SSブログ
フィクション ブログトップ
前の10件 | 次の10件

ある研究者のメッセージ [フィクション]

以下の内容は全くのフィクションであり、
原発事故自体は事実を元にしていますが、
特定の実際の人物と関わりのあるものではありません。
そのことは充分ご理解の上お読み下さい。

「今回の震災で被害に遭われた皆さん、
心よりお見舞いを申し上げます。
それから、福島の原子力発電所の事故以降、
避難指示で不自由な生活を余儀なくされている皆さん、
そして、放射能による被曝に、
本当に自分達の生活は安全なのかと、
日々不安に思われている皆さん、
特にご妊娠をされている方と、
小さなお子さんをお持ちの保護者の皆さん、
本当に心より心よりお見舞いを申し上げます。

私は人文科学の研究者です。
色々と私のことを、
あいつは研究より芸能活動や金儲けの方が本業なのだ、
などと揶揄する方がいることは承知しています。
しかし、研究のためにはお金が必要なのです。
私はそうした批判に対しては、
私自身の研究成果を、
見て頂きご判断頂くしかないと思っています。
私なりに、
私は研究者としての矜持を持って、
生きて来たつもりですし、
もうそれほど残された研究生活が長いとは思いませんが、
それでも後進の育成を含めて、
残された人生において、
出来る限りのことはしたいと思っています。
その気持ちに偽りはありません。

東京電力と私との関係に、
癒着があるようなことを言う方もいますが、
もとよりそうしたこともありません。

オファーを受けた仕事の1つとして、
割り切って適正なお金を頂き、
私なりに誠実にその仕事をこなしたつもりです。

水力、火力、原子力と、
バランスを取って日本の電気を安定して供給することが、
日本という国の電気事情から考えて、
また二酸化炭素の排出を含む環境への影響から考えて、
最善の方法だと言った私の言葉は、
勿論東京電力の指示の元に書かれた言葉です。
しかし、それがテレビを通じて、
多くのご家庭に流れたことは、
それが私自身の言葉であると、
皆さんが思われても、
それは仕方のないことだと思います。

私はそれは言わされた言葉なのだと、
逃げることも出来ます。
しかし、私はそうはしたくはありません。
あれは私の言葉です。
私自身、そのことを信じています。
そして、その範囲において、
私はその言葉に責任を持つべきだと考えました。

日本に原子力発電は必要だと、
今でも私は基本的にはそう思います。

しかし、今こうした未曾有の大惨事が起こり、
かつまた進行中であることを考えると、
その安全性についての私の認識は、
非常に甘いものであったと言わざるを得ません。

原発の安全性と、
その高度な対策の数々については、
私自身も仕事を引き受けるに当たり、
勉強させて頂きましたし、
東京電力の方からも、
微に入り細に入り説明を受けました。

私はその説明に納得し、
これだけの安全基準が設けられ、
対策が講じられているのだから、
原子力の安全性は確保されている、
と理解しました。

分野は違いますが、
専門の研究者として、
東京電力の社員及び付属する研究機関、行政の研究者の皆さんが、
本当に真摯に原発の安全性を考え、
日々研鑽を積み努力をして、
その技術の結晶として今日があることは、
私は彼らに代わって声を大にして申し上げたいと思う。
罵倒に耐え、原発事故を必死で収束させようと努力している彼らを見る時、
私はたとえ多くの非難を浴びることになっても、
そのことだけは言いたいと思います。

ただ…

100%の安全などこの世の中にはない。
研究者なら当たり前のその事実を、
私は矢張り原発に関しては軽んじていたのではないかと思うのです。
常に最悪の事態を想定し、
僅かでもそうしたことが有り得るならば、
それが天文学的に低い確率であっても、
その時の対策も講じておくべきだ。
それが足りなかった。
そう思うのです。

私はその私の考えの甘さを、
最悪の事態を何となく頭から排除していたことなかれ主義を、
心から反省し謝罪したいと思い、
今日この場を用意して頂きました。

本当に申し訳ありませんでした。
私の考えが足らなかったのです。
本当に本当に申し訳ありませんでした。

こうして私が公の場で謝罪することを、
不愉快に思ったり非難したりする意見があることも、
私は当然承知はしています。

お前などが謝ったところでどうなるんだ。
それくらいなら、
原発に行って自分で放射能に塗れた水でも汲み出してみろ、
全ての私財を投げ打って全てを被災地に寄付したらどうだ、
等々と…

私はそう言われる皆さんの気持ちも分かる。
ただ、皆さんと同じように私にも生活がある。
家族もいる。
ささやかな希望もある。
私はそれを守りたいと思う。

テレビ局の方からはこんなアドバイスも受けた。
それはまずいですよ。
そんなことが前例になったら、
企業のCMに出ている芸能人は、
何か不祥事があったら、
その度に謝罪しなければならなくなる、
それじゃやってられませんよ、
いいですよ、先生は東京電力の社員じゃないんだから、
ただ頼まれてCMに出ただけなんですから、
そのことは一般の方も充分承知していますよ。

本当にそうだろうか?

私は今の本音を言えば、
東京電力のCMに関わった全ての人は、
芸能人からスタッフ制作会社を含めて、
全て一度は謝罪するべきだと思う。

ただ、そうは言うまい。

私はそうした業界の皆さんの苦労も分かる。
私は学者でもある。
CMは一種の余技なのだから、
本業の方とは考えが違っても良い筈だ。

まずは謝罪だけさせて欲しい。

繰り返しになりますが、
本当に申し訳ありませんでした。
心より謝罪致します。

このことの責任を今後どう取るのかと言う点については、
今はまだ気持ちがまとまっていないのです。
ただ、研究者の端くれとして、
少しでも皆さんのご不安を軽く出来るように、
自分の分を守りながら、
出来ることを探し、実行してゆきたいと思っています。

私の話はこれで終わりです。
最後までお聞き頂きありがとうございました」

こんなことを言ってくれたらいいのにね…

原発君と一家の危機 [フィクション]

原発君はうんこはしていない、
おならだけなんだよ、
と言いながら、
実際にはどうも既にうんこをしているらしい。

そのうんこから香ばしい匂いが立ち込め、
その臭いが付いた野菜や水や牛乳が、
くさいから捨てる、と親から強制され、
多くの皆さんが苦しんでいる。

問題は野菜も水も牛乳も、
ただ臭いだけで健康になど、
別に問題はない、ということだ。

食べたって全然問題ない。
臭いを取るのは難しいことで、
何となく抵抗があるけれど、
その品質には全然問題はない。

ただ、大量のうんこが出れば、
飛び散ったうんこ自体が水や牛乳や野菜に付く。
そうなったらそれは絶対食べられない。
隣近所にまでうんこが飛び散ったら、
下手をすればお隣さんが怒って押しかけて来て、
家自体が他人の持ち物になってしまう。

これは本当の一家の危機なのだ。

それなのにお父さんは、
汚いから原発君には触われない、
と遠巻きに見ているだけで、
お母さんはヒステリックに叫んで、
オロオロしているだけだ。
お兄ちゃんはまだ幼く、
ことを収めるにはまだ非力だ。
いつも調子の良いことを言うおばさんは、
面倒になるのが嫌で、
何処か近所に出掛けてしまった。

今消臭剤で臭いのない振りをしても、
鼻を摘んで臭わない振りをしても、
そんなことには意味はない。

問題はうんこを止めることだ。
原発君のうんこを止めることだ。
そうすれば全ては解決するのだから、
今臭いの話をしたって、
仕方がないと僕は思う。

お願いだ、専門家と称する賢い人達、
お願いだから原発君のうんこを止める方策を、
一刻も早く実現して下さい。

臭いの議論をしたって無意味だ。
そんなものはうんこがもう1回出れば、
元の木阿弥に終わってしまう。

汚い話をすいません。

麻雀と日劇と恐怖の夜の話 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝はいつものように駒沢公園まで行きましたが、
何となく風邪気味で調子が悪いので、
運動は軽めに済ませました。

それでは今日の話題です。

今日はまたちょっと僕の昔話を聞いて下さい。

麻雀を覚えたのは、
中学校の時だったと思います。
父が一時凝っていたので、
一緒に付き合いでパイを並べたのです。
ただ、役を覚えるのが難しくて、
何となく段取りを覚えただけでした。

高校では2年生の時に、
文系と理系とでクラスが分かれます。
僕は理系のクラスを選択しました。

先週お話したように、
僕は高校に入ってすぐに、
一時登校拒否になっていたので、
復帰した後もあまり学校には馴染めませんでした。

2年になりクラス替えもあり、
少し良い風が僕にも吹いて来るかな、
と仄かな期待もあったのですが、
実際には状況はあまり変わりませんでした。

ただ、クラスで麻雀が流行って、
そのメンツが足りない時に、
「あ、僕もちょっと出来ます」と言うと、
「じゃ石原来いよ」という感じになって、
土曜日の午後に池袋の雀荘に行きました。

安いレートの賭け麻雀で、
負けると1000円か2000円くらい払う、
という感じです。

僕が麻雀が出来ないということは、
すぐに皆も分かったと思いますが、
何となくその場はやり過ごし、
僕が2000円くらい負けて終わりました。

僕はいつもこんな感じで、
友達が欲しいばっかりに、
大して知らないし興味もないことに対して、
それがクラスで流行っていると、
つい「僕も知ってるよ」と言ってしまい、
結局「おめー、本当は知らねえんじゃねえか」
と言われてしまうのです。
小学校の時の鉄道模型もモデルガンも、
中学校の時の釣りもロックもプラモデルも、
そしてこの高校の麻雀も、
全部そうでした。

それからしばらくは僕はそのメンツには、
誘われることはありませんでした。

ところで…

文系のクラスに、
その学年一の不良というのがいて、
お父さんはその筋の偉い人だという話でした。
仮にM君としましょう。

僕の理系のクラスにも、
ちょっと遊び人のA君というのがいて、
そのA君は時々M君と雀卓を囲むことがありました。
A君はクラスの麻雀仲間の中心的存在で、
僕が池袋に行った時のメンバーでもありました。
アバタ面で焼肉が好きで、
どんな集団に入っても、
決して孤立することはなく、
うまく自分のポジションを確保するタイプの少年でした。
要するに要領が良かったのです。

ある日の夕方、
そのA君がM君に麻雀を誘われていました。

A君は明らかに嫌がっていて、
「でもMさん、メンツがいないじゃないですか」
と言うと、
何故かそれまで話したこともなかったM君が、
僕に対してメンツにならないか、
と誘ったのです。

その日僕は実は夜に予定がありました。
それも結構大事な予定で、
妹と一緒に沢田研二のコンサートを、
有楽町の日劇に観に行く予定だったのです。

強く断われば、それで済んだ話でした。

しかし、僕は何故か、
「少しの時間ならいいですよ」
と言ってしまいました。
「馬鹿だな、どうなっても知らないぞ」
という顔で、
A君は僕の方を見ました。

それから僕達は、
M君行き着けの、
御茶ノ水の雀荘に行きました。
「点5でいいな」
みたいな話がM君の友達の口から出て、
そのレートがどのくらいのものなのか、
僕には良く分かりませんでしたが、
何か不吉な予感はしました。

コンサートは6時からです。
雀荘に入ったのは4時半頃でしたから、
すぐに時間は経ち、
はっと思うともう6時15分前です。
 
僕はM君に実はコンサートに行く予定があるのです、
と言うと、M君は何時からだ、
と言うので、
正直に時間を話すと、
「それじゃもう間に合わないじゃないか」
と言うので、
「はい」と返すと、
M君は呆れたように笑って、
「早く行けよ」
と言いました。

僕はそんなことを言わなければ良かったのに、
「また今度この埋め合わせはします」
という意味のことを言いました。
「約束だぜ」
とM君は言いました。

有楽町の日劇に駆け付けると、
もう6時半を廻っていました。
何とも言えない表情をして、
正面で妹が待っていました。
僕はそもそも良い兄ではありませんでしたが、
それでいて大事な時に、
こんな間抜けなことをしてしまいます。
それでもそのことでは、
妹は一言も僕を責めませんでした。

沢田研二は「トキオ」のヒットがあった時で、
ベストテンの話題をMC で話していました。
妹は当時大ファンだったのです。

その翌日学校に行くと、
A君が真剣な顔をして待っていて、
「石原、Mさんがお前と雀卓を囲みたいと待ってるぜ」
と言います。
「うっかりすると、身ぐるみ剥がれて搾り取られるぜ」
と言うので、
僕は初めてそのことの深刻さに気付きました。

M君のレートだとちょっと負ければ、
数万円はすぐだと言うのです。
もしそれが払えなければ、
借金をさせられて、
サラ金地獄のような修羅場になると言うのです。

それで仕方なく、
その日は授業を受けながらも、
麻雀の本を読んで過ごしました。
しかし、付け焼刃でそんなことをしたところで、
相手は百戦錬磨で僕を鴨にしようと狙っているのですから、
そんなことが通用するとは思えません。

夕方になり、
A君に連れられてM君が僕のクラスにやって来ました。
それからM君の友達が2人加わって、
鴨の僕を取り囲むようにして、
僕は学校の門を出ました。

雀荘は確かまた御茶ノ水の辺りだったと思います。

M君は体格は良いのですが、
親分肌の気さくな感じで、
僕はそう悪い印象は持ちませんでした。

むしろM君の連れて来た友達2人の方が、
目付きも鋭く威圧感があって、
僕には恐怖の対象でした。

麻雀は比較的静かに始まりました。

それほど大きな手で上がることはなく、
僕以外の3人が安い手で上がって、
少しずつ僕の点棒が減って行く、
と言う感じです。

半チャンが1回終わって、
次の半チャンに入り、
M君が1回僕から役満を上がって、
僕の点棒はグッと減りました。

その半チャンの最後になって、
珍しく僕の手が早く揃いました。
点数の計算は出来なかったので、
どのくらいの手かは分かりません。
M君が先にリーチをしたので、
それから僕の手を覗き込みました。

「お、石原の手もなかなかだな」
とM君は言いました。
それから僕も初めてリーチをして、
1巡した時点で、
M君が自分のツモを見て、
「俺がツモっちまった」
と言いました。
M君のツモは僕の上がりでした。

それでその日の麻雀は終わりました。
最後の上がりで僕は大分盛り返し、
結局5000円くらいの支払いで済みました。

M君以外の2人はもう終わることに、
露骨に不満の様子でしたから、
ある時点でM君は僕を鴨にすることを、
止めてくれたのだと思います。

あまりに僕が世間知らずで麻雀も殆ど出来なかったので、
それを哀れに思ってくれたのでしょうか?

僕には今でもよく分かりません。

それから僕はM君と2人で、
途中まで一緒に帰りました。

「本は好きか?」
と訊かれたので、
「はい」と言うと、
「『けんかえれじい』を読んだか?」
と訊かれました。
僕は読んだことがなかったのでそう言うと、
「あれは渋いぜ。グッと来るんだ」
と言いました。

最後に
「お前は真面目に勉強してるタイプだろ。
俺なんかに関わるな」
と言って僕達は別れました。

けれどその後も何度か僕達は会い、
何の因果か女の娘を紹介してもらったこともあります。

その時のことは、
またいつかお話をさせて下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

人を裏切る、ということ [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

今日の内容はフィクションとしてお読み下さい。

大学時代に僕はある女性を2回裏切ったことがあります。

彼女は大学の演劇部で、
僕より後輩の女性でした。

入って来た時の印象は、
それほど強いものではありませんでした。
同期にもう2人女性がいて、
そのうちの1人は、
「あっ、いい娘が入ってきたじゃん」
と皆で話すようなタイプの女性で、
もう1人はちょっと個性的な容姿の女性でした。

まあ、よくあることですね。

つまり、その2人に挟まれて、
彼女は一番目立たないポジションにありました。

入学は4月で、それから練習が始まり、
7月の初めに夏の公演があります。

皆の注目を集めていた新人の少女が、
夏公演の主役に抜擢され、
残りの2人の新人の少女は、
その他大勢の役柄になりました。
演技はまあ、3人とも素人でしたから、
結局その容姿だけで、
配役は決まったのです。

演出家は男性で僕の先輩でした。
傍から見ていても、主役の演技指導だけには、
妙に力が入っていて、
何度も何度も同じ場面を繰りかえさせ、
「声がちいせえんだよ」
とがなるように駄目出しをします。

今でも印象に残っているのは、
ある土曜日の午後の練習で、
主役の少女と相手役の男性との2人だけの場面を、
執拗に繰り返し、その何度目かの時に、
それまでとはちょっと違う何かが、
少女の身体に宿ったように、
その瞳が見違えるような輝きを帯び、
相手役を呼ぶその声が、
それまでの倍くらいの声量で、
かつ情感豊かに響いた時には、
女優誕生の瞬間を目の当たりにしたようで、
ちょっと戦慄的な気分になりました。

その時点でどうも、
その主役の少女と演出家とが、
個人的にも付き合っていることは、
僕達の共通認識にはなっていました。
アマプロを問わず、女優誕生というのは、
そういう愛情という装置を必要とするもののようです。

ややこしいので、
その主役に抜擢された少女をAさん、
その友達の目立たない少女をBさんとしましょう。

公演直前のある日、
僕はたまたまAさんとBさんとが、
一緒に歩いているところに出会い、
それで何となく近所の喫茶店に入りました。
大学の教養部の正門前の2階にある、
うどんのようなフニャフニャの、
それでいて量の異常に多い、
ナポリタンを出す店です。
1階が何の店であったのかは、
どうも思い出すことが出来ません。
確か途中からコンビニになったような記憶があるのですが、
その時には同時に喫茶店もなくなったような気がします。

ともかく、その時には喫茶店があったことは間違いがありません。

その喫茶店の取り得は、
窓際の席に座ると、
正門前の風景を、
一望の下に眺められるということと、
長居をしていても文句を言われないことです。
まあ、大学の近所で、長居の出来ないような店は、
その存在自体の意義を失うのですが…

僕達は窓際の席に陣取りました。

それから何となく芝居の話をしました。
公演間近で音効担当のBさんは、
持って来る曲が悉く演出家にボツにされる、
とこぼしていました。
その時、音効のオペレイターをしていた僕の先輩のGさんが、
校門を通りかかり、
目聡く僕達のことを見付けて、
店に入って来ました。
BさんはGさんと楽しげに音効の話を始め、
その様子を見ていて、
何となくここにも恋花が咲きつつあるのを、
僕はリアルに感じました。

僕はその時、AさんよりBさんの方に、
より魅力を感じました。
彼女は非常に貪欲で、
自分の分はわきまえながら、
集団を自分から引っ張るようなタイプの女性でした。
実行力があり、人間関係を広げるのも得意です。
1例を挙げれば、戯曲に指定された音効の中で、
レコードがその時点では廃盤になっていたものがありました。
すると彼女は、地方のラジオ局に乗り込み、
そこに収蔵されていたレコードをダビングして来ました。
何故簡単にそんなことが出来たかと言うと、
彼女の学部の先生の中に、
マスコミに繋がりのある人物がいて、
その人物に仲介を依頼したのです。

そんな訳で、
彼女は劇団の中では重宝がられて、
その独自の地位をすぐに確立しました。

公演がそのまま無事に終わって、
Aさんは演出家と付き合うようになり、
Bさんはその音効オペレイターと付き合うようになりました。

その年の秋の学園祭の時に、
劇団員でカラオケに繰り出す機会がありました。
その時僕はたまたまBさんと隣合わせになり、
「最近調子はどう?」
と僕が愚にも付かないことを言うと、
妙に真剣な表情になって、
「石原さん。男ってみんな女を支配しようとするんですか?」
とそんなことを言って、レモンサワーを煽ります。
「うまくいってないの?」
と僕が聞くと、
「違うんです。そうじゃないんだけれど」
と言って、口を濁しました。
それから不意に話題を変え、
「わたし最近文通に凝ってるんです。
話をするより言葉の方が信じられる気がして」
と言いました。
何故そんなことを言ったのか、
今になっては分からないのですが、
僕はその時、
「僕と文通しようか?」
とそう言いました。
「いいですよ」
と彼女は即答です。

その1週間後に、まず僕が手紙を出しました。
便箋2枚に、身の回りのことを書いて送りました。

その5日後に返事が来て、
如何にも彼女らしい端正な筆致で、
自分の家族のことや出身の四国の風景のことなどが、
綴られていました。

その遣り取りは10回ほどは続き、
そして唐突に終わりました。

僕が出した手紙に、彼女が返事を返さなかったのです。

僕は彼女のことが好きに成り掛けていたので、
そうしたニュアンスを、
少し踏み込んだ表現で、
手紙に記したのです。

しかし、それは彼女の本意ではなかったようです。
ある種の距離感が崩れたような感じになって、
それから僕達はその文通以前の関係に戻りました。

その数年後に、彼女が演出をして、
劇団の公演を打つことになりました。
その時には僕は半分劇団からは引退していたのですが、
彼女に協力したいと思い、
その旨を彼女に告げました。
すると彼女は、
「音効のオペレイターがまだ決まっていないので、
石原さんがやってくれれば嬉しい」
と言いました。

僕は2つ返事で引き受けました。

そして、すぐに不安になりました。

風の噂では、GさんとBさんとは別れていて、
もうGさんには別の彼女がいる、という話でした。
でも、Gさんはまだ音効のオペレイターはやっているのです。

それでいて僕にその役割を頼むというのは、
何かあまり穏当ではないような気がします。
Gさんとの関係を悪くすることは、
僕にとってはちょっと深刻な問題でした。

それで、数日後の日曜日の午前中に、
僕はBさんのアパートに電話しました。

Bさんは非常に明るい調子で、
音効のことも相談したいと思っていたところだったので、
電話をもらえて嬉しい、と言いました。
その言葉を聞いた瞬間に、
胸に針が刺さったような気持ちになりましたが、
僕はちょっと忙しいので、
音効の仕事は出来そうにない、と言いました。
しばらく針を呑んだような沈黙があって、
受話器の向こうから、
「そうですか。じゃしょうがないですね」
という声がしました。
僕がいい訳めいた何かを言い掛けたところで、
通話は向こうからプツリと切れました。

僕は居たたまれない気分になり、
そのまま外に出ると、
その日は終日松本中の映画館を廻って、
ぶっつけで6本の映画を見ました。

映画は「スケバン刑事」と「スケバン刑事2」と「ロボコップ」と
「ラストエンペラー」と「天山回廊」と「パラダイム」という、
支離滅裂な組み合わせです。
そんな映画しかやっていなかったのですが、
何か正義と悪とが対決する、
というような場面を見せられると、
僕自身が悪なのだな、
という気分が重く圧し掛かって、
酷く辛い気分になったのを覚えています。

実は昔の日記を読み返していたら、
「悪いことをしてしまい、反省して映画を見まくる」
というように書かれていて、
その「悪いこと」の内容は全く書かれていませんでした。

読み返していても、
すぐにはその悪いことが思い出せず、
ようやく思い出して今こうして活字にしています。

「裏切り」ということを、
何となく考えざるを得ない状況が今あって、
その連想から記憶を手繰りました。

「裏切り」というのは端的に言えば、
何かから逃げることで、
向かい合うものから逃げることが最大の悪なのだと、
僕は最近はそう思って生きているつもりですが、
それでも多くのものを裏切り、
生活を続けているのかも知れません。

BさんはGさん以外の方と結婚し、
お子さんも生まれています。
僕は今も年賀状の遣り取りは続けています。
その当時の殆どの方とは、
今はもう関係は切れていますが、
彼女の根っからの律儀さが、
僕の年賀状への返事を書かせているのかも知れません。
年賀状の文面からは、
彼女の家庭の幸せがはっきりと感じられて、
Bさんのような方が幸せになるのであれば、
矢張り神様はいて、
世の中の秩序を、
根底のところでは支えていてくれているのだな、
というような思いにもなるのです。

それでは皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

S先生のこと [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は終日事務仕事の予定です。

それでは今日の話題です。

今日の話は、昨日の続編のようなものです。
こちらもフィクションとしてお読み下さい。

大学病院を辞めてから、
僕は一時心療内科のS先生の所で、
1年ほど心療内科の研修を受けました。

S先生はその当時長野県の山間の村で、
精神医療の往診を、
積極的に行なっている、
という「変わり者」の開業医でした。

S先生は元々は内科の医者ですが、
日本海側の国立の大学医学部を卒業するとすぐに、
大学病院を離れて、
農協関連の中規模病院に就職しました。
その時点で既に先生は変わり種です。
その病院は内科学会の認定研修施設ではないので、
幾ら臨床のスキルを積んでも、
内科の認定医や専門医にはなれないからです。

S先生は地域医療に携わる中で、
心身相関に興味を持ちます。
たとえ身体の病気が原因であったとしても、
その患者さんの実際の症状、
その悩みや苦しみは、
心理的なものであり、
精神的なものであることが殆どだからです。

それでS先生はその県の大学病院の精神科に、
研修生のような形で席を置き、
精神科の研修を受けると、
まだ精神科のなかった、
その勤め先の病院に戻り、
精神科の診療を始めたのです。

S先生のユニークさは、
在宅医療に力を入れたことでした。
先生のいたその病院自体、
僻地医療に力を入れていて、
無医村の診療所に医師を派遣したり、
深夜でも急変があれば、
当直医が往診して、
時には死亡確認もする、
というような対応を続けていました。

S先生はその僻地医療の、
精神科版を始めました。
特に認知症のお年寄りは、
田舎の村では、医療機関に見せる、
というような習慣はなく、
むしろ身内の恥を晒すようで、
嫌う家族が多かったのです。
外来で待っていても、
本当に困っている患者さんは、
そこを訪れてはくれません。

それで先生は、まず家族の話をよく聴くところから始め、
少しずつ相手の警戒心を取っていって、
それから頃合いを見て、
往診の段取りを組みました。

そうした取り組みが、
数年経つとその土地にしっかり根付き、
先生は毎日のように無医村を飛び回り、
ただ言葉だけの診察を続けました。

僕がS先生に初めて会ったのは、
その病院に医局からのバイトで行った時のことです。

その時にはもう先生は病院の常勤は辞めて、
近くの山間に、自分の診療所を開設していました。
それでも、週に1回だけ古巣の病院でも外来に出ています。

糖尿病の専門外来をしていた僕は、
認知症の相談を患者さんからされて対処に困り、
その時にS先生に助言を請いました。

先生は僕の初歩的な質問に、
懇切丁寧に答えてくれました。
僕はそれでいっぺんに、
先生のファンになったのです。
その後何度か外来の時に先生に会い、
精神疾患の世界を垣間見て、
非常な興味を覚えました。
先生が僕に見せてくれたその世界は、
「年寄りのボケ」や「引き籠もり」といった、
ひどく身近な世界です。

先生はある時、
「一度ボクの診療所に遊びに来て見ませんか。
先生が非常勤で来てくれたら、
とても頼もしいんだけどな」
と言いました。
年の割に皺の多い丸顔には、
いつもの柔和な笑みが張り付いています。

今思えば、どう考えても社交辞令です。
僕は生意気盛りでしたが、
先生だって元は内科のトレーニングを受けた医者なのです。
僕が行ったところで、
役に立つとは到底思えません。

でも、僕はその社交辞令を真に受けて、
頭の中に沈めて置きました。

そして、医局を辞めてしばらく途方に暮れていた僕は、
S先生に連絡を取ったのです。

しばらく先生のところで働きたい、と言った僕に、
先生は珍しくちょっと困った顔をしました。
その瞬間に、僕はあれが社交辞令だったことに気付き、
赤面するような思いになりました。
でも、先生はすぐに気を取り直したようにこちらを向き、
「まともな給料は出せないですよ」
と言いました。

それからの1年余で、
僕は先生と共に、
非常に多くの経験をしました。
楽しいこともありましたが、
その数倍、辛い切ない思いにも向き合いました。
それはまた、差し障りのない範囲で、
いつかお話したいと思います。

先生はヘビースモーカーで、
お酒も毎日飲みます。
それは1日の区切りの儀式のようです。
心房細動の持病があり、
ワーファリンを飲んでいるので、
お酒の量は以前よりは減っているそうですが、
それでもかなりのものでした。
不思議と深酒をした翌日も、
酒臭い息にはなりませんが、
ちょっと呂律の廻らない話し方になります。
団塊の世代で、
バリバリの活動家で、
それが大学にいられなくなった理由のようでしたが、
そうした政治的な話を、
僕にすることは殆どありませんでした。

東京に戻ることを決めた僕が、
その話をすると、
「そうですか。うん、それがいいですね」
と言って、その夜はそれを肴に一緒にお酒を飲みました。

僕が今内科と小児科、心療内科の診療所をしているのは、
勿論それだけが理由ではありませんが、
間違いなくS先生との出会いがあったからです。

ここまでで話が終われば、
何となく美談のような感じになるのかも知れません。

ただ、実際には続きがあります。

僕が診療所を始めてから、
4年ほど経った時に、
S先生が僕の外来を予告なく受診されました。
5年ぶりの再会です。

先生は以前よりかなり痩せていて、
一回り縮んだような印象でした。
その両手は常に小刻みに震えています。
僕の顔を見ると、「いやあ、久しぶりですね」
と笑顔を見せ、それだけは以前と変わりはありませんでした。
でも、すぐに真顔に戻ると、
「先生、実は今日はボクのお薬を出してもらいたくて来たんです」
と言われました。
「どんな薬ですか?」
何か嫌な予感がします。
「色々ありましてね、眠れないんです」
「睡眠剤は何を?」
「ハルシオンとサイレースですね」
「じゃ、2週間分ずつ出しますね」
「それとリタリンを」
一瞬、息が止まりました。
先生の顔を見ると、
何か怯えるような色が見え隠れしています。
「でも先生もご存知のようにあの薬は…」
「ええ。でも最近あれしか効かなくなりましてね。
気持ちが全くまとまらんのです」

リタリンは依存性の強い薬です。
僕は先生がリタリン中毒になっていることに気付きました。

勿論リタリンは、
ある特定のご病気の患者さんやお子さんでは、
現在でも重要な薬であり、
適正使用であれば問題はありません。
ただ、気分が高揚する、とか、
目が醒めてすっきりする、
といった目的で、
安易に使用されると依存性が強く、
簡単に強い依存を形成します。

先生は勿論リタリンの適応になるような、
持病をお持ちだった訳ではなく、
色々な抗うつ剤や安定剤を大量に試した上で、
リタリンを常時大量に服用しないと、
気分の安定を保てないような状態になっていたのです。
そんなことは、しかし、
先生は誰よりもよくご存知の筈でした。

それで「1回きりですよ」と念を押して、
当座の分のリタリンを処方しました。
まだリタリンの処方の規制が、
今ほど厳しくはなかった頃の話です。

先生は困っておられたのだと思いますし、
僕はもう少し先生に出来る何かを、
その時するべきだったのだと今は思います。
ただ、その時はあまりのことに動揺してしまって、
何も言うことが出来ず、
先生はそのまま処方箋を受け取って、
何も言わずに帰ってしまわれました。

それから僕は今まで、
S先生に会ったことはありません。
先生の方から連絡のあることもありませんでしたし、
診療所を再度受診されることもなく、
こちらから連絡を取る手立てもありませんでした。

後から聞いた話では、
先生はその2年ほど前に診療所を閉め、
老人保健施設の施設長になったのですが、
入所者の家族から訴えられるというトラブルがあって、
その施設の経営が立ち行かなくなり、
悩んでいたのだという話でした。
その後の消息は聞いていません。

自分が「良心的な医者」であることに、
ある種の強いプライドを持っていた先生でしたから、
ご家族から訴えを起こされることで、
そのプライドがズタズタになり、
そのことに耐えられなくなったのかも知れません。

僕が研修を受けていた時には、
常用的な薬の依存には、
気が付きませんでしたが、
お酒に対するある種のだらしなさを見る時、
若干の危惧を感じていたことも事実です。
でも、その頃はお酒も適量は守っていたのです。

S先生のことを考えると、
僕は今でも堪らない気分になります。
それは1つには人間の弱さであり、
もう1つには薬というものの怖さです。
それから、良い医者とは一体どういうものなのだろう、
という自分にも通じる不安のようなものです。

ただ、僕は今でもS先生を尊敬していますし、
僕が今あるのはS先生のおかげだと思っています。

最後にもう一度念のために補足しますが、
リタリンは特定の患者さんにとっては、
使用に問題のない薬であり、
飲んでいる方が全て依存になる訳ではありませんので、
その点は誤解のようにお読み頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

雪の日の決断と僕の闇の話 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

昨日の夜は東京でも初雪でした。
路面が凍るようだと悲惨だな、
と思ったのですが、
幸い積雪は1センチ程度で、
午前中には溶けそうな様子です。

雪の日はちょっと内省的な気分になります。

それで今日はちょっと昔の雪の日の話をします。
フィクションとしてお読み下さい。

大学の医局を辞める話を、
教授にしたのは、
2月の下旬の日曜日で、
僕はその日病院の当直でした。

しかも、その日は僕の誕生日でもありました。

その日は朝から雪が降り積もり、
午前中には医局の休憩室から見る駐車場は、
一面の雪景色に覆われていました。

休憩室の隣に、教授室があります。
皆さんは教授室と言うと、
どのような立派な部屋を想像するかと思いますが、
僕の所属していた医局の教授室は、
細長く狭い部屋で、
休憩室の半分くらいの幅しかありません。
言ってみれば、迷路の行き止まりみたいな形です。
両側に医学雑誌を入れた本棚が並んでいるので、
人が1人、辛うじて通れるくらいの幅しかないのです。

その行き止まりの位置に、
教授のイスと机とがあり、
その前に小さなソファーがあります。

その日、まず7階の病棟に行き、
入院患者さんの状態を、
担当の看護婦(当時はこの表現です)から、
申し送りを受けました。

病棟は落ち着いていて、
特に問題はありませんでした。

医局を辞める話を、いつ教授に切り出そうか、
というのは少し前から迷っていました。
ただ少なくとも半年以上前には、
話をしておくのが礼儀だと思いましたし、
誕生日が日曜日で当直で、
その上雪の日だったことが、
僕の決心を固めさせました。

それで病棟から医局に降りると、
その足で教授室の前に立ち、
いつも開かれたままのそのドアに向かって、
「〇〇先生」と声を掛けたのです。
「おう、石原先生か、入れよ」
と教授はいつもの太い声で言いました。
それで中に入り、立ったままで、
「今年一杯で医局を辞めさせて下さい」
と話をしたのです。

それから、
「医者を辞めたいんです」
と言いました。

教授は殆ど顔色は変えずに、
「そっか。残念だな。でも何か、そんな気もしたよ」
と言いました。

何か色々と言いたいことがあったのですが、
結局何も言えませんでした。

そのまま教授室を出て、
当直の業務に戻りました。
午後は暇だったので、
外来の診察室の机に向かい、
レジナルド・ヒルの「骨と沈黙」を読みました。

午後の3時頃に雪が止み、
雪の日特有の奇妙な程の静けさが、
病院全体を覆っています。
空気が妙に澄んでいて、
窓から遠く北アルプスの山々が、
嫌になるほどくっきりと見えました。

夜の回診があり、それから医局に戻ると、
研究をしている数人の先生が残っています。

病棟は何事もなく、時計はその日の零時を廻りました。

午前一時に当直室の電話が鳴り、
救急隊から受け入れの要請です。
教授が診ていた糖尿病とホルモン異常のある、
50代の女性が、自宅で急に呼吸困難に陥った、
というのです。

どんな状態かも把握しないままに、
僕は受け入れにOKを出しました。

病棟にそのことを告げ、
医局に降りました。
誰か医局員がまだ実験で残っているのでは、
と思ったからです。
ところが、その日に限って、
いつもは深夜の3時でも誰か残っている医局にも、
研究室にも、人影はありません。

大学病院なのですから、
勿論人手はある訳ですが、
救急部の扱いではなく、
僕の所属している内科として受けた患者なので、
僕の内科の中で診なければいけません。
その当時は他の科に応援を頼むようなことは、
想像の中にもありませんでした。

患者さんは100キロを超える巨体で、
心肺停止の状態でした。
見た瞬間にこれは1人では無理だ、
と思いましたが、もう1人でやるしか仕方がありません。

気道確保をして血管確保をして、
心臓マッサージをして。
夜勤の看護婦と2人で、
深夜の病棟の処置室で、
出来る限りのことをしましたが、
救命は出来ませんでした。

死亡確認をしてそのまま朝を迎え、
家族にも説明をしました。

それから9時になって教授室にもう一度行き、
教授にそのことを報告しました。
「そっか。ご苦労様。俺も家族に話をしとく」
と教授は言いました。

その教授は去年辞められて、
今年は教授選が行われるのだと、
風の便りに聞きました。

僕にはあの日患者さんを救えなかったことが、
決して偶然とは思えなくて、
そんな言い方をすると、
その患者さんに失礼だとは思うのですが、
誰かが何かを僕に教えようとしたのでは、
という気がしてなりません。

僕はまだ医者を続けていて、
その何かは僕の闇の中に沈んでいます。

今日はちょっと内省的な話になりました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

喪服の訪問と人生の謎の話 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診ですが、
これから地域医療の講習会があるので、
新宿まで行って、午後には戻る予定です。

それでは今日の話題です。
今日の内容はフィクションとしてお読み下さい。

誰の人生にも、ちょっとした謎というのはあるものです。
今日の話は、僕の人生における1つの謎の話です。

大学4年の時に、
ある一人の女性を、
殆どくるおしい位に好きになり、
半年くらい悶々とした日々を過ごした上に、
あっさりと振られてそれまでになりました。

要するに、ただの片思いだったのです。

世の中というのは不思議なもので、
何故かその数日後に、
僕は別の1人の女性から、
僕を好きだという意思表示を受けました。

彼女は僕がその時部長をしていた、
サークルの後輩で、
ありがちなことですが、
いつも女性二人で行動していました。
仮に彼女をAさんとBさんとしましょう。

僕はAさんのことが、
何となく以前から気になっていたのですが、
Bさんのことは、
申し訳ないですが、
あまり惹かれるものがありませんでした。

ところが…
これもありがちなことですが、
僕を好きだったのは、
Bさんの方だったのです。

何となく僕とBさんが一緒の時に、
AさんがBさんに遠慮して、
僕とBさんを二人きりにしよう、
と仕向けるのが僕には分りました。

僕は何となくそのことは感じつつ、
常にそれを避けるような態度を取りました。
直接Bさんに意思表示をされてしまうと、
それに対して僕も意思表示をせざるを得ず、
それがBさんを傷付ける結果になることが分かっていたので、
なるべくその状況を回避したかったのです。

それから少しして、ある日曜日の午前中に、
僕の住んでいたアパートの電話が鳴りました。

電話を掛けて来たのはAさんでした。

Aさんが僕に電話を掛けて来たのは、
その時が初めてでした。
勿論携帯電話など、まだ存在しなかった頃の話です。

「どうしたの?」
「いや、石原さんが何をしているのかなと思って」
「そろそろ起きようかなと思ってたところだけど」
「やだ、私邪魔だったかしら」
「そんなことはないよ」

Aさんは、何か僕に用事があったのだと思います。
でも、それが何だったのか、なかなか要領を得ませんでした。

結局僕はその時1時間以上、Aさんと電話で話をしました。

Bさんが僕のことを好きなのだ、
という話を、非常に遠回しに言われたのですが、
必ずしもそれが話したいのではなさそうでした。
1つ印象に残っているのは、
その頃アーヴィングと村上春樹にかぶれていた僕が、
「多分世の中には幸せな男と幸せな女がいて、
幸せの国に暮らしているんだ。
幸せでない僕らは、
幸せの国を見ることは出来ないんだけど、
それがあることを感じることは出来る。
幸せでない僕らは、それを感じることで、
ちょっぴり幸せのような気分になれるんだ」
という分かったような分からないような話をすると、
妙にAさんはその話に共感してくれて、
「本当にそうね。世の中にはそういう人がいるのね」
と何度もそう言っていたのです。

その1週間後の日曜日の昼下がりに、
Aさんはまた不意に僕のアパートを訪れました。

ドアをコツコツとノックする音がして、
一体誰だろうとドアを開くと、
喪服のAさんが白い箱を持って立っていました。

「どうしたの?」
と僕が言うと、
「これを石原さんに預かってもらおうと思って」
とAさんは言いました。
そして、そのマグカップか何かが入っているような、
白い箱を僕に差し出します。
受け取るとマグカップが入っているくらいの重さです。
「これは何?」
と僕が言うと、
「今は言えないの。また取りに来るわ」
と言うなり忙しなく去って行きました。

何か狐につままれたような気分です。

次の日の夜に女性の声で電話がありました。

「石原さん、私のこと誰だか分かる?」
と言うので、軽率にも、
「Aさん?」
と言うと、受話器の向こうが、
凍り付いたような雰囲気になります。
「やっぱり石原さんはAさんのことが好きなのね」
その声は紛れもなくBさんのものでした。
僕は慌てて弁解をしましたが、
もう後の祭りです。
Bさんはすぐに電話を切ってしまいました。

それから数日後に、
Aさんの田舎で不幸があり、
それを機にAさんは大学を辞めて、
三重の方の田舎に帰ったのだ、
という話を、サークルの後輩から聞きました。

あっ、そうか、あの時の喪服は、
三重に戻って帰って来た時だったのだな、
とすぐに思ったのですが、
よく聞いてみるとそうではなく、
不幸があったのはその翌日、
Bさんからの電話があった日のことのようなのです。

Bさんは僕にそのことを伝えるために、
僕に電話を掛けて来たのですが、
それが僕が軽率な話をしたものだから、
それも伝えずに電話を切ってしまったのです。

だとすると、あの喪服は、
一体何だったのでしょうか?

もう1つ奇妙なのはあの白い箱のことです。
僕は確かにその箱を受け取り、
押入れの隅に置いたのですが、
その翌日のBさんの電話の失敗から、
そのことをしばらく忘れていました。
そして、不意に思い出して、
押入れの中を見てみると、
そんな箱など、何処にも見付からなかったのです。

その後ぼくはAさんには一度も会っていないので、
あの日のことは、
僕の中では謎のままに残っています。

今日は僕の人生における、
ほんのちょっとした謎の話でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

タロットカードとミヲのいる喫茶店の話 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日も診療所は休みで、
家でのんびり過すつもりです。

今日の話もまたちょっとフィクションとしてお聞き下さい。

大学時代に演劇のサークルと共に、
マジックのサークルに入っていたのですが、
そこでの一番のイベントは、
大学祭でのマジック喫茶でした。

これは教室を一室借りて、
コーヒーやピザトーストなどを出す、
喫茶店を開き、
そこに来てくれた人に、
テーブルマジックを見せる、
というものでした。

まだ、ミスターマリックなども出て来る前のことで、
(彼は松尾昭さんというマニアで、
当時は通信販売のマジック教室などをやっていました)
テーブルマジックに興味を持つ人など、
あまりいません。

それでマジックだけでは詰まらなかろう、
という訳で、タロット占いを一緒にやりました。

これも当時はあまりやる人がいなかったのです。

辛島宣夫という人の書いた、
「タロット占いの秘密」という本があって、
それにタロットカードが一組付いて来ます。

僕はその本を適当に読んで、
何となく独学でタロット占いをやりました。

これが意外と好評で、
女の子は抜いたカードが当たったって、
コインが消えたって、特別の興味は示さないのですが、
占いに関しては興味津々で、
何の霊感もない僕などに、
真剣に恋の悩みを打ち明けて、
一緒にカードを混ぜ合わせたりしたのです。

ただ、ちょっと不思議なこともありました。

ミヲさん(仮名)は学部は違いましたが、
僕の同級生で、1年の時だけマジックのサークルに顔を出し、
それからいつの間にか姿を消しました。
色白で面長で、ちょっと古風な印象がありましたが、
口さがない友達の話では、
男関係は結構派手で、
ちょっと問題のありそうな男と、
複数の関係を同時に持っているのだ、
というような話でした。

彼女はタロット占いが趣味で、
1年の時のマジック喫茶では、
一緒にタロット占いをやりました。

マジック喫茶が終わった時、
彼女が「石原君、私も占って」
と言うので、僕はちょっと緊張しました。
僕のタロットなんて、はっきり言って口から出まかせで、
カードの意味も、
全部なんて覚えていません。

タロットカードには全部で78枚のカードがあり、
そのうちの22枚が絵だけのカードで、
これを「大アルカナ」と呼びます。
残りの56枚は「小アルカナ」と言って、
後のトランプの元になった、
数字の入ったカードです。
通常簡単なタロット占いは、
22枚の「大アルカナ」だけを使います。
それはまあ、覚えるのが簡単だからですね。

しかし、僕ははったりでもないのでしょうが、
必ず78枚全部のカードを使い、
その意味が全部分かっているかの如くに、
占いをします。
でも、分かっているカードは少数なので、
分からない時は、まあ、口から出まかせで誤魔化すのです。

そんな具合だったので、
タロットのイロハを知っている人には、
僕のデタラメがバレてしまうのです。

でも、言われた以上断わる訳にはいきません。

僕は内心の動揺を隠しつつ、
ミヲさんの運勢を占いました。
「何を占おうか?」
と僕が聞くと、
「恋愛運」とミヲさんは即答です。

それでカードを並べて表に返すと、
最終の位置に「塔」のカードが反対向きになっていて、
どうもあまり良い兆しはありません。
ミヲさん自身そのことは当然分かったと思うのですが、
僕は「色々と苦難は予想されるけれど、
乗り越えられる兆しは見える」
みたいな何にでも当て嵌まる適当な話をしました。

ミヲさんは何かひどく真剣な面持ちで、
そのカードを見詰めていました。
それから、呟くように、
「そうね。それしかないのね」
と言いました。

それから打ち上げがあり、
別に彼女も普通に参加したと思うのですが、
それから間もなく、彼女の姿はキャンパスから消えました。

彼女と再会したのは、
5年後のことです。

その年は僕は勉強そっちのけで、
演劇にのめり込んでいて、
ただ、学生演劇では何か満たされないものを感じ、
地元の社会人の劇団が、
公演のお手伝いを募集している、
という話を聞いて、そこに加わることにしたのです。
仕事をしながら、演劇をしているというのは、
一体どんな雰囲気なのだろう、
ということに、ちょっと興味を感じたためでした。

その初練習に参加して、
そこに演出補佐のような立場で、
ミヲさんが参加しているのを見て、
僕は正直驚きました。

その日は彼女に話し掛けることは出来ず、
数日後の日曜日の練習の時に、
ようやく僕は彼女と話をする機会を得ました。

「実はね石原君」
彼女は言いました。
「去年まで2年間、九州の病院に私入院していたの」
「何の病気?」
「心の病気」
あまりにあっさり言われたので、
僕には返す言葉がありませんでした。
「復学したんだけど、多分石原君と一緒の卒業になりそうね」

それから公演が終わり、その打ち上げの時に、
またしばらく彼女と隣合わせになりました。

「あの時のタロットカード、覚えてる?」
彼女はまた唐突に言いました。
「えっ?」
「大学祭の時に一度だけ私を占ってくれたじゃない」
「うん。覚えてる」
「凄い占いだったわ。あそこに私の人生の全てが出ていたの」
「まさか」
「恋愛運って言ったでしょ。あれは嘘だったの。
本当は人生に疲れてて、これから生きていても、
意味があるかどうかを知りたかったの。
そう思いながら、一緒にカードを混ぜたのよ」
「そう…」
「石原君、ひどいこと言ったのよ。
もう当分、あなたにいい出会いはありません、って」
「まさか。僕はそんなことは言ってないよ」
僕の記憶の中では、間違いなくそれが真実でした。

それからも僕達は話をして、
それから最後にミヲさんは、
「今度もう一度タロットをやって欲しいの」
と言いました。
彼女は喫茶店でバイトをしていて、
そこに月曜日の夜に来て欲しい、と言うのです。
気のせいかその時の彼女の顔は、
とても真剣なものに思えました。

僕は悩んだものの、結局は翌日彼女のいるという、
喫茶店に行くことにしました。
バックの中にはいつものタロットカードが入れられています。
行く前に一応辛島先生の本を読み直し、
特に良い意味のカードのことを、
集中的に暗記しました。

その喫茶店は一車線の国道沿いにありました。
大学のキャンパスから、
歩いて5分くらいの位置です。

意を決した気分で、
その薄汚れた喫茶店の木のドアを押し開けると、
お客さんの姿は狭い店内にはありません。
でも、何か様子が違います。

「いらっしゃい」と男の声がして、
何か如何にも世慣れた感じの、
金髪のアンちゃんが姿を現わします。
当惑した僕が「あの…」と口籠ると、
「あら石原君」とカウンターの向こうから声がして、
ミヲさんが姿を見せました。
「何しに来たの」とでも言いたげな態度に、
僕のテンションはガクッと下がります。

「ああ、シンちゃん、この人私の友達なの。
タロットが上手いのよ。占ってもらえば」

そんな訳で、僕はミヲさんの淹れたコーヒーを飲み、
「シンちゃん」の「仕事運」を占って、
15分ほどで店を後にしました。
シンちゃんは見た目ほど悪い男ではなさそうでしたが、
ミヲさんは以前と同じように、
綱渡り的な男関係を続けているようにも、
僕は思いました。

その後僕はミヲさんに会ったことはありません。

彼女がどのような闇を抱えていたのか、
僕には分かりません。
その闇に光を当てようなどという、
おこがましい思いがあった訳ではありませんが、
彼女に良い風を送ることが出来れば、
くらいのことは考えてはいました。
でも結局彼女のタロットを、
僕はもう一度することはありませんでした。

最近はタロットカードを手にすることも滅多にありませんが、
同じようなことをしているような思いもあります。

ただ、以前のようにカードの意味もしっかり覚えずに、
いい加減なことだけは言わないように、
日々勉強だけは続けたいとは思って仕事をしています。

今日はタロットカードを巡るちょっとした昔話でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

長野の鰻の話 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は診療所は休診で、
朝から大掃除の予定だったのですが、
何となく気が乗らず、
まだ手を付けていません。
駄目ですね。
休みになると、普段以上に、
意思が弱くなってしまうようです。

ある人に、
「あなたのブログには、食べ物の話が一度も出てこないのね」
と言われたので、
今日は食べ物の話をします。

昔話ですが、
フィクションとしてお読み下さい。

大学時代から10年ほど、
長野県にいたのですが、
長野の鰻の蒲焼というのは、
今はどうかは分かりませんが、
当時はもう、何と言うのか、
僕がそれまで食べていた、
鰻という食べ物とは、
全く別の代物でした。

これは勿論良かったという意味ではなく、
長野の鰻が尋常でなく不味かった、
という意味です。

鰻の蒲焼というのは、
ふわっとした感触がないといけないでしょ。
長野の鰻にはそうしたふんわり感は皆無で、
その腹側の青い皮は、
噛み切れないほどに固いか、
そうでなければ、
脂身に乏しく、
ぱさぱさに千切れてしまうのです。

僕に言わせれば、
こんなものは鰻ではありません。

それでも、市内には2つの有名な鰻屋があり、
そのうちの1つは古い蔵を改造した店構えで、
いかにも外見は格式のある老舗の雰囲気です。
仲居さんの態度も、何と言うか、
「ここは老舗なのよ」みたいな感じを、
ちょっと鼻に付くようなくらいまで、
強く押し出していました。

その店の1人娘に、僕は恋をしたことがあります。

きっかけは何か非常に単純なもので、
彼女は僕が入っていたマジックのサークルの後輩で、
大学祭で「マジック喫茶」というのをやったのですが、
その打ち上げで居酒屋に飲みに行った時、
衝動的に彼女にキスをしたのです。

その時は、実は何とも思わなかったのです。

ただ、翌日起きてみて、
顔を洗って鏡の前に立った時に、
僕ははたと前夜彼女にキスをしたことを思い出し、
そこから類推して、
彼女に恋をしたことを知りました。

僕が人を好きになる時というのは、
いつもこんな具合で、
まず行動が先にあるのです。
その時は無意識なのですが、
後になってからその行為を思い出す時に、
意識下の想いが、
不意に意識化するのです。

人を好きになる時というのは、
皆さんでもそうしたものですか?
それともこれは僕の特殊な感情でしょうか?
誰かに教えてもらいたいような気もします。

意識下の抑え付けられていた感情が、
ばっと解放されると、
これはもう居ても立ってもいられません。
寝ても醒めても彼女のこと以外は、
何一つ考えられない状態になります。

泡坂妻夫に「11枚のトランプ」という、
マジックサークルを扱ったミステリーがあって、
その中に後輩の女性が、
先輩の男性に向けた、
秘めたる愛情が出て来るのですが、
僕はその女性に、鰻屋の彼女の姿を重ね合わせ、
その本をむさぼるように何度も読みました。

それから何度か僕は機会を狙い、
彼女と二人きりになることが出来たのですが、
彼女は笑顔は見せながらも、
僕との距離を縮めようとはしてくれません。

酔った席とは言え、僕は彼女にキスをしたのですし、
その意味合いは彼女も分かってくれているとは思うのですが、
そうした僕の思いに接近しようとすると、
彼女は巧みにその矛先をかわすのです。

それは要するに脈がないのだと、
今ならすぐそう思うところですが、
当時はそうは思えません。

話しても埒が明かないならと、
今度はプレゼント攻勢に打って出ました。
クリスマスだ、誕生日だと、
当時の僕にとっては高価な贈り物を、
一方的に送り付けるのです。

そうしたことが、
結果的には彼女に負担になったのでしょう。

彼女は次第に僕と距離を取るようになりました。
サークルの会合にも、
色々と都合を付けて、
滅多に出ては来なくなりました。

彼女がそうすることで、
僕との関係を自然消滅させようと、
思っていることは理解出来ました。

ただ、僕の気持ちはそれでは収まりが付きません。

意を決した僕は、
彼女の実家の鰻屋に手紙を送り、
とある日曜日に日を指定して、
彼女を近くの神社に呼び出したのです。
神社の名前は四柱神社と言いました。

僕が指定した時間に5分遅れで彼女は来てくれました。
「ありがとう」
僕は一言だけそう言うと、
夜の街を並んで歩きました。
精一杯お洒落な感じの居酒屋に入り、
取りとめのない話をしていると、
1時間もしないうちに沈黙になり、
彼女はもう出ようという素振りをしました。
店を出ると、彼女は帰ろうという雰囲気だったのですが、
それでは何のために呼び出したのか、
分かりません。

僕はただ一言彼女に、「好きだ」と言いたかったのです。
それが僕の唯一の希望でした。

それで、「鰻を食べに行こう」
と僕は言ったのです。
彼女の足が、実家の方向に向いているのに、
何となく気が付いたからです。
「長野の鰻は石原さんは嫌いなんでしょ」
と彼女は言いました。
僕は何度も彼女の前でそう公言して、
一度も彼女の店で鰻を食べたことがなかったのです。
「食べてみなけりゃ分からないよ」
と僕は言って、
半ば無理矢理のように彼女の店に入りました。

舞い上がっていた僕は、
店の従業員の態度など、
全く気にも留めませんでした。
しかし、そこは店とは言え彼女の実家なのです。
(正確には店とは別の近くに彼女の家はあります)
どんな雰囲気だったかは想像が付きますし、
今考えると赤面する思いです。

僕達は店の奥まった角に座り、
僕1人だけ鰻の蒲焼きを頼みました。

長野の鰻というのは、
不味い癖に時間だけはいっぱしに掛かります。
出て来る代物は、
どう見ても冷凍の出来合いのものを、
レンジで温めたとしか思えません。
それで30分以上掛かるなど、
殆ど有り得ない話ですし、
仮にまっとうに蒸したり焼いたりしているとすれば、
それで何故あんな冷凍と見分けの付かないものが登場するのか、
それこそ理解に苦しみます。

でも、その時はその時間が僕に幸いしたのです。

その30分ほどの時間に、
僕は漸く彼女にはっきり「好きだ」と言いました。

彼女はその瞬間は俯いていて、
それから正面を向いて、
ニコリと笑いました。
ただ、その後に特に続く言葉はありませんでした。

ちょっと沈黙があって、
それを図るように鰻が運ばれて来ました。
「食べてみて」
と彼女が言って、
僕は蒲焼きに箸を付けました。

「どう?」
と彼女が言って、
僕は「うーん。やっぱり今イチだね」
と愚にも付かない感想を口にしました。
実際には何かゴムのようなものが、
口の中に入っている、という感触だけでした。
「嘘ばっかり。やっぱり長野の鰻は不味いな、って顔してるわ」
と普段より距離を縮めたような口調で、
彼女は言いました。

それからちょっとして、
僕達は鰻屋を出て、
玄関の植え込みの所で、
別れの挨拶をしました。

彼女は額の広いのを気にしていて、
いつも前髪を垂らしていたので、
僕は前髪を上げてくれるように彼女に言い、
その額の上の方にキスをしました。

それから本当に、
最後のさよならをしました。

その時の彼女の笑顔は、
今でもありありと心に浮かびます。
間違いなく、僕の見た彼女の最高の表情でした。
多分、僕とのことが一区切り付いて、
ほっとした表われなのだと今は思います。

それから僕は今までに彼女に3回会っていますが、
いずれも一言挨拶をしただけです。
2回目に会った後で暑中見舞いの葉書が一度届き、
そこには「お元気そうでなによりです」
みたいな愚にも付かないことが書かれていました。

ただ、僕は基本的には、彼女に感謝しています。
恋と呼ぶのも憚られるような、
酷く未熟な感情の発露だったのですが、
気持ちに区切りを付けたい、
という僕の想いを、
彼女はあの日しっかりと受け止めてくれたからです。
彼女がそうしてくれなかったら、
僕は一種のストーカーと化していたかも知れません。

「想い」というのは、
ちょっと怖い側面を持つものだからです。

最初の強い感情というのは、
何にせよ周囲にしっかりと受け止められないと、
心に強い傷を残し、
その後の人生を大きく変えます。
僕は実はそのすぐ後で、
ある別な人を好きになり、
今度は目茶苦茶に酷い別れ方をしたのですが、
それでも何とか持ち堪えられたのは、
鰻屋の彼女が、
あの時僕の気持ちを、
受け止めてくれたからだと感謝しています。
多分相当嫌々ながらだったんだと、
今は思いますけれどね。

僕は東京で食べる鰻が好きですが、
あまりに歯ごたえがないと、
美味しいとは思いながら、
何となく不安に思うことがあります。
長野の鰻が僕の一番の急所に絡み付いているのを、
はたと感じるせいかも知れません。

今日は懐かしく切なく不味い、
長野の鰻の話でした。

それでは今日はこのくらいで。

もうお休みの方が多いでしょうか?
年の瀬に、今年一番の良いことがあるといいですね。
そんなことはない、って?
いや、存外あるかも知れませんよ。
少なくとも僕はそう信じます。
そうでないと、人間なんてやってられないですよね。

石原がお送りしました。

「生ワクチン」殺人事件 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

最初に2日前に書いた「新型国産ワクチン中間報告」
についてですが、
そのまとまった内容が公開されました。
日曜日の記事は報道からの推測でしたので、
事実誤認の部分もありました。
その点についてはまた近日中に検討したいと思います。
ただ、はっきりとした副反応の認められている点は、
僕は些細なこととは思いませんし、
もっと慎重に検討すべき課題ではないかと思います。
また、さすがにそれなりの説得力のあるものなのですが、
それでも最初に結論ありきの、
トリッキーな部分は感じました。

それについてはまた後日。

本題に入ります。

今日の話はあまり真面目には取らないで下さい。
ちょっとSFのアイデアみたいな話です。

数日前に、インフルエンザの生ワクチンの話をしました。
このワクチンは鼻の粘膜に噴霧します。
つまり、普通のウイルスの侵入経路と、
同じような経路で使用する訳です。
このワクチンを使用して、数日間は、
鼻の粘膜に弱毒のウイルスが存在する状態になります。
従って、この期間にインフルエンザの簡易検査を鼻で行なうと、
インフルエンザの陽性反応が検出されます。

インフルエンザには不顕性感染もあります。
要するに、熱などの症状がなくても、
インフルエンザに罹っている場合はある訳です。

たとえば、今日診療所に1人の患者さんが現われて、
熱はないのですが、身体がだるいので、
インフルエンザの検査をして欲しい、
と言われたとしましょう。
検査をして陽性に出れば、
インフルエンザと診断して薬を出すかも知れません。
しかし、もし日本でも点鼻のワクチンが採用されていて、
その患者さんが数日前にワクチンを鼻に噴霧していたとしたら、
患者さん本人がそのことを教えてくれない限り、
それがワクチンのための偽陽性なのか、
実際の感染なのかを、
僕の立場で判断することは不可能です。

弱毒化されたウイルスは、
周囲に感染する可能性はゼロではありません。
仮にそのウイルスが変異して、
感染力を得たとすれば、
感染した患者さんのウイルスを分析したとしても、
それを「ワクチン株」だと立証することは、
そうと分かっていなければ困難で、
むしろ「弱毒性の新型インフルエンザ」
と判断される可能性の方が、
より高いのではないかと考えられます。

ここに1人の超越的な思考を持つ人物がいるとしましょう。

彼もしくは彼女は…
うーん、矢張り僕は男なので、
彼女にした方が魅力的です。

彼女はSFサスペンスの悪のヒロインみたいな女性で、
地球には人間などという生き物は、
存在しない方が良い、という考え方を持っています。

彼女はウイルスを研究する製薬会社の研究員で、
生ワクチンの遺伝子を掛け合わせる研究をしていて、
その中で、強毒性の新型インフルエンザウイルスの、
合成に成功します。
こうしたことは、ごく日常的に起こり得ることです。
それを廃棄することは、
彼女の意思のみに委ねられているのです。

彼女はそのウイルス株を廃棄したことにして、
実際にはそのウイルスを、
密かに増やし、隠し持っています。

その目的は勿論、人類を滅ぼすためです。

こうしたウイルスを保持するために、
最も有効で安全な器具は、
噴霧型の生ワクチンの容器です。

彼女はそのウイルスを生ワクチンの容器に入れて持ち歩き、
自分が憎んでいる男と敢えて関係を持つと、
そのベッドで相手が寝入っている時に、
その男の鼻にウイルスを噴霧します。

その男は数日後に重症のインフルエンザを発症し、
その感染はたちまち周囲に広がります。

そして、新たな強毒性のウイルスのパンデミックが、
世界を襲うのです。

この計画のポイントは、
感染が拡大した時点で、
何をどれだけ調べても、
感染源を確定することは絶対に出来ない、
ということです。
最初に感染者となった男自身も、
まさか彼女が犯人とは予想だにしないでしょう。

ウイルスの遺伝子を分析し、
その構造が生ワクチンに類似していることに、
仮に製薬会社の研究者が気付いたとしても、
間違いなくその情報は闇に葬られることになるでしょう。

一種の完全犯罪がここに成立するのです。

僕が言いたいことは、
ある1人の人間の強固な意志があるだけでも、
世界は滅び得る、という事実です。

皆さんは科学が進歩することは、
素晴らしいことだとお考えになるかも知れません。
しかし、そこには常に負の要素があります。
ナポレオンやアレキサンダー大王が、
如何に強大な権力を持っていたとしても、
たった1人で世界を滅ぼすことは出来ないでしょう。
しかし、科学の進歩した現在では、
上に挙げた彼女のような人間が1人存在するだけで、
理屈の上では簡単に世界は滅ぶのです。

良くも悪くも、僕達はそうした時代に生きているのです。

今日はちょっとSFめいた話でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
前の10件 | 次の10件 フィクション ブログトップ