「ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
松尾スズキさんが1991年に「悪人会議」として、
下北沢のスズナリで上演し、
1998年には「日本総合悲劇協会」として、
今度は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで再演、
更にシアターコクーンで2012年に再再演された、
松尾さんの代表作の1つが、
新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaで
戯曲も改訂の上で再演されています。
僕はこの作品は、
初演は未見で、
1998年2021年の再演は観ています。
1998年は大人計画が上昇気流に乗っていた時期でしたが、
場所が中途半端に広い感じのある世田谷パブリックシアターで、
キャストも大人計画以外の外部出演が多く、
演技の統一が取れていない、という感じがありました。
また、群衆に演劇ゼミの学生を使うなど、
演技レベルが戯曲の本来の水準に、
達していなかったことも問題と感じました。
要するにちょっとガッカリの公演であったのです。
2012年のコクーンでの再演は、
98年版と比較するとレベルが格段に高いものとなっていて、
特にエスダマス役の大竹しのぶさんは、
非常に豪華な感じがしましたし、
彼女ならではスケールの大きな芝居でした。
またラストの余韻も非常に深いものになっていて、
コオロギという男が、
自分が殺した女と一緒に、
静謐な感じで殺した瞬間の8ミリを見るという、
おそらく松尾戯曲の中でも屈指の名場面が、
見事に可視化されていたのに感動しました。
ただ、初演からコオロギを演じていた松尾さんが脇に廻って、
オクイシュージさんが同役を演じたのですが、
正直少し弱いな、という感じが残りました。
マスの夫役に古田新太さんというのも、
キャスト的に疑問でした。
今回の上演は基本的には2012年版に近いニュアンスですが、
コオロギとサカエを主軸にした、
という松尾さんの言葉通り、
この戯曲の最も印象的なキャラである2人に、
スポットの当てられた舞台でした。
戯曲も最初の部分が大きく改変されていて、
元の戯曲はスエの裁判のパートから始まるのですが、
今回新たにコオロギとサカエの出逢いの場面と、
スエと2人が出逢う場面が新たに書き足されていて、
そこで既に主役が誰であるかが明確化されています。
演じるのは阿部サダヲさんと黒木華という演技派2人ですから、
これはもう期待せずにはいられません。
以下、ネタバレがあります。
物語は複雑な群像劇で、
簡単に説明をすることは難しいのですが、
バットマンの出て来ない、
バットマンの映画の、
ゴッサムシティの群像劇みたいな話です。
主軸になるのは、
2組の夫婦で、
エスダヒデイチとその妻のマスと、
コオロギという名の男と、
その妻のサカエです。
北九州の田舎でメッキ工場を営む、
冴えない中年男のヒデイチは、
吃音のために幼少期から12人の同級生にいじめられ、
その妻のマスは、
ミスミ製薬の薬害のために、
ヒデイチとの子供を、
重度の障害児として出産すると狂気に陥り、
欝状態となると、
夫を昔いじめた12人の同級生と、
毎年代わりばんこにセックスをして、
生まれた12人の子供を殺して土に埋め、
躁転して失踪します。
病院の警備員をしている、
出生と生い立ちに闇を抱えたコオロギは、
刹那的で暴力的な男で、
その妻のサカエは盲目の捨て子で、
コオロギに純愛を捧げていますが、
コオロギはその愛に、
暴力と裏切りで報いることしかせず、
それでいてサカエには、
自分への「盲目的」な愛情を求めています。
失踪したマスは、
東京の歌舞伎町で、
その町の暗部を牛耳る、
性倒錯の三姉妹に取り入り、
「輪廻転生プレイ」という、
新しい性風俗を考案して、
莫大な富を得ます。
マスを探して東京に出た夫のヒデイチは、
得体の知れないジャーナリストと、
自傷を繰り返す風俗嬢の少女と共に、
マスを探し続けます。
同じ東京では、
薬害のミスミ製薬の御曹司の男爵が、
薬害による重度の障害児を、
死産と偽って自邸の地下室に、
閉じ込めて愛玩していたことが発覚し、
その障害児の1人である異相の「ふくすけ」が、
コオロギの勤める病院に運ばれます。
コオロギは、
ふくすけが精神的な障害を詐病していることを見抜き、
病院からふくすけを誘拐すると、
最初は見世物小屋で芸人として働かせますが、
コオロギからふくすけとの仲を疑われて、
狂気に陥ったサカエが、
神の言葉を話し出すので、
ふくすけを教祖とした、
新興宗教を興して成功させ、
その宗教が、
不浄なものとして、
歌舞伎町の三姉妹と敵対するところから、
2組の夫婦とそれを取り巻く2つの集団は、
否応なく対立することになり、
そして松尾戯曲でも屈指の、
スケールの大きなクライマックスを迎えるのです。
作品のテーマは「人生のリセット」です。
この作品の登場人物の殆どは、
自分の生き様に不満を持ち、
自分が不幸で満たされないことの責任を、
自分の出自や自分の容姿、
身体や精神の障害、
家庭環境や性格などのせいにして、
それが無になるような、
人生のリセットを求めています。
ダークヒロインのマスは、
毎年夫をかつていじめた男と寝て、
生まれた子供を殺すことで、
人生のリセットを図り、
それでも満たされないと、
躁転して自分自身から逃走します。
盲目のサカエは、
コオロギへの純愛の成立が危うくなると、
狂気の世界でリセットして、
神がかりになります。
しかし、それでも現実は彼女達の逃避を許さず、
マスもサカエも再び元の自分に戻り、
最後にマスは自分の息子であったふくすけと寝て、
その最中に不発弾で吹き飛び、
サカエは自分とふくすけとの情事を告白して、
コオロギに殺されます。
この作品の天才的な点は、
その2人の悲劇的な死を、
同時に描き、
かつ、イメージの中でのマス一家の幸福な生活と、
コオロギによるサカエ殺しを、
死後の2人が殺しの光景の8ミリフィルムを、
幸福そうに並んで見ている、
という静謐で感動的な情景に昇華させていることです。
ラストのオチとして、
マスの夫のヒデイチが、
自分をかつていじめた12人の同級生を呼んで、
毒殺するというカタストロフがあり、
僕は98年の上演時にはその意味がピンと来なかったのですが、
2012年の上演時に再見して、
これは要するにヒデイチの人生最初のリセットだったのだ、
と思い至りました。
このように、
この作品は、
表面的な悪趣味さと扇情的な印象とは裏腹に、
際めて緻密かつ繊細に出来ています。
ラストにチェホフが引用され、
歌舞伎町の倒錯3人姉妹が、
多くの部分でチェホフを下敷きにしていたり、
埋められる子供は、
サム・シェパードだったりと、
過去の演劇作品からの引用も多彩です。
今回の上演は、僕が観た3回の舞台の中では、
演劇的完成度は最も高く、
松尾さんの作品としては、
観易い作品になっていました。
昔の松尾さんの芝居は、良くも悪くも、
もっとタラタラしていたんですよね。
それは当時のお芝居の主流が野田秀樹さんや鴻上尚史さんの、
スピード感のある早口のお芝居だったので、
それに反発するようなところもあったのだと思います。
それが最近はエンタメの王道に近い感じに修正されてきていて、
今回など 部分的には野田秀樹さん的感じがあったり、
ケラさんチックであったり、
劇団☆新感線的感じがあったりと、
演劇表現のど真ん中、という感じの強いものになっていました。
キャストは豪華さでは隋一という感じで、
それも名前だけの売れっ子という感じの人は1人もいなくて、
その道のスペシャリストが配された布陣でした。
一番驚いたのは、
初演で温水洋一さん、再演で阿部サダヲさんが演じた、
異形の暴れん坊のフクスケを、
岸井ゆきのさんが演じたことで、
彼女のある種「普通ではない部分」に着目して、
キャスティングした松尾さんの眼力には感心させられました。
ただ、多少の無理があったことは確かです。
素晴らしかったのはマスの夫ヒデイチを演じた荒川良々さんで、
役柄的には初演の山崎一さん、再演の綾田俊樹さんが雰囲気なのですが、
それを強引に自分に引き寄せた感じの怪演で、
その悲しみの芝居に心を打たれました。
眼目の阿部サダヲさんと黒木華さんは、
勿論安定感抜群であったのですが、
正直ラストの8ミリを見る名シーンの感銘は、
前回と比べるとやや薄いものになっていました。
その点はとても残念だったのですが、
どうなのかなあ、
ちょっと出て、またすぐ引っ込んで、
またちょっと出て、という感じの、
モザイクみたいな感じのお芝居が、
黒木さんにはあまり合わないように感じました。
演技を持続することで凄味があり、
本領を発揮するタイプの女優さんだと思うので、
今回のような芝居は、
彼女の見事な演技を、
十全に活かせるものではなかったのではないでしょうか?
また、演出も後半はちょっと急いだ感じで、
8ミリのシーンも、淡泊に流したような感じがあって、
これはもう本当に残念だな、
アングラ史に残るような素晴らしい演劇的瞬間であったのに、
というような思いはありました。
コケティッシュなホテトル嬢のフタバさんは、
多分松尾さん的にも拘りのある、
執着を感じさせる役柄で、
出番はさほど多くないのですが、
とても印象に残るキャストです。
再演は美加理さん、再再演は多部未華子さんで、
2人とも素晴らしく魅力的で眼福だったのですが、
今回の松本穂香さんは、
その2人を超える抜群のコケティッシュさで、
こちらも本当に素晴らしかったと思います。
ただ、矢張り、後半ちょっと出を繰り返して、
死んだり、過去に戻ったりするのは、
ちょっと観ている側としては欲求不満になりますし、
おそらく演じていても、
演技の持続が難しいのではないでしょうか。
この辺りの構造は、
ちょっと松尾さんの当時の戯曲の、
限界であり欠点でもある、という気はします。
それでも松尾さんを代表するお芝居の1本であることは間違いはなく、
今回もその魅力に溢れた、
今回は中劇場での上演ではありますが、
小劇場の愉楽を感じさせてくれる舞台に仕上がっていたと思います。
悪趣味でグロテスクな芝居ですから、
全ての方にお勧め出来るものではありませんが、
最近の松尾スズキはちょっとなあ…
という向きには、
絶対のお勧め品です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
松尾スズキさんが1991年に「悪人会議」として、
下北沢のスズナリで上演し、
1998年には「日本総合悲劇協会」として、
今度は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで再演、
更にシアターコクーンで2012年に再再演された、
松尾さんの代表作の1つが、
新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaで
戯曲も改訂の上で再演されています。
僕はこの作品は、
初演は未見で、
1998年2021年の再演は観ています。
1998年は大人計画が上昇気流に乗っていた時期でしたが、
場所が中途半端に広い感じのある世田谷パブリックシアターで、
キャストも大人計画以外の外部出演が多く、
演技の統一が取れていない、という感じがありました。
また、群衆に演劇ゼミの学生を使うなど、
演技レベルが戯曲の本来の水準に、
達していなかったことも問題と感じました。
要するにちょっとガッカリの公演であったのです。
2012年のコクーンでの再演は、
98年版と比較するとレベルが格段に高いものとなっていて、
特にエスダマス役の大竹しのぶさんは、
非常に豪華な感じがしましたし、
彼女ならではスケールの大きな芝居でした。
またラストの余韻も非常に深いものになっていて、
コオロギという男が、
自分が殺した女と一緒に、
静謐な感じで殺した瞬間の8ミリを見るという、
おそらく松尾戯曲の中でも屈指の名場面が、
見事に可視化されていたのに感動しました。
ただ、初演からコオロギを演じていた松尾さんが脇に廻って、
オクイシュージさんが同役を演じたのですが、
正直少し弱いな、という感じが残りました。
マスの夫役に古田新太さんというのも、
キャスト的に疑問でした。
今回の上演は基本的には2012年版に近いニュアンスですが、
コオロギとサカエを主軸にした、
という松尾さんの言葉通り、
この戯曲の最も印象的なキャラである2人に、
スポットの当てられた舞台でした。
戯曲も最初の部分が大きく改変されていて、
元の戯曲はスエの裁判のパートから始まるのですが、
今回新たにコオロギとサカエの出逢いの場面と、
スエと2人が出逢う場面が新たに書き足されていて、
そこで既に主役が誰であるかが明確化されています。
演じるのは阿部サダヲさんと黒木華という演技派2人ですから、
これはもう期待せずにはいられません。
以下、ネタバレがあります。
物語は複雑な群像劇で、
簡単に説明をすることは難しいのですが、
バットマンの出て来ない、
バットマンの映画の、
ゴッサムシティの群像劇みたいな話です。
主軸になるのは、
2組の夫婦で、
エスダヒデイチとその妻のマスと、
コオロギという名の男と、
その妻のサカエです。
北九州の田舎でメッキ工場を営む、
冴えない中年男のヒデイチは、
吃音のために幼少期から12人の同級生にいじめられ、
その妻のマスは、
ミスミ製薬の薬害のために、
ヒデイチとの子供を、
重度の障害児として出産すると狂気に陥り、
欝状態となると、
夫を昔いじめた12人の同級生と、
毎年代わりばんこにセックスをして、
生まれた12人の子供を殺して土に埋め、
躁転して失踪します。
病院の警備員をしている、
出生と生い立ちに闇を抱えたコオロギは、
刹那的で暴力的な男で、
その妻のサカエは盲目の捨て子で、
コオロギに純愛を捧げていますが、
コオロギはその愛に、
暴力と裏切りで報いることしかせず、
それでいてサカエには、
自分への「盲目的」な愛情を求めています。
失踪したマスは、
東京の歌舞伎町で、
その町の暗部を牛耳る、
性倒錯の三姉妹に取り入り、
「輪廻転生プレイ」という、
新しい性風俗を考案して、
莫大な富を得ます。
マスを探して東京に出た夫のヒデイチは、
得体の知れないジャーナリストと、
自傷を繰り返す風俗嬢の少女と共に、
マスを探し続けます。
同じ東京では、
薬害のミスミ製薬の御曹司の男爵が、
薬害による重度の障害児を、
死産と偽って自邸の地下室に、
閉じ込めて愛玩していたことが発覚し、
その障害児の1人である異相の「ふくすけ」が、
コオロギの勤める病院に運ばれます。
コオロギは、
ふくすけが精神的な障害を詐病していることを見抜き、
病院からふくすけを誘拐すると、
最初は見世物小屋で芸人として働かせますが、
コオロギからふくすけとの仲を疑われて、
狂気に陥ったサカエが、
神の言葉を話し出すので、
ふくすけを教祖とした、
新興宗教を興して成功させ、
その宗教が、
不浄なものとして、
歌舞伎町の三姉妹と敵対するところから、
2組の夫婦とそれを取り巻く2つの集団は、
否応なく対立することになり、
そして松尾戯曲でも屈指の、
スケールの大きなクライマックスを迎えるのです。
作品のテーマは「人生のリセット」です。
この作品の登場人物の殆どは、
自分の生き様に不満を持ち、
自分が不幸で満たされないことの責任を、
自分の出自や自分の容姿、
身体や精神の障害、
家庭環境や性格などのせいにして、
それが無になるような、
人生のリセットを求めています。
ダークヒロインのマスは、
毎年夫をかつていじめた男と寝て、
生まれた子供を殺すことで、
人生のリセットを図り、
それでも満たされないと、
躁転して自分自身から逃走します。
盲目のサカエは、
コオロギへの純愛の成立が危うくなると、
狂気の世界でリセットして、
神がかりになります。
しかし、それでも現実は彼女達の逃避を許さず、
マスもサカエも再び元の自分に戻り、
最後にマスは自分の息子であったふくすけと寝て、
その最中に不発弾で吹き飛び、
サカエは自分とふくすけとの情事を告白して、
コオロギに殺されます。
この作品の天才的な点は、
その2人の悲劇的な死を、
同時に描き、
かつ、イメージの中でのマス一家の幸福な生活と、
コオロギによるサカエ殺しを、
死後の2人が殺しの光景の8ミリフィルムを、
幸福そうに並んで見ている、
という静謐で感動的な情景に昇華させていることです。
ラストのオチとして、
マスの夫のヒデイチが、
自分をかつていじめた12人の同級生を呼んで、
毒殺するというカタストロフがあり、
僕は98年の上演時にはその意味がピンと来なかったのですが、
2012年の上演時に再見して、
これは要するにヒデイチの人生最初のリセットだったのだ、
と思い至りました。
このように、
この作品は、
表面的な悪趣味さと扇情的な印象とは裏腹に、
際めて緻密かつ繊細に出来ています。
ラストにチェホフが引用され、
歌舞伎町の倒錯3人姉妹が、
多くの部分でチェホフを下敷きにしていたり、
埋められる子供は、
サム・シェパードだったりと、
過去の演劇作品からの引用も多彩です。
今回の上演は、僕が観た3回の舞台の中では、
演劇的完成度は最も高く、
松尾さんの作品としては、
観易い作品になっていました。
昔の松尾さんの芝居は、良くも悪くも、
もっとタラタラしていたんですよね。
それは当時のお芝居の主流が野田秀樹さんや鴻上尚史さんの、
スピード感のある早口のお芝居だったので、
それに反発するようなところもあったのだと思います。
それが最近はエンタメの王道に近い感じに修正されてきていて、
今回など 部分的には野田秀樹さん的感じがあったり、
ケラさんチックであったり、
劇団☆新感線的感じがあったりと、
演劇表現のど真ん中、という感じの強いものになっていました。
キャストは豪華さでは隋一という感じで、
それも名前だけの売れっ子という感じの人は1人もいなくて、
その道のスペシャリストが配された布陣でした。
一番驚いたのは、
初演で温水洋一さん、再演で阿部サダヲさんが演じた、
異形の暴れん坊のフクスケを、
岸井ゆきのさんが演じたことで、
彼女のある種「普通ではない部分」に着目して、
キャスティングした松尾さんの眼力には感心させられました。
ただ、多少の無理があったことは確かです。
素晴らしかったのはマスの夫ヒデイチを演じた荒川良々さんで、
役柄的には初演の山崎一さん、再演の綾田俊樹さんが雰囲気なのですが、
それを強引に自分に引き寄せた感じの怪演で、
その悲しみの芝居に心を打たれました。
眼目の阿部サダヲさんと黒木華さんは、
勿論安定感抜群であったのですが、
正直ラストの8ミリを見る名シーンの感銘は、
前回と比べるとやや薄いものになっていました。
その点はとても残念だったのですが、
どうなのかなあ、
ちょっと出て、またすぐ引っ込んで、
またちょっと出て、という感じの、
モザイクみたいな感じのお芝居が、
黒木さんにはあまり合わないように感じました。
演技を持続することで凄味があり、
本領を発揮するタイプの女優さんだと思うので、
今回のような芝居は、
彼女の見事な演技を、
十全に活かせるものではなかったのではないでしょうか?
また、演出も後半はちょっと急いだ感じで、
8ミリのシーンも、淡泊に流したような感じがあって、
これはもう本当に残念だな、
アングラ史に残るような素晴らしい演劇的瞬間であったのに、
というような思いはありました。
コケティッシュなホテトル嬢のフタバさんは、
多分松尾さん的にも拘りのある、
執着を感じさせる役柄で、
出番はさほど多くないのですが、
とても印象に残るキャストです。
再演は美加理さん、再再演は多部未華子さんで、
2人とも素晴らしく魅力的で眼福だったのですが、
今回の松本穂香さんは、
その2人を超える抜群のコケティッシュさで、
こちらも本当に素晴らしかったと思います。
ただ、矢張り、後半ちょっと出を繰り返して、
死んだり、過去に戻ったりするのは、
ちょっと観ている側としては欲求不満になりますし、
おそらく演じていても、
演技の持続が難しいのではないでしょうか。
この辺りの構造は、
ちょっと松尾さんの当時の戯曲の、
限界であり欠点でもある、という気はします。
それでも松尾さんを代表するお芝居の1本であることは間違いはなく、
今回もその魅力に溢れた、
今回は中劇場での上演ではありますが、
小劇場の愉楽を感じさせてくれる舞台に仕上がっていたと思います。
悪趣味でグロテスクな芝居ですから、
全ての方にお勧め出来るものではありませんが、
最近の松尾スズキはちょっとなあ…
という向きには、
絶対のお勧め品です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。