回のようにちっとも演劇的ではない、
ただの集会室で演劇を行なうとすれば、
役者の肉体に、
もう少し信頼を寄せて舞台に磨きを掛けるのが、
僕には本来の姿のように思えます。
そして、その役者の肉体が突きつめたところに、
心の底を揺さぶる意味の分からない何かが生まれたとすれば、
その場に立ち会うことこそが、
僕が時間があれば劇場に足を運んでいる、
最大の理由なのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から雨なので、
走りには行けず、
今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
一度見たら忘れられない役者さんでもある、
鎌田順也さん率いる劇団「ナカゴー」の、
特別劇場と題する公演を観て来ました。
「ナカゴー」はこれまでに「野鳩」との合同公演を観ただけなので、
あまり分かったようなことは言えません。
今回の作品は古い幾つかのアメリカ映画をモチーフにして、
アメリカの古き良き時代のハイスクールを舞台にした、
チープでバイオレンスな青春群像からスタートし、
そこから後半は、
これもチープでバイオレンスでグロテスクな、
SFファンタジー的世界に突入します。
登場キャストは17名と大人数で、
それが最後はバッタバッタと死んで行きます。
会場は区の施設にある、
ただの小宴会や会議などに使用するスペースで、
照明効果も音響効果も、
素人レベルのものしか使わず、
セットもなく、
ちょっとした手製の作り物のギミックがある程度です。
規模的にはただの宴会の余興じゃん、
と思えるようなものなのですが、
演技のレベルはそう馬鹿にしたものではなく、
お話のバランスも、
過剰な部分は過剰に遊び、
まとめる部分はそれなりにまとめているので、
もうひと押し、狂騒的な残酷見世物の向こう側に、
人間の本性を垣間見せるような、
叙情的な水分があればもっと良いのに、
とは思うのですが、
これはこれで悪くないと感じました。
状況劇場だって、
紅テントを張る前のごく初期の芝居などは、
多分こんな感じに近かったのじゃないかしら、
と思わなくもありません。
ただ、これを毎回ない時間を割いて観るには、
ちょっときついな、と思うことも確かで、
公演によってそのスタンスも違うのでは、
とは思うのですが、
この路線で勝負するのであれば、
矢張りこれまでにない「見世物」や、
これまでにない切り口が、
ただのシュールやグロテスクやエロスを超えて、
存在する必要があるように思いました。
以下、ネタバレを含む感想です。
舞台はアメリカのハイスクールで、
山ワサビを開発しているという、
変な母親と暮らす高校生の息子が主人公です。
彼は実は怒りの対象を爆発させてしまう超能力の持ち主なのですが、
恋人を守るために、
襲った生徒を爆死させてしまい、
それがトラウマになって超能力を封印しています。
両親を惨殺されたキャシーという少女を、
母親が妹として連れて来るのですが、
そのキャシーは怒ると相手を痙攣させてしまう超能力を持っていて、
転校生のキャシーは登校初日からクラスメートに苛められ、
その能力を全開にしてしまいます。
と、それとは別箇にクラスメートには、
森の原住民である食人族の末裔がいて、
体育の授業中に別のクラスメートを食べてしまうので、
それがまた大騒ぎになり、
右往左往の中で、
実は主人公の母親がラスボス的な超能力者で、
その率いる化け物との対決が、
クライマックスに用意されています。
お分かりのように、
メインの元ネタはデ・パルマの映画「キャリー」で、
同じ監督の「フューリー」辺りもちょっと入っている感じです。
他にも複数のネタ元があると思いますが、
それ以外はちょっと分かりませんでした。
上記の内容で上演時間は80分です。
この物語を、
よく小劇場である、
吹き替え海外ドラマのパロディのような雰囲気で、
リズミカルに展開してゆきます。
コミカルな感じですが、
リンチや苛めの場面が次々と登場しますし、
作り物のペニスや毛糸の陰毛などが、
猥雑な雰囲気を醸し出します。
クライマックスの活劇では、
黒衣が登場して身体を宙に舞わせたり、
あまり出来の良くない作り物の手や胴体などが、
暗転で本人とすり替わります。
良い点を言うと、17人ものキャストが登場するのにも関わらず、
小劇場レベルでは、皆意外に質の高い芝居をしていて、
その演技の競演だけでかなり見応えがあります。
「ナカゴー」からの登場は、
作演出の鎌田順也さんと、
主役の超能力高校生を演じた篠原正明さんの2人だけですが、
篠原さんはなかなか充実した力押しの芝居で、
以前一度観た時にはそれほど感心しなかったのですが、
今回は作品の中心となる暴力的な熱情を、
過不足なくかつ(良い意味で)インチキ臭く演じていました。
鎌田順也さんは一度見たら忘れられない過激なビジュアルで、
今回はオープニングにチラリと出現し、
殆ど聞き取れない得体の知れない台詞を発します。
後半はクラスメートを食べたことが台詞で知らされますが、
「なるほど、あいつなら食べそうだ」
と思わせるところがさすがです。
それから僕が知っているのは、
「野鳩」、「毛皮族」、「チェルフィッシュ」、「ナカゴー」、
「シベリア少女鉄道」の全てに客演もしくは所属し、
目つきの悪さと(良い意味で)性格の悪そうな感じでは小劇場一の怪女優、
佐々木幸子さんで、
「毛皮族」に客演していた頃は、
ただの目つきの悪さだけで目立たない感じだったのが、
最近は何でもこなすオールラウンドの、
お局的存在感と安定感を示しているのはさすがです。
今回はキャシーを苛めるだけの端役に近いのですが、
超能力を浴びて白目を剥いて痙攣を繰り返す芝居など、
惚れ惚れとする怪演で、
観客を惹き付ける引力は抜群です。
小劇場の手練に混じって、
シベリア少女鉄道主催の土屋亮一さんが、
いつもの劇団でも見せる、
恥ずかしそうな素人芝居を演じています。
お掃除おじさんで登場し、
後半では巨大な触手と化したペニスを操る怪物という、
とても恥ずかしい役柄を、
如何にも恥ずかしそうに演じ、
あっさりと退治されてしまいます。
こうした適材適所のバランス感覚が、
またなかなか素敵です。
「シベリア少女鉄道」の土屋さんも、
「野鳩」の水谷圭一さんも、
「ナカゴー」の鎌田さんを非常に評価していて、
何となく不思議な感じもするのですが、
3人に共通するのは、
ド田舎の一軒家で親のすねを齧って引き籠もった中年男が、
ゲームをしているうちに、
日常とゲームとが一体化したような世界観で、
その薄汚い日常がポエム化したような感じが、
互いを惹き付けるのかも知れません。
3人の違いを僕なりに考えれば、
鎌田さんはちょっと自意識に汚れたゲームの世界を、
仮想現実として遊んでいて、
土屋さんは「それをやっている俺は誰なんだ」
という醒めた突っ込みが最後に入る感じで、
水谷さんは自分が住んでいる田舎の荒涼とした景色の方を、
ゲーム化して提示しようと悪戦苦闘している、
という感じかも知れません。
「野鳩」と「ナカゴー」は合同公演をしましたが、
僕が観たいのはむしろ「シベリア少女鉄道」と「ナカゴー」のリミックスで、
「ナカゴー」の演技レベルとストーリーテリングで、
前半を疾走して、
後半でいきなり「シベ少」のどんでん返しが待っていれば、
今回より数段面白い芝居が出来上がるような気がします。
ストーリー的には前半は良いのに、
予定調和の活劇のクライマックスが詰らないのです。
そこはもっとぶち壊さないと意味がありません。
アングラ芝居の本質は、
破れかぶれになった役者の肉体を見せることで、
比喩的な意味でもそうでなくても、
役者が素っ裸で向き合い、
肉弾戦を演じるような感じがないと、
それはアングラではない、と言う気がします。
その意味で数年前の「毛皮族」は間違いなくアングラでしたが、
今回の「ナカゴー」は違います。
「ナカゴー」の芝居は小劇場的で、
それなりに過激なところがあるのですが、
肉体をそのままに見せると言う視点がなくて、
それが個人的には物足りなく感じました。
勿論「ナカゴー」がアングラである必要はないのですが、
今回のようにちっとも演劇的ではない、
ただの集会室で演劇を行なうとすれば、
役者の肉体に、
もう少し信頼を寄せて舞台に磨きを掛けるのが、
僕には本来の姿のように思えます。
そして、その役者の肉体が突きつめたところに、
心の底を揺さぶる意味の分からない何かが生まれたとすれば、
その場に立ち会うことこそが、
僕が時間があれば劇場に足を運んでいる、
最大の理由なのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣
- 作者: 石原藤樹
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2014-06-29 08:31
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