権力闘争としての実名報道論 [身辺雑記]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から紹介状など書いて、
それから今PCに向かっています。
今日は雑談です。
某国のテロ事件での、
実名報道が問題になっています。
まず、犠牲になられた方に、
心から哀悼の意を表します。
先日矢張り中東やアフリカで、
技術指導のお仕事をされている方が患者さんとしてお見えになり、
この事件について少しお話をしました。
亡くなられた方の多くは、
一線を退いた後で、
現地に技術指導に行かれていた技術者の方が多いそうで、
今回の事件はイギリスの企業が目当てで、
日本人は裏交渉で大金を払うので、
恨みではなく資金調達のために、
一緒に狙ったのではないか、
と推測を述べられていました。
その方自身またすぐ現地に行かれるとのことで、
今度ばかりは妻に行くなと言われました、
と言いながら涙ぐんでおられたので、
僕も切なくて胸が熱くなりました。
ただ、
今日の話は事件自体ではなく、
実名報道の話です。
政府もその被害者が勤めていた企業も、
被害者の実名は公表しない、
という方針であったのですが、
大手のメディアの方が被害者の遺族に接触し、
言葉巧みに個人情報を入手。
その遺族の方は政府などの発表があるまでは、
公表はしないで欲しいと言っていたにも関わらず、
スクープとして報道し、
その後に政府も実名を公表の方針に転換した、
という経緯のようです。
マスメディアは実名報道の必要性を、
挙って主張しています。
あるマスメディア関係者の方は、
ご遺族への取材は身を切るように辛いけれど、
匿名のAさんが亡くなったという報道では、
社会に対して影響力が少なく、
真実を明らかにし、
ことの重要さを後世に伝えるには、
批判を受けることがあり、
ご遺族の心が傷付くことがあっても、
実名報道がなされるべきなのだ、
というような趣旨のことを述べられていました。
ただ、
この理由は何となく腑に落ちません。
匿名であろうが実名であろうが、
10人の命が失われた、
という事実には違いはない筈です。
また、
日本人ばかりではなく、
多くの外国人の方もテロの犠牲になっているのですが、
その方々の名前はあまり報道されていません。
つまり、
外国人はAさんBさんの扱いです。
この事件を報道で知った一般の人が、
報道が匿名であったために、
事件を早く忘れてしまったり、
事件の重要性を軽視する、
などということが有り得るでしょうか?
それはあまりないような気がします。
少なくとも、
僕は全くそうは思いません。
匿名であっても実名であっても、
事件の重みは変わらないと思いますし、
凶悪事件や重大事件であっても、
その発生からしばらくすると、
その当事者の意向などを慮って、
振り返りの報道などでは、
実名は伏せられることが多いからです。
マスメディアはほとぼりが醒めると、
実名を匿名化します。
この事実は、
上記の関係者の方の説明を、
真っ向から否定するもののように思えます。
つまり、
真実を追究するためとか、
歴史に責任を持つためとかというのは、
口実に過ぎず、
マスメディアが実名報道を執拗に要求し、
その実現のためには、
如何なる非人間的な行為も辞さないことの理由は、
もっと別のところにある筈です。
その理由は一体何でしょうか?
この問題を考えるには、
マスメディアとは一体何なのかを、
考える必要があります。
マスメディアとは何でしょうか?
僕のこの質問に対する答えは、
それは国家に対抗する「権力」である、
というものです。
権力とは何でしょうか?
それは僕のような、
権力を持たない人間を、
屈服させ支配させ意のままに操るような力です。
マスメディアは間違いなく、
そうした力を持っています。
従って、
マスメディアは権力装置であって、
それ以外の何物でもありません。
国家というのは勿論代表的な権力装置です。
権力装置が権力を行使する手段には、
暴力としての武力があり、
そして記号としての言葉があります。
これは情報と言い換えても良いかも知れません。
国家は主に武力を持って権力を行使し、
マスメディアは言葉で権力を行使します。
そしてこの2つの権力が、
拮抗しつつ対峙しているのが、
今の日本の権力構造なのです。
僕も含めて権力者ではない多くの皆さんは、
国家に支配され、
その命令によりお金を払ったり、
届け出をしたりして生活をしながら、
マスメディアの言葉による二重の支配を受けます。
国家による言葉を信じることなく、
それに概ね反対し拮抗する、
マスメディアの垂れ流す言葉を信じるように、
強制される訳です。
従って、
マスメディアの意思は、
基本的に国家の言葉を信用させないことと、
それに反する自らの言葉を、
皆さんに信じ込ませることにあります。
実名報道というのは、
要するにマスメディアが権力を行使する上での、
大きな武器の1つなのです。
プライバシーという、
本来最も尊重され守られるべきものを、
暴き立てるのは、
それが権力の行使であるからです。
こんな酷い非人間的なことは、
権力者でなければ出来ないのです。
だからこそ、
マスメディアはそれをするのです。
それが、
マスメディアにとって、
自分が権力であることを、
証明することになるからです。
今回の事案においては、
被害に遭った企業は、
自分達のプライバシーの庇護を、
国家権力に委ねたのです。
それを受けて政府という権力の窓口は、
「被害者の心情を優先して実名を公表しない」
という決定をしたのです。
しかし、
それは国家に拮抗するもう一方の権力である、
マスメディアにとっては許せないことです。
国民がひれ伏すべきべき対象は、
国家ではなく自分達マスメディアでなければならないからです。
そのために、
マスメディアは国家の「匿名」と言う方針に反対し、
強力に「実名」を主張したのです。
理念などないのです。
国家という権力に反対することだけが、
その理由だからです。
言葉を武器とする権力装置であるマスメディアにとって、
自分達が支配している人間の個人情報を曝すことは、
非常に効き目のある強力な武器なのです。
従って、
マスメディアに国家の指示通りに匿名報道をしろ、
と言うのは、
北朝鮮に対して「核を放棄しろ」と言うのと同じような意味合いなのですから、
絶対に容認は出来ないことなのであり、
その実現のためには、
どんなに卑劣な手段も厭わないのです。
それが要するに権力というものの本質だからです。
僕はただ、
マスメディアが権力であることを、
全て否定する訳ではありません。
昔の全体主義の国家においては、
国家は暴力と言葉の両方の権力を一手に握っていたのです。
それが言葉の権力は分離し、
両者が拮抗するような世界になったのです。
そうした歴史的な経緯には、
一定の意義があると思います。
また自分は匿名の存在のまま、
ネットで他人の実名を曝すような、
個人レベルの「小さな権力者」が乱立することは、
マスメディアの支配よりも、
より大きな弊害をもたらすもののようにも思えます。
従って、
これは誰が悪だと簡単に言い切れるような、
単純な問題とは違います。
マスメディアの方の中にも、
良い人は沢山いる、
と言われる方がいます。
勿論その通りで、
それは官僚にも優れた人は沢山いる、
というのと同じことです。
個々の人間としては、
どちらも優秀で尊敬すべき人達なのです。
しかし、
同時に彼らは権力装置の一部でもあり、
その意味で権力そのものの意思には絶対服従の存在なのであり、
そのことを忘れてはいけないと思います。
権力には理念はなく、
善悪の意識もなく、
正邪の観念もなく、
ただ自らの権力を維持することが全ての目的です。
権力という生き物は常に権力を行使していないと、
その存在が維持出来ない生き物なのです。
空気のような権力は存在しないのです。
従って、そうした権力のしもべに、
たとえどんなやり取りがあったとしても、
個人情報や内部情報という「武器」を渡し、
それが使用されないという約束をして、
それが守られると信じることは、
ちょっと筋違いのことのように、
僕には思えます。
拳銃を渡せばそれは発射されるのです。
あなたの秘密を守れるのはあなただけなのです。
国家という権力もマスメディアという権力も、
それが権力である以上、
あなたの秘密を利用することこそすれ、
決して守ったりすることはないのです。
それが権力というものなのであり、
悲しいことに人間はまだ、
権力なしでは生きていけないのです。
権力者の武器は、
僕達ひとりひとりの持っている情報です。
従って、
僕達全員が協力して、
全ての情報を出さないようにすれば、
権力はその力を失い、
マスメディアという権力装置は死滅します。
ただ、
問題はそれでは社会そのものも死滅する可能性がある、
ということであり、
ひとりひとりの人間も、
自分が「ミニ権力者」となることを欲求しているので、
そうしたミニ権力の蔓延が、
更に悪い事態を招く可能性が高い、
ということです。
僕の考えるこの問題のポイントは、
権力というものをこれからの社会で、
どう考えてゆくか、
ということです。
国家という権力もマスメディアという権力も、
どちらも弱体化し、
この社会はより節操のない「ミニ権力者」の乱立により、
収拾の付かないカオスに陥り掛けているようにも思えます。
要するに人間がもう少し成熟し自立するまでは、
一定の権力は必要なのだと思いますが、
その権力装置が穏当にデザインされ、
必要悪として最小限の弊害しかないように誘導されることが、
社会の安定のためには、
必要不可欠なことではないかと思うのです。
言い過ぎの点があったらお許し下さい。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から紹介状など書いて、
それから今PCに向かっています。
今日は雑談です。
某国のテロ事件での、
実名報道が問題になっています。
まず、犠牲になられた方に、
心から哀悼の意を表します。
先日矢張り中東やアフリカで、
技術指導のお仕事をされている方が患者さんとしてお見えになり、
この事件について少しお話をしました。
亡くなられた方の多くは、
一線を退いた後で、
現地に技術指導に行かれていた技術者の方が多いそうで、
今回の事件はイギリスの企業が目当てで、
日本人は裏交渉で大金を払うので、
恨みではなく資金調達のために、
一緒に狙ったのではないか、
と推測を述べられていました。
その方自身またすぐ現地に行かれるとのことで、
今度ばかりは妻に行くなと言われました、
と言いながら涙ぐんでおられたので、
僕も切なくて胸が熱くなりました。
ただ、
今日の話は事件自体ではなく、
実名報道の話です。
政府もその被害者が勤めていた企業も、
被害者の実名は公表しない、
という方針であったのですが、
大手のメディアの方が被害者の遺族に接触し、
言葉巧みに個人情報を入手。
その遺族の方は政府などの発表があるまでは、
公表はしないで欲しいと言っていたにも関わらず、
スクープとして報道し、
その後に政府も実名を公表の方針に転換した、
という経緯のようです。
マスメディアは実名報道の必要性を、
挙って主張しています。
あるマスメディア関係者の方は、
ご遺族への取材は身を切るように辛いけれど、
匿名のAさんが亡くなったという報道では、
社会に対して影響力が少なく、
真実を明らかにし、
ことの重要さを後世に伝えるには、
批判を受けることがあり、
ご遺族の心が傷付くことがあっても、
実名報道がなされるべきなのだ、
というような趣旨のことを述べられていました。
ただ、
この理由は何となく腑に落ちません。
匿名であろうが実名であろうが、
10人の命が失われた、
という事実には違いはない筈です。
また、
日本人ばかりではなく、
多くの外国人の方もテロの犠牲になっているのですが、
その方々の名前はあまり報道されていません。
つまり、
外国人はAさんBさんの扱いです。
この事件を報道で知った一般の人が、
報道が匿名であったために、
事件を早く忘れてしまったり、
事件の重要性を軽視する、
などということが有り得るでしょうか?
それはあまりないような気がします。
少なくとも、
僕は全くそうは思いません。
匿名であっても実名であっても、
事件の重みは変わらないと思いますし、
凶悪事件や重大事件であっても、
その発生からしばらくすると、
その当事者の意向などを慮って、
振り返りの報道などでは、
実名は伏せられることが多いからです。
マスメディアはほとぼりが醒めると、
実名を匿名化します。
この事実は、
上記の関係者の方の説明を、
真っ向から否定するもののように思えます。
つまり、
真実を追究するためとか、
歴史に責任を持つためとかというのは、
口実に過ぎず、
マスメディアが実名報道を執拗に要求し、
その実現のためには、
如何なる非人間的な行為も辞さないことの理由は、
もっと別のところにある筈です。
その理由は一体何でしょうか?
この問題を考えるには、
マスメディアとは一体何なのかを、
考える必要があります。
マスメディアとは何でしょうか?
僕のこの質問に対する答えは、
それは国家に対抗する「権力」である、
というものです。
権力とは何でしょうか?
それは僕のような、
権力を持たない人間を、
屈服させ支配させ意のままに操るような力です。
マスメディアは間違いなく、
そうした力を持っています。
従って、
マスメディアは権力装置であって、
それ以外の何物でもありません。
国家というのは勿論代表的な権力装置です。
権力装置が権力を行使する手段には、
暴力としての武力があり、
そして記号としての言葉があります。
これは情報と言い換えても良いかも知れません。
国家は主に武力を持って権力を行使し、
マスメディアは言葉で権力を行使します。
そしてこの2つの権力が、
拮抗しつつ対峙しているのが、
今の日本の権力構造なのです。
僕も含めて権力者ではない多くの皆さんは、
国家に支配され、
その命令によりお金を払ったり、
届け出をしたりして生活をしながら、
マスメディアの言葉による二重の支配を受けます。
国家による言葉を信じることなく、
それに概ね反対し拮抗する、
マスメディアの垂れ流す言葉を信じるように、
強制される訳です。
従って、
マスメディアの意思は、
基本的に国家の言葉を信用させないことと、
それに反する自らの言葉を、
皆さんに信じ込ませることにあります。
実名報道というのは、
要するにマスメディアが権力を行使する上での、
大きな武器の1つなのです。
プライバシーという、
本来最も尊重され守られるべきものを、
暴き立てるのは、
それが権力の行使であるからです。
こんな酷い非人間的なことは、
権力者でなければ出来ないのです。
だからこそ、
マスメディアはそれをするのです。
それが、
マスメディアにとって、
自分が権力であることを、
証明することになるからです。
今回の事案においては、
被害に遭った企業は、
自分達のプライバシーの庇護を、
国家権力に委ねたのです。
それを受けて政府という権力の窓口は、
「被害者の心情を優先して実名を公表しない」
という決定をしたのです。
しかし、
それは国家に拮抗するもう一方の権力である、
マスメディアにとっては許せないことです。
国民がひれ伏すべきべき対象は、
国家ではなく自分達マスメディアでなければならないからです。
そのために、
マスメディアは国家の「匿名」と言う方針に反対し、
強力に「実名」を主張したのです。
理念などないのです。
国家という権力に反対することだけが、
その理由だからです。
言葉を武器とする権力装置であるマスメディアにとって、
自分達が支配している人間の個人情報を曝すことは、
非常に効き目のある強力な武器なのです。
従って、
マスメディアに国家の指示通りに匿名報道をしろ、
と言うのは、
北朝鮮に対して「核を放棄しろ」と言うのと同じような意味合いなのですから、
絶対に容認は出来ないことなのであり、
その実現のためには、
どんなに卑劣な手段も厭わないのです。
それが要するに権力というものの本質だからです。
僕はただ、
マスメディアが権力であることを、
全て否定する訳ではありません。
昔の全体主義の国家においては、
国家は暴力と言葉の両方の権力を一手に握っていたのです。
それが言葉の権力は分離し、
両者が拮抗するような世界になったのです。
そうした歴史的な経緯には、
一定の意義があると思います。
また自分は匿名の存在のまま、
ネットで他人の実名を曝すような、
個人レベルの「小さな権力者」が乱立することは、
マスメディアの支配よりも、
より大きな弊害をもたらすもののようにも思えます。
従って、
これは誰が悪だと簡単に言い切れるような、
単純な問題とは違います。
マスメディアの方の中にも、
良い人は沢山いる、
と言われる方がいます。
勿論その通りで、
それは官僚にも優れた人は沢山いる、
というのと同じことです。
個々の人間としては、
どちらも優秀で尊敬すべき人達なのです。
しかし、
同時に彼らは権力装置の一部でもあり、
その意味で権力そのものの意思には絶対服従の存在なのであり、
そのことを忘れてはいけないと思います。
権力には理念はなく、
善悪の意識もなく、
正邪の観念もなく、
ただ自らの権力を維持することが全ての目的です。
権力という生き物は常に権力を行使していないと、
その存在が維持出来ない生き物なのです。
空気のような権力は存在しないのです。
従って、そうした権力のしもべに、
たとえどんなやり取りがあったとしても、
個人情報や内部情報という「武器」を渡し、
それが使用されないという約束をして、
それが守られると信じることは、
ちょっと筋違いのことのように、
僕には思えます。
拳銃を渡せばそれは発射されるのです。
あなたの秘密を守れるのはあなただけなのです。
国家という権力もマスメディアという権力も、
それが権力である以上、
あなたの秘密を利用することこそすれ、
決して守ったりすることはないのです。
それが権力というものなのであり、
悲しいことに人間はまだ、
権力なしでは生きていけないのです。
権力者の武器は、
僕達ひとりひとりの持っている情報です。
従って、
僕達全員が協力して、
全ての情報を出さないようにすれば、
権力はその力を失い、
マスメディアという権力装置は死滅します。
ただ、
問題はそれでは社会そのものも死滅する可能性がある、
ということであり、
ひとりひとりの人間も、
自分が「ミニ権力者」となることを欲求しているので、
そうしたミニ権力の蔓延が、
更に悪い事態を招く可能性が高い、
ということです。
僕の考えるこの問題のポイントは、
権力というものをこれからの社会で、
どう考えてゆくか、
ということです。
国家という権力もマスメディアという権力も、
どちらも弱体化し、
この社会はより節操のない「ミニ権力者」の乱立により、
収拾の付かないカオスに陥り掛けているようにも思えます。
要するに人間がもう少し成熟し自立するまでは、
一定の権力は必要なのだと思いますが、
その権力装置が穏当にデザインされ、
必要悪として最小限の弊害しかないように誘導されることが、
社会の安定のためには、
必要不可欠なことではないかと思うのです。
言い過ぎの点があったらお許し下さい。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2013-01-26 08:36
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まったくおっしゃる通りで、
しかもマスメディアの中に権力に無自覚な人間、潜在的に自覚しながらカマトト的報道を垂れ流す人間、明確に自覚しながら嘘八百つき続ける人間などいろいろいるから難儀です。
RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2013-01-26 10:54)
マスメディアと国家、共依存の関係のようにも思えます。
また、情報を提供した時点で我々とマスメディアも共依存の関係が
成立すると思います。
by あい。 (2013-01-26 13:35)
RUKOさんへ
コメントありがとうございます。
そうですね。
無自覚という罪が、
一番の問題かも知れません。
by fujiki (2013-01-28 08:21)
あいさんへ
コメントありがとうございます。
確かに依存という観点は、
1つの大きな切り口であるように思います。
by fujiki (2013-01-28 08:22)