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三谷幸喜「オデッサ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
オデッサ.jpg
三谷幸喜さんの新作「オデッサ」が、
今ホリプロステージとしての舞台で上演されています。

その東京芸術劇場での公演に足を運びました。

これは1時間45分ほどのキャストは3人のみの1幕劇です。

舞台は1999年のアメリカの田舎町オデッサに設定されていて、
宮澤エマさんが日系アメリカ人の警察官を、
迫田孝也さんが現地の老人を殺した容疑で、
重要参考人として聴取を受ける、
英語の全く話せない日本人男性を演じ、
主役と言って良い柿澤勇人さんは、
日本人の通訳がいないオデッサで、
地元で働いていた、
日本語と英語を話せる青年を演じます。

宮澤さんの依頼で、
柿澤さんは迫田さんの聴取の通訳をするのですが、
良かれと思った柿澤さんの暴走をきっかけとして、
事件は意外な方向に転がり始めます。

三谷さんとしては久しぶりの新作で、
かなり力を入れて書かれていることが分かります。

三谷さんの演劇好きが伝わって来る感じで、
ミステリーや刑事ドラマのニュアンスもありますし、
結構つかさんの「熱海殺人事件」を意識している感じもあり、
また言語とアイデンティティの関係を追求しているのは、
明らかに井上ひさしさんの名作「雨」が意識されていますよね。

何より全ての観客に面白く観て欲しい、
1人も置いてけぼりにはしたくない、
という強いサービス精神が感じられ、
小劇場を見慣れている観客には、
ややくどいなあ、そこまで丁寧にゆっくりやらなくても、
と思えるような部分もあります。

でも、それが三谷幸喜さんのお芝居ですよね。

これは割とオーソドックスな推理劇なんですね。

なので、鑑賞予定の方は予備知識なく鑑賞されるのが吉です。

以下ネタバレはありませんが、
何となく匂わせるような記述はありますので、
これ以降は是非鑑賞予定の方は鑑賞後にお読み下さい。

よろしいでしょうか?

それでは先に進みます。

三谷さんは古畑任三郎という、
推理ドラマの傑作シリーズを書いていますが、
演劇作品で本格的な推理劇というのは、
それほど多くありません。
多分オーソドックスなものは殆どないですよね。

今回はかなり純粋な推理劇に近いものになっていて、
犯人を示す伏線の隠し方や、
最後に犯人に罠を掛けるところなど、
古畑任三郎(更には元ネタの刑事コロンボ)を、
彷彿とさせる部分があります。

推理劇としては、あまりにオーソドックスなので、
ミステリー好きの方なら、
大半はこうした流れになるのだろうな、
と先読み出来てしまうようなところがありますし、
実際に物語はその通りに進んで行きます。

その点はちょっと物足りない部分ではあります。

ただ、この作品は単純な推理劇ではなくて、
言語とコミュニケーションの問題がテーマとなっていて、
それが複合的に提示されるという面白みがあります。

三谷さんらしくその辺りの仕掛けは非常に精妙で、
日本語も標準語と鹿児島の方言が対比されますし、
英語しか理解できない人物と、
日本語しか理解できない人物、
両方とも表層的な理解はできるけれど、
真に理解できているかは微妙という人物が、
同じ場所で対話を行うとどうなるのか、
という思考実験的な知的興奮があります。

それを活かすための演出も、
いつもながらとても念が入っていて、
英語を話す人物が2人だけの時は、
翻訳劇のように日本語で台詞が話され、
英語と日本語の飛び交う場面では、
両方の言語が入り混じりながら、
背景に大きく字幕が登場し、
その字幕も色々と演技をして場面を盛り上げます。

ただ、今回それが大成功であったのかと言うと、
ちょっと微妙な感じではありました。

まず、設定に無理があると思うのですね。

最初の設定として迫田さんの役柄は、
英語を全く解さないのに、
1人でアメリカを旅している、
ということになっているんですね。

1999年にそれはちょっとあり得ないでしょ。

少しは分かるけれど複雑なニュアンスは分からない、
ということなら納得なのですが、
一言も分からないというのは、
幾ら何でも無理矢理な設定と感じました。

鹿児島の方言もそれほど標準語と差がなく聞こえるので、
これもあまり有効に機能している、
という感じがありません。

たとえば、架空の東欧かアジアなどの国を舞台にして、
全く意味不明の言語と標準語、そして津軽方言が登場する、
というような設定にした方が、
作品の意図はより明確になったような気がします。
英語と日本人との関係が重要ということであるのなら、
もっとリアルな設定にして、
片言で理解した気になっていて、
実は全く別の内容だった、というような展開であった方が、
より説得力があったのではないでしょうか?

勿論三谷さんほどの人ですから、
そんなことは百も承知の上で、
色々試行錯誤はした上で、
こうした作品になったのだと思うのですが、
それが何故なのかは、
是非聞いてみたいという気がします。

それから、シンプルな生演奏が伴奏になっていて、
効果音のように機能しています。
まあ井上ひさしさんのお芝居から導入された、
いつもの手口ですが、
今回に関しては、
あまり有効でなかったように思うのです。

大声でキャストがオチの台詞を言って、
客席の笑いを待つ間があって、
それから音効が合いの手みたいに鳴る、
というようなリズムで進むんですね。

何と言うのかな、
吉本新喜劇みたいな間合いなんですね。
そこで起こる笑いが作品の主題であるのなら、
それで良いのだと思いますが、
この作品は基本的には推理劇で、
笑いの要素はアクセント程度のものなのに、
そこでいちいち笑いを待って、
チャンチャンみたいな音効を入れるのは、
全体のテンポを悪くするだけで、
あまり良い演出ではないように思いました。

今回の芝居は、もっとシャープに、
ストイックに展開させるべきではなかったのでしょうか?

キャストは3人とも勿論好演でしたが、
特に迫田さんの七変化は素晴らしかったと思います。
正直中段はかなりぼんやりしてしまいましたが、
後半の迫田さんの芝居で一気に覚醒させられました。

そんな訳で期待が大きかっただけに、
やや落胆を感じた今回のお芝居でしたが、
ホリプロのことですから再演もあると思うので、
よりブラッシュアップされて、
この作品が変貌する姿に期待をしたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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シベリア少女鉄道 vol.37「持続可能彼女」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などで都内を廻る予定です。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
持続可能彼女.jpg
大好きなシベリア少女鉄道の新作が、
2023年12月に上演されました。

シベリア少女鉄道のお芝居は、
ネタバレ厳禁なので、
公演が終わってからのご紹介としています。

今回は女性のみのキャストで、
宇宙船を舞台として近未来のサスペンスフルな物語が展開されますが、
それが実は…というようなことになってゆきます。

安定感のある作劇で、
キャストは華やかで良かったのですが、
正直メインのネタはここ最近ほぼ同一のもので、
演劇の枠組みが崩れそうになるのを、
キャストが一丸となって食い止める、
というような路線です。
今回は芝居を壊す側にも事情があり、
そのやり取りに妙味があるのですが、
どうも毎回こればかりではなあ、
という感じが最後まで抜けませんでした。

特に今回はラストのクライマックスに向けての、
疾走感のようなものが弱く、
舞台にもそれほどの変化が現れないので、
盛り上がりに欠けたまま、
ラストに至った、という感じがありました。

個人的な好みとしては、
演劇の作法など無視して、
世界観が根底から覆るようなお芝居が、
また観たいなあ、というのが切なる願いで、
正直演劇の枠組みを維持する試みなど、
どうでも良いという思いが抜けませんでした。

それでも大好きな劇団ですし、
かつての破天荒なお芝居が忘れ難いので、
また新作には足を運び続けたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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2023年の演劇を振り返る [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

クリニックは年末年始の休診期間中です。

今日は昨年の演劇を振り返ります。

昨年は以下の公演に足を運びました。

1.彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」
2.根本宗子「宝飾時計」
3.月影番外地その7「暮らしなずむばかりで」
4.三谷幸喜「笑の大学」(2023年再演版)
5.岡田利規「掃除機」(KAATプロデュース 本谷有希子演出)
6.ナイロン100℃「Don't freak out」
7. 赤信号劇団「誤餐」
8. 「帰ってきたマイ・ブラザー」
9.COCOON PRODUCTION 2023「シブヤデマタアイマショウ」
10.「ブレイキング・ザ・コード」(2023年稲葉賀恵演出版)
11.ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」
12.「ハリー・ポッターと呪いの子」
13.KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「虹む街の果て」
14.た組「綿子はもつれる」
15.ダウ90000「また点滅に戻るだけ」
16. イキウメ「人魂を届けに」
17.唐組「透明人間」(2023年春公演上演版)
18.岩松了「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」
19. シベリア少女鉄道「当然の結末」
20. NODA・MAP「兎、波を走る」
21. デヴィッド・ヘア「ストレイト・ライン・クレイジー」(2023年燐光群上演版)
22. ゴキブリコンビナート第37回公演「痙攣!瘡蓋定食」
23. 井上ひさし「闇に咲く花」(こまつ座第147回公演)
24. 加藤拓也「いつぞやは」(シス・カンパニー公演)
25. 2023年劇団☆新感線43周年興行・秋公演 いのうえ歌舞伎「天號星(てんごうせい)」
26. 唐組「糸女郎」(2023年秋公演上演版)
27. 太陽劇団「金夢島」
28. 前川知大「無駄な抵抗」
29. M&Oplaysプロデュース「リムジン」
30. □字ック 「剥愛」
31. KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「SHELL」
32. 木ノ下歌舞伎「勧進帳」(2023年再演版)
33. 穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」
34. 城山羊の会 「萎れた花の弁明」
35. 「海をゆく者」(2023年再演版)
36. シベリア少女鉄道「持続可能彼女」

以上の36本です。
今年もあまり頻繁には劇場に行けず、
観落としている作品が多いので、
ベストを選ぶことはせず、
特に素晴らしかった作品を幾つか順不同でご紹介したいと思います。

①穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-12-10-1
間違いなく昨年最も感銘を受けた1本で、
「荒れ野」に匹敵する桑原裕子さんの傑作戯曲が、
充実した役者陣によって見事に肉付けされていました。
新しい古いと言うより、これはもう古典の域で、
こういう物があるので、
劇場通いは止められません。

②M&Oplaysプロデュース「リムジン」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-11-18-1
所謂「忖度」に結び付く人間関係の心理の綾を、
日常生活の中に浮かび上がらせた
倉持裕さんの傑作台詞劇で、
3年前にコロナで中止となった作品ですが、
その年月が良い意味に作用して、
熟成感のある作品に仕上がっていました。
かなり出来にはムラの多い倉持さんですが、
これは抜群の当たりでした。

③ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-05-14
この作品は厳密には新作ではありませんが、
矢張りコロナのためにほぼ配信のみであったので、
今回が初演に近いものとしてリストに入れました。
クドカンの本領発揮の力作で、
人間の切なさと残酷さ、
それを超えた奇妙な爽快感に満ちた作品でした。

そんな訳で昨年も本数は少なかったのですが、
この3本の傑作に出逢えただけで、
昨年は充実した観劇体験になりました。
また、「ブレイキング・ザ・コード」と「ストレイト・ライン・クレイジー」の2本の翻訳劇は、
非常に素晴らしい仕上がりで感銘を受けました。
戯曲の出来のみで言えば、
日本の劇作家の新作より数段上の完成度でした。
関係者の皆様本当にありがとうございました。

今年何本くらいの舞台に出逢えるでしょうか?
感染防御には留意しつつ、
一期一会の思いで作品に対したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い年末年始をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「海をゆく者」(2023年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
海をゆく者.jpg
2009年と2014年に旧パルコ劇場で上演され、
好評を博した翻訳劇、
「海をゆく者」が今9年ぶりに再演されています。

この作品は初演は観ていないのですが、
2014年の再演は観ていて、非常に感銘を受けました。
その時の感想記事がこちらです。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2014-12-21

これは中年男5人だけが登場する、
少人数の2幕劇で、
所謂「クリスマスストーリー」です。

初演と2014年の再演ではその5人を、
平田満さん、浅野和之さん、大谷亮介さん、吉田鋼太郎さん、
小日向文世さんという、
小劇場的には豪華絢爛な役者さん達が演じ、
演劇ファンに至福の時間を過ごさせてくれました。

それで今回の上演も非常に楽しみにして出掛けたのですが、
今回前半はまずまず良かったものの、
肝心の後半のポーカーの場面が意外に弾まず、
正直少しモヤモヤした気分で劇場を後にしました。

ちょっと残念です。

何が悪かったのかと色々考えたのですが、
矢張り吉田鋼太郎さんがいないのが大きいのかな、
というように感じました。

吉田鋼太郎さんが演じたのは、
このお芝居の主役である、
人生に深く絶望している平田満さんの兄で、
平田さんがネガティブ思考であるのに対して、
吉田さんの方は対象的にポジティブ思考で、
突然失明してしまったにも関わらず、
「何とかなるさ」と全然意に介する様子がありません。

そして死神に魅入られ、
死の瀬戸際にある弟を、
そのポジティブ思考が生の世界に取り戻す、
というのがこの作品の主筋です。

小日向文世さん演じる悪魔が平田さんを誘惑しますが、
平田さんはアル中でお酒を数日絶っているので、
それが本当に悪魔なのか、
単なるアル中の妄想なのかは、
実際には分からないのです。

キャストは比較的「陰性」の役者さんが多く、
その中で吉田鋼太郎さんの天真爛漫な「陽性」が、
前回までの上演では際立っていました。

正直吉田さんの演技はかなり雑で好い加減なものですが、
意外に真面目に演じる役者さんの多い翻訳劇では、
その存在がスパイスとして効いていて、
吉田さんが登場すると舞台にリズムが生まれて、
やや退屈な翻訳劇も面白く観られることが多いのです。

今回の再演では吉田さんの代わりに高橋克実さんが登場し、
勿論高橋さんも素晴らしい役者さんなのですが、
割合にその資質は平田さんに似ていて、
基調音はちょっと陰性の感じなんですね。
今回は特に吉田さんの後任ということを、
かなり意識して緊張されていた感じがあり、
吉田さんをなぞるようなお芝居に硬さがありました。

また、平田さんのお兄さんが高橋克実さんというのは、
ビジュアル的にもかなり無理のある感じで、
設定自体に違和感があったのも減点ポイントだったと思います。

他のキャストも前回と比べると、
さすがに少し疲れた感じがあって、
舞台の活力が損なわれるきらいがあったのが残念でした。

中では小日向文世さんの「悪魔」は、
以前と変わらず抜群の破壊力の見事な芝居で、
今回もとても感服しました。
この見事な芝居を観るだけで、
チケットの値打ちがあります。
個人的にはこの「海をゆく者」の悪魔と、
三谷幸喜さんの「国民の映画」で演じたゲッペルスが、
小日向さんのこれまでのベストプレイであったように思います。

そんな訳で正直少し残念な今回ですが、
舞台は生ものなのでこれは仕方のないことなのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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城山羊の会 「萎れた花の弁明」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
アフタートーク告知-1.jpg
大好きな城山羊の会の新作公演が、
今三鷹市芸術文化センター星のホールで上演されています。

このホールは僕の守備範囲からは足場が悪いので、
あまり好んでは行きたくないのですが、
城山羊の会なので仕方がありません。
昨年はKAATでしたし、
次回は新宿や下北沢でやって欲しいな、
というのが今の希望です。

毎年少しずつ傾向の違う作品となる城山羊の会ですが、
昨年の別役風不条理劇とは打って変わって、
今回は思いつくままに展開される、
自由度の高いエッセイという感じのスタンスでした。

ただ、奇想天外なラストは、
題名にもピッタリとマッチしていて、
ここが発想の原点だったのかなとも思うのですが、
シュールでエロチックで予測不能で、
この数年の作品では、
最も秀逸なラストだったと思います。

パンフレットの山内さんの言葉を読むと、
ナカゴーの鎌田さんの死去について書いていて、
なるほど、今回は鎌田さんへのオマージュなのね、
と得心がゆきました。

神様が登場して、
ぼそぼそとほぼ客席に聞こえない声で駄目出しをするのですが、
あの神様は鎌田さんなんですね。
鎌田さんが天国から駄目出しをすることで、
山内さんが妄想で構築したエロチックで奔放で出鱈目な世界が、
何かもっと変梃りんで異様で、
真面目な人には嫌悪感を抱かせる一方で、
何処か愛おしくもある鎌田ワールドに、
変容してゆくというのが、
今回の作品だったような気がします。

キャストは岡部たかしさんと岩谷健司さんの、
今や一般にも人気者になった2人の円熟した演技が楽しく、
特に岡部さんは最近数作では出番が少なかったり、
とても無理筋な感じのする岩谷さんの父親役を振られたりして、
ファンとしては少しガッカリであったのですが、
今回は如何にもの役柄を絶好調で演じていて、
これだよね、という感じで堪能しました。

初出演の石黒麻衣さんが今回は推しの芝居になっていて、
その独特の個性が作品の説得力を増し、
シュールな作品世界に巧みに観客を誘導していました。

そんな訳でナカゴーの鎌田ワールドを、
山内さんなりに咀嚼した奇怪な世界は、
こうした物がお好きな方には、
恰好の今年の芝居収めになっていたと思います。

お好きな方のみにお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
たわごと.jpg
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース として、
芸術監督の桑原裕子さんの新作が、
豊橋での公演を終え、
今池袋芸術劇場のシアターイーストで上演されています。

桑原さんのお芝居は、
同じ取り組みの中から生まれた「荒れ野」が大傑作で、
記憶に今も鮮明に残っていますが、
今回の「たわごと」もそれに匹敵する傑作で、
初日に鑑賞してとても感銘を受けました。

今年僕の観た日本の劇作家の新作戯曲の上演の中では、
それほど観ていないので大きなことは言えませんが、
間違いなくベスト1の出来栄えで、
桑原裕子さんの素晴らしい戯曲が、
今脂の乗った役者陣の適材適所の見事な演技で肉付けされて、
演劇の醍醐味を心ゆくまで味わえる作品に仕上がっていました。

これ、舞台は辺鄙な崖の上に建てられた洋館で、
有名作家が死に瀕していて、
家族が集められ、その遺言が波紋を呼び、
というお話なんですね。

ちょっと不安になるような設定ですよね。
ベタで古い翻訳劇みたいでしょ。

これで本当に面白くなるんだろうか、と、
最初はそう思うんですね。

ところが、そのちょっと安っぽい感じの導入部から、
渡辺いっけいさん演じる、
小説家の父を持つ生真面目な兄と、
渋川清彦さん演じる風来坊の弟との、
愛憎入り混じる奥深い対立の物語に入ってゆくと、
設定などの枠組みを大きく乗り越えた、
非常に厳しく、リアルでありながら、
神話的な奥行きのある人間ドラマが立ち上がって行きます。

そこに実際には姿を現さない小説家の父親と、
兄弟両方と関係があり、今は兄の妻になっていながら、
心の中に空白を抱えている田中美里さん演じる女性が絡み、
物語はより精緻で複雑さを増してゆくのです。

良いお芝居にはその作品を代表しているような、
決定的な瞬間のようなものが必ず存在しているものですが、
この作品の場合それは、
兄弟が互いに血を吐くような魂のぶつけ合いを繰り広げている後方、
背後の大きな窓を通して見える崖の上から、
女性が身を投げようとする瞬間で、
4人の人間の思いが複雑に交錯し、
身の毛のよだつような衝撃がありました。

この作品は岩松了戯曲に似た構造があり、
その嘘っぽい設定もそうですし、
クライマックスのガラス戸を通して、
舞台を前方と後方とに分け、
そこで人間心理が幾何学的に交錯して、
衝撃的な出来事が唐突に起こる、
という舞台構造も、
岩松さんが得意とするものです。

しかし、岩松作品の難解さと比べると、
桑原作品は極めて明快で分かり易く、
しかも作品には1人の悪人も登場せず、
ラストも1人の人物も不幸になることはなく、
全ては綺麗におさまるべきところに着地します。

勿論登場人物が不幸になる物語より、
幸福になる物語の方があるべきフィクションの姿ですし、
分かり難い物語より、
分かり易い物語の方がこれもあるべき姿ですが、
そうした物語はどうしても平板で面白みのない、
現実味のないものになりがちです。

それが今回の作品は奇跡的に、
絵空事の設定であるのに人物はとてもリアルで切実で、
悪人もおらず、悲劇的な事件も起こらないのに、
物語は観客を惹き付けて離さないのです。

キャストは全員が素晴らしかったのですが、
特に弟を演じた渋川清彦さんは、
これまでの彼のキャリアの中でも、
代表作と言って過言ではない見事な芝居で、
桑原さんが書き込んだ複雑な性格のアウトローを、
極めて魅力的な実在感を持って立体化させていました。
そして、相対する渡辺いっけいさんも、
対象的な生真面目で内に秘めた役柄を、
切実な芝居で演じてこちらも素晴らしかったと思います。
内面吐露的な芝居が多い中で、
岩松芝居的に内面を語らない役柄を演じた田中美里さんも、
品格のある端正な芝居で見事にその困難な役柄をこなしていました。
小説家の愛人を演じたベテランの松金よね子さんは、
声色1つで見事に雰囲気を変える、
熟練の名人芸で舞台を引き締めていました。

アンコールに登場したキャスト陣が、
皆「どうだ、いい芝居だろう」と言わんばかりに、
目を輝かせ胸を張っているのを見ると、
つくづく良い芝居は関わる皆を幸せにするな、
と実感した素晴らしい観劇体験でした。

いずれにしてもこれだけの芝居はざらにはないので、
演劇がお好きの方であれば、
是非足をお運び頂きたいと思います。
見逃すと絶対後悔しますよ。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「SHELL」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
SHELL.jpg
KAATの企画公演として、
倉持裕さんが台本を執筆し、
杉原邦生さんが演出した新作舞台が、
先日までKAATで上演されました。

石井杏奈さんが主演で、
幾つかの別の人生を同時に生きる女子高生を演じ、
秋田汐梨さんがそれを見抜く同級生を演じるという、
ちょっと説明の難しい物語を、
背景が緑一色に塗り込められた、
杉原さんの特異な演出で舞台化されています。

これはかなりきつい観劇でした。
一応真面目に観ていたつもりなのですが、
途中からは集中することが困難となり、
最後までしんどいままにどうにか観終えることが出来た、
という感じでした。

設定の理解がまず難しいのですね。
女子高生と娘のいるおじさんと、
目が不自由で大蛇を飼っているおばさんとが、
それぞれ別の役者さんが演じているのですが、
「同じ人物だ」と言うのですね。
別に変装したり変身しているという訳ではなく、
同じ時間軸で並行して別の人生を送っているけれど、
でも同じだ、と言うのです。
同じという意味は、
そのうちの誰かと誰かが出くわすと、
消滅してしまう、
つまりドッペルゲンガーのような感じで、
同時に同じ場所には存在出来ない、
ということのようです。

この3人の物語が並行的に進むのですね。
それがラストになって3人が出会ってしまうと、
見えなかった巨大な蛇が実体化して、
何かが消えてしまうのですが、
それが何であるのかも、ちょっと分かりませんでした。
女子高生の肉体はラストにも存在しているのですが、
中身はもう違っている、
ということのようです。

魂と肉体のアンバランスみたいなものなのかしら。
1つの肉体と魂が本来ペアになっていないといけないのに、
1つの魂が3つの体に同時に入ってしまった、
という空間が歪みながら存在している、
というようなことなのかも知れません。

倉持裕さんは現代を代表する劇作家の1人だと思いますし、
この間の「リムジン」もとても良かったですよね。
なので今回の作品にも、
緻密な論理とテーマが潜んでいるに違いない、
というようには思うのですが、
正直今回それを理解することは出来ませんでした。

僕はどうも杉原さんの演出は苦手なんですね。
正直これまで一度も良かった、と思ったことがありません。
これはもう多分好みの問題ですね。

今回は舞台機構を剥き出しにして、
所謂「素舞台」にしているんですね。
杉原さんはしばしばこうしたことをしていて、
それが有効な場合もあるとは思うのですが、
本来は矢張り舞台裏は見せるものではなくて、
別の空間をそこに作り上げるのが筋だと思います。

背景は全て緑になっているんですね。
巨大な緑の幕の前で芝居をしていて、
別人格が同時に現れると、
衣装も緑になってしまいます。
おそらくクロマキーのグリーンバック、
ということなんですね。
背景は何にでも変わり得るということなのだと思いますが、
舞台上では常に緑の幕があるだけなので、
ビジュアル的には異様な感じがするだけで、
特別効果的とも思えませんし、
むしろ手抜きのように感じてしまいました。

場面転換はキャストが群舞でやるのですが、
それがあるせいで、
やたらと転換に時間が掛かり、
舞台が間延びしてしまっているんですね。
ダンスがそれ自体で自立した感じではなくて、
転換なのか独立した場面なのかが中途半端なので、
その度にイライラしてしまいました。
こういう演出が個人的には嫌いです。

そんな訳でとてもつらい観劇であったのですが、
それはもう個人の主観なので、
面白かった方もいるのだと思います。

個人の感想としてご容赦頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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M&Oplaysプロデュース「リムジン」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
リムジン.jpg
3年前にコロナ禍で全公演中止となった倉持裕さんの新作が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。

倉持裕さんは多彩な作品を発表されていますが、
今回は師匠筋の岩松了さんを少し思わせるところのある台詞劇で、
倉持さんならではという独自性も感じられ、
完成度の高い優れたお芝居で感銘を受けました。

向井理さんと水川あさみ演じる夫婦が、
ちょっとした自分の過ちを隠蔽してしまったことから、
結果として他人に忖度をしなければならなくなり、
自由な意志の元に行動することが出来なくなる、
という今の世の中の構造の中で、
とても一般的な心理を描いたものです。

これは大仰に作品化するのであれば、
純粋な志を持っていた若者が、
大人に付け込まれて、
結果として悪徳政治家になってしまう、
というお話になったり、
映画になった「お前の罪を自白しろ」みたいな作品になる、
というようなテーマです。

ただ、倉持さんはそうした大仰な作品にはせず、
もっと多くの人にとって身近な世界、
とても些細な出来事の連鎖の裏に、
同じ心理の構造がある、
という描き方をしています。

舞台は田舎町に設定され、
主人公の夫婦は、
出来の悪い兄の代わりに、
父の工場を継ぐことになります。
そこに町の有力者から、
自分の後継の組合長にならないか、
という話が舞い込みます。
ささやかな出世の可能性に喜んだ2人ですが、
有力者と一緒に行った狩猟の場で、
誤ってその有力者を誤射してしまいます。
怪我は軽症でさほどの問題ではなかったのですが、
それを正直に言い出せなかったことから、
その疚しさを感じる心理が、
2人の人生を変えて行くのです。

主人公は権力を持ち、
それを行使しないといけないのですが、
それを国会議員などではなく、
町の組合長という、
多くの人にとって手が届きそうで届かない、
というようなニュアンスの、
絶妙な距離感に設定しています。
そしてその権力の行使というのも、
大掛かりな汚職などではなく、
小学校のスクールバスを運行させる、
というような身近な陳情なのです。

少人数しか登場しない舞台の中で、
誰でも感じていて意識はしていない、
些細な感情の本質に切り込むというのは、
岩松了さんも得意とするテーマです。
ただ、一時期の岩松さんであれば、
その感情の昂ぶりが、
舞台の後半に唐突なカタストロフ、
それは暴力であったり、殺人であったり自死であったりもするのですが、
そうしたショッキングな展開が用意されていました。

それが今回の作品ではそうした感情の爆発はなく、
確かに何度か、
主人公が感情を爆発させて、
真相を話してしまいそうになる瞬間はあるのですが、
それは結果として爆発することはなく、
一種の寸止めとしてその場は終わります。
最後まで感情の揺らぎと寸止めだけが提示され、
そのまま舞台は終わるのです。

凡百の作家と演出家であれば、
ここまで何もない話を、
娯楽性も伴った台詞劇として成立させるのは、
至難の業だと思います。

それが曲がりなりにも優れた演劇として成立しているのは、
第一には倉持さんの台詞の精度の高さがあり、
登場人物7人のキャラ設定の巧みさがあります。
主人公以外に作品には、
小松和重さんと青木さやかさんが演じる、
もう1組の夫婦が登場し、
田村健太郎さん演じる、
主人公達より一世代下の、
「挨拶も出来ない」青年が登場します。

こうした人物達は、
ちょっとずらした形で、
主人公達の、
あるべき姿やあったかも知れない姿を、
表現しているのですが、
夫婦2組のヒエラルキーは、
最初とラストで、
見掛けは同じで実際には反転していますし、
田村さんは途中で意図せざる些細な失敗をして、
それを雰囲気に流されずに、
正直に話してしまって笑いを取ることで、
主人公達のそうであったかも知れない未来を、
巧みに表現しています。

主人公の隠蔽は最初は「無意識の行為」として始まります。
その無意識の裏にある心理構造のようなものが、
この作品の最も描きたかった部分ではないかと思うのですが、
挨拶も出来ない今風の若者が、
その「無意識の行為」をひょいと乗り越えてしまう、
という辺りに、 この作品の底の深さが表われています。

こうした幾何学的な精緻さのようなものが、
今回の作品の真骨頂ではないかと思います。

岩松作品にもそうした一種のシンメトリーは登場するのですが、
もっとシニカルで意地悪な岩松さんは、
こうした分かり易い人物は登場させず、
同じような関係性で登場しても、
それが途中で曖昧になるような、
観客を混乱させる仕掛けを用意しています。

その点はもっと親切で分かり易い岩松戯曲、
という感じをこの作品は出しているのです。

キャストは皆好演で、
間合いの1つ1つまで作品を理解した演技をしているので、
結果として作品の肝となる、
主人公2人の心理が、
台詞の流れを超えてリアルに感じられる、
という素晴らしさに繋がっています。

そんな訳でやや演劇マニア向けの作風で、
全くの演劇初心者には向かないと思うのですが、
現代的な心理劇の傑作で、
演出、役者とも高いレベルでの上演なので、
迷われている方がいれば、
是非にとお勧めしたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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前川知大「無駄な抵抗」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
無駄な抵抗.jpg
イキウメの前川知大さんの新作が、
世田谷パブリックシアター主催公演として、
今上演されています。

これはオイディプス王の物語を、
性的虐待の観点から現代的に再構築したもので、
場所は何故か全ての電車が停まらなくなった駅前広場に設定され、
そこに集う人々の会話の中から、
現代版オイディプス王の物語が浮かび上がるという仕掛けです。
ラストにはテロを容認するような不穏な空気も醸成され、
好き嫌いは置くとして、
如何にも現代の気分を反映した物語となっていました。

前川さんの作品としては珍しく、
基本的に超現実的な要素や怪異、SF的設定などはなく、
電車が説明なく停まらなくなる駅、
という抽象的な設定はあるものの、
それは概ね、
今の世の中で社会システムから、
結果として排除されてしまう人達のことを、
意味しているのだろうなあ、
というような「雰囲気設定」の枠を出ることはなく、
そこにSF的展開などは用意されていません。

そのため前川さんの作品としては、
比較的すんなりと作品世界を理解することが出来ます。

巻頭狂言回し的な設定の浜田信也さんが、
客席の方を向いて作品の設定を語るのは、
別役実さんの初期作品を思わせるテイストです。
その後も別役テイストは感じられる展開はあるのですが、
作品のテーマに入って来る辺りからは、
古典的な会話劇のスタイルになります。

正直もっと現実離れした架空論理に支配されたような世界が、
前川さんの真骨頂だと思うので、
今回のようなシリアスな会話劇は、
これはこれで悪くないとは思いつつも、
何処かしっくりしない感じはありました。

ただ、イキウメの公演を離れてのチャレンジだと思うので、
ラストの自暴自棄的な雰囲気には、
一抹の危惧は感じつつも、
ギリシャ悲劇の世界を現在に引き込んだ力業として、
役者さんの安定した力量とも相俟って、
見応えのあるお芝居になっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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太陽劇団「金夢島」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
金夢島.jpg
演出家アリアーヌ・ムヌーシュキン率いる、
太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)が、
実に22年ぶりとなる来日公演を行っています。
東京公演は既に終了し、11月初めには京都公演が予定されています。

太陽劇団は1964年に結成され、
集団としての姿勢や、劇場ではなく、
倉庫を本拠地とした舞台のダイナミックな演出などは、
日本のアングラの1つのお手本になっているようなところがあります。
主宰のムヌーシュキン自体日本の文化芸術に高い関心を持ち、
日本の古典芸能などを自分の作品に取り入れています。

前回の来日は2001年で新国立劇場での招聘でした。
演目は「堤防の上の鼓手」、
これは本当に素晴らしい公演でした。
これまでに観た演劇作品の中でもベスト級と断言出来ます。

新国立劇場の中劇場の公演だったのですが、
通常の客席は使用せず、
大きな舞台奥のスペースに仮設劇場を作った、
というようなスタイルの上演でした。
観客は通常の客席を抜けて、舞台の裏を通り、
太陽劇団の役者たちが準備している、
楽屋のスペースを抜けて、
その奥に通常と逆向きに設置された仮設の客席から、
舞台を見守ることになるのです。
これは本当にワクワクしましたし、
何より作品が素晴らしかったのです。

舞台は古代の中国で、
1つの村が愚かな人間の対立により滅んでしまうという、
叙事詩的な物語が、
日本の文楽のスタイルで演じられるのですが、
文楽人形も人間の役者が演じ、
それを数人の黒子が抱え込んで、
見事な人形振りを演じるのです。
圧倒的な驚異に満ちた最高の舞台でした。

それで今回の22年ぶりの公演も、
本当に楽しみにして出掛けました。

ただ、今回の作品はオムニバス的というか、
太陽劇団のエッセンスを見せます、
というような感じのもので、
その演出センスの素晴らしさや、
美的センスの豊饒さ、
役者の体技を含めた技術の高さは十全に感じられましたが、
独立した演劇作品としての充実度では、
「堤防の上の鼓手」には遥かに及びませんでした。

舞台も前回とは違って、
通常の客席と舞台をそのまま使用したもので、
舞台上に本国の倉庫の壁が再現されているので、
とても舞台が小さく遠くに見えてしまい、
せっかくの舞台の迫力が伝わり難くなってしまっていました。

この辺りもう少し工夫が出来なかったのかと、
前回の22年前の意欲的な上演と比較すると、
正直非常に残念に感じました。

そんな訳で期待はかなり萎んでしまったのですが、
それでも世界最高水準の、
素晴らしい演劇作品であったことは間違いなく、
演劇の豊饒さに心から酔うことは出来たのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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